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コミックで楽しむ神戸・塩屋のくらし 第21話「塩屋を愛するひとたちの文化祭〈しおさい〉」

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第21話 
塩屋を愛するひとたちの文化祭「しおさい」

今週のグレアムさんは、塩屋で開催された文化祭「しおさい」に参加。宝の探し場所を入れたボトルをまちのあちこちに隠す「塩屋宝探し」を企画し、いろんな人に楽しんでもらいました。文化祭では塩屋を愛するひとたちによる催しものがほかにもいろいろあったようですよ。

artist profile

Graeme Mcnee

グレアム・ミックニー

ぐれあむ・みっくにー●南アフリカ生まれ、スコットランド育ち。日本在住10年。2011年よりドローイングをコミックのフォーマットで表現する「ミニマルコミック」に取り組む。良寛の短歌をマンガにした「RYOKAN」などのアート・ジンを刊行。
http://www.graememcnee.com/

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〈小豆島撮影ツアー〉で小豆島の絶景をめぐる

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「普段の絶景」に出会う撮影ツアー

小豆島にはいわゆる“絶景”に出会える場所があちこちにあります。ほかでは見られない美しい景色。

先日、小豆島カメラのトークイベントで写真家のMOTOKOさんが、小豆島にあるそういう景色のことを「普段の絶景」と表現されていましたが、すごく腑に落ちました。わざわざ何時間もかけて見に行くんじゃなくて、普段の暮らしのなかにあったり、すぐそばにあったり。それが小豆島の絶景。

普段の絶景 in 小豆島。こんなところが暮らしのすぐそばにある。小豆島にある山岳霊場のひとつ〈西の滝 龍水寺〉。

そんな絶景スポットや小豆島ならではの場所をカメラを持ってめぐる旅が11月上旬に開催されました。今年で2回目となる〈小豆島撮影ツアー〉。写真雑誌『PHaT PHOTO』とカメラメーカー〈オリンパス〉の企画で、私たち小豆島カメラのメンバーもスタッフとして参加しました。

今年で2回目の開催となる〈小豆島撮影ツアー〉。坂手港でお出迎え。

その季節ならではの小豆島を楽しんでもらいたい。そんな思いで考えた今回の撮影コース。11月といえば、小豆島はオリーブ収穫シーズンです。赤紫色に熟したオリーブの実がついているのはこの時期だけなので、オリーブ畑には行きたいね。それからこの時期は夕景も美しいから、最近ドラマのロケ地として使われた城山桜公園内の桜花亭からの夕日も見たいね。あー、でもやっぱり山岳霊場からの絶景は外せないよね。そんな感じで、PHaT PHOTOと島で暮らす小豆島カメラのメンバーで企画。

11月といえばオリーブ! 熟したオリーブがなっているのはこの時期限定。

小豆島には八十八ヶ所霊場があり、その中でも岩壁に建つ山岳霊場からの眺めはとても美しい。

西の滝 龍水寺へ向かう長い階段。後ろには瀬戸内海が広がる。

島での普段の暮らしのなかで「あー、なんてきれいなんだろう」と思うような景色に出会うことはたびたびありますが、それをじっくり撮影できるかとなるとなかなか難しい。時間がなかったり、カメラを持っていなかったり。だから今回みたいに撮影を目的にして過ごす時間はとても貴重。

ただ計画しても予定通りに絶景に出会えるかどうかはわからない。ちょっと曇ってしまったらそれだけで景色が変わる。ツアー当日も前日までの天気予報では雨になっていましたが、奇跡的に晴れに。なかなか出会えない美しい夕景を撮ることができました。

城山桜公園内の桜花亭。きれいすぎます。

この日の夕景は、ほんとに美しかったそう。私は2日目からの参加だったので残念ながら見れず……。近いうちに必ずや!

そしてそんな美しい景色をひとりじゃなくて、みんなと一緒に撮りに行くというのがまた楽しい。ひとりで撮影に行くと、撮った景色の中に誰もいなかったり、ましてや自分が写ることなんてほぼない。今回みたいにみんなで行くと、撮るだけじゃなくて撮られることも。美しい景色の中に人が入ると、なぜだかその魅力は増し、あーここ行ってみたいな、そんなふうに撮りたいなという思いにかられる。

自分が撮られることも(笑)。

小豆島ヘルシーランド株式会社さんの敷地内にある〈樹齢1000年のオリーヴ大樹〉を特別に撮影させていただきました。

一本のオリーブをそれぞれ撮りたいように撮る! オリンパスのミラーレス一眼カメラ、PENやOM-Dが参加者全員に貸し出されました。

大きなオリーブの木の下で。

普段の絶景 in 小豆島。写真を見てるときっと行きたくなってきますよね(笑)。はい、ぜひ遊びに来てください!

ツアー参加者の皆さんと一緒に。◎今回のツアー行程ジャンボフェリー→二十四の瞳映画村→城山桜公園→小豆島オリーブユースホステル泊西の滝 龍水寺→樹齢1000年のオリーヴ大樹→Cafe de MeiPAMでランチ

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

credit

撮影:小豆島カメラ

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日本で第一号の”ビオホテル”、カミツレの宿〈八寿恵荘〉

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カミツレの里・沿革

紅葉の美しい秋の日。北アルプスの山々に囲まれた豊かな自然の中。コロカル取材班は長野県北安曇郡池田町にあるカミツレの宿〈八寿恵荘〉を訪れた。今年5月に誕生した日本で第一号の“ビオホテル”である。

“ビオホテル”とはオーガニックでエコなホテルの認証。

もともと八寿恵荘は農薬不使用カモミールの商品開発で知られるカミツレ研究所の保養施設としてつくられた。カミツレ研究所には有機カモミール農園と工場、有機野菜の畑があり、敷地面積は約4万坪。カモミールを用いた入浴剤やスキンケア商品を製造・販売している。

建材、環境、寝具、食事など、自然素材にこだわり安心して心地よく過ごせる宿として今年5月にリニューアルし、“ビオホテル”として認証された。

この日はちょうど有機栽培されたジャーマンカモミールの定植の作業中。カミツレとは薬効成分のあるハーブとして知られるジャーマンカモミールのこと。保湿効果、そして消炎に効果があると言われる。日本でも古くから漢方薬のひとつとして使われてきた。

八寿恵荘を経営する株式会社相互のカミツレ研究所の北條裕子さんにお話をうかがった。

日本で第一号の“ビオホテル”。安曇野にあるカミツレの宿 八寿恵荘。

「父は安曇野で生まれて、東京に印刷会社・株式会社相互を立ち上げたんです。1982年 ハーブティーなどの文化が日本に入り始めたころ、ハーブの印刷物を扱ったんです。それが父にとってハーブとの最初の出会いで、それをきっかけにハーブの事業を始めました。私はそれを引継いだんですね。ちょうどそのころ父は喉頭がんを患っていたんですが、先生に漢方を薦められて、完治したんです。自分が助けられた植物でみなさまのお役に立てないかと考え、薬効の高いと言われるカモミールを広げていこうとハーブの事業を立ち上げた。つくるなら安心・安全なものがよいだろうと、原料から国内でつくっていこうと研究をしていて、それを大学生の私はずっと見ていたんですね」

最初は印刷会社のなかの一部門として立ち上げたハーブ事業。事業としては今年で34年目になる。北條さんがカミツレ研究所として引き継いで20年。6年ほど前に安曇野に〈カミツレの里〉をつくったが、3年前に無垢の木を使ってリフォームする計画が立った。

「そんなとき、日本ビオホテル協会の中石和良さんと中石真由子さんと知り合い、ビオホテルの存在を知りました。日本ビオホテル協会さんの向かっている方向と八寿恵荘の目指す方向は一致したので申請させていただきました」

もともと食材や調味料にはこだわり、お風呂の洗剤も無添加のものを使っていた。それをリニューアルを機にリネンや床、ボイラーなども含めて徹底して環境と健康にこだわるつくりにしたという。

カモミールエキスのお風呂。窓から安曇野の自然が一望できる。カミツレ研究所ではシャンプー、石けん、ボディソープなどカモミールエキスを利用した商品をつくっている。

ビオホテル認証の条件

一般社団法人日本ビオホテル協会(以下BHJ)の、ビオホテル認証の条件は厳しい。

 1. 食べ物、飲み物は基本的にすべてがBHJ認証のものであること 2. ボディケア・スキンケア用品にはBHJ認証を受けた製品を使用すること

提供する食材・食品や製品などについては、原材料の栽培方法、成分、加工工程、さらに流通過程にわたる詳細なガイドラインが設定されている。生産者や生産地、栽培方法、加工工程、流通過程が明確なこと、健康を害する物質を使用していないこと、 生態系や環境への負荷に配慮した生産方法でつくられた生産物や食品、製品であること、可能な限りその近郊の地域のものを選ぶことなどをガイドラインに定めている。

さらに、 タオルやベッドリネンがBHJ認証のものであること、施設・建物の内装材、建材などが自然素材であること、 CO2削減を中心としたエネルギー資源マネージメントに取り組むことなどを推奨している。食べ物、飲み物の設定基準は、達成度合いに応じて「リーフ数」により格づけされる。ミシュランの星の格づけのように葉っぱの数で評価し、5リーフと4リーフに格づけされた宿泊施設がビオホテルとして認証される。

「認証にあたって、いかに環境に配慮しているか、館内がどれだけ自然なものを使っているかを徹底しました。

日本で第一号のBIO HOTEL®認証。一般社団法人日本ビオホテル協会は、ヨーロッパのビオホテル協会(Die BIO HOTELS)と連携して、健康と環境に配慮したホテルの認証を行っている。

8種類の木を使った天然素材ホテル

クリ、スギ、アカマツ、サクラ、タモ、ケヤキ、ナラ、ヒノキ。基本の木材は地元、長野県池田町の8種類の木を使っている。長野県大北地域、一番遠くても長野県内の材。それぞれの木の特徴を生かし、床材はアカマツ、柱はヒノキ、など。建築はエコ建築で有名な山田貴宏さんにお願いした。

「木のぬくもりを感じてほしいので、スリッパを履かずに済むよう床暖房を入れました」と

床暖房のためのボイラーもこだわった。通常ボイラーは灯油を大量に使うが、八寿恵荘では間伐材や松くい虫でやられたアカマツをチップにして床暖房やお風呂を沸かすボイラーに使っている。

「松くい虫の被害にあった木はまちの外に持っていくことができないんです。伐採して燻蒸するなど、地域で処分する必要があります。それをチップにしてボイラーで活用しています」

カミツレ研究所の商品のメインとなるのはカミツレエキスの入浴剤。34年間つくり続けている。これをウッドチップのボイラーで沸かしたお湯に入れた“華密恋(かみつれん)の湯”が八寿恵荘の自慢。土日祝日は日帰り入浴も可能になっている。

「タオルやベッドリネンは、オーガニックコットン100%のもの。枕カバーはカモミール染めをしています」

使い捨てのカミソリ、歯ブラシなどを置かずに、洗面用具は持参してもらうようにお願いしているという。そのかわりカミツレ研究所でつくられたスキンケアの商品は各種、館内にて自由に使うことができる。宿泊される方に会話をしてほしいからとテレビも置いていない。

木材は地元、長野県池田町の8種類の木を使用。それぞれの木が部屋のキーホルダーになっている。

こだわりのオーガニック食材

認証取得にあたり一番苦労したのは食材だという。BHJの基準では、すべて無添加のもの、無農薬のものを使わなければならない。自社の菜園での有機野菜の栽培があるものの、すべての食材というのはとても大変。有機野菜販売のネットワークを利用したり、地域の伝統的な食材、食文化を取り入れるなどの工夫をした。

「宿泊される方に昔ながらの薪割りとかまど炊きを体験してもらおうと、かまどをつくりました。宿泊者の方と一緒に薪を割り、かまどで地元、池田町の有機栽培コシヒカリを炊いています」

その日出された夕食は、自社農園で採れた有機野菜やカモミールの天ぷら、カモミールとじゃがいものコロッケ、洋梨とカモミールのサラダといったカモミールを使ったオリジナル料理。メインは信州味噌と長野県産のハーブ鶏のグリル。地元の金糸瓜、自社の畑でとれたナスタチウム、しめじとほうれん草のおひたしなどだ。ご飯はかまどで炊いた地元池田町の有機コシヒカリ。キノコと里芋のお味噌汁。池田町の地酒で蒸したしいたけ。間引きした玉ねぎのポトフなど。「ここでしか食べられない地場の食べ物を出していけたら」と、料理人の小林佐和子さん。食を通して地域のつながりをつくっていきたいと考える。

野菜は自社の畑か地元池田町のもの。キノコなどは一部、有機野菜販売のネットワークも使用している。オーガニックで地産地消の食材や調味料を使うこともビオホテルの認証基準。

有機野菜は可能な限り、自社の畑でつくっている。

ご飯はかまど炊き(有料)。三重県の愛農窯。ピザの石釜にもなる。宿泊者は薪割り体験もできる。自分で割った薪で炊いたご飯は格別。

有機栽培カモミール畑へ

5月中旬から6月上旬、北アルプスの山々に囲まれた豊かな自然の中にあるカミツレの里は、あたり一面が満開のカモミールで覆いつくされ、甘くやさしい香りに包まれる。自社農園の約8000坪の畑だ。北條さんの案内でカモミール畑を見せていただいた。「カモミールは江戸時代の末期にオランダから入ってきたんです。いまハーブといわれるものが数千種あるんですが、ジャーマンカモミールは日本で薬として使われていました」

カモミールは大きく分けてジャーマンカモミールとローマンカモミールの2種に分かれる。そのなかで薬効成分が高いと言われるジャーマンカモミールの日本名がカミツレ。カミツレは江戸末期から風邪薬、湿布薬に使われていたという文献が残っているという。

「カモミールの花頭にアズレンという消炎効果がある成分があります。喉スプレーや花粉症の目薬などにも使われている成分です。茎や葉っぱにも保湿など、多岐にわたる効果が期待されます。ハーブティーなど飲用にも多用されているのです」そこを利用しようと考えたという。

カミツレは長野県安曇野の清らかな水と澄んだ空気のなかでつくられている。全国の契約農家と、自社の畑、あわせて725.5アール。

花だけでなく茎と葉も使う栽培は何倍も手間がかかる。カモミールの苗を間隔をあけて定植する。すべて手作業だ。八寿恵荘では定植体験のツアーもやっている。

「カモミールは花しか使われないことが多いんですけど、茎や葉っぱにも薬効成分がある。私たちはその全部を使おうと考えました。精油などは一般的には水蒸気蒸留で、熱を加えるので有効成分が半分くらいに壊れてしまうことがわかっていました。私たちはチンキのようにアルコールにつけて抽出します。そうすると100%近く成分が引き出せるんです。約30日間浸して成分を抽出します。水蒸気蒸留とアルコールでの抽出の比較データを取ったんですが、保湿・消炎の効果がぜんぜん違うんです。

アルコール抽出法は時間も手間もかかる。また花だけを使う栽培に比べ、茎と葉も使う栽培は何倍も手間がかかる。

「ドイツのオーガニックコスメのメーカーWELEDA社の方も見学にいらして、こんなに手の込んだことをやっているのは世界でもここだけだと驚かれていたんです」

カミツレ研究所では安曇野以外でも全国8か所で農薬を使わないカモミール栽培を行い、世界でも最高グレードの有機カモミール製品をつくっている。

木琴になっているテーブル。

11年続く、アトピーツアー

北條さんにこれまでの八寿恵荘で印象的なエピソードをお聞きした。

「アトピーの子どもたちを迎えて、自然のなかで過ごしてもらう自然体験教室を11年続けているんです。とても喜んでいただいて、お礼の連絡をいただいたのがうれしかったです。自然体験教室ではお医者さんに同行していただいているので、子どもたちにやりたいことをなんでも自由にしてもらいます。ここに来たら子どもたちに土に触れてほしい。玄関に土間もつくったし。裸足で床に触れてほしいと、スリッパをやめて床暖房にしています。壁を触って木や土のぬくもりも感じてほしいですね。かまど炊き体験や自然体験など、普段できないことが全部できたと喜ばれました」

また、ピンクリボンの宿にも指定されているので、乳がんサバイバーのツアーなどでも施設を利用してもらっているという。

最後に八寿恵荘の“八寿恵”とは? と聞いてみた。

「“八寿恵”とは私の父の母親、私のおばあちゃんの名前なんです。昔、泥のついた大根をよく持ってきてくれました。私にとっては、ここはそんな思い出の場所でもあるんです」

カミツレの宿 八寿恵荘を経営する株式会社相互 カミツレ研究所 代表取締役社長の北條裕子さん。

Information

八寿恵荘

住所:長野県北安曇郡池田町広津4098

http://yasuesou.com/

一般社団法人 日本ビオホテル協会BIO-HOTELS Association JAPANhttp://biohotels.jp

writer's profile

Tetra Tanizaki
谷崎テトラ

たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/

photo

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

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愛媛一のみかん、日本一のみかんを! 日の丸みかんのブランドを長年にわたって支える〈小林果園〉

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日本一のみかんの故郷、八幡浜市向灘地区

“愛媛県産のフルーツ”と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるであろうフルーツ、みかん。みかんの花は愛媛県の花とされ、1952年に制定された県旗にも描かれていて、さらに愛媛県イメージアップキャラクター「みきゃん」のモチーフもみかんなのです。柑橘王国として知られる愛媛県にとっても、みかんは身近ながらも特別な思い入れのあるフルーツともいえる存在とも言えるでしょう。

そんな愛媛のみかんの中でも御三家と呼ばれているのが、西宇和地区で育てられている〈日の丸みかん〉〈川上みかん〉〈真穴(まあな)みかん〉。この御三家の中でも日の丸みかんは毎年のように“日本最高峰”の評価を得ているだけでなく、初売りで日の丸みかんの単価が良かった年は全国のみかんの単価も上がると言われているほど特別なみかんです。

見渡す限り広がる西宇和の海と、みかんがたわわに実った園地。風光明媚とは、まさにこの風景。

その産地となるのが愛媛県西端にある八幡浜市向灘地区。海に囲まれた海岸部は典型的なリアス式海岸で、起伏の多い傾斜地が連なり、平野部は極めて少ない地域です。そして驚かされるのが、海を面した山々のほとんどが見事な段々畑になっていること。

「向灘の特徴は全面南向きで朝から晩まで日が照っていること。その勾配が全部段々畑になっていて、さらに砂地で水はけがいい。だから糖度があるのに酸味が少ないみかんが育つんです」と話すのは、3代にわたり向灘地区でみかんの生産を続け、日の丸みかんのブランドを長年にわたって支えてきた〈小林果園〉の小林聖知さん。

取材で訪れた10月下旬は「極早生(ごくわせ)」という品種のみかんの収穫時。実ったみかんを、ひとつひとつ手で収穫します。

みかん園に鳴り響く「パチン、パチン」というリズミカルな音。まず枝から実を収穫バサミで切り離し、すぐさまみかんに傷がつかないようヘタ部分を平らに切り落とす二度切りの作業がこの音の正体。

「みかんは日が当たれば当たるほど糖度が上がるんですよ。よく“3つの太陽”と言うんですけど、“お天道様の太陽”“宇和海からの反射光”“段々畑の石垣からの反射光”。あと最近は、みかんづくりへの情熱が4つ目の太陽とも言われるんですけど、この太陽によって甘くてコクのある、おいしいみかんが育つんです」

段々畑の石垣。100年以上も前に、この地でみかん栽培をはじめた先人たちが築いた歴史を物語ります。

現在では10もの園地を管理し、みかんを育てている小林さんですが、彼がつくるみかんのもうひとつの特徴はその皮の薄さ。「実際に皮をむいてもらったらわかるんですけど、もう薄い。うちの子どもが3歳なんですけど、よそのみかんだったらひとりで皮をむけるのだけど、うちのみかんだと実に指をつっこんでしまうから“皮がむけんので、もいでくれ”って言う。それくらい違いがあるんですよ」

愛媛で一番、日本で一番のみかんを育てる自負

小林果園3代目の小林聖知さん(中)と奥様(左)。そしてふたりをやさしく見守る2代目(右)。

〈媛一みかん〉という名で出荷される、小林果園で育ったみかん。愛媛で一番、つまり日本で一番ともいえるみかんを育てる小林果園とほかのみかん生産者の一番大きな違いは、「共選(共同選果)」ではなく「個選(個別選果)」という方式でみかんを出荷していること。

多くの生産者の農作物を組合がひとまとめにして選果して、ひとつのブランドとして出荷する共選に対し、農家が個人で選果から箱詰めまでして出荷する個選。小林果園が個選の方式を取り入れるようになったのは小林さんの代になってから。

そのままにしておくと3〜5メートルの高さまで成長するというみかんの木々。収穫しやすい高さに保つための剪定作業は、春先に行われるのだそう。

「虫とかがいなくても、みかんは自然で受粉するんですよ。本当にみかんは自然な恵みですな」と話す2代目。その自然の恵みがケース一杯に。

「2015年で7年目ですけど、共選だった頃はただ言われた通りに出荷するだけで。出荷したら後は通知がくるけど、自分のみかんを誰が食べているのかがわからないんですよ。自分の中で“これは本来の農家じゃないな”という想いもあって個選になったんです」

個選となったことにより、よりいいものをつくらないといけないという自負を抱くようになったと話す小林さん。しかし最初の数年は試行錯誤の連続だったそう。「営業先もない、ゼロからはじまった状態で。東京へ行って、飛び込みで営業をするところから始めたんですけど、それまで結婚式でしかスーツを着たことがなかったんですよ。だからインターネットで中古のスーツを買って、ネクタイは知り合いにもらって……これはいまだに覚えていますね」と笑いながら語る小林さん。

収穫されたみかんはトラックに積まれ、山を下って小林果園の選果場へ。「私らの代は天秤棒でかついで下まで降りて、そこからは舟で家まで運んでいたんですよ」という2代目の言葉に向灘地区のみかん栽培の歴史を感じました。

そんな先行きがわからない不安な状態の中でも、真剣にみかんづくりに取り組み続けた小林さん。「それまでは組合に言われていた肥料をどの畑にも与えていたのですが“これだと楽を覚えてしまってイカンな”と思って、自分のところの山の土壌をひとつひとつ分析してもらったんです。そうしたら、やっぱり山ごとに成分の差があって。そこで肥料屋さんにそれぞれの山に応じたオリジナルの肥料をつくってもらい、まく時期とかも変えるようにしました。基本的に果物は、南向きの土地だとおいしいものが育つんですよ。ずっと太陽が当たっている良い立地条件があるんだから、当たり前のことをしたら良いみかんができるんです」

自分が“当たり前”と思うことを、ひたすら守りつづけることだけでなく「やっぱり信用が一番大事でしたね」と話す小林さん。「長年バイヤーさんとの約束を守りつづけていたら“小林は信用できる、数量も守る”とウワサになり、バイヤーさんの輪が広がって今があるんです」

食べたらわかる、おいしさの違い

〈媛一みかん〉だけでなく、園地で育つさまざまな品種のみかんで自社加工するジュースも高い評価を得ている小林果園ですが「最近だと冷凍みかんでも名前が広がっているんですよ」と言う小林さん。「関東で給食に出される冷凍みかんのうち15%くらい、今年だと量的には20%がうちの冷凍みかん。うちは千葉と埼玉に出荷していて、週に3〜4回は冷凍みかんが給食に出るらしいんですよ。逆に愛媛県ではあまりみかんに給食に出ないんですけどね」

選果機に乗せられたみかん。まず人の目で傷がついたものは省かれます。

みかんの皮に黒い点が4〜5個ついているだけで二級品扱いされてしまうほど出荷への基準は厳しいのですが、安心・安全を第一とする給食はもっと厳しいのだそう。「本当に厳しいですよ、傷んだものが1個あるだけでクレームがきますから。去年は個数でいったら200万個弱出荷して、クレームがあったのが10個。普通のみかんだったら全体の2%くらいまでは許されるんですが、200万個の2%だったら4万個でしょ? それに対して10個ですからね」

コンベアに乗せられ、規定のサイズごと違う大きさの穴があいた選果ドラムの上を通り、大きさごとに選り分けられていきます。

選果されるみかんを見守る小林さん。その背後の壁にかけられているのは、柑橘の品種ごとに作られた選果ドラム。

そんな厳しい条件の中でも“これをちゃんとしたら、後は自然につながる”と考えた小林さん。給食用のみかんを出荷していることが小林果園の信頼につながり、新たな店舗との取引にもつながったのだそう。そしてもうひとつ、うれしいことが。「それまではほかの産地の冷凍みかんがずっと給食に出されていたそうなんですが、うちのものを出すようになったら“愛媛の冷凍みかんのおいしさは違う”と言ってくれる小学生もいたそうなんですよ」そんな評判もあって小林果園の冷凍みかんの出荷量は増えているのだそう。「やっぱり美味しかったら、ちゃんと売れるんですよね」と、この冷凍みかんの一件も小林さんのみかんづくりへのさらなる自信につながったのがうかがえました。

選果ドラムを通過し、サイズごとに分けられたみかん。私たちがそのおいしさを口にするまで、想像している以上にみかんには生産者さんの手がかけられています。

取材した10月下旬、収穫されていたのは極早生(ごくわせ)という品種。ひとつ味見させていただくと甘みと酸味、そして爽やかな香りが広がる味わい。そのおいしさを伝えると「11月に入ったら宮川早生、12月には南柑20号という日の丸みかんを日本一のみかんにした品種に切り替わるんですが、これがまたうまいんですよ。南柑20号が出回り始めると、早生が食べられなくなるくらいに」と小林さん。バイヤーへの味見用に早めに収穫されていた南柑20号も味見させていただくと、これまた驚くほどの甘さ。「もう十分食べられるでしょ? 1か月先に穫った状態でこの味ですから、12月になったら相当甘くなりますよ」

西宇和のおいしいみかんを育てる“お天道様の太陽”“宇和海からの反射光”“段々畑の石垣からの反射光”の3つの太陽。そして、みかんの味わいと品質をさらに高める“みかんづくりへの情熱”という4つ目の太陽の力を、そのおいしさで教えてくれる小林果園の媛一みかん。愛媛県の農林水産物統一キャッチフレーズ『愛媛産には、愛がある。』がまさに謳うように、みかんひとつひとつに小林さんのみかんへの愛と慈しみが詰まっています。

Information

小林果園

住所:愛媛県八幡浜市保内町宮内1−427

https://himeichi.jp/

editor's profile

Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

credit

撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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たびのみ散歩、今回は高知へ。“食三昧”のおいしい居酒屋でちょいと昼酒〈葉牡丹〉

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“食三昧”のおいしい居酒屋でちょいと昼酒

路面電車が大通りをチンチン走る景色は、旅情感。高知、はりまや橋のほど近く、ここ〈葉牡丹〉は、そんな路面電車が走る大通り沿いに、ビルに挟まれつつも、どっしりした風格で建つ木造2階建。線路の向こうからもすぐに看板が見えました。

市場とフードコートが合体したような人気の〈ひろめ市場〉でみやげものを買って、ビールとちょこっとつまんでからの2軒目。まだまだ明るい午後2時過ぎくらい。えんじ色に、お店の名前と、ビールを持った南蛮人風のイラストが染め抜かれたのれんをくぐり、引き戸を引けば、ザ・居酒屋の雰囲気が店内いっぱい。

厨房も見渡せる入ってすぐのカウンターのコーナーに席は決まり。店の奥はまだまだ深そう。とりあえず、荷物や上着を置いて、見渡せば、ところどころに短冊メニュー、真上に日本酒と焼酎の銘柄のメニュー。テーブルの上の「食三昧」と書かれたメニューを開けると迷ってください、と言わんばかりのそそる品々。

高知は、日本酒がおいしいと、超辛口の〈船中八策〉を頼めば、升を受け皿にグラスに注がれた酒がカウンター越しに渡されます。おっとと、こぼさぬように受け取って、ハイ乾杯。昼酒というのにするりとお酒は喉を通ります。

ドドン~んと盛られて出されたのは、たたき盛り合わせ。カツオの身は、分厚く切られ、合わさるもうひとつは、ウツボ! ニンニクとわさびは、横に添えられ、ポン酢がさっとかかったそれら。ひと口では無理とカツオを噛み入れれば、まったりとした食感に風味が広がります。ウツボは、鶏肉のような食感でこれまた美味。アジの刺身も鮮度よし、珍味、マグロの皮ポン酢で、お酒も進みます。海鮮の次は、煮込み系、カウンターのほど近いところに豆腐や煮込み系の鍋から、よそってもらった土手煮のスジ肉がやわらかい。

煮込み鍋の前には、ご婦人がひとり酒と、反対側の焼き物を焼く前には、出張中のサラリーマン風ふたり客がのんびり杯を重ねている様子。あとから座ったおじいさんも、ひとり酒で刺身に小鉢、串揚げと食欲旺盛です。

カウンターの前の、中が見える冷蔵ケースには、串に刺さった食材が串揚げ、串焼きになる出番待ちで、ズラリと待機中。昭和27年ごろ先代が大阪にカツオを売りに行って、串揚げを習い、屋台からスタートしたお店だそうで、細かいパン粉の串揚げ。酔鯨のお酒に合わせてクジラの串揚げがアツアツでおいしいこと。

気がつくと、キビキビと働くボタンダウンシャツ制服のお姉さんたちの顔ぶれが入れ替わった様子。昼から夜の営業へ、時計は午後4時。これから夜のお店の賑わいもすごそうです。満腹なのにお会計もお安くって、土佐の心意気、太平洋のような広さを感じた日帰り昼酒高知の旅でありました。

information

葉牡丹

住所:高知県高知市堺町2-21

TEL:088-872-1330

営業時間:11:00~23:00(日・祝以外は11:00~14:00ランチ営業)

http://habotan.jp/

text & illustration

kao.ri hirao

平尾 香

ひらお・かおり●イラストレーター。神戸生まれ、独自の個性を発揮した作風で、世界的ベストセラー「アルケミスト」を始めとする書籍のカバーや、雑誌の挿絵、広告などで活躍。個展も多数開催。現在は、逗子の小山にアトリエを構え、本人の取材やエッセイなど活躍の幅は広い。著書本に「たちのみ散歩」(情報センター出版局)「ソバのみ散歩」(エイ出版社)
http://www.kao-hirao.com/
https://www.facebook.com/Kao.0408.hirao

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森のようちえんから地域に感謝を伝える〈ちづの森の感謝祭〉

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感謝の気持ちをこめてみんなでつくるお祭り

冬の足音が少しずつ聞こえ始めた。朝晩はずいぶん冷え込むようになり、明け方目が覚めて窓の外を見ると、山は深い霧に包まれていることが多い。少しずつ夜が明けて霧が晴れてくると、美しい朝の空を見ることができるのだった。

霧が晴れてきた明け方の空。

いま住んでいる“移住おためし住宅”には薪ストーブがあり、先日ついに初点火することになった。といっても夫もわたしも薪ストーブは初めてで、友人のSさんファミリーが薪を持って遊びに来てくれ、点火しつついろんなことを教えてくれた。薪ストーブの威力はすごくて、2階建ての吹き抜けの家全体が、あっというまに暖まった。雪降る真冬の日も、ポカポカだそうである。子どもたちは、薪が燃えてゆくのを楽しそうに眺めていた。

移住お試し住宅の薪ストーブに初点火。

そんな風にして秋が深まっていくなか、イベント三昧の日々はまだまだ続く。11月の最初の週末には、森のようちえんの保護者による〈ちづの森の感謝祭〉が、智頭小学校のグラウンドで開かれた。

この感謝祭は、お世話になっている地元の方々に感謝の気持ちをこめて、毎年、智頭町内のいろんな場所を利用して行われているお祭りだ。何か月も前から準備を重ねてつくり上げていく大規模なもの。

今年は、保護者による恒例の特製お味噌汁ふるまいや、カフェ、フリーマーケット、あそびコーナー、ステージでの出し物のほか、附属学校〈新田サドベリースクール〉の子どもたちによる出店、ゲストの飲食店・雑貨店の出店など、盛りだくさん。

小学校のグラウンドに、たくさんのお店が並ぶ。

わたしは、お味噌汁ふるまい班に参加した。森のようちえんでは、週1日“クッキング”の日があり、子どもたちが野菜を持ち寄って切り、火をおこし、自分たちでお味噌汁を作って食べている。そのお味噌汁を、感謝祭で保護者たちが作り(野菜は子どもたちと一緒に切る)無料でふるまって食べていただくのだ。この日は板井原集落のおいしい水を汲んできて使い、智頭杉の割り箸を添えてふるまった。

わたしは仕事でなかなか事前準備に参加できず、ほかのメンバーに頼りっぱなしになってしまったのだけど、「できる人ができることをやればいいんだよ」とニコニコ、確実に準備を進めてくれるほかのお母さんたちは、本当に頼もしく、格好よかったのであった。

森のようちえん特製お味噌汁をふるまう〈森のふるまい亭〉。

味噌も子どもたちの手作り。

お母さんたちがみんなで味見をしながら味噌を加えていく。

ふるまい班メンバーが頭に巻いたのは、自分たちで染めた杉染めのバンダナ。

ステージも盛り上がっていて、お母さんたちによるミュージックシアターは、才能あふれるコメディエンヌぶりが大ウケだったし、お父さんたちによるヒーローショー(笑)は、智頭の地区紹介とお父さんの自己紹介を盛り込んだ台本がよくできていて、みんなとても楽しそうに見ていた。

お母さんたちによるミュージックシアター『フトッチーニとホソッチーニ』。

お父さんたちによるヒーローショー『子育て戦隊モリンジャー』。

ゲスト出演の輪舞(ロンド)さんによる、『よさこい演舞』。

ゲスト出店も、レベルが高くすてきなお店ばかりだった。飲食店は、地元の食材をメインに使った、おいしくて体にやさしいお料理やお菓子ばかり。どれも食べてみたくて目移りしてしまったけれど、まずは〈野原のCAFEぽすと〉さんのランチプレート。

ぽすとのなおみさんは、週に1回、森のようちえんの給食を作って森まで届けてくださっている。愛情こめて育てられたお米や野菜を使った料理は体にすーっと沁み込むおいしさで、大満足の味。

〈野原のCAFEぽすと〉さん。お店は智頭町内の那岐地区にある。

野原のCAFEぽすとさんのランチプレート。

最近、智頭に移住されたという〈ラガー食堂〉さんの野菜カレー、〈Sammy’s Kitchen〉さんの無花果のチーズケーキも、本当においしくて感動。

お祭りの締めには、恒例の誰でも参加できる相撲大会があり、大人の部も子どもの部も大盛り上がりで幕を閉じた。

恒例の相撲大会、大人の部。スタッフ同士の迫力ある取り組み。

娘は前回負けた1回戦で勝つことができて、ちょっとうれしそうだった。

これだけ大規模なお祭りをつくり上げるのはかなりの労力を必要とすることで、それでも保護者の皆さんが忙しい合間をぬって真剣に、楽しみながら準備を進めてきたのは地域への大きな感謝の気持ちがあってこそだと思う。まるたんぼうの生みの親である西村早栄子さんも、園児の家族も、その多くが移住者で、地域の理解なくして活動は成り立たない。智頭町にとってはまったく新しい試みが、いまのようにあたたかく受け入れていただけているのも、感謝祭をはじめとして、これまでスタッフや保護者の皆さんがコツコツと地域の方々との交流を積み重ねてきたからなのだなぁ、ということを実感した、1年目の感謝祭だった。

writer profile

Aya Tanaka

田中亜矢

たなか・あや●横浜市生まれ。2013年東京から広島・尾道へ、2015年鳥取・智頭町へ家族で移住。ふたりの子ども(3歳違いの姉弟)を育てながら、マイペースに音楽活動も続けている。シンガーソングライターとしてこれまで2枚のソロアルバムをリリース、またバンド〈図書館〉でも、2015年7月に2枚目のアルバムをリリース。
http://ayatanaka.exblog.jp/

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淡路島で仕事をつくる。2015年の〈淡路はたらくカタチ研究島〉

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2015年の〈淡路はたらくカタチ研究島〉はどんな商品を開発したか

淡路島の雇用創出を図るプロジェクト〈淡路はたらくカタチ研究島〉。厚生労働省の委託事業として、2011年から事業がスタートし、2013年からは、より実践的な取り組みが行われている。島の豊かな地域資源を生かした家業・生業の起業や、島内観光ツアーや商品開発をサポートするプロジェクトで、起業に興味を持つ人、島内への移住を希望する人に、“働く”こと、“仕事をつくる”ことをあらためて考えるきっかけを与えている。島外からスーパーバイザーやアドバイザー、デザイナーを招き、島という閉鎖的なイメージになりがちな立地を、オープンにしたことも評価され、いまや、地方での仕事づくりや働き方のロールモデルとなっている。

この事業のひとつ「淡路島ならではの付加価値商品開発」は、商品の企画開発からパッケージデザイン、試験販売までをワンストップで行い、全国向けの販路開拓も積極的に行っている。こうした開発のノウハウは島内の事業希望者に対して広く公開され、地域に還元されているのも特徴だ。昨年、コロカルでもその開発の様子をお伝えしたが、今年も新たに4商品が開発され、11月24日(火)より渋谷ヒカリエで商品発表会を行うということで、昨年に引き続き商品開発の舞台となった淡路島を訪れた。

実践支援員のみなさん。左から竹下加奈子さん、藤澤晶子さん、大村明子さん、加藤賢一さん。

商品開発には12件の応募があり、平成27年度は4件が採択された。

・建材としての新しい瓦製品・淡路島の花をとじこめた石けん・淡路島産デュラム小麦の小麦粉・島の自然素材で作った日用道具

この4件の開発の現場を知るために、淡路島中を巡った。

淡路瓦をシンプル&モダンに

淡路島は瓦の三大産地のひとつとして知られている。特に、南あわじ市の津井は、約80社が集まる淡路島を代表する産地だ。淡路瓦の特徴は、焼き上がりのあとに燻す工程があること。燻すことで、表面は強く、耐久性を増し、“いぶし銀”の由来の通りの鈍くて渋みのある銀色を帯びる。いまだに島内の住宅の多くに使われているが、家のデザインが西洋様式になってきたこと、屋根材の種類が豊富になってきて、淡路瓦以外の選択肢を選ぶ人が増えたことに、関係者は危機感をもっていた。

瓦の窯元である〈株式会社タツミ〉の興津祐扶(ゆうすけ)さんもそのひとり。「一般の人に使ってもらう機会が少なくなってきているので、“瓦といえば昔ながらのもの”というイメージを払拭したいと思いました。それに、タツミ一社だけではなく淡路の地場産業として、淡路瓦の業界全体が上向きになってくれればと思い、企画書を出しました」その企画が、「淡路瓦の建材としての利用」。香川県高松市の仏生山温泉などで活躍する建築家岡 昇平さんと家具のデザインを手がけるアンチポエムの松村亮平さんのふたりで〈こんぶ製作所〉というユニット名でデザイナーとして開発に携わった。

「水を弾く、表面がかたいという利点からも、エクステリアや床材としての利用も検討したのですが、やはり屋根であってこその淡路瓦だろう、と。しかし用途が屋根だけだと需要が少ないのも事実。そこで、ひとつのパターンの瓦で、壁材としても、屋根材としても使えるような、現代の感性に合った新しい和瓦をつくろうということになったのです」と話すのは、実践支援員の竹下加奈子さん。

岡さん、松村さんの提案は「現代の建築に合うシンプル・モダンなデザインの瓦」。湾曲しているのが定番の瓦を“あえてフラットに”というのは岡さんの発案だった。さらに、薄いほうがモダンに見える、と瓦の薄さにもこだわった岡さん。途中で割れるリスクもあり、薄く焼くのは熟練の職人でも難しかったと興津さんも開発当初を振り返るが、「それでも企画や方向性を決めるのが一番難しくて、試作は少なくて済みました」と言うから、淡路島で育まれる確かな技術力があってのことだったのだろう。

淡路島の瓦産業はパーツごとに製造する完全分業制で、タツミは、鬼瓦とのし瓦を専門につくっているが、門や塀に使う小瓦だけ、軒の部分の瓦だけという工場(こうば)もある。一棟の家の屋根を葺くのに、複数社のメーカーが関わる。そのため“競合”というより“協業”の意識があり、強い連帯感を持つ。それぞれのメーカーで製造しているものが違うので、不公平が出ないよう、「特別な金型が必要でなく、どのメーカーでも製造できる瓦をつくる」ということもクリアしなければならなかった。

こうしてできた瓦は、大きさいろいろ、厚みも選べて、幅も3種類用意した。さらに、岡さんのリクエストにより、はけ土と呼ばれる上塗りの土を塗らないようにしたことで、経年変化しやすいうえに、色の焼きムラが出る。昔は均一に焼くのがいい職人の仕事とされてきたが、「この一枚一枚のムラが並べたときにかえっていい表情になる」のだと、興津さんは言う。模様は〈つるつる(フラット)〉と縦方向に無数の線が入った〈しましま(スクラッチ)〉。それぞれ1種類だけを使ってもいいし、ミックスしてもスクラッチがほどよいアクセントとなってかっこいい。何より、ランダムに並んだ瓦は陰影が美しい。見る角度によって、銀色の濃さ、薄さ、スクラッチの強弱も異なり、それも家の個性となる。そんな自由な使い道が新しい瓦は、〈まちまち瓦〉と名づけられた。

屋根だけでなく、壁でも使える瓦。きめ細かないぶし銀が美しい。

器をつくるかのような瓦の制作風景。瓦の土もすべて淡路島で採れる。

実践支援員の竹下加奈子さんと、提案者の興津祐扶さん。

淡路島の花をぎゅっと詰め込んだ石けん

昨年度、淡路島の花々の香りを閉じ込めたエッセンシャルオイル〈Suu(スウ)〉を開発したように、淡路島と言えば“花”というイメージは強い。特に、淡路島は県下一の花の産地で、大事な地域の産業となっている。その淡路市でカレンデュラ(マリーゴールド)を栽培している花農家の廣田さんは、はたらくカタチ研究島の研修で観賞用以外にもハーブとしての用途を知り、無農薬栽培に一部切り替えた。五色ふるさと振興公社による「菜の花ひまわりエコプロジェクト」のひまわり油と、アイランド・ラベンダーのエッセンシャルオイルを閉じ込めた石けんは〈Suu BOTANICAL SOAP〉という名になった。

デザインは、増永明子さん(マスナガデザイン部)。

石けんの原材料となるひまわり油の生産現場を案内してくれたのは、洲本市役所の農政課でエコプロジェクトを推進する野口拓真さん。油の食用以外での活用方法として、石けんの商品開発を提案した人でもある。複合施設ウェルネスパーク五色の一角にある、菜種油とひまわり油の搾油所と、バイオディーゼル燃料の精製所にうかがった。10月の取材時にもまだ咲いていたひまわり。ひまわりって夏のものでは?「菜の花(菜種)との二毛作の農家さんも多いので、いま咲いているひまわりは、7月に種を蒔き、10月に咲き、10月後半から11月初旬に種を収穫するんです」と野口さん。5月に種を蒔き、7月に咲くひまわりの花もあるが、温暖で日照時間の長い淡路島だからこそできる、秋のひまわり。なかには、無農薬で栽培する農家さんもいるのだという。

いいひまわりの種の条件は、かたくて大きいもの。花をしっかり枯れさせて、その種を採取する。種は90度で20分間焙煎してからゆっくりと搾油機で絞る。残った油かすは肥料や飼料になり、“循環”していく。もちろん、食用にしてもおいしいひまわり油。あっさりしていて、油臭さがないのが特徴だ。また、ビタミンEを多く含むことから、健康の面からもひまわり油が見直されることが多いのだという。

“循環”といえばもうひとつ。家庭で使い切ったひまわり油を含む食用油を回収し、バイオディーゼルエンジン車の燃料用として精製。市内を走るバス2台や、フォークリフトの燃料になっている。年間1万5000リットルもの廃油を回収している、エコ最前線の市なのだ。

バイオディーゼル燃料で走るフォークリフトは車体もひまわり色。

Suu BOTANICAL SOAPの試作は2回。無添加の石けんづくりを行う、兵庫県三木市の石けん製造会社へ依頼して、火を入れず、石けんの反応熱のみを使い、ビタミンなどの成分をできるかぎり残す、コールドプロセス製法でつくられた。サンプルをつくっては関係者などに配り、色や香り、使用感についてフィードバックをもらってできたのが、カレンデュラの花びらが散りばめられた、見た目にもかわいらしい石けん。ひまわり油とカレンデュラの保湿成分で、洗いあがりはしっとりとし、ラベンダーが心地よく香る。「太陽の恵みを、花を通じて石けんに閉じ込めました」と実践支援員の藤澤晶子さん。淡路島の花を凝縮させたこの石けんは、実販売の機会をいまかいまかと待っている。

洲本市役所の野口拓真さん。BDF(バイオディーゼル燃料)の普及など、エコプロジェクトに取り組む。

よく枯れたひまわりとその種。今年は少し小粒なのだそう。

カレンデュラの花びら。石けんにたっぷり混ぜる。

淡路島産だから“アイランド・ラベンダー”と呼ばれる、香り高いラベンダー。

初めての国産デュラムセモリナ粉の開発

淡路島産の「デュラム小麦のセモリナ粉」をつくるプロジェクト。デュラムセモリナ粉と言えば、パスタ用小麦としてよく知られるが、現在その100%をオーストラリアやアメリカ、カナダなど海外輸入に頼っている。国産でつくるなんて夢のまた夢と思いきや、なんと淡路島でつくってしまったのだ。

研究用以外ではおそらく国内初の量産となる国産デュラム小麦のセモリナ粉。うどんやラーメン、生パスタなどの製麺工場を持ち、生パスタレストラン〈tutto piatto(トゥット・ピアット)〉を運営する〈淡路麺業〉が、「国産デュラム小麦を淡路島で育てる」という目標を掲げ、デュラム小麦の開発プロジェクトを提案した。

実は、淡路島の温暖で雨が少ない気候に小麦づくりは合っているのだそう。ただ、梅雨の時季がある日本では、どうしてもデュラム小麦は赤カビ病に侵されることが多く、栽培が困難なのだという。しかも、通常の小麦よりも大きくてかたいデュラム小麦の中の部分だけを、セモリナ(=粗挽き)粉にするには、一般の機械ではできないという、製粉のハードルもあった。

デュラム小麦の栽培は国内でもわずかな例しかなく、淡路島内の農家も初めてのことだったので、栽培には苦労した。だが、兵庫県北淡農業改良普及センターの協力のもと、製麺所と、淡路市の小麦農家、デュラム小麦を挽ける機械を持つ九州の製粉所の3者が試行錯誤を重ねた結果、パスタとして使えるまでデュラム小麦の質を高めることができた。さらに、研修事業では「淡路島産の小麦をつくる」という別のプロジェクトも立ち上がり、食料自給率100%を超える御食国(みけつくに)淡路島の農産業に、新たな風が吹き始めている。

2014年は300キロだったデュラム小麦の収穫量も、2015年は5トンまで増えた。今後のために栽培データを積み重ね、栽培のマニュアルづくりにも努めている。小麦粉は1キロと25キロ入りで製麺所やイタリア料理店など、業者向けの販売となるが、淡路島産パスタを店頭で提供する日も遠くはないだろう。

淡路島産デュラムセモリナ粉の生パスタはモチモチとした弾力ある食感、黄色がかった色、乾麺に比べ香りに甘さが感じられるのが特徴。「最初食べたときには、食感も風味もパスタっぽくなくてまるでソバみたいだった(笑)」とtutto piattoの柏木政廣シェフは話すが、製麺所、厨房一丸となって麺の開発に取り組んだ。

淡路島のタコとワカメのトマトスパゲッティ(左)と、淡路牛のボロネーゼ(右)を試食。ボロネーゼはキタッラというスパゲッティより太めの弾力ある麺を採用。

島の自然素材で日用道具をつくる

島の豊かな自然を日用道具に込められたら。そんな想いで始まったユニークなほうきのキットの開発の話をうかがった。かつてはその土地の素材を使って日用道具をつくるのは日常的なことだったはず。そのなつかしさと楽しさを思い起こすきっかけになりそうなプロジェクトだ。

提案者は島内でしいたけ栽培に従事する松本守史さん。「しいたけ栽培以外にももっと商品を増やしたい、もっと雇用を増やす仕組みをつくりたいと思いました」そう考えていたときに、ほうきづくり名人の松平万寿代さんに出会い、ほうきのつくり方を教わったことが商品企画に結びついたのだという。

今年86歳を迎えた松平さんのほうきづくりは、ホウキギの種を植え“育てる”ところから始まる。秋に収穫したホウキギを小さく束ねて、その束を針金で束ねていく。体験してみたが、力加減がとても難しい。小さな束がバラバラにならないように力を入れて結わえなければならないが、力を入れすぎると、束がまとまりすぎて平たくならない。だが、さすが名人。ものの15分たらずで1本の小さなほうきをつくりあげてしまう。「なんも難しいことじゃないのに」と松平さんは伏し目がちに笑うが、このプロジェクトをきっかけに多くの人が松平さんを訪ねてくるそうで、こうしてほうきをつくって見せてはプレゼントをしているのだとか。

40歳からほうきづくりを始めた松平さん。父親がほうきをつくっていたのを思い出し、最初はススキでつくっていたが、あるとき、ホウキギの存在を教えてもらってから、自分でもホウキギを育てるようになったのだと言う。松平さんのほうきづくりにデザイナーはどう反応し、商品にしたのか。

プロダクトデザイナーの高橋孝治さんも松平さんにつくり方を教わり、穂先をななめにそろえる技やその見た目の美しさはそのままに、力を入れずにできる束ね方、丈夫さ、扱いやすさを見直した。握る部分も、松平さんは針金でまとめ、テープを巻いて固定していたが、試作品では高橋さんの奥様が、ひとつひとつ手編みで帽子のような毛糸のグリップを編んだのだという。グリップは取り外して洗えるのもうれしい。

商品は、ほうき本体、ホウキギの種、グリップ、ひも、栽培方法とほうきのつくり方がまとめられた説明書がセットになっている。ほうきは使っているうちに穂が抜けたりボロボロになっていく消耗品なので、ホウキギの種を植え、育て、刈り、新しいほうきをつくりましょうという仕組みだ。だから、商品名は〈育てるほうき〉。育てる楽しさ、収穫の喜び、そしてほうきへの愛着も育てば。掃除の楽しさ以上の価値がある、手づくりほうきだ。

赤く紅葉するホウキギ。

ホウキギの前で。左から、実践支援員の竹下加奈子さん、提案者の松本守史さん、松平万寿代さん。

渋谷ヒカリエで今年も商品発表会を開催

これらの商品が、11月24日(火)〜29日(日)まで、東京・渋谷のヒカリエ〈HIKARIE 8/〉で行われる「つながりをうみだす商品発表会」で展示・試験販売される。実践支援員たちが、この3年間で開発した14商品の思いや開発秘話などを解説する。このような実践的な取り組みを知りたい方、商品取り扱いの相談をしたい方、商品を実際に見て触れたい方、そして購入したい方はぜひ行ってみてほしい。淡路島で商品開発を通じて生まれたつながりは、東京でもまた別のかたちのつながりを見せるだろう。

Information

淡路はたらくカタチ研究島「つながりをうみだす商品発表会」

期間:2015年11月24日(火)〜11月29日(日)11:00〜20:00場所:HIKARIE 8/ aiiima1、2http://hatarakukatachi.jp/news/2326

editor's profile

Yu Ebihara

海老原 悠

えびはら・ゆう●コロカルエディター/ライター。生まれも育ちも埼玉県。地域でユニークな活動をしている人や、暮らしを楽しんでいる人に会いに行ってきます。人との出会いと美味しいものにいざなわれ、西へ東へ全国行脚。

credit

撮影:津留崎徹花
supported by 淡路はたらくカタチ研究島

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食のリトルプレス『PERMANENT』を発行するサダマツシンジさん・千歌さん

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食にまつわるリアルが詰まった一冊

手に取ったのは、ほんの小さなきっかけからだった。「これから冊子づくりのお手伝いをすることになりました」そう言って友人が教えてくれたのが、この冊子、『PERMANENT』(パーマネント)だった。

PERMANENTは「食べること」をテーマに編集されたリトルプレス。だから、ほとんどの人が「食」「料理」といったキーワードからこの冊子にたどり着くのかもしれないが、僕は友人からの紹介という、まったく別の角度から、この冊子に接触した。

ページをめくる。めくる。そして、また、めくる。いまでもよく覚えていて、とにかく強烈に、その世界観に引き込まれていった。

鼻が鳴る——そのひと言から始まったテキストは、猛烈に好奇心を掻き立てる“作家鍋”という料理をテーマに、その奥底にある食の楽しみ、料理の奥深さ、卓を囲む時間のすばらしさを拾い集めながら、僕の胃に空腹感をしっかりと刻み込みつつ、勢いよく駆け抜けていった。その不思議な鍋の考案者である画家、牧野伊三夫さんのお人柄、完成に至るまでの心踊るエピソード、食に貪欲な姿勢、いろんな要素が盛り込んであり、それは、その後に続くページにも共通する。

些細なきっかけだったが、それ以後、新刊の発行を心待ちするほどの出会いとなる。もうひとつつけ加えると、「つくる、たべる、かんがえる」というキャッチコピーが、とても肌に合った。あとがきには、その言葉が生み出されるに至るまでの、編集者であり発行者の思いと考えが綴られる。以下はその一部の抜粋。

私たちが着目したいのは、例えば、普通の人の食卓の風景。食の基本は毎日の食卓にあると私たちは考えています。何が食べたいか、どの店で食材を選ぶか、どのように調理するか、どの食器で食べ、どんなふうに時間を過ごすか、それら全てを自分の意志で決める場所だと思うからです。私たちは津々浦々の食卓で、食べることについての話を聞いたり、調理の様子などを取材し、食卓の風景から、あらためて「食べること」について考えてみたいと思います。

そのまっすぐな言葉の連なりにとても共感し、これからも読み続けていきたいと思った。クレジットを見ると、〈THIS DESIGN〉という福岡のデザイン事務所を営むアートディレクターのサダマツシンジさん、その妻で編集・プランナーの千歌さんが中心となり、企画・運営・発行しているとわかった。

PERMANENTを読むことは、つまり、サダマツさん夫妻を知ること。2014年に、ご夫妻と初対面を迎えた日、僕はなんだか不思議な、それは親戚に会うような親近感に近い、感情を覚えた。

デザインを違うカタチで表現する

なぜ、PERMANENTをつくろうと考えるようになったのか。その主な理由について、サダマツさんはこう教えてくれた。「3.11が大きかったですね。それまでの価値観が、みごとに崩されましたから。そんななかで、自分たちが生きるうえで一番の根源にある“食べること”を強く意識するようになったんです。それがPERMANENTの根っこにありますね」

加えて、サダマツさんはこのようにも言う。「それまでは広告の仕事がベースでした。ただ、徐々にデザイン=広告というかたちに疑問が湧いてきたんです。デザインとは、物を売るためだけのものではないはずなんですよね。だから、広告ではないモノに、自分が培ってきたデザインの経験を生かしたいと考えました」

PERMANENTが生まれた背景には、そんな心境の変化とともに、サダマツさん自身の環境の変化も大きく影響している。以前は福岡市内の中心地に事務所があったが、現在は郊外に事務所兼自宅を構えている。千歌さん曰く、中心地で働いていた頃は多忙な日々にかまけて生活をおろそかにしていたのだという。それは体にも不調として表れた。それから日頃の食事を改め、日々の暮らしを大切にしていくうちに、みるみると改善されていった。そんな実体験が、PERMANENTの背骨にある。

だから、ただ、おいしいものを紹介するという類いの冊子ではない。5号では、有機農業を支援し、その販路の窓口として運営を続けている〈下郷農協〉の取り組みを切り取り、食にまつわる安全について考えるきっかけを投げかけてくれた。6号では、巻頭で採卵鶏の廃鶏をさばく様子を克明に記録したページを掲載。そのさばかれた鶏肉がどのような工程を経て私たちの口に入っているのかを知ることができた。なかには血が流れている写真も掲載されている。サダマツさん夫婦の本気の想いが伝わってきた。この号を読み終え、食卓に向かったとき、いつもよりも、背筋がのびたのをいまでもはっきり覚えている。

すべての号に一貫しているのは、何を選び、どのように体へとり入れるのか、それらについて徹底的に検証し、さまざまな切り口から誌面で紹介する姿勢。そんな骨太なスタンスこそ、PERMANENTの本来の姿なんだと思う。

そのため、取材対象者を探すのも一苦労だとサダマツさんは教えてくれた。例えば、食にまつわる生産者を探す場合、千歌さんは「農法が同じでも、考え方が違えばまったく異なる野菜ができますから。誌面で紹介するからには責任が生じます。そういう意味でミスマッチを防ぐため、まずは会ってみて、対話するようにしています」と教えてくれた。もちろん、手当たり次第に農家を訪ねるわけにもいかない。これまで培ってきたサダマツさん夫妻の嗅覚、そして何より出会ってきた人々からの紹介が大きいそうだ。

掲載にあたっての基準は明確だ。それは、読者の「生活の質」を高めることを目指し、「Timeless」(時代を超えるもの)「Borderless」(境界を越えるもの)「Creative」(創造的なもの)「Necessary」(必然的なもの)「Will」(そして、そこに意志があること)という5つを満たすものだという。「最終的には、この人とつき合っていきたい! と思えるかどうかですね。言ってみれば、僕らが最初の窓口ですから。自分たちが好きだと思えない人やモノは、紹介すべきではない。そう考えるとシンプルですね」そう言って、サダマツさんは笑顔を見せた。

冊子を媒介に新たなコミュニケーション

2012年にオンラインマガジンとして産声をあげ、その翌年に季刊誌として再スタートを切ったPERMANENT。2015年11月現在、7号まで発行されている。

最新号では、子どもたちに料理、給仕、お会計まで体験させるという〈こどもカフェ〉の取り組みをフィーチャーした記事、熊本の〈玉名牧場〉で得られた体験についての克明なレポートを収録。回を追うごとに、サダマツさん夫妻が取材を通して得た知識がまた新たなる知識の基盤となり、それはそのまま読み応えのあるテキストとなり、読者の心を揺さぶってくれる。

2014年以降、PERMANENT から生まれた新たな取り組みも、冊子のリリースと並行して実施されている。サダマツさん夫妻は、自身が取材で得た体験を冊子へと凝縮させるだけでなく、リアルな場でも発信していくことを決めた。その第一歩がワークショップ『PERMANENT HOMEMADE STUDY』。

有機・無農薬栽培、土、種のことを学んだうえでのマヨネーズ・ドレッシングづくり、無農薬野菜をとり入れたお菓子づくり、大豆の話を交えた手づくり味噌教室など、その企画から下準備、生産者との連携、当日の進行まで、トータルでコーディネートし、PERMANENTの世界観を具現化した。PERMANENTのエッセンスに直接触れることができるトークイベントも先の10月に実施され、好評を博した。「本は情報発信のツールとしてはとても効果的です。ただ、メッセージを伝えるのは、やはり直接交流するのが一番望ましい。本を読んで終わりではなく、読者と顔を合わせ、手で、声で、つながることによって、見えてくるものがあると思ったんです。ワークショップは自分たちがPERMANENTを続けていくために必要なものだと位置づけています」とサダマツさんは言葉に力を込めた。

実は来春をめどに現在の住まいから、福岡県の最も南にある大牟田市に拠点を移すことが決まっている。「いま、とても“小商い”に興味があるんです。事務所の移転を機に、いままで以上に、身の回りの人たちのためにできることを少しずつかたちにしていきたい」とサダマツさんはうれしそうに語った。

目下、取り組んでいるのが、だしをとることのすばらしさを知ってもらいたいという想いから始まったラーメンづくりだ。「ラーメン=インスタントラーメン」「ラーメン=お店の味」「家のラーメン=大変そう」ではなく、子どもにも安心して食べさせることができ、そのうえ手軽で簡単な「お母さんのラーメン」がコンセプト。自宅でだしをとり、具材を用意し、カラダにやさしいラーメンを作る——そんな光景が多くの家庭に広げられないかと思案している。その話は、またの機会に。

profile

サダマツシンジ 
定松千歌

アートディレクター、デザイナーであるサダマツシンジ、編集、プランナー、コーディネーターである定松千歌の夫妻で、2001年にTHIS DESIGNを設立。これまでに広告、販促ツール、パッケージ、企業のブランディング、雑誌・書籍の企画・デザインを手がける。現在はPERMANENTを起点に、「食べること」の周辺を掘り下げる活動に力を入れる。http://thisdesign.jphttp://permanentbros.com

text & photo

Yuichiro Yamada

山田祐一郎

やまだ・ゆういちろう●福岡県出身、現在、福津(ふくつ)市在住。日本で唯一(※本人調べ)のヌードル(麺)ライターとして活動中。麺の専門書、全国紙、地元の情報誌などで麺に関する記事を執筆する。著書に『うどんのはなし 福岡』。
http://ii-kiji.com/

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山間地で育つ愛媛の隠れた名品〈富有柿〉

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今年は最高のでき! 大洲市東大洲で親子2代にわたって育てる甘い柿

青々とした葉がしげる枝に実った、大きな橙色の果実。この写真を愛媛で撮影したと伝えれば、大半の人は「みかんの写真?」と思うかもしれません。でもこれは、みかんではなく柿の写真。和歌山県や福岡県などの大産地ほど知られてはいませんが、実は愛媛県も柿の有数な産地のひとつなのです。

県原産の愛宕柿(あたごがき)をはじめ、富有柿(ふゆうがき)、刀根早生柿(とねわせがき)、富士柿などさまざまな品種の柿が生産されている愛媛県。南予地方の最北部に位置する豊かな山間地の大洲市東大洲で、親子2代にわたり富有柿を生産しつづけている若宮清志さんを訪れました。

陽当たりの良い、小高い山にある若宮さんの園地で育つ柿の木々。枝にはたわわに実った柿の実が。

ゆるやかな勾配の山に、数々の柿の木が植えられた若宮さんの園地。麓から頂上まで植えられたどの木にも、きれいな橙色に実った柿が生っていました。東大洲はみかんを育てるには標高が高すぎるものの、朝晩の気温差が大きく、柿を甘く育てるのに適した地域なのだそう。

広い園地を基本ひとりで管理している若宮さん。JA愛媛たいき農業協同組合の柿部会の会長でもあります。

「9月、10月と雨も少なかったこともあって、今年は最高のできなんですよ」と豊かに実った柿を前に話す若宮さん。「糖度でいうと今年は16〜18度くらい。でも、こっちの木の実は20度くらいありますね」と見せてくれたのが、ひとつひとつの実が袋がけされた木。

ひとつ、ひとつ袋掛けされた〈媛のふゆ〉。12月に向けて、どんどんおいしく熟していきます。

「これは12月頃に収穫する県産ブランドに認定されている〈媛のふゆ〉で、贈答品向けの柿。樹上で完熟をさせるからすごく甘くて、穫るときには真っ赤になるんですよ。12月まで実を生らせておくと雨や雪、あと霜にあたって皮が汚れてしまうんですが〈媛のふゆ〉は早いうちに袋をかけるので汚れないし、農薬がかかる量も少ないから安心・安全と人気なんですよ。7月後半から8月の一番暑い時季に袋がけをするので、なかなか大変なんですけどね」

食べる人のことも考え、育てられる柿たち

贈答品となる『媛のふゆ』は310〜359gの「3L」、360g以上の「4L」といわれるサイズまで大きく育てるそうですが、袋がけをしない富有柿は220〜259gの「L」サイズになるよう、あえて小さめに育てているという若宮さん。

うっとりするほど美しく色づいた、つややかな柿たち。しっかり甘いのに実が柔らかくなりすぎないのが富有柿の特徴。

「もともとは2Lや3Lの大きい実の方が良いとされていたんですが、今は方針を大きく変えていて。収穫される98%がスーパーで販売されるんですが、一生懸命大きく育てても単価が高くなってしまうからスーパーでは売れないんですよ。贈答用のものは3キロ箱で3〜4千円で売れますけど、普段の暮らしの中で食べる柿としてはなかなか買えないじゃないですか? だから一般のお客さんが買いやすい単価になるよう、小さめに育てているんです。全国的に見ても、こんなこと言うのは僕たちだけでしょうね」

とはいえ、自然の恵みである果物。そう簡単には人間が思うようにはいきません。「これがなかなかうまくいかないんですよね。花の蕾の数を減らしたり、摘果するときにこれまで2〜3つにしていたのを5〜6つにするんですが、どうしても“これは大丈夫かな……?”と思ってしまうんですよ。何せ今まで30年も40年も、2Lや3Lサイズになるよう育てていたので」

大きさが7月中に決まるヘタに対し、数か月かけて育っていく実。実が急激に育つとヘタとの間にすきまができてしまい、雨水や露が入り柔らかくなりすぎてしまいます。

そしてもちろん天候にも育ち方は大きく左右されます。「今年みたいに天気が良くて気温が高いと、2Lくらいにまで育ってしまうんです。大きく生りすぎる木もあれば、大きく生らない木もありますし……とはいえ、そんなことを言ってもきりがないので“天候が変わっても同じものをつくるようしよう”と僕らは言っていて。完璧に育てられるようになるにはあと4〜5年はかかるんじゃないかな」

おいしく育てるだけでなく、それを食べる人の手に入れやすさまで考え、年単位で試行錯誤を重ねる生産者の方々。あらためて農産業を営むことの大変さと、その努力の成果である果物をいただくありがたみの深さを実感させられました。

100年は生きる柿の木を受け継いでもらうために

しっかりと管理をして育てれば、100年は生きるといわれる富有柿の木。“桃栗三年柿八年”ということわざがあるほど成熟に年月がかかる柿ですが、木が古くなればなるほど独特のとろみがかった甘さのある実を生らすのだそう。

樹齢70年の柿の木。若い木と比べると、幹が太くしっかりとしている印象。

「みんなで組合をつくり、柿を生産するようになって今年で88年だそうですが、内子町にある一番古い木は100年のもので、ものすごくおいしい実が生るんですよ。糖度とか科学的なものを調べただけでは分りづらいものの、選果場へ柿を毎年買いにきてくださる方には“古い木の実はありますか?”って聞かれますね。うちの園地は麓の古いもので70年、上の方は50年くらいで一番奥の方に古い木があるのですが、親戚にもその木の柿を送って欲しいって言われますね」

しかし愛媛県に限らず、全国的に見ても問題となっているのが後継者不足。「10年先には、間違いなく現在の生産量の6割くらいまで落ちてしまうでしょうね。僕らJA愛媛たいきの柿部会に所属している生産者の平均年齢は今68歳なので、10年後には柿部会の人数も30%は減ってしまうんじゃないかな」

「これは和歌山にせよ福岡にせよ、全国ほぼ同じ状態なんです。でも生産者が減ってきたら減ってきたで、逆に若い者は楽しみなんじゃないかな? 僕らが今のうちに生産量があがるようにしておけば」と、若宮さん。次の世代のことまでしっかりと考えて柿を育てつづけるその姿は、私たちの目に実に頼もしく映りました。

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editor's profile

Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

credit

撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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江戸時代の商家建築をリノベーション。おいしいと評判の仏生山のサンドイッチ屋さん

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大好きなパンづくりから生まれた店

ぼくは、香川県高松市の仏生山町というところで暮らしています。建築設計事務所と、仏生山温泉を運営しながら、まち全体を旅館に見立てる、〈仏生山まちぐるみ旅館〉という取り組みを進めています。まちぐるみ旅館にとって、仏生山温泉から徒歩数分のところに、おいしいお店がオープンするのはとてもうれしい。2014年、〈天満屋呉服店〉の隣にオープンした〈仏生山天満屋サンド〉もそのひとつです。

〈天満屋呉服店〉は江戸時代からある老舗です。建物も江戸時代後期に建てられ、その後増改築を繰り返しながら現在にいたっています。法然寺を中心とした門前町である仏生山のなかでは、代表的な商家建築です。南北に間口の長い木造2階建、虫籠窓(むしこまど)や、南西の隅には鏝絵が施された“うだち”があり、これまでの歴史を伝えるような趣ある店構えです。

リノベーションする前の天満屋呉服店外観。

リノベーションを行うまでは、半分は呉服店として、もう半分はご主人である佐藤誠治さん夫婦が洋服店を運営していました。

リノベーション前の洋服店だったときの内観。

今回のリノベーションはご両親が経営する呉服店はそのままにして、佐藤さん夫婦の洋服店をサンドイッチを提供するカフェにすることでした。

佐藤さんの奥さん、美香さんは、おいしいものを食べるのが大好き。とくにパンが好きで、洋服店を経営するかたわら、ときどき自分自身でパンを焼いては近所にお裾分けをしていました。

そのうち、友人たちを通じて、パンがおいしいと評判になり、友人を招いたパンの食事会や、注文を受けてつくったりしていました。そういうことが数年続いたのち、ある日、「えいっ」と業態変更したのが、〈仏生山天満屋サンド〉の始まりです。

客人、暮らし、新旧の建物が寄り添うカフェ空間とは

リノベーションの計画を進めるにあたって、最も大切にしたのは、100年以上の時間を経た天満屋呉服店の既存の建物に新しくつくられる空間がしっかり寄り添いながら、これからの何十年かの時間を共にしていける存在になれるかということでした。

一般的なこととして、刺激の強さと飽きやすさ(時間軸)には、相関関係があります。刺激というのは、外部から人に向けられた感覚的な作用のことで楽しい気分になることもあるけれど、ずっとその状態ではいられないものです。刺激が強ければ飽きやすく時間軸は短い。刺激が弱ければ飽きにくく時間軸は長い。

空間も同じで、例えば、商業施設などは購買意欲を高めるために、刺激を強くしています。同時に飽きやすいために、リニューアルを繰り返します。

逆にいうと、刺激の弱い空間は、長い時間軸で居心地のいい状態をつくれるということです。

人も同じで、長年連れ添った夫婦はお互いを空気のような存在と言ったりしますね。

仏生山天満屋サンドは、既存の建物、新しく整備するするカフェ部分、店を運営する佐藤さんご夫婦、来てくれるお客さん、この四者がお互いに空気のような存在になり、長い時間軸での関係が築ける、ということを主題にしています。

解体が終わった直後の様子。

その主題のもと、何を除き、何を残し、何を新しくするのかということだったり、機能や広さや構造やコストのことだったり、たくさんある要素を、一旦ばらばらにしてから、そのひとつひとつを全部重ね合わせていくということをしています。もちろん何十通りもの重ね合わせ方があります。すてきなリノベーションとは、その重ね合わせ方が最も魅力的な状態になることだと思っています。

具体的には、天井を除き部屋の高さを確保することにしました。それによって、もともとあった大きな梁も見えるようになりました。いくつかの梁や柱は昭和の改修時に鉄製に置き換えられています。それらはそのまま残すようにしていて、建物の履歴がなんとなくわかるのもいいかなと思っています。壁は主張しないようすべて白にしています。

厨房の土間コンクリートを打っているところ。

新しく設ける必要のあった間仕切り壁は、地震時に建物全体の動きを合わせるために、あえて土壁でつくっています。床は既存のプラスチックタイルをすべて剥がし、昭和の改修時に設置されたであろうコンクリートをそのまま現して仕上げとしました。以前は壁だったところに、ひとつだけ、大きな窓をあけました。もともとあったすてきな中庭が見られるようになり、明るさと視線の抜けを確保できました。外観は登録有形文化財ということもあって、そのままにしています。

新設する壁は、地震時に建物全体の動きを合わせるため土壁に。

おおまかに、内装が見え始めた状態。

2014年の春にオープンし、いまでは毎日、大勢のお客さんで賑わっています。

毎日にぎわう店内。みんな楽しそう。

新設した窓から見える中庭。

何より、サンドイッチがほんとうにおいしい。佐藤さん夫婦は、洋服店からすぐにカフェを始めたため飲食業の経験がまったくないままなのです。それがよかった。飲食業の変な合理化や変な味つけがなく、もともと誠実なお人柄だから、どこまでも丁寧で、自分の子どもに食べさせるようなものをお客さんに出しています。だから、すごくおいしいし、それ以前にとてもやさしい味がするのです。

一番人気のAサンド。バンズやはさむ具材が1か月おきに変わる。

佐藤誠治さん美香さん夫婦。

お店は誰かの役に立ち、まちの彩りになる

仏生山まちぐるみ旅館はここで暮らす自分たちが行きたいお店が増えて、この場所でにやにやしながら暮らすための取り組みですから仏生山天満屋サンドのようなお店をとても大切にしていています。

そして、お店をしているみんなが仲良しでお互いの店をお客さんに気持ちよく紹介し合える関係ができればいいなと思っています。

ひと昔前なら、夕食をつくるために、八百屋さんに行って、肉屋さん、豆腐屋さんと、まちを巡っていました。そうすると肉屋のおばちゃんが、「今日の豆腐はおいしいよ」って、隣の店を紹介し合うような自然な関係がありました。夕食をつくることと、まちぐるみ旅館は、自立、役割分担、相互補完、巡るというところは一緒だから、その状況に置き換えることができるかもしれないと思っています。

いま仏生山に少しずつお店が増えていっているなかで、お互いの店を気持ちよく紹介し合える関係が生まれつつあり、なんとなくいい感じに進んでいます。

子どもから、おばあちゃんまで、みんなおいしい。家具はすべてオリジナル。設計制作:こんぶ製作所

information

仏生山天満屋サンド

住所:香川県高松市仏生山町甲542

TEL:087-889-1630

営業時間:11:00〜18:00

定休日:水曜、第二火曜

https://www.facebook.com/tenmayasando/

writer profile

SHOHEI OKA

岡 昇平

1973年香川県高松市生まれ。徳島大学工学部卒業、日本大学大学院芸術学研究科修了。みかんぐみを経て高松に戻る。設計事務所岡昇平代表、仏生山温泉番台。まち全体を旅館に見立てる「仏生山まちぐるみ旅館」を10年がかりで進めつつ、「仏生山まちいち」「ことでんおんせん」「50m書店」「おんせんマーケット」などをみんなで始める。

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海や山、好きな場所で挙げる結婚式〈Happy Outdoor Wedding〉

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瀬戸内の素材をたっぷり使ったハッピーな料理!

いわゆる結婚式場じゃなくて、海だったり山だったり、自分たちの好きな場所に大切な人たちを招いてハッピーな結婚式をしよう! というのが〈Happy Outdoor Wedding〉(以下、H.O.W)。とてもすてきなプロジェクトだなぁと、以前から気になっていました。

そしてなんと今回、小豆島本島から1キロほど離れた余島(よしま)で、H.O.W企画の結婚式が行われることに!余島は、小豆島の有名な観光地〈エンジェルロード〉の先にあります。エンジェルロードというのは、干潮時に出現する瀬(砂の道)で、その道をふたりで歩くと恋が叶うというロマンチックなところ。余島と小豆島本島は、干潮時だけこのエンジェルロードで陸続きになります。

余島まではボートに乗って行きます。

ボートから眺めるエンジェルロード。海の上に道があるみたい。

余島には、神戸YMCA(神戸キリスト教青年会)の野外活動センターがあり、一般の人向けにもキャンプなどさまざまなイベントが企画されています。新婦さんは、この神戸YMCAの卒業生。新郎新婦のおふたりで小豆島にご旅行に来られたこともあるそうで、そんなつながりもあり、小豆島・余島で結婚式を挙げることにしたそう。

新郎新婦とみんなで乾杯! 新郎さんはチェコご出身。

シャボン玉が大好きな新婦さんのために、みんなでいっぱいのシャボン玉を飛ばしました。

リングリレーは、新郎さんのご趣味である登山用のロープを使って。

余島には団体でのキャンプや研修用に大きな建物が何棟かあります。そのなかのひとつを使って。

H.O.Wは、地域の人、ものとのつながりも大事にされているそう。大勢のスタッフでやって来てすべてをやってしまうのではなく、結婚式を挙げる場所で活動していているチームや事業者さんに声をかけ、一緒につくりましょう! というスタイル。今回私たちHOMEMAKERSも、友人を通して料理を担当してほしいとお声がけいただきました。以前からH.O.Wのことを知っていたのでとてもうれしいお話でした。ただ、私たちは結婚式の料理を担当したこともないし、ましてや60人分の料理をケータリングしたこともない……。なので、今回は高松の友人に声をかけて、チームを組んで一緒に参加させてもらうことに。

結婚式前日の夜から仕込み開始。

ウエディングパンケーキの製作中。

エンジェルロードをサラダで表現。

旬の野菜をたっぷり使ったウエディングサラダ。

3種類のオリーブ新漬を使ったピンチョス。オリーブの食べ比べ。

テーマカラーは、緑、オレンジ、白。小豆島、瀬戸内の食材を使って、みんなが幸せで楽しくなるような料理。もうこの時期の小豆島といったら外せないのはオリーブ!そして、私たちが育てている旬の野菜を使ったサラダ!ゆでたてのお素麺も食べていただきたい!メインは、瀬戸内海産の鯛の塩包み焼き!お話をいただいた1か月前からどんな料理にしようか話し合い、前日の夜から神戸YMCAの厨房を借りて仕込み開始です。

いろいろと想定外のこともあり、あっというまに当日の朝(汗)。12時には開場。30分前になっても、それぞれ担当の盛りつけが終わらず。10分前くらいにようやく料理ができ、片づけをして、最後の飾りつけをしてようやく完成。かなりドキドキしながら、なんとかなんとか間に合いました。

お野菜のことなどお話しながら。

しょうゆ豆とクリームチーズを使った一品。

オリーブとレモン、スダチ、金柑などの柑橘。小豆島の色はほんとに美しい。

開場の時間になるとすてきなお客様がたくさんやって来ました。心配していた天気も回復し、最高に幸せな結婚式の始まりです。

小豆島のお素麺屋〈真砂喜之助製麺所〉さんの太口素麺。あっというまになくなりました。

小豆島のイタリアンレストラン〈FURYU〉さんがこの日のメイン「めで鯛!塩包み焼き」を用意してくれました。

FURYUさん特製のソースを鯛にたっぷりとかけて。

ウエディングケーキは、参列者の皆さんにも焼いてもらったパンケーキを何枚も重ねて、ウエディングパンケーキに!お料理も好評で、ほっとひと息。ふぅ。

ウエディングパンケーキ入刀!

大人気のパンケーキ。お好みのシロップをかけて。

まさにハッピーなアウトドアウエディングでした。自分の好きな場所で結婚式を挙げるってほんとにいいなぁと感じた1日。そして地元の友人たちとチームを組んでお手伝いでき、とてもいい経験をさせていただきました。

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

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〈岩木遠足〉や〈津金一日学校〉を仕掛ける豊嶋秀樹さんの、“チームづくり”とは?

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ゆるく連携した働き方

豊嶋秀樹さんは、〈岩木遠足〉や〈津金一日学校〉などの地域イベントを手がけてきた。地域に人を集めて催しをすることは、今や珍しいことではないが、豊嶋さんが手がけるイベントは、都会的なエッセンスがありながらも、カタヒジはっていないような、なんだか独特の心地よい空気に包まれている。その秘密を探るべく、まずはこれまでの略歴をうかがった。

「アーティスト志望で、アメリカの美術系大学に通いました。当時から、製作していたものは絵画や彫刻というよりも、インスタレーションやパフォーマンスアート。状況自体を作品化したいという気持ちでした」

卒業後、日本に帰国。大阪で、クリエティブユニット〈graf〉を立ち上げる前のメンバーたちと出会う。

「grafの初期メンバーたちは、デザイナーとか家具職人とかいろいろいました。当時の僕は頭でっかちで、“アートが一番”と思っていました。でも、みんなは生活にダイレクトに使える実用的なものをつくっているのに対して、アートは使えないなと(笑)。メンバー自身の嗜好を見ても、デザイン的なものだけでなく、音楽も、食も、ファッションも好き。それって生活ですよね。そういった出会いから、みんなで一緒に何かつくってみようと、grafが発足したんです」

福岡に移住したが、全国を飛び回っているという豊嶋秀樹さん。

豊嶋さんは、そのgrafから派生したgmというセクションを担当し、展覧会を開催するなどアート的な活動に従事していく。その部署を独立させるかたちで、現在の〈gm projects〉になった。grafは同じ職種の集まりではなかったが、gm projectsも同様。ウェブディレクター、家具職人など、バラバラの職種が集まっている。

「働きたい人が働きたい分量で働く。それぞれのライフステージに合わせた自由なあり方でいることができて、つながりたいところは、その都度、つながることができるという、“イイトコドリ”な組織ができないか試していると思っています」

メンバーそれぞれは、自分の屋号やレーベルなどで活動していたり、ほかの会社の会社員だったりもする。これは、豊嶋さんとgm projectsの仲間なりの働き方や組織の実験でもある。

「おもしろい人は集まっているけど、ビジネスは集まっていません」

結局は人間関係。であれば、会社という組織である必要もない。“人が集まる舞台があればいい。そこにいる人たちでやればいい”。当初から持っていたそんな考えが、のちの豊嶋さんの活動のベースにもなっている。

豊嶋さんがディレクションしている那須にあるスペース、〈森をひらくこと、T.O.D.A.〉

アートと地域イベントの共通点

gm projectsとして独立してからも、固定の場所ではなくなったが、アート活動を続けている。それは作家としてだったり、空間構成やキュレーターだったりとさまざま。しかし「どれも基本的な考え方は同じで、アウトプットの違いだけ」だという。

この流れで、地域に場をつくる活動も増えてきた。例えば青森県の〈岩木遠足〉、山梨県の〈津金一日学校〉、岩手県の〈陸前高田ミーティング(つくる編)〉。これらは、これまで豊嶋さんが企画運営してきたアートイベントやギャラリーなどと地続きであるという。それは豊嶋さんがアートにのめり込んだ理由からわかる。

「アートは、物の見方を変えてくれるきっかけになっていることが多いと思うんです。それがアートのおもしろいところだし、自分が興味があるのもそういう“アート”でした」

豊嶋さんにとって、アートは異世界に入っていく方法。最近ハマっているという山登りにも、同じ効果があるという。

「八ケ岳の山頂から見下ろすと、物理的にパースペクティブを変えられてしまいますよね。世界を旅することも、まるで違う異文化の価値観を突きつけられたりして、衝撃を受けたり、興奮したりします」

物の見方を変えてくれるものは、豊嶋さんにとってはアートだったが、こうした思考回路は、イベントにも応用できる。

発売中の『岩木遠足 人と生活をめぐる、26人のストーリー』。写真提供:gm projects

その場にいる人たちで生み出す

豊嶋さんの活動に、地域の活動が多いのは偶然だという。偶然の元は、人。すべては人との関係性から始まっている。そこにいる人たちと、その場でできることは何か? 何か目的を成すために適任者を集める動きとは、対極にある。

「例えば野球をやりたくて人を集めるのではなく、今この場で、目の前にいる3人できることを考えたい。野球はできないけど、卓球ならできるかもしれません」

それはその場と人を生かす方法論。ワークショップもイベントも、チームづくりが肝で、いいチームさえつくれば、いいものが生まれるだろう。キャスティングや舞台づくりにこそ時間をかけるのだ。あるワークショップの話をしてくれた。

「自分のできることを3枚のカードにひとつずつ書いていきます。例えば僕なら、1アートに詳しい、2山登りによく行く、3英語が喋れる。そしてカードを見ないで、3人同時に1枚出します。例えば、英語と文章と写真というカードが揃うと、英語の雑誌がつくれるかもしれない、となるわけです。これはこの3人ありきで成り立つものなのです。それなりのスタッフを集めれば、もちろん英語の雑誌をつくれます。しかしそうではなくて、この3人だからこそできることを考えていくという順番です。だからスタッフのチェンジはないので、長続きします。この3人でできる内容を考えていくから、無理せず身の丈のものができます」

目標設定をして、適任のプレイヤーを揃えていく手法もあるが、このようにまったく逆の順番もある。人と場所が最優先。そこに偶然性が加味されるのだ。

〈陸前高田ミーティング(つくる編)〉では、現地のコーディネーターと話していて、「僕たちのリサーチにみんなも来られたらいいのに」という話から始まったという。そこに人がいたから。ソリューション型ではない。

ダブルフェイマスの坂口修一郎さんを招いてワークショップが開催された。その様子は次週。

ワークショップのひとコマ。こんな缶カラから、何が生まれたのか。

「実は僕の場合、趣味である山登りとかスキーも重要です。ビジネスとして、僕の打ち合わせなどの交通費を毎回払っていくのは大変なので、僕が山登りやスキーに来たついでに打ち合わせすればいい。津金は、八ケ岳のふもとにあるんですけど、山頂から電話して“これから下山するけどどう?”って(笑)。ちなみに山登り中は、携帯電話をオフにするという人も多いと思うけど、僕は山頂からでもメールします。吹雪のテントのなかで、“お世話になっております”とか打ってたり(笑)」

山登りのついでに仕事。仕事のついでに山登り。もうどっちだっていい。出かけていくモチベーションとして、あまり区別はないようだ。

「岩木遠足でも、自分が遊びに行くとき限定で打ち合わせしてもらっています。津金一日学校は、現物支給でお米を30キロもらったりしています。そうなってくると、お金を稼ぐことということが仕事の定義なら、これらは仕事ではなくなってきますよね。仕事の定義があいまいになってきます。お金をもらえる仕事もあれば、もらえない仕事もあれば、払う仕事もある。お金を軸に考えるとそうなっていておもしろいですね」

仕事はお金を稼ぐものという当たり前の概念も考え直してみると、自分にとっていいワークライフバランスが見つかるかもしれない。地域も、仕事も、お金も、“パースペクティブ”を変えてみれば、新しい地平が見えてきそうだ。

ワークショップに参加する豊嶋さん。枝を折っている?

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writer's prodile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

credit

撮影:Kiyoshi Tanaka(NIPPA米)

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珍しい郷土食“ガゼ”って一体なに!? 熊本・天草での“美味しい”アルバム。

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珍しいあの食材を、いよいよいただきます

前回お伝えした、天草諸島にある〈漁師の郷〉という宿。そこに泊まるきっかけとなったのは、珍しいものを食べさせてくれるという友人からの情報だった。珍しいものというのは“ガゼ”(*)のこと。さて、そのガゼとはいかなるものなのか。天草の樋島より、後編をお届けします。

宿のお風呂にゆっくりとつかったあとは、お待ちかねの夕食。テーブルの上には、ピッチピチの海の幸がずらりと並んでいる。この景色を見た瞬間、「今夜は飲み過ぎたっていいじゃないか」という声が、心の中で響いた。さっそく日本酒を注文、舟盛りや煮付けなどを堪能させていただく。そこへ、宿の女将さん谷脇菊美さんが例のものを持って来てくれた。

ガゼの正体は、ヒトデ。英語ではスターフィッシュと呼ばれている、星形がチャーミングなのだけれど、得体の知れないあの生物。分類でいうと、棘皮動物(きょくひどうぶつ)に分けられ、ウニやナマコと同じ類。友人からその話を聞いたとき、あのかたそうな星形のどこを食べるの? という疑問が頭をよぎった。そしていま、目の前に置かれたそれを見ても、皆目見当がつかない。戸惑っている私を見て、女将さんが説明してくれた。

「これ、こうして手で割ると中に卵があるでしょ、これを食べるんよ」

なるほど。女将さんを真似て、5本伸びている腕のうちの1本を割いてみる。「シャリッ」という音がして、一瞬ひるむ……。勇気を振り絞ってパカッと開いてみると、薄茶色の卵がお目見えした。箸に乗せ、おそるおそる口に運んでみると、ん? 蟹味噌のような味わいで、ぽろぽろした卵のような食感。いける! 日本酒を追加注文し、そして完食。

女将さんにうかがったところ、ガゼは目の前の海でとれるのだそう。卵がたくさん詰まっている、5月から6月が特においしいのだとか。

女将「子どもの頃は、友だちと一緒に浜に行ってとって、おやつ代わりに食べてたよ」

「おやつにガゼ」

いかにも天草育ちというそのエピソードに惹かれ、前のめりで話をうかがう。

女将「小学校の帰りは山道やったから、野いちごとか食べよった。30分かかるところ1時間かけて帰ってたよ、寄り道しながら」

そんな話をとてもうれしそうにしてくれた。

女将「学校から帰ったらすぐに浜に行きよって、ガゼとったりビナとったりしよったわ」

ビナというのは、なんですか?

女将「ビナ知らん?? いまでも目の前の浜でとれるよ」

ふむ、興味津々。

テツ「女将さんご自身でとりに行くんですか? いまでも」

女将「うん、行きよるよ」

なるほど、それは同行しないわけにいかない。

テツ「女将さん、明日も行きますか? 浜に」

女将「行けって言えば行くよ」と笑う。

テツ「はい、では行きましょう」

ということで、翌日女将さんと一緒に浜へ行くこととなった。

*ガゼ:ウニの古い呼び名。ヒトデはウニと同じ棘皮動物で、5本の腕が生えているため「ゴホンガゼ」と呼ばれている。現地では略して「ガゼ」という。

軽やかに浜で収穫する女将さん

迎えた翌日。右手に鎌、左手にバケツを抱えた女将さんの後ろをついて行く。遠くまで続く穏やかな海、ゆるやかに顔を撫でる潮風、なんとも気持ちがよい。潮が引いた浜辺で、足下を見ながら歩いてガゼを探す。シャバーンシャバーンと、寄せては返す波の音。は~、いいところだな天草、と浸っているところに、「いたいた、ここここ」という女将の声。女将さんの指差す先をよく見てみると、おー、いました。紫色でぶつぶつした模様のヒトデが、波打ち際でゆらゆらと動いている。誰が最初に食べようと思ったのだろうか、この姿を見て……。

女将さん、ひょいとガゼをつかみ、持って来たバケツの中へと放り込む。

「これ、大きいね!」

女将さん、満面の笑み。

「これがビナだよ」

テトラポットの奥をしゃがんで覗き込むと、割れた貝殻の間で小さい貝が動いている。指先でビナをちょいちょいと摘んでいく女将さん。あっという間に、バケツはビナで満たされていった。

画面中央にある貝がビナ。

ビナは別名「ニイナ」とも言い、巻貝を差す呼び名。現在では、ニシキウズガイ科とアッキガイ科の貝をそう呼ぶのだそう。

「これ、ガゼのエサにもなるんよ」

え! ヒトデが貝を食べるんですか!?

「ここに口があって、貝とか魚とか食べるんよ」

裏返した中央部に、確かに口のようなギュッとすぼんだ部分が見える。澄ました顔しているけれど立派な肉食なのか、知らなかった。

女将さん、海岸沿いをあちらこちらへと、次々に獲物を収穫している。波が打ちつけている岩場にもひょいと上り、ひじきを鎌で刈り取る。その姿は軽やかで楽しげで、子どもの頃の女将さんを想像させた。本能が呼び起こされているような、そんな風にも見えた。

宿に戻り、女将さんの戦利品を拝見する。ガゼ、ビナ、ひじきにワカメ。こんなにたくさんの海の幸が目の前の海でとれるなんて。天草の自然の豊かさと、その贅沢な暮らし方に強く惹かれる。

目の前の防波堤にひじきを干していく。熱されたコンクリートの上だと、よく乾くのだそう。

ガゼにビナ、ワカメにひじき。シンプルに素材を味わう

女将さんが調理してくれるとのことで、台所へとおじゃまする。まずは、ガゼの塩ゆで。紫色だったヒトデが、だんだんとオレンジ色になっていく。肉食動物のヒトデだが、ゆでられて抵抗するわけでもなく、ただ淡々とその色を鮮やかに変えていく。いよいよ不思議な生き物でならない。

続いてビナも塩ゆでに。湯が沸いてくると、むわっとした磯の香りが台所一杯に広がる。ああ、いいにおい~。

ゆで上がったものを大きなざるに一気にあける。「食べてみたら?」と女将さんが小皿にいくつか乗せてくれた、なぜかまち針を添えて。

「まち針使うと取りやすいんよ」

ビナに針を差し込み、くるっと回すと中身がお目見え。口に含むとぎゅっと凝縮された磯の香りが広がり、なんとも癖になるお味。ここ数年、磯の香りに触れるとやたら感動する。あー、幸せだ。

ワカメはというと、茎とめかぶ、葉の3つに分ける。さっきまで海でゆらいでいた天然のワカメ、その姿は大きくて猛々しい。大鍋にぎゅっと押し込んでさっとゆでると、色鮮やかな緑色に発色する。

ゆで上がったものを水で洗い、めかぶは細かくたたき、葉はひと口大にざっくりと切る。茎は細切りにして、醤油とみりんと砂糖を入れて佃煮にする。とりたてのワカメをいただくのは初めての経験、期待に胸が膨らむ。

女将「そこのぽん酢かけてね~」

はい、いただきます。

うーん、おいしい!

茎はコリコリの歯触りが心地よく、葉はしっかりした歯ごたえで磯の香りが高い。めかぶはシャキシャキした歯ごたえで、とにかく粘りが強くてとろっとろ。普段食べているワカメからは感じなかった海の生命力が、ダイレクトに伝わってくる。

「このめかぶ、ご飯にかけてもおいしそうですね」と女将さんに伝えたところ、晩ごはんに用意してくださいました、白いご飯と丼一杯のめかぶ。ご飯が見えなくなるくらい、めかぶをたっぷりと乗せ、そこへ醤油とおかかを少々。これがあればもうあとは何もいらない! と呟いてしまうほど、極上の味わいでした。

葉の部分。

めかぶ。

茎ワカメの佃煮。

お次はひじき。ワカメ同様、塩を入れずにお湯でゆで、そのまま醤油をかけていただく。この食べ方は地元でも珍しく、女将さんオリジナルなのだとか。

女将「サラダにしたりね、こうして醤油かけたり、おいしいよ」

ゆでただけのひじき、これもまた初めての経験。いただきます。シャキシャキした歯ごたえが小気味よく、箸が止まらなくなってしまう。

女将「どう? おいしい?」

テツ「はい! すごくおいしいです!」

と答えると、うれしそうに微笑んでくれた。

食卓を囲みながら、浜にいるときの気持ちをうかがってみた。

「うーん、無心やね。いろんなこと忘れて無心になれる、ストレス解消や」

女将さん、ストレスあるんですか?

「そりゃあるよー。でも、自分で何とかせんば。人にぶつけたらいかんから、全部自分で解消せんばね。人のせいにするか、自分のせいにするか。考え方ひとつ」

時折、芯の強い女性に巡り会うことがある。潔く前向きで、それゆえに人を受け入れる度量と思いやりを持ち合わせている。こうした方に話をうかがっていると、わが身を顧み背筋の伸びる気持ちになる。そして、たくさんのヒントを人生の先輩からいただく。それが何よりもうれしく、ありがたい。

「浜で無心になるのは、子どもの頃の記憶が残っとっとでしょうね。小さいときの経験はすごいよ、体にしっかり染みついとるからね」

じっと私を見つめながら、こう続けてくれた。

「食べることも一緒やね。何でも作って子どもたちに食べさせんば。いろんな経験をさせて、いろんな記憶を残してあげんばね」

女将さんの思い出の料理は、お母さんが時折こしらえてくれたちらし寿司なのだそう。

「卵がいっぱいのっているような、そんなお寿司でね、20人前くらい作って、ようお客さんをもてなしてたわ。小柄な人でね、台所に立つ姿がいまでも目に浮かぶわ」

昔の記憶を辿りながらそう話す女将さん。その表情はあどけなく、やわらかくやさしい空気に包まれている。ふとしたときに人が帰れる場所、それは温かい食卓の記憶なのかもしれない。

information

漁師の郷

住所:熊本県上天草市龍ヶ岳町樋島2702

TEL:0969-62-1175

Web http://www.ryousinosato.com/

text & photograph

Tetsuka Tsurusaki

津留崎徹花

つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。『コロカル』のほか『anan』など女性誌を中心に活躍。週末は自然豊かな暮らしを求めて、郊外の古民家を探訪中。

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愛媛の豊かな食材の味わいをスイーツで楽しめる。道後ロールめぐり vol.1

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道後商店街の〈道後の町屋〉の道後ロール

日本三古湯のひとつと言われ、夏目漱石の『坊つちやん』にも登場することで知られる愛媛県松山の道後温泉。県の代表的な観光地でもある道後温泉で、スイーツを通して愛媛の魅力を発信する取り組みが行われているのをご存知ですか?

『日本書紀』にも登場する、日本最古の温泉である道後温泉。2016年2月29日までの期間、蜷川実花さんの写真が道後を彩る『蜷川実花×道後温泉 道後アート2015』も開催されています。

愛媛の豊かな自然が育んだ柑橘をはじめとする果物・野菜・穀物・乳製品など、スイーツに適した愛媛県産農産物などを活用した「えひめスイーツコンテスト」などを通して、愛媛の農林水産物の魅力を全国に向けて紹介する取り組み「えひめスイーツプロジェクト」。この取り組みの一環として2014年にスタートしたのが、道後温泉とコラボレートしたプロジェクト〈道後スイーツ物語〉。道後界隈にあるショップや宿に、県産食材を使ったオリジナルのロールケーキ〈道後ロール〉をお店ごとに制作してもらい、道後温泉を訪れた人にそのおいしさを味わってもらおうというプロジェクトです。

現在では14もの店舗が参加している〈道後スイーツ物語〉。その中でもコロカルおすすめのお店とその道後ロールを3回にわたってご紹介していきます。

道後の町屋の玄関。右手に見えるのは、自家製パンを焼き上げる麭(パン)焼処のスペース。

まずご紹介するのは、道後温泉駅に直結している道後商店街に店舗を構える〈道後の町屋〉。その名の通り大正末年の町屋を改装して戦前の町風景を再生した、レトロモダンな雰囲気が漂うベーカリーカフェ・ギャラリーです。

2間半(4.5m)の入口に対して、奥行きが27間(49m)と縦長な敷地にある道後の町屋。趣のある通り庭が結ぶのは、入口の近くにあるテーブル席「珈琲庵」と畳敷きの「奥座敷」のふたつのスペース。

ゆったりとコーヒーを味わえる珈琲庵のスペース。その脇には通り路が。

通り路に併設された、通り庭。その奥に、もうひとつスペースがあります。

こちらが道後の町屋の、もうひとつのくつろぎ空間。手前のギャラリー〈草木草〉のスペースを抜けると、奥座敷へ。

「実はここ実家で、家の半分をお店として使っているんですよ」と話す、店長の三好康さん。「珈琲庵は人に貸していた部分なのですが、奥座敷はずっと家族で使っていたスペースなんです」

庭を眺めながら、ゆったりとくつろげる奥座敷。誰かのお家に招かれたような、ちょっと特別な気分を味わえます。

みかんの風味をとじこめた〈湯のまち巻き巻き〉

店内にゆったりとした空気が流れる道後の町屋の道後ロールは、契約農家さんから仕入れたみかんの皮を天日干しした陳皮(ちんぴ)と、みかん果汁を煮込んだエキスを混ぜ込み焼き上げたスポンジで、三好さんのお母さんが炊いたあんこを使ったあんクリームを巻いた〈湯のまち巻き巻き〉。

砥部焼のお皿に盛られた〈湯のまち巻き巻き〉。スイーツ好きにはたまらない、食べごたえのあるサイズ!

まず目を引くのが、愛媛の代表的な工芸品である砥部焼のお皿に盛られたロールケーキの5センチはあるであろう厚み。「食べていただくときに楽しい気持ちになるようにと、この大きさにしたんです。高さがあるとちょっと食べにくいんですが、見た目を優先させました。うちのメインメニューはハンバーガーやサンドイッチで、パンも店内で焼いているんです。パン職人がつくるロールケーキなので、スポンジ生地はしっかりとした焼き上がりにしてあります」

ゆっくりとみかんの風味が口の中で広がっていくスポンジと、しっかりと甘いのにくどさが全くない上品な味わいのあんこクリームの相性は抜群。みかんとあんこという、意外な組み合わせがもたらすおいしさに驚いてしまうかもしれません。またロールケーキに添えられた季節の果物と、道後温泉の象徴である湯玉(ゆだま)のかたちに盛られた生クリームをあわせると、また違った味わいを楽しめるのもうれしいポイント。

道後温泉本館の瓦にも登場する湯玉。神の湯の伝説に由来する宝珠がモチーフといわれる湯玉の紋章は、道後温泉のあちこちで見かけることが。

このみかんが香る〈湯のまち巻き巻き〉の提供は11月25日まで。翌26日からは新しい道後ロールが登場するのだそう。

「砥部町という梅の産地があるのですが、その梅を使った甘酸っぱさを楽しめるロールケーキにしようと考えていて。〈湯のまち巻き巻き〉では生クリームで湯玉の形を表現しましたが、今度はロールケーキ自体の形を湯玉っぽくしようと思っています」

道後温泉のもうひとつの象徴、白鷺。こちらも楼閣や境界柵など、さまざまな場所にその姿が。

道後温泉を散策する前に、愛媛ならではの甘いもので腹ごしらえしたい……そんなスイーツ好きな方におすすめの『道後の町屋』の道後ロール。新たに提供される梅を使った新しいロールケーキがもたらす味わいが、どんなものになるのかも実に楽しみです。

Information

道後の町屋

住所:愛媛県松山市道後湯之町14-26

営業時間:10:00〜22:00(フードオーダーストップ21:00、ドリンクオーダーストップ21:30)

定休日:火曜・第三水曜日

http://www.dogonomachiya.com/道後スイーツ物語http://www.ehime-sweets.com/dogo/

writer's profile

Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

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撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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〈自然エネルギーの会〉で体験する、山の木の実収穫と草木染

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採れたての山ぶどうっておいしい

さて、今回は、前回紹介した日端義美さんが所有する山での体験について、続きを書こうと思う。このところ、日端さんもメンバーとなっている〈自然エネルギーを考える会〉が企画するワークショップなどに参加して、山の恵みを生かすことの楽しさにハマっているし、こうした経験をエコビレッジの暮らしにも生かしていきたいと思っているのだ。

紅葉もそろそろ終わりを迎える頃、自然エネルギーを考える会では、山でクサギの実を収穫し、草木染を体験する会が開かれた。クサギとは、葉っぱに独特の臭いがある木で、ちょうどこの時期に青い実をつける。この青い実をつぶして煮ると、媒染剤を使わなくても空色に布を染めることができるのだ。また、赤いガクの部分も、ピンク色の染料となる。この日は、日端さんの山に朝集合し、大人から子どもまで20名くらいで、クサギの実とガクをひとつひとつ枝から摘み取っていった。

写真がクサギ。黒っぽい実に赤いガクがついている。これを摘み取っていく。

大雨が降って、実が落ちてしまったものが多い。それでも2時間ほど摘んでいくと、約2キロの実が集まった。

この日は、クサギだけでなく、秋の味覚があちこちに見つかった。日端さんが、「こっちに山ぶどうがあるぞー」と声をかけてくれて、子どもたちに実を分けてくれた。山ぶどうはジュースなどの加工用で、生では渋くて食べられないとばかり思っていたが、ジューシーで甘酸っぱくて、おいしいのには驚いた。酸っぱいものには手を出さない1歳半の娘も、種を口から一生懸命出しながら、モリモリ食べている。

北海道に移住してから知ったことだが、木になったまま完熟したフルーツは格別だ。特にブルーベリーやプルーンは、生だとちょっと青臭くて渋いものだと思っていたが、熟れた実はまろやかで甘みが口いっぱいに広がるのだ。この山ぶどうも、太陽の光を浴びてゆっくり甘くなった、そんな豊かな風味を持っていた。

山の持ち主、日端義美さん。木の実の活用方法を教えてくれた。

山ぶどうの実。ぶどうよりも種が大きくて実の部分が少ないが、甘酸っぱい濃厚な味!

そして、もうひとつ、見かけは山ぶどうと同じ黒い実を、「食べてみて」と日端さんが渡してくれた。こちらはキハダ。キハダは、草木染の染料にしたり、漢方薬に用いられたりしており、みかんの皮を濃縮したような渋くてすっぱい(でも、嫌な味わいじゃないのが不思議)ものだった。日端さんによると、アイヌ民族が酸味を生かして香辛料として使っていたという。こうやってひとつひとつ味を確認してみるのも、山の楽しみだということが実感できた。

来年、株を増やすためにキハダの実も収穫。

ツルウメモドキという木。実のついた枝は観賞用として使われることもある。

キリの実。キリの木は知っていたが、こんなに大きな実がつくとは驚き! ツルウメモドキとキリは、花瓶に差したりリースの材料に使えそう。

クサギで染める、澄み切ったブルー

午後はキッチンのある場所に会場を移し、収穫したクサギの実とガクとを選り分ける作業に入る。最初はおしゃべりをしながらの作業であったが、その量の多さに、だんだん口数も少なく。ようやく実とガクとを選別できたら、これを煮出して染料をつくっていくのだ。そのほか、クリの渋皮やキハダなども持ち寄り、さまざまな色の染料ができあがった。

机いっぱいに、摘んだクサギの枝を並べる。

ガクと実に分ける。ガクは赤い、実は青い染料になる。

染織体験には子どもたちも参加。ガクと実を煮出し、そこに布をつける。

クサギの実から出たブルー。布を長い時間つけると濃く染まる。お好みの時間で。

絹は深く、綿は明るく染まる。写真は綿のスカーフで、澄んだ空色になった。

アロニアもおいしいドリンクに

自然エネルギーを考える会では、そのほかにも、羊の毛を洗浄して羊毛フェルトや毛糸をつくったり、太陽光によるエコクッキングのワークショップを開催したりと、さまざまな取り組みをしてきた。また、日頃から、日端さんの山の手入れをサポートし、木の実や山菜の収穫なども行っている。

前回も紹介したように、この会のみなさんと一緒に収穫したアロニアという実は、ある人は大根の漬け物に混ぜて赤い色づけに使ったり、ある人はジャムにしたり。日端さんは、絞って30パーセントの砂糖を加えて煮立たせジュースにしているそうだ。教えてもらってレシピで、わたしもジュースをつくってみようと思い、家に持ち帰って実を絞ってみたが、なんだかあまりうまく果汁がとれないし、すごく時間がかかりそうだしということで断念。

アロニアレシピをネットで検索してみたが、アクを抜くために解凍を2度繰り返してからジャムにするとか、何度も煮返すとか、いずれも結構大変そう。のんびりやっていると、「そんなことをやる前に自分の机を掃除しろ!」という夫の無言のプレッシャーがかってきそうなので、手早くできる方法として酵素ドリンクにすることをひらめいた。

酵素ドリンクは、果実や野菜などの材料1に対し、1.1の白砂糖を加えて毎日まぜながら発酵させるというものだ。寒くて発酵には時間がかかったが、2週間ほどで完成!絞ったときはあまり果汁が出なかったが、シロップにしてみたら、かなりたくさんエキスが出てきた。おそるおそる飲んでみると、渋さはまったくなく、ぶどうのような甘みがし、色もピンクで美しい!(夫は、赤いかき氷シロップの味がすると言っていた……)

アロニアの実は、ポリフェノールたっぷりで、生で食べるとかなり渋い。

アロニア1キロに白砂糖1.1キロを混ぜて、1〜2週間ほど置く。毎日、混ぜることで発酵を促す。泡がぷくぷくと出てきたら完成。

酵素ドリンクは水やサイダーで割って飲むとおいしい。

山は心を開放してくれる場所

日端さんの山を訪ねたのは秋の2か月ほどだったが、すっかりその魅力の虜になってしまった。もともと、草木を育てるのが好きで、東京にいたときも部屋やベランダでいろいろチャレンジしていたこともある。ちょっと変わった植物が多くて、苔やシダ、ミズナラやモミジの木、そして鉢を大きくしすぎて、ソテツが畳一畳ほどの場所を占めてしまったことも。そうした植物の育っていく過程を見るのは本当に心が落ちつくときだった。日端さんの山でも、木々の様子を眺めているだけで、心が開放されていく。山で毎日、植物が育っていく様子を観察できたらと思うだけで、気持ちがウキウキしてしまうのだ。

エコビレッジをつくるなら、インフラの整っている限界集落などの空き家がいいのではないか? と、先輩からのアドバイスもあり、そのほうがいいような気もしているが、日端さんと出会って、山という場所に自分が大きな憧れを持っていたことに、あらためて気づかされた(もちろん、山に近い限界集落というのもあるよね)。いまのわたしにとって、山に家を建てて住むというのは、かなりハードルは高いけれど、別のところに住まいがあって、日端さんのように日参して楽しむのもありなんじゃないか? そんなふうに柔軟に考えてみようと思った。

山に住むハードルを高くしているのは、これからやってくる雪のことが大きい。わたしの住む岩見沢は、北海道有数の豪雪地帯で、繁華街にわりと近いわが家でも、除雪はかなりの重労働(夫に任せっぱなしだけど)。山に住んだとして、この大雪のなか、道路までの道を除雪し、市街地まで車で降りてくることができるのか、そこがなんともわからない部分といえる。市街地から離れたレストランやカフェは、冬は休業するところも多いし、そう考えると、夏は山で暮らし、冬は里に降りるなんていう生活から始めて、徐々に山に慣れていって、いずれ定住してもいいかもしれない。

いよいよ北海道は本格的な冬が到来する。雪のなかでどうやったら生きていけるのか、この冬、じっくり向き合って、山での暮らしについてあらためて考えてみよう。そして、まだ、道路が雪で覆われていないうちに、もう少し山の土地探しをがんばらないとね!

娘は、山ぶどうを手にしっかりと握りしめて、食べながら、山歩き!

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

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コワーキングスペース〈MTRL KYOTO(マテリアル京都)〉開発にあたって

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Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの“デザイン”を手がけるクリエイティブ・エージェンシー〈ロフトワーク〉がお届けする「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」。4回目は、ロフトワークが新しく京都につくるコワーキングスペース〈MTRL KYOTO(マテリアル京都)〉について。なぜ京都に、古い家をリノベーションして、新しいスペースをつくるのか。なぜ“マテリアル”なのか。MTRLのプロデューサーの岩崎達也がその理由を語ります。

「京都で、ロフトワークだからこそできるおもしろいことをしよう」

設立4年目を迎えるロフトワーク京都オフィスに入社した2014年、私は社内で頻繁にこの言葉を耳にしていました。

Web、空間、プロダクト、イベント、そして京都。多様な領域で実績を積み重ねてきたロフトワークだからこそできることってなんだろう?という問いかけと、何かやってやろう! というみんなの野心めいたものが〈MTRL KYOTO(マテリアル京都)〉構想へとつながっていきます。

そうして完成するMTRL KYOTOは、京都の河原町五条エリアにある大きな一軒家をリノベーションしてつくるオープンなコワーキングスペース。長い歴史を誇る西陣織や、最新の人認識センサーなど、国内外から集めたユニークな「素材(マテリアル)」と、3Dプリンターやレーザーカッターといったデジタルファブリケーションマシンを常設します。

京都で活動する個人クリエイターはもちろん、チームでの打ち合わせや共同制作などにも適した、新しいインスピレーションを提供する場所にすることを目指しています。

なぜ京都にMTRLをつくるのか?

私を含め多くのロフトワークの社員は以前東京で働いていましたが、それぞれに縁とゆかりのある京都へ移住してきました。そんな私たちが日々の京都暮らしの中で感じることを挙げてみると、

・まち中に国宝や伝統工芸品が溢れている・それでいて、最先端のテクノロジーを生み出す企業や学術機関が多い・カフェや書店にアートなど、独自のローカルカルチャーが根づいている・老若男女、外国の方々、さまざまな人たちがまちに馴染んでいる

などなど。

そこで私たちは気がついたのです。これらを俯瞰して見てみると、めちゃくちゃユニークだぞ、と。

長い歴史とこれからの可能性。ローカルとグローバル。個人商店と大企業。伝統産業と最新テクノロジー。表面的には相反しそうな事柄が、絶妙のバランスで融合して成り立っているのが京都なんだ。

ここ京都なら、ロフトワークのクリエイティビティを使って、未来を提示する場所をつくれんじゃないか。世界中からクリエイターが集うコワーキングスペースにする? 伝統工芸品やテクノロジーを掛け合わせてみようか。典型的な京町家ではなくあえて違う建物でやろう!

そんな風にみるみる点が線で繋がって、とても自然な流れでMTRLプロジェクトは立ち上がりました。

どうやって空間をつくるのか?

ある日、河原町五条というエリアの物件が空いているという一報が入ってきました。建物は、かつて印刷工場や新聞社だった築120年、木造3階建ての不思議な一軒家。

1階はガレージ、

2階は和室、

3階は洋館。

この歴史あるカオティックな一軒家をリノベーションして、新しい空間づくりを進めていくこととしました。

設計をお願いしたのは、茶室をつくる数寄屋大工として修行を積まれた、建築家の佐野文彦さん。日本の木造建築を理解しながら、未来を感じられるチャレンジをしてくださる方です。

建物が決まったことによって、物事は急ピッチで動き出していきます。

マテリアル素材を選ぶ

世の中は “素材” でできている。素材と向き合ったものづくりをすることで、世の中をより良くおもしろくしていく。

このコンセプトを体現するために集めた”素材”は実に多種多様です。

京都の伝統的な西陣織、北山丸太、くみひもに始まり、最新のテクノロジーを駆使したセンサーやマイコンチップ、そしてリサイクル端材まで。

新しいも古いも、かたちあるものもないものも、すべて”素材”と捉えて、これまでの用途とは違う使い方を考えたり、見る角度を変えてみたりする。そうすることで “化ける” 素材が必ず出てくると思うのです。

完成までのプロセスをリアルタイムに共有して、
ステークホルダーを巻き込む

MTRLをつくるに当たり、私たちがとても大切にしていたことがあります。それは、”京都にきちんと根ざしながらも、グローバルを見据える”ことでした。

その想いが正しく伝わるようにするにはどうしたらいいのだろうか?移転先の地元のみなさんを戸惑わせてしまう黒船襲来になってはいけない。私たちの自己満足になってしまってはいけない。

こだわったことは、”完成までのプロセスを徹底的にオープンにしながら、ステークホルダーの皆さんをプロジェクトメンバーとして巻き込むこと”でした。

ご近所のすてきなスポットにうかがい、ブログで紹介したり、

建築の進捗をシェアしたり、

マテリアル素材を提供くださるメーカーさんに取材にうかがってレポート記事を制作したり、

興味を持ってくださりそうな方々をご招待したり、建築途中の空間でイベントを実施したり、

hiromi maeoさんに制作プロセスを公開いただいたロゴデザインは、MTRLのオープン前にもかかわらず海外メディアを中心に話題に。

完成時に大きな花火を打ち上げるのではなくて、少しずつ木に水をやり肥料を与えて、根の深い大樹へと育てていくようなイメージで、オンライン・オフラインを駆使しながらプロジェクトをデザインしていきました。

プロセスをオープンにするということにはリスクも伴います。予定通りにうまくいかなかったことが見えてしまったり、競合他社に真似をされてしまったりすることもあるかもしれません。

それでも私たちは、オープンにして本当に良かったと思っています。

たくさんの方々がプロジェクトの当事者になって、完成を楽しみにしてくれている。その状態をつくれたことが何よりの理由です。

これから

MTRLは京都にくわえ、東京の渋谷にもオープンします。台北やバンコク、バルセロナやなどグローバル展開を進めているFabCafeとのシナジーもつくっていきたい。企業や学術機関とのコラボレーションの話もいくつか進行中。私たちのチャレンジはまだ始まったばかりです。

最後にお伝えしたいこと、それはこの記事を最後まで読んでくださったみなさんに、ぜひMTRL KYOTOへ遊びに来てほしいということです。みなさんとなら、きっと一緒に楽しいことができるのではないかと思っています。またいつか、お会いできることを楽しみにしています。

Information

MTRL KYOTO 
マテリアル京都

住所:京都府京都市下京区本塩竈町554
アクセス JR京都駅徒歩15分/京都市営地下鉄五条駅徒歩7分/ 阪急京都線河 原町駅徒歩10分/京阪電鉄清水五条駅徒歩3分

TEL:075-708-2593

営業時間:月~金 11:00-22:00

定休日:土日祝休(イベント除く)

https://mtrl.net/https://www.facebook.com/material.kyoto

profile

writer's profile

Tatsuya Iwasaki

岩崎達也

いわさき・たつや●兵庫県三木市出身、関西大学文学部卒。2008年リクルートコミュニケーションズ入社、Web新規事業開発チームリーダーを務めたのち、楽天でソーシャルメディアマーケティングを担当。京都の雑貨店Buddy tools開業と同時期に、2014年ロフトワーク(京都)へ入社し東京から京都へ移住。クリエイティブディレクターとして制作を担当する他、コワーキング施設「MTRL KYOTO」の立上げを担う。

company profile

Loftwork

ロフトワーク

ロフトワークは、Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの「デザイン」を手がけるクリエイティブ・エージェンシーです。企業や官公庁、大学などのクライアントの課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを年間約500件以上手がけています。
http://www.loftwork.jp/

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自給率100%! 小豆島の野菜でグッドモーニングサラダ

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自給率100%の野菜で朝ごはん

ようやく寒くなり始めた小豆島。今年の11月はほんとに暖かかった。11月なのに半袖で大丈夫なほど。

暖かいのは過ごしやすくていいけど、畑にとっては想定外のことがいくつか。まず虫が減らない。暖かいのでいつまでたっても虫たちが元気で、例年より虫の被害がひどい野菜もあります。それから大根などの冬野菜に甘さがのってこない。野菜は寒くなると寒さで凍ってしまわないように糖度をあげるので甘くなります。寒さって大事なんだなとあらためて感じる日々です。

紫小松菜。虫の被害も少なく初めてきれいに育ちました。

11月に入って採れ始めた白菜。

この時期といえばカブ!

さて、この11月で小豆島で暮らし始めて4年目になります。畑も4年目で、4回目の冬を迎えます。少しずつ年間のリズムがわかってきました。11月になるといよいよショウガの収穫!中旬には新じゃがが採れる!そして中まで赤ーい紅くるり大根がもうすぐ旬を迎える!そのシーズン初の収穫は、それぞれの野菜との1年ぶりの再会でもありとてもうれしくなります。

ジンジャーシロップ製造のために、みんなでショウガを収穫しました。

半日で100キロ収穫!

ただ「安定」なんていうのはまだまだ先の話で、去年うまく育てられたと思ったお野菜が今年は全然ダメだったり。ほんとに難しい。

それでも自分たちが食べる分の野菜については、ほぼ100%自給できるようになりました。というより、採れた野菜しか食べてないだけなんですけどね(笑)。

自分たちが育てた野菜でつくった朝ごはんのサラダは格別。私はそれを「グッドモーニングサラダ」と呼んでますが、生野菜だけじゃなくて、ソテーしたり浅漬けにしたりした野菜も一緒にのせて。それから、半熟卵やソーセージなんかものせちゃいます。お腹いっぱいになるサラダです。

お休みの日の朝ごはん。その日ある野菜でつくります。

ふかしただけのさつまいもも立派な一品。

我が家の「グッドモーニングサラダ」。

サラダって脇役な感じですが、うちの朝ごはんはサラダが主役。ひとつのお皿にいまの畑がギュッとつまってます。

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

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Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

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愛媛県産のフルーツを使用したスイーツを都内でも。〈えひめスイーツコレクション2015〉

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〈えひめスイーツコレクション2015〉開催!

愛媛の豊かな自然が育んだ柑橘をはじめとする果物・野菜・穀物・乳製品の魅力とおいしさを、スイーツを通じて全国に発信する愛媛県の取り組み〈えひめスイーツプロジェクト〉。その中で、2015年においしく実ったさまざまなフルーツを東京の人にもぜひ味わって欲しいと実現したのが〈えひめスイーツコレクション2015〉。愛媛県産の柑橘類はもちろん、イチゴ、キウイ、柿、栗、などを使ったスイーツを都内飲食店約16店舗を楽しめるイベントです。この『えひめスイーツコレクション2015』キックオフイベントの模様を前編・後編にわけてお届けします。

愛媛県の中村時広知事。壇さんと石丸さんのフルーツ愛あふれる発言に「本当に生産者の方に届けたいですね、このコメントを。喜ぶと思いますよ」とニッコリ。

「柑橘だけではない、フルーツ王国愛媛のすばらしさをスイーツを通じて提供できればと思っています」と愛媛県の中村時広知事の挨拶で幕を開けたキックオフイベントに登場したのは、キウイ・栗・みかんをイメージした衣装をまとった3名の愛媛県出身モデル、愛媛県イメージアップキャラクターの〈みきゃん〉、愛媛県出身の俳優・石丸幹二さん、そして愛媛県産イチゴ〈紅い雫〉のイメージキャラクターである壇蜜さん。

石丸さんのエスコートで登場した壇さん。その手には〈紅い雫〉が。

〈紅い雫〉とは、愛媛の県独自品種のいちごである〈あまおとめ〉と〈紅ほっぺ〉の2種類の品種を交配させて、愛媛県が10年もの歳月をかけて開発した新品種。その味わいは、イチゴ好きという壇さんも「サクッとしているのにジューシーで、ふたつの種類をかけあわせた品種ならではの食感は本当にすぐに口の中に伝わってきて。本当に驚くようなおいしさだったので、ますますイチゴが好きだっていう気持ちが強まりましたね」と太鼓判。

また石丸さんがオススメしたいと愛媛県産フルーツとしてあげたのがキウイフルーツ。キウイ生産量が日本一の愛媛県ですが、石丸さんの出身地である新居浜市は有数のキウイ産地。「〈紅い雫〉もみかんもそうですけど、どれも糖度が高いですよね。うれしいですね、甘いのは大好きですから」と、その魅力を語っていました。

壇さんと〈みきゃん〉。壇さんの深紅のドレスのウェスト部分にはいちご型のアクセサリーがキラリ。

イベント終盤には愛媛県産のフルーツを使ったスイーツを応援する“えひめスイーツ党”を登壇者全員で結成。壇さんの「イチゴの生産者の方々が苦心してつくられたその成果あってこそのキックオフのイベントだったと思いますので、その方々の成果に感謝しながら、これからも瑞々しさをほおばりながら今後も生きていきたいなと強く思いました」と、愛媛県産フルーツのつくり手の方々への感謝の気持ちをこめた挨拶でイベントは幕を下ろしました。

ずらりとショーケースに並んだ〈カフェコムサ〉による〈えひめスイーツ〉。

冬のティータイムに華を添えてくれそうな〈愛媛県産「紅い雫」のタルト〉。実の中まで赤いのも〈紅い雫〉の特徴。

ジューシーな果実をたっぷり使った〈柑橘「美柑王」とレインボーレッドのタルト〉。そのおいしさも後編にてお届けします。

そして続いて行われたのが、「えひめスイーツ」の試食会。キックオフイベントの会場となった〈カフェコムサ 銀座店〉をはじめ、全国の〈カフェコムサ〉32店舗で11月27日までの期間に提供された〈柑橘「美柑王」とレインボーレッドのタルト〉、そしてこのイベントのために特別につくられた〈愛媛県産「紅い雫」のタルト〉と〈愛媛県産「柿」のモンブラン〉が登場。後編では、これらのえひめスイーツを作られたパティシエさんにうかがった、愛媛県産フルーツの魅力についてお届けします。

Informtion

えひめスイーツコレクション

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Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

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撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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大人も子どもも平等に学ぶ。宝酒造〈田んぼの学校〉に行ってきました!

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宝酒造 田んぼの学校(京都府/南丹市)に行ってきました

「田んぼに行ってみませんか?」宝酒造さんからそんなお誘いがありました。「ただし長靴と帽子、汚れてもいい服装で来てくださいね」というのも、稲刈りを手伝ってほしいとか。田んぼの場所は、京都府南丹市園部町京都駅からJR山陰線で45分、さらに車で10分。とてものどかな里山風景が広がる場所だそうです。それにしても、なぜ宝酒造が田んぼ?すると、広報担当の奈良さんがすぐに教えてくれました。

和酒は日本の自然風土から生まれたお酒。穀物や水、微生物など、すべて自然の恵みの賜物で豊かな自然環境を保ち、受け継がれることが大前提。宝酒造の環境活動も“自然保護”と“空容器問題”が2本柱でそのひとつが2004年に開校した〈田んぼの学校〉だそうです。

この学校は小学生とその家族が対象で2015年度は応募総数380組から抽選で選ばれた24組が参加。年4回のうち、第1回の田植え編、第2回の草取り編は既に終わりもうすぐ第3回の収穫編が開催されるとか。「稲刈りだけじゃなくてしっかり授業もあるんですよ」田んぼでの授業ってどんな感じでしょうか。

多くの人に支えられています

そう思いながらやってきた南丹市園部町。園部城跡や日本最古の“天神さん”生身天満宮が有名ですがその中心部から少し離れた仁江地区にある〈体験田んぼ〉には朝9時半の集合時間になると親子連れが集まってきました。

今日の参加者は親子20組で計61名。地元の京都以外に、大阪、兵庫、奈良と遠くから来ている家族も多いようです。3回目なので、子どもたちも慣れているのかな。帽子、長靴、バンダナの“田んぼルック”がちゃんと似合っている。仁江公民館での始業式が始まると静かに熱心に、今日のスケジュールやお話を聞いています。

協力してくださる講師の方々の紹介で気づいたのですがこの田んぼの学校は実に多くの人々が関わっている。NPO法人森の学校・代表の佐伯剛正さんやスタッフの方たち日本自然保護協会認定の自然観察指導員さん京都府立大学生命環境学部の先生と学生さんそれに忘れちゃいけない地元農家の方々。“田んぼ指導員”として、稲刈り指導はもちろん1年を通じて、この体験田んぼを見守ってくださり公民館を使わせてもらうのも、地元のご好意があってこそ。宝酒造京都本社からも社員サポーターが多数参加。看護師さんも待機して、万全の体制が組まれているのがわかります。

この始業式で印象に残ったのが「五感を使って楽しんでください」という言葉。「自分の中の野生を感じて養って。それが将来きっと役立ちます」小学生の子どもたちにはまだよくわからなくてもこの言葉、親世代にはものすごく響くはず。その後始まった授業でも無邪気ながらも真剣に取り組む子どもたち以上に大人のほうが気づかされる場面が多いように思えました。

お米も種、命の源だと理解します

たとえば屋内での自然観察授業。お米について勉強しようというテーマではもみ→玄米→胚芽米→白米と、見て触ってにおいもかいでルーペで観察しながらスケッチする。そのうえで、もみ殻を自分の手でむいてみる。「ぜんぜんむけない!」「あー疲れちゃった」ぼやきつつも「もみすり」の大変さを実感した子どもたちその作業がないとお米が食べられないことにも気づいたかな。

1粒のお米とじっくり向き合って観察してみるといつもなにげなく食べているご飯が発芽する種の集合体で次世代につなぐ命の源をいただいていることを実感します。さらに大人世代なら作り手の苦労にまで思い至るはず。これ、誰もがはっとする瞬間じゃないでしょうか。

ちなみに、芽が出るのはもみだけなんだとか。土に植えて水浸しの状態になってももみがらが余分な水気を調整し腐ることを防いでくれる。自然の仕組みは本当によくできているなと思いました。

よくできているといえば、果物の柿の種。今日の授業でも上手に割るのに四苦八苦しながらも子どもたちは双葉の形をした胚をじっくりルーペで観察。「刃を当てて固い種を確かめながら柿を切って」とお母さんお父さんが手助けしてくれながら一緒に見た“白い双葉”は鮮やかな記憶として心に残るでしょうね。

田んぼで命のつながりを学びます

屋内授業の次は、田んぼ周辺での授業です。観察用具バッグとノート持参で飛び出していった子どもたちはさっそくバッタやカマキリを捕まえている!グループごとに同行する自然観察指導員さんたちも大忙し。その場で名前や生態をすぐに教えてもらえるのがいいですね。

大きなクモの巣を発見した子どもには稲の葉や茎を食べにくる虫を食べて、稲を守ってくれるのだから「そのままにしておこうね」とちゃんと理由まで説明してくれる。すいすいと飛び回るトンボを見ながら“トンボと田んぼ”の関わりを学んだり。トンボは稲を刈った後の田んぼに卵を生み幼いヤゴは水中で、成長すると空中で虫を食べる、いわば田んぼの守り神。そういえば日本のことを「秋津(トンボの古名)島」ともいいましたっけ。生き物の名前をただ覚えるだけではなく田んぼにも命のつながりという自然のドラマがある。それが無理なく学べるように工夫されています。

また屋外テントでは自然観察指導員さんが植物の「自生種」と「栽培種」の違いについてレクチャー。触っただけで実がぽろぽろと落ちるイヌビエと、なかなか実が落ちない稲この2つを比較しながら、野生植物の生きる知恵を教わります。次の世代を残すために実を落ちやすくして動物に食べられないようチクチクするヒゲで自分の実を守る。「雑草という草はない。みんな名前があるし生きているんだよ」自然の仕組みや命の尊さを知る環境教育その格好の舞台が、田んぼなのかもしれません。ちなみに、イヌと名前についた植物は人の役にたたないものが多いんだとか。なぜにイヌ? こんな豆知識もおもしろいですね。

農村の人の営みを五感で学びます

午前中の授業が終わったら、お弁当でお昼ごはん。ひと息入れたら、いよいよ稲刈りスタートです。稲刈り初心者の参加者をサポートするのは70歳代が中心で、いちばん若い方でも60歳というベテラン揃いの“田んぼ指導員”。

現代の稲刈りは高度成長期の頃から機械化が進み鎌で稲刈り作業の経験がリアルにある人は農家でも少ないとか。ならば、今日の「みんなで稲刈り」は地元の方には懐かしい農村風景の再現になるんでしょうね。

お手本を見せてくださるのは仁江里山を生かす会代表の谷 義治さんとかわせみ農園理事長の中西章夫さん。「稲をまたぐように足を開いて、お尻を落とす姿勢が大事」「鎌を順手で握って、自分の方に向けて引く感じ」「うまく刈れたら、ザクッといい音がするからね」鎌の刃が稲にどう当たればうまく切れるのか。しっかりと株を見ながら耳をすまし手の感触を確かめつつ、ゆっくり着実に1株ずつ刈る。手順やコツを学んだら、親子で田んぼへ一目散。賑やかな稲刈りが始まりました。

軍手をはめ、鎌を持った子どもたちは元気いっぱい。最初はこわごわでも、慣れてくるとスピードも上がりさくさくと刈っていく姿は、そばで見ていても頼もしいかぎり。各家族の持ち場が決まっているので自分が田植えをし、草取りをした稲を刈るその実感が、子どもたちの集中力につながっているのかも。快晴の空の下、1時間弱ほどで順調に稲刈りは終わり黄金色だった田んぼはすっかり稲株だけになりました。

刈り取った稲はその場で教材に早替わり。茎の数がどれほど増えて、丈がどのくらい伸びたか。1本の稲穂には何粒のお米が実っているのか。それをしっかり確認したら、最後は脱穀体験です。千歯こぎを子どもが、こきばしを大人がトライ。「うまいねー」と褒められる子どもに対して、親たちは四苦八苦。こきばしは江戸時代まで使われた脱穀器具で千歯こきは江戸・元禄年間に発明されたもの。同じ江戸時代の農具でも、使い勝手や作業能率は全然違う。実際に使ってみると、昔の人の工夫の跡がよくわかります。伝統的な農体験を通して、自然の恵みと人の営みに感謝する。これが田んぼの学校の目標でもあるのです。

続けることに意味があります

それにしても、これだけ生き物が多い田んぼも珍しい。世話役の中西章夫さんにうかがってみるとやはり体験田んぼでは農薬を使っていないんだとか。「生き物が少ないと、子どもたちががっかりする」と稲の生育を気遣いながらも、自然のままの田んぼ環境を維持管理。これを年間通して、となると、かなり気苦労は多いはず。田んぼの学校をスタートする際に場所の選定がいちばんの難題だったというのも納得です。

しかも体験田んぼで育てている稲は京都府固有の餅米〈新羽二重餅〉という希少な品種。とろけるような甘さがある最高級の餅米ではあるけれど丈が高くてこけやすく育てにくいため高級和菓子店の契約栽培がほとんどだそうです。ここ園部町は京都府のなかでもおいしいお米の産地として知られているけれどいまでもこの餅米をつくっているのはこの体験田んぼの持ち主・谷 義治さんの田んぼだけ。今年は雨が多くてほんまに大変やった、といいつつも「都会の人たちが喜んで来てくれはるのが楽しいから」と田んぼの学校に協力しているそうです。

次回12月の田んぼの学校ではこの餅米が主役。最終回の〈恵み編〉として、親子の料理教室が実施予定です。きっとおいしいご馳走になるんでしょうね。残りは宝酒造伏見工場で本みりんにしてもらい来年春に参加者の家庭に届けられるという試みもおもしろい。もともと宝酒造の“宝”は“田から”が語源だとか。田んぼは日本のみんなの宝それをしっかり学べた田んぼの学校でした。

writer's profile

Yayoi Okazaki

岡崎弥生

おかざき・やよい ●兵庫県、大阪府、神奈川県、福岡県、東京都(ちょっとだけ愛知県)と移り住み、現在は神奈川県藤沢市在住のローカルライター。最近めっきりイエノミ派となった夫のために、おつまみ作りに励む主婦でもある。

credit

撮影:津留崎徹花
supported by 宝酒造

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音楽も地域も生活も、“ものの見方”を変えたなら。〈gm projects〉豊嶋秀樹さんの音楽ワークショップに参加してみた

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アーティストの違う側面が見られるイベント

〈gm projects〉の豊嶋秀樹さんは、多くの地方で、さまざまなワークショップやイベントを開催している。なかでも豊嶋さんらしいところは、これまでのアート活動の人脈で培ったアーティストやクリエイターがふんだんに登場することだ。

「アーティストやクリエイターって、専門の職能だけではなく、違うことをやったとしてもおもしろい人が多いんです。だから、いろいろな役割で関わってもらうようにしています」

だから、できあがるものはアート作品でも展覧会でもなく、音楽イベントであったり、ワークショップの集まった学校形式だったりする。

今回参加させてもらったワークショップで、開催前の挨拶をする豊嶋秀樹さん(左)とミュージシャンの坂口修一郎さん(右)。

例えば〈岩木遠足〉。青森の岩木山麓で育まれた風土や文化を体験する遠足型のイベントで、2009年から13年にかけて行われた。ねぷた製作の現場やこけしの工人、縄文遺跡などを訪れ、マタギ体験も行った。それらの場所にはバスで向かうのだが、そのバスガイドがクリエイターやアーティストだったりする。バスガイド役とはいえ、話す内容は自分のこと。この移動がレクチャーの時間になっているのだ。最近ではこのイベントをまとめた『岩木遠足 人と生活をめぐる、26人のストーリー』(青幻舎)を上梓したばかりでもある。

例えば〈津金一日学校〉。山梨県北杜市で開催されたイベントで、今は使われなくなってしまった木造校舎に1日だけの登校日をつくった。

「僕は教育者ではないので、普通に子どもたちに教えることはできないし、意味がない。自分の小学生時代を振り返ってみると、授業の内容よりもむしろ、おもしろい先生がいたという記憶が鮮明に残っているんです。だから“おもしろい大人”に会える場所にしようと考えました。そこで子どもたち30人の先生役として、いろいろな意味でクリエイティブな人たちを招くことにしました」

参加したのは鉄割アルバトロスケットの戌井昭人さん、珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝さん、サバイバル登山家の服部文祥さん、音楽家のトウヤマタケオさんなど、多様な面々。この日は授業参観日という設定にした。だから子どもたちを対象にしながらも、後ろで大人たちも熱心に聴いているという入れ子構造だ。

「アーティストは作品で見せるのではなく、先生として子どもたちにわかりやすく話さないといけません。すると大人たちにも伝わりやすいのです」

参加した音楽ワークショップの会場となった〈森をひらくこと、T.O.D.A.〉。

例えば〈陸前高田ミーティング(つくる編)〉。現地で何かをつくっている人を訪ねて回る、2泊3日の合宿スタイル。仮設住宅で手芸を教えていたら自然とでき上がったコミュニティや、英語で震災体験を綴っている人など、アーティストではなく普通の人を訪れた。

「震災ですべてを失いながらも、何かをつくることで日々の自分自身をつなぎとめている人たちと直に出会うことが、重要ではないかと思いました」

陸前高田ではかさ上げ工事を行っているが、「盛り土を山から直接、長いベルトコンベアのようなもので運んできている」というような壮絶な仕事。それも風景を“つくる”のひとつであり、みんなで見学した。

「手芸も別に発表することはなくて、ただつくっているだけ。つくっているという行為と、つくっている時間に意味があるんです。このように、つくることで生かされているという現状もあります。つくることは、原始的なモチベーションに作用するんですね。自分たちの“生きるをつくっている人たち”から、“つくる”とは何か? ということを感じました」

坂口修一郎による音楽ワークショップ

栃木県の那須に、豊嶋さんがディレクションをしている〈森をひらくこと、T.O.D.A.〉というスペースがある。そこでは豊嶋さんが企画するイベントなどが行われているが、その中から、あるイベントに参加してみた。ダブル・フェイマスというバンドの坂口修一郎さんによる音楽のワークショップだ。

参加者の持ち物は、“音の出るもの”。楽器でなくてもいい。20名程度の参加者を見てみると、ギターやおもちゃのタイコを持ってきた人もいれば、お皿やメジャーカップ、ペットボトルに豆を入れてきた人もいる。豊嶋さんはというと、外で拾ってきた木の枝を持っている。パキッと折る音で参加するようだ。

床に枝を並べる豊嶋さん。枝も立派な“楽器”だ。

よく見ると計量カップ。叩くもの次第で音が変わる。

それらを使って、みんなで音楽をつくって録音してしまうおうという試みだ。まずはみんなの持ってきたもので音を出してみる。ドンドン、コンコン、シャカシャカ、シャンシャン、いろいろな音がある。これを坂口さんがバランスを考えながら、みんなに役割を振り分けていく。最初は単純なリズムだったが、だんだんと裏打ちを使ったり、ブレイクを入れたり、速さを変えたり、複雑なリズムをつくっていく。その上に坂口さんがトランペットでメロディを乗せていく。こうしていろいろな音色やリズムを重ねることで、曲はでき上がっていくのだ。

「音楽の自由さを伝えたい」と坂口さんは言う。「西洋音楽が現代の音楽のルールをつくりましたが、逆に言えばそれに縛られて不自由なわけです。世界のエスニック音楽やワールドミュージックと呼ばれるものは、もっと自由。だから音楽をやったことのない人とコラボレーションすることは、おもしろいものが生まれる可能性を秘めています。同じ曲でも、演奏する人によっても、場所によっても変わってきます」

実際、演奏したベースの曲は、ダブル・フェイマスでもよく演奏するというという民族音楽。それがまったくの素人の集まりが演奏するとどうなるか。録音した曲を聴いてみると、もちろんプロとはほど遠い作品。しかし、どこか懐かしく、プリミティブな衝動があった。“そこにいる人たちで、できることをやっていく”というのは、前編でも紹介した豊嶋さんにチームづくりにも共鳴するようだ。

何かわからない鉄製の板のようなもの。いい音が出れば良し!

指揮者のごとくキューを出していく。

このようなイベントを通して、豊嶋さんが伝えたいこと。

「こういう“もの”があるよではなく、こういう“やり方”があるよという提案です。そういうやり方で自分のまちを見てみたら、新しい発見があるかもしれません。もちろん、岩木なら岩木のすばらしさを参加者が発見して、それ以降にも訪れてくれたらうれしいけど、岩木遠足で感じた“ものの見方”を、自分たちのまちや生活のなかで生かしていけることのほうがよほど重要だと思っています」

豊嶋さんが伝えたいのは、ものの見方=パースペクティブを変えること。かつてアート青年だった豊嶋さんがアートから学んだことは、それだった。たくさんの視点を持てることが、多様な社会への道かもしれない。

そうなれば、未来はこうなっているかも。「やらざるを得ないのではなく、選択できる状況になったらいいですね。選択肢を持てる職業や人生が、自由な社会だと思っています」

ここはプロの腕の見せどころです。

この列はシャカシャカ部隊。

Information

T.O.D.A 

住所:栃木県那須塩原市戸田12–1

http://www.toda.jp.net/

editor's profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

credit

撮影:Kiyoshi Tanaka(NIPPA米)

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