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小豆島に移住したデザイナー平野甲賀らによる文字の展覧会

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島にまつわる文字のデザイン

「深夜特急のロゴを描いている人が移住してくるらしいよ」学生の頃に読んだ小説『深夜特急』、その内容はもちろん表紙のイメージもいまだにすごく記憶に残っています。そんな方が小豆島に来るんだ、すごいなーと思っていたのが、かれこれ2年前くらい。

装丁家・グラフィックデザイナーである平野甲賀さんと奥さまの公子さんが小豆島に移住されてきたのは1年半前。何度かお会いする機会があり、話していてとてもおもしろくてすてきな方たちです。

その平野甲賀さんとフォントデザイナー鳥海修さん、ヨコカクさんによる展覧会〈文字に文字展〉が、先日小豆島の醤油会館で開催されていました。醤油会館は、醤油蔵が建ち並ぶ馬木(うまき)地区にあるコンクリート2階建ての建物で、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、イベントや小さな展示会が開催されるようになった場所。静かにひっそりと建つ、でも存在感のある、そんな建物です。

小豆島・馬木地区にある醤油会館。昭和初期に建てられたそう。

裏は竹林になっていて、竹越しにみる醤油会館も美しい。

醤油会館エントランス。公子さん(写真右側)と一緒に。

小豆島ではおもしろそうな展覧会やアートイベントが頻繁に開催されています。〈文字に文字展〉もそんな展覧会のひとつ。これは行きそびれるわけにはいかない! と思い、とある日曜日に訪れました。

建物の中に入ると、そこには文字にまつわるさまざまな展示が!まずは、甲賀さんの文字。なんともいえないこの独特の文字。幅90センチ、長さ115センチの阿波和紙に印刷された巨大な文字。ひとつの文字にいろんな思いが込められているようで、それを想像するのがとても楽しい。

文字にまつわるさまざまな展示がされていました。

平野甲賀さんの文字。ひとつひとつの字に見入ってしまう。

フォントデザイナー、ヨコカクさんが小豆島で集められた文字。

〈こうぜい〉というフォントと窓から見える竹林がいい雰囲気。

明治13年創業の島の印刷屋さん、向進舎印刷さんに残されていた活字類や木版なども展示されていました。「フェリーおむすび」とか「島バス」とか、ここにしかないその版が、なんだかとても愛おしく感じました。

小豆島には印刷会社が2社あり、そのうちの1社が向進舎印刷さん。

木版など自由に触ることができ、おもしろかった。

「フェリーおむすび」食べたくなるフォント。

島バスのチケット。乗りたくなるフォント。

実はこの展示を見に来たとき、私たちはちょうどある商品のロゴを考えていて、日本語のフォントをどうしたものかと悩んでいました。その日会場にいらっしゃった公子さんにそれを話したところ、とんとん拍子に話が進み、なんと甲賀さんにフォントをデザインしてもらうことに。

そして、その数日後にはこんなパッケージが完成。地元、肥土山地区で育てられたお米です。

今回の展覧会をきっかけに生まれた〈肥土山そだち〉のフォント。

展覧会から数日後にはパッケージ完成。

フォントのパワーってすごいなとあらためて思います。

お米を育ててる人がいて、フォントをデザインする人がいて、商品にして販売する人がいて。みんな島で暮らしていて、いろんなご縁でつながっていく。小豆島はこれだからおもしろい!

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

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障がい者とともに、沖縄県産の商品をつくる。「琉Q(ルキュー)」前編

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障がい者作業の工賃アップ作戦!

〈琉Q〉(ルキュー)は、沖縄県産にこだわったブランド。海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、パッションフルーツバター、塩パインバターなどを発売している。

この生産には、県内の障がい者の方々が製造に関わっている。おもな作業は掛け紙、ラベル貼り、梱包などだ。施設でビンの管理をしてもらい、近くの工場まで配送するという仕事もある。これらの仕事をコーディネートしているのは、障がい者を支援する県の外郭団体である〈一般財団法人 沖縄県セルプセンター〉の萱原景子さんだ。

「施設それぞれで、商品をつくっては売るということをやっていますが、もちろんものづくりも販売もプロではなく素人集団。デザインの概念もありませんし、同情で売れていることが多いです」という萱原さん。

沖縄県セルプセンターの萱原景子さん。

全国の障がい者の就労施設では、施設利用者がさまざまな仕事に従事している。しかしその工賃は、全国平均で1か月に14,377円(平成25年度/厚生労働省障害福祉課調べ)だ。国は、工賃を倍増させようと試みているが、なかなかうまくいかないのが現状である。商品の力をつけて売る手法を考えないと、利用者の工賃を上げることはできない。そこで〈沖縄広告〉とともに、このような現状を打破すべく動き出した。

「各施設でつくっているものをお祭りやフェアなどで販売するお手伝いから始めました。しかし、どうしても商品のクオリティが高くないなかで、情で買われてしまいます。そういうコミュニケーションの仕方には、限界があると思うんです」と話してくれたのは、沖縄広告の仲本博之さん。

社会貢献として捉えられてしまい、一時的な売り上げにしかならない。日常としては受け入れてもらえない。そこで考え出されたのが、〈琉Q(るきゅう)〉だ。ブランド化し、障がい者のストーリーはあくまでバックグラウンドにすることで、消費者に感覚的に共感してもらえる商品でなくてはならない。まずは、沖縄の各地でつくられている滋味豊かな食を、デザイン性も高く、パッケージする。ここに共感を持ってもらうことが大切だった。

沖縄広告の仲本博之さんは、沖縄生まれのしまんちゅ。

これまでは施設が自由につくったものを売るという流れだったが、ひとつのブランドをつくり、その中のいくつかの作業を施設に発注していくという流れに変えた。ものづくりのフローを逆向きにし、まずは商品力を高める。結果、売り上げが伸びることで、生産数を増やしたり、新しい商品や工程を生むことで工賃に還元できる仕組みだ。

“もの自体の良さ”で売っていくということは、市場のものと同じ土俵で勝負するということ。その意味では、クオリティも重要だ。クオリティを一定に保って、納期を守る。ごく当たり前のことのように思えるが、施設だとそれが難しい場合もある。消費者に言い訳はきかない。ここに矛盾があるという。

「仕事ではあるけど、施設にとって、一番は利用者さん。無理をしてまでやらせたくないという心情が働きます。それで納期が遅れていくということもあります」(萱原さん)

「国が工賃アップといいながらも、福祉とビジネスは切り離して考える風潮があります。日本が抱える問題がコンパクトなかたちで表れていると思います」(仲本さん)

クリエイターと恊働してキャンバスバッグを縫う

もっと主体的に障がい者が関わるブランドもつくった。それが〈4NA4NA〉だ。“誰かにあげたくなる、おみやげ”がコンセプト。

琉Qとは逆に、施設がもとから持っていた特技を生かしたものづくりだ。

「もとからある施設の商品を利用して、そこにクリエイターさんの力をお借りして新しい商品をつくりました」と萱原さんが言うように、クリエイターとコラボレーションして、デザイン感覚やクリエイティブな視点をとり入れている。まずは各施設ができる能力をリサーチ。その能力とコラボレーションできそうな県内在住のクリエイターを探した。木工ができる施設や陶器をつくっているところ、畑を持っている施設もあった。

手縫いのアクセントが利いたキャンバストートバッグは、〈ドリームワーク そてつの実〉という社会福祉法人の施設が製作している。ここはもともと、縫製などをやっていたので、その技術を生かせるクリエイターを探し、〈nana san maru〉が担当することになった。nana san maruは、上原 智さんと島袋零二さんのユニットで、一点ものの衣装やユニフォームなどを手がけている。

「まずは何ができそうか、現場を見学しに行きました。施設利用者ができるちょうどいいものは何かを考えました」(上原さん)

絵を大きくデザインして、糸やリボンを縫いつけて装飾したキャンバスバッグ。photo:編集部

nana san maruの上原 智さんと島袋零二さん。オリジナルブランドも手がけている。photo:編集部

そてつの実では、これまでにも不要になった洋服を解体してシュシュやティッシュカバーなどをつくっていたので、縫製の能力が高かった。しかし施設利用者にとっては、仕事ではないので、それを専従してやっているわけでもないし、必ず毎日一定の時間を作業に充てられるわけでもない。それゆえに、生産数もまちまちになってしまいがち。その“ちょうどいい”ところを探すのが難しい。

「同じ施設のなかにも、技術の差が当然あります。だからなるべくみんなができることを探しました」(上原さん)

難し過ぎることをやらせることもできない。そこで、みんなに絵を描いてもらった。その絵がインパクトのあるものだった。

「すごく独創的な絵がたくさんあったんです。だからそれを中心にしてみようと思いました」(島袋さん)

そてつの実のサービス管理責任者である石川あけみさん(左)と池原奈緒さん(右)。

ひと針ひと針、ていねいに縫っていく、根気のいる作業。

小さなキャンバスバッグの中心に、その絵をプリントする。それを作品と見立て、周囲を額縁のように手縫いで縁取りしていく。縫う箇所には、ガイドがプリントされていて、それに従って縫っていくようになっている。プロジェクト立ち上げ当初は、何度も施設に出向き、手取り足取り、技術指導を行ったという。

作業内容はやりながら改善していった。初期モデルでは1日で1枚分しか縫えなかったが、だんだんと1日で4、5枚縫えるようにシンプルなモデルに改善した。そして今ではまったくノータッチ。

「めちゃくちゃ明るくて、楽しそうに作業してくれているのが、なによりうれしいです。単純作業だけど、ひとつの才能ですね」(上原さん)

そてつの実のサービス管理責任者である石川あけみさんも言う。「同じことを繰り返し作業していることで、自分で考えて作業するようになりましたね。とにかく継続して仕事があることはうれしいことです」

この日は、2名が作業にあたっていた。壁には縫い方のマニュアルが。

そてつの実では、バッグにリボンを縫いつける技術を生かして、ヘアゴムもつくってみた。4NA4NAによって、できる技術をひとつ増やすことができ、ほかの商品もアレンジすることができるようになっている。

これによってプライドや達成感が生まれる。シンプルな作業にすることで成果物が増えたほうが、達成感が大きいのだろう。施設利用者である障がい者にとって、自分の手がけた商品が、大きなデパートや空港などの店頭で売られていることに大きな喜びがある。

「実際、売り場に見に行っている方もいます。いろいろな人の目にふれるとやはりうれしいですよね。今後のやる気にもつながります」(萱原さん)

各施設のみで個別に商品をつくっていただけでは、なかなかそんなチャンスは生まれない。施設はそもそもものづくりのための場所ではないし、ひとつの施設でできることも限られている。

「それぞれの施設だけでは、お金をかけられません。だからうちのような施設を横断して見ることのできる団体が必要なのです」(萱原さん)

沖縄県セルプセンターのような団体と、施設に工賃を生み出す仕組みが重要だ。それが、だれしもが参加しやすい社会への第一歩かもしれない。

Information

琉Q

http://ruq.jp/

4NA4NA

http://4na4na.jp/

沖縄県セルプセンター

http://www.okiselp.jp/

社会福祉法人 そてつの会

http://www.sotetsunokai.com/

writer's profile

Tomohiro Okusa
大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog//

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たびのみ散歩、今回はジビエとワインを楽しむ甲府〈アーバンズキャンプ〉へ

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横丁でワインとジビエとアウトドア

ちょっと、ぶどうを買いに山梨まで、なんて言うとかっこいいかしら……。そんなことを考えながら、鈍行列車に揺られて中央本線。車窓から見える山が近づいてきました。朝の雨も止んですっかり晴れた頃、甲府駅に到着。初めてのまち、ゆっくり歩いて日帰り温泉を目指します。喜久の湯温泉は、住宅街にあって、銭湯の脱衣場もタイルの湯船もレトロな雰囲気。地元の常連さんたちと明るいうちからのお湯は最高。さぁ、喉が渇いたよ。

目指した酒場は、シャッターが閉まって、本日休業の様子、がっくり。雨上がりの夕焼けに包まれてゆくまちをウロウロ。2軒ほどハシゴ酒して、やっぱり気になった〈甲府ぐるめ横丁〉へ。オシャレなロゴの看板と赤提灯をくぐって、通路を抜けるとその先は、広い空間。真ん中は通路ですが、両サイドは、ドアも壁もない店舗が連なった横丁。テーブルと椅子が並んで、フードコートのよう。ワイワイやってる空間のテーブル席のひとり呑みは、気後れするなぁと思って、横を見ると、こちらのお店は、壁で仕切られて、奥に伸びたカウンター。間口に置かれた看板には、ジビエとアウトドア料理、山梨のワインとあります。なんだか、楽しそう。

さっそく入って、間口からすぐの席に着席。帰りの電車までの時間を気にしながら、奥の黒板に書かれたグラスワインのメニューから選んだ赤ワインは、〈種をまく人〉、シャトージュンのアートシリーズ、山梨県立美術館所蔵のミレーの絵画がエチケットと商品名になっています。ミディアムタイプだけど、後味すっきりで、おいしいワイン。お調理は写真つきのわかりやすいメニューファイルから、大好きなイチジクの入った鹿肉のパテを注文。木のプレートにピクルス、コンソメのジュレもそえられて、オシャレなひと皿。一口頬張るとジビエらしい風味も強すぎず、いつも食べてるパテとはやっぱり違うワイルド感。ワインとの相性もいいですね。

気さくにどこから来たんですか? なんて声をかけてくれたお兄さんがふたりで回すカウンター内は、ダッチオーブンがあったり、肉の焼かれる煙は、ワイルドなアウトドア感。見渡すとナチュラルな木がふんだんに使われた店内。カウンターも見事な一枚板。低めの木の椅子に、ゆったりもたれ掛かれば、深呼吸したくなるような居心地のよさ。

話せば、オーナーさんは、現役の登山ガイドということもあり、鹿が増えすぎた現在の山の問題を考え、このお店を始めたそう。山梨県の富士河口湖町と早川町、静岡県伊豆市の3地域より厳しい基準をクリアして処理された野生の鹿肉をそんな問題をふまえつつも、気軽にまち中でいただけるのがうれしい。

鹿肉のワイルド感をもっと味わいたいと思ったところで、タイムアウト! 帰る時間。

最後にキオスクで買ったワンカップのワインを片手に、電車に揺られて窓に写るのは、ほろ酔い顔。ちょっと、ぶどう酒を呑みに山梨へ……。

information

urban’s camp 
アーバンズキャンプ

住所:山梨県甲府市中央1-6-4 芳野ビル1F 甲府ぐるめ横丁内

TEL:055-225-5207

営業時間:月~木 18:30~23:30、金・土 18:00~24:00

定休日:日曜

http://urbans-camp.com/

text & illustration

kao.ri hirao

平尾 香

ひらお・かおり●イラストレーター。神戸生まれ、独自の個性を発揮した作風で、世界的ベストセラー「アルケミスト」を始めとする書籍のカバーや、雑誌の挿絵、広告などで活躍。個展も多数開催。現在は、逗子の小山にアトリエを構え、本人の取材やエッセイなど活躍の幅は広い。著書本に「たちのみ散歩」(情報センター出版局)「ソバのみ散歩」(エイ出版社)
http://www.kao-hirao.com/
https://www.facebook.com/Kao.0408.hirao

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全国でただ2校のシュタイナー学校で体験する「大人の教育体験プログラム」

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心の穏やかさを取り戻せた体験

この夏、もっとも思い出深かった体験について、今回は書いてみたい。その体験とは、北海道の南西部・虻田郡豊浦町にある〈いずみの学校〉のサマースクールに参加したことだ。この学校では、幼年から高校までシュタイナー教育を実践している。前回の連載で紹介した〈ひびきの村〉と、もともと母体は同じだが、大人の学びの場がひびきの村、子どもの学びの場がいずみの学校と分かれて現在に至っている。毎年夏休みを利用してサマースクールを開講しており、子どもたちの学びを大人が体験できるプログラムも用意されていた。わたしの長男が現在5歳。そろそろ進学のことも考える時期となり、3日間の〈大人の教育体験プログラム〉を受講した。

エコビレッジづくりの奮闘記を連載するこの記事で、サマースクールのことを取り上げるのは、横道にそれると思われる方もいるだろう。確かにそうかもしれない。ただ、前回連載で語ったように、コミュニティをつくろうとしておきながら、わたしの家ではいつでも争いが起こっていて、人間的成長をしているのか? と問われれば、答えはノー。夫には、わたしがエコビレッジをやりたいという以前に、人間として問題があると指摘される始末(怒)。ついつい、夫のほうが悪いんだ! と言い返したくなるが、エコビレッジで共同生活をやっていこうと思っているのに、家庭が平穏でなくてどうする? とちょっぴり不安も……。頭ではわかっているつもりでも、いままでは行動がともなっていなかったのだが、このサマースクールを受講したことにより、思いがけず自分の心に変化が訪れたのだ。

高台にあるいずみの学校。閉校になった校舎を2008年から活用している。

いずみの学校は、豊浦の噴火湾の近くにある。ホタテの養殖がさかんなほか、イチゴの栽培や養豚も行われ、海の幸山の幸に恵まれた場所。

3日間のプログラムでは、小学生から高校生のあいだに学ぶさまざまな内容の、ほんの一部に触れるだけではあったが、五感を駆使するその授業は、本当に感動的なものだった。朝の約2時間のメインレッスンでは、歌を歌い手や体を動かすことから始まり、算数の学びでは机に向かって問題を解くのではなく輪になって座り、手拍子のリズムによってその法則を体感したり、地理の学びでは自分の一歩が何センチになるかを測って、それによって校舎のスケールを測定したり。そのほか、水彩や理科、体育、幾何学などがあったが、どの教科においても、物語の世界に深く入り言葉のひとつひとつを味わい、音のハーモニーやリズムを感じ、色彩の鮮やかさに目を奪われる、そうした芸術と結びついたものだった。

これらのレッスンは、普段使っていない脳みそをフル回転させ、手も体もダイナミックに使うアクティブなものだったが、同時に心がどこまでも穏やかな気持ちに包まれるという不思議な体験をすることができた。

サマースクールの中でわたしが参加したのは〈大人の教育体験プログラム〉。メインレッスンを担当してくれたのは河村真理子先生。朝はまず廊下に並び、ひとりひとりが先生としっかり握手を交わしてから教室へ入る。(写真提供:いずみの学校)

小学生と大人向けのプログラムでは、シュタイナーが考案した身体芸術“オイリュトミー”も体験。オイリュトミーとは目に見えない言葉や音楽を、動きを通して目に見えるかたちにする表現のことで、輪になって手を広げたり、独特のステップを踏みながら移動したり。発達段階に合わせたさまざまなアプローチを行う。(写真提供:いずみの学校)

わたしが体験したプログラム以外にも、幼稚園生や小学生のためのプログラムやキャンププログラムなどが行われた。(写真提供:いずみの学校)

この穏やかな感覚をどう書き表したらいいだろうか。しいて言うならば、わたしの小さな畑で草を刈ったり種をまいたりしている、その集中している時間と通じるところがあるように思う。それは、もしかしたら、前回の連載に登場してくれた、シュタイナーの哲学を講座や体験を通して伝えている関 倫尚さんが語っていったように、「世界を見ること」の入口に立っているのかもしれない?(まだ、確証は持てないけれど)そして、受講を終えたその夜も、穏やかな感覚が残っており、家族と接するときにも鷹揚な態度をとることができたのだった(何か月ぶりだろう!)。

大きな家族のような間柄に

シュタイナー教育の内容とともに、もうひとつわたしが関心を持っていたのは、この学校に子どもを通わせている父母たちのことだった。いずみの学校の初等部・中等部は、学校法人として認可されているシュタイナー学校(こども園と高等学園はNPO法人)だ。神奈川県にあるシュタイナー学園とともに、国の認可を受けているのは全国で2校だけとなる。加えて北海道という自然環境の豊かな場所ということもあり、全国からこの学校に通うために、毎年移住をしてくる家族が少なくない。そして、この学校では、国公立とは比べ物にならないくらい、父母が積極的に運営に携わっているのだ。今回の滞在中に、いずみの学校の父母の理事を務め、東京から移住してきたという米重有紀さんから、その関わり方についてうかがうことができた。

「月1回、各クラスごとに全員参加の父母会を行います。子どもがいまどのような学びをしているのかを理解することと、先生がこれから授業で使いたいと思っているものを、いかに調達するのかなどを話し合ったりします。先生と父母とで授業をつくりあげていくような感覚です」

シュタイナー教育では発達段階に合わせて、独自のカリキュラムがある。例えばそのひとつが、3・4学年(初等部)の頃に行う家づくりだ。クラスのみんなでデザインを考え小屋を建てるのだが、材料の調達には父母の協力が不可欠。先生と父母のあいだで、子どもが自身の手で行う部分と親のサポートが必要な部分を話し合い、父母たちは手分けをして材料を集めてくるのだという。助成金や授業料だけでは、運営費は潤沢ではない。そのため父母たちは工夫をして、できるかぎり市販のものに頼らずに手づくりをしながら教材やイベントの準備をしていく。

シュタイナー教育独自のカリキュラムである「家づくり」。(写真提供:いずみの学校)

3学年になると、自分と世界がひとつであったところから離れ、世界から切り離されたような感覚を持つとシュタイナー教育では考えられている。そのため、大地にしっかりと立ち生きていけるという安心感を与えるための家づくりを行う。(写真提供:いずみの学校)

キャンプなど自然に触れる授業も多い。10学年(高等部・16歳)のウィンターキャンプでは、雪洞やイグルー(イヌイットの住居)を自分たちでつくって、そこに泊まる。(写真提供:いずみの学校)

1学年の生徒数は10名前後。クラス替えがないため、幼年から高校まで合わせると15年というスパンで、子どもたちは一緒に過ごしていく。こうしたなかで、「親のわたしたちも同時に成長していくような感覚があります」と言う米重さん。やがてクラスの親子は、みんな「家族のような特別な存在」になるという。例えば、仕事があって子どもを迎えに行けない親がいたら、自然と誰かが手を差しのべる、そんな関係が生まれていくそうだ。

いずみの学校の親子は、共同生活を営んでいるわけではないが、10年以上のつき合いを経て濃密なコミュニティをつくっている。けれど、学校の父母というのは、年齢にも差があるし、仕事を持っていたりいなかったりと、多様な人々が集まっている。自分のまわりに重ね合わせると、父母同士の関係というのは、そつなくこなそうという意識が働いてしまうが、これほど学校に関わるとなると、それだけでは済まされない。

そうしたなかで、考え方の違いによって、コミュニケーションがうまくいかないということも、ときには起こるのではないだろうか?「もちろん、出会った最初は大変なこともあります。向いている方向が違う父母もいますよ。でも、子どもの良い学びの場をつくりたいという気持ちは誰しも一緒です。その一点では、みんなが同じ方向を向いているので、一緒にやっていけるんです。やがて、意見の食い違いも話し合っていけるところまで、関係が深くなる」そしてお互いの違いを認めながらも、同じ方向を向いて歩いていくなかで、「思いもかけないすてきな体験が隠れている」そう言って米重さんは笑顔を見せた。

ああ、そうか。そうなんだ。ひびきの村の皆さんも、いずみの学校の米重さんも、みんな同じことをわたしに教えてくれた。自分と相手の利害関係を超えて、同じ方向に向かって一緒に歩いていくこと。コミュニティを営んでいくために、この考えは大切なことなんだなぁ(しっかり覚えておこう!)。

それにしても、サマースクールで感じた、この穏やかさとゆったりとした時間の流れは、いったい何だったんだろう……。もしかしたら、いままで何か足りないと感じていたのは、この感覚だったのかもしれない。20年のあいだ編集者として土日もなく働き続け、子どもが生まれてからも体力が続くギリギリまで仕事をし、春からはフリーランスとなったものの、結局は仕事ばかり(家事もおろそか)。うーん、編集者としての仕事をストップするわけにはいかないのだけれど、せめてこの心の穏やかさを忘れずに家に持って帰ろう。そして、自分がもっと成長しなくちゃね。そうしみじみ思いながら、夏の旅は終わった。

今回は、土地探しや自給自足の方法など、具体的な話ができなかったので、次回は再び、「山を買っちゃう??」の話をお届けします!

いずみの学校でわたしがサマースクールに参加しているあいだ中、夫は子どもの面倒をみることになった。写真は、ひびきの村のツリーハウスにて。子どもたちのお気に入り。後日談だが、家に戻ったら結局休んだつけで忙殺され、夫と子どもと喧嘩をしながら、この原稿を書く羽目に……。人生とはアンビバレンツ。

information

学校法人 北海道シュタイナー学園

住所:北海道虻田郡豊浦町字東雲町83-2

TEL:0142-83-2630

http://www.hokkaido-steiner.org

information

NPO法人 シュタイナースクールいずみの学校

住所:北海道虻田郡豊浦町字東雲町83-3

TEL:0142-83-3878

http://npo.hokkaido-steiner.org

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

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日本発の商材・サービスを海外へ届けたい! ロフトワークの「ローカルビジネス・スタディ」

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Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの“デザイン”を手がけるクリエイティブ・エージェンシー〈ロフトワーク〉がお届けする「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」。連載第3弾は、日本発の商材・サービスを海外へ届けたい中小企業とプロジェクトチームのビジネス機会創出・魅力発信を行う、経済産業省の〈JAPANブランドプロデュース支援事業〉(通称:〈MORE THAN プロジェクト〉)について。昨年に続き、今年もプロジェクトマネジャーを務める秋元友彦がご紹介します。

MORE THANプロジェクトとは?

“「日本のイメージって、どんなもの?」と、海外の友人に尋ねたら、こんな答えが返ってきたことがある。「えーっと、フジヤマ、サムライ、スシ、ゲイシャ……?」私は少しびっくりしてしまったが、その友人は冗談ではなく本気でそう思っていたようだ。地域の特色ある食品・工芸品・お祭り、おもてなし精神が宿った施設やサービス、世界を奮させるコンテンツ、先端技術だってあるのに。”

これは、〈MORE THAN プロジェクト〉のコンセプト文の一部です。「いやいや、もっと伝わっているはずなのに」と、私たちプロジェクトメンバーも半信半疑でしたが、海外に行ってみてこれは現実のことなんだと実感します。そんな、まだまだ伝わっていない日本の“今”の魅力をもっともっと海外の人に届けたい ——そんな思いから本プロジェクトは始まりました。

あるようでなかった新しい仕組みのプロジェクト

海外進出を目指す中小企業の多くは、海外の展示会(見本市)に出展します。しかしいざ出展しても、現地の知見や海外展開のノウハウがなく、言葉の壁もあって思うようにいかず、商品の魅力を伝えきれずに商談がうまくいかないことも多々あるそうです。また海外向けに新たに商品開発を行うことも重要で、これにも現地のビジネス慣習やデザインの知識が必要になります。

これまでの国主導の〈日本企業の海外進出支援〉は、展示会への出展費や商材改良のための開発費を補助金として拠出するというパターンが主なものでした。

MORE THAN プロジェクトとは、海外に挑むローカル企業が自信をもって製品の魅力を伝えて海外進出を成功させるために、地域企業とタッグを組む経験豊富なプロデューサーやデザイナーの活動資金を一部支援し、海外での商談成立(商品取り扱いの実現など)を目指すプロジェクトです。

ロフトワークは、2014年度から事務局として本プロジェクトに携わり、クリエイティブやコミュニケーションをサポートしています。

“地域から都心へ”ではなく、“地域から世界へ”

プロジェクトチームのひとつ〈播州刃物〉は、播州地域に住むデザイナーが立ち上げ、プロデュースしている刃物ブランドです。兵庫・播州地域の刃物産業は後継者不足が課題となっていました。高齢化で工場を畳む職人が増え、そのためにほかの工場にしわ寄せがきて、後継者育成まで手が回らない……という悪循環。そこで、OEM(委託者のブランドで製品を生産すること)ではない、組合独自の製品をつくり、価格もこれまでの相場と比べて約2倍に設定しました。個々に活動していた職人たちを〈播州刃物〉というひとつのブランドで組合化し、一社に負荷がかかりすぎないようにしながら商品価値を高めるビジネスモデルがつくられました。プロデューサーは、そのブランディングからデザイン・広報までを一手に引き受け、播州刃物は海外のセレクトショップや美容室で取り扱われるなど、海外で数々の商談を成立させています。

もうひとつの播州刃物の課題は、刃物を長く使うためのカルチャーを理解してもらった上で活用してもらうこと。刃物は研がないと劣化するのに、海外では研磨できる職人がいません。ブランド誕生から3年目のいま、現地に研ぎ師のネットワークとビジネスモデルを形成し、販売網を徐々に広げています。2015年のグッドデザイン賞ではその取り組みが評価され、ビジネスモデルの部門でBest100に選出されました。播州刃物はMORE THAN プロジェクトが始まる前から活動しているブランドですが、その活動プロセスの一部にMORE THAN プロジェクトの補助金やネットワーク間のコミュニケーションも活用した事例のひとつでしょう。

地域から都心ではなく、直接世界へ。「地方だから仕方ない」と思う必要はありません。いいものがあれば自分たちの力で盛り上げる、それが難しければまずは誰かと共に取り組むことも成功への架け橋となるはずです。

予想を大幅に越える成果と、その秘訣

2014年度のプロジェクトチームは全16チームのうち15チームの商談が成立し、合計の商談成立数も150以上という成果でした。これまでの同様の事業と比較すると非常に良い結果となりました。

補助事業でありがちなのは「最初に補助金を事業者へ渡し、事業年度の最後に報告書を提出してもらう」というもの。MORE THAN プロジェクトでは、ひとつひとつのプロジェクトチームとこまめに連絡を取り合いながら、以下のような取り組みでプロジェクトの過程をしっかりとサポートしています。

(1)公式WebやFacebookでの日本語・英語の情報発信(2)年4回の連携促進会議を開催。海外進出に知見のあるアドバイザーを招き、意見交換を行ったり、各チームが全国から集い報告し合う場をつくる(3)プロジェクトチームのネットワークを広げ事業をよりスケールさせることを狙うイベントを年2回開催(4)公式Webで事業者による〈マンスリーレポート〉の掲載(5)質の高いPRツールを制作

これといって特別なことはしていませんが、事業者が成果をだすためにひとつひとつのプロセスを大事に進めてきました。もうひとつ大切にしていることは、MORE THAN プロジェクトは“コミュニティ”であるということ。経済産業省、ロフトワーク、プロジェクトチーム、アドバイザー、イベント参加者……関わるひとすべてがMORE THAN プロジェクトのコミュニティメンバーです。

行政とのプロジェクトだからできること

スタート当初、経済産業省の担当の方から「経産省らしくない事業にしてほしい」と伝えられました。しかし、私たちから提案したのは「経産省だからこそできることをしましょう」ということ。行政だからできることと、民間だからできること。クリエイティブエージェンシーが一緒にやるからできることで価値をつくり、胸をはって自慢できる、本当の意味での“ブランド”を構築したい。民間が取り組むことの意味はここにある気がしています。

そんな思いで2014年は各事業商材のデザイン面や“見せ方”に特化し、プロジェクトの設計に一定の評価をいただきました。今年度はコミュニケーション面を強化し、より事業の海外展開の精度を上げたいと思っています。ほかにも、2年間で培ってきた経験をもとに、具体的な海外進出ノウハウをまとめたいと考えています。プロジェクトで得た知識を体系化させ、オープンデータとして地域の人に公開し、情報を簡単に得ることができる仕組みをつくることが目的です。

十数年後、地域から海外への挑戦が当たり前になり、振り返ったときに「あそこから全部はじまったよね」というようなシーンが生まれればいいな……と、思っています。

writer profile

Tomohiko Akimoto

秋元友彦

あきもと・ともひこ●主にクライアントプロジェクトにおけるプランニングからプロジェクトマネジメントまで幅広く担当する、ロフトワークのハイブリッド型ディレクター。地域産業とクリエイティブを融合させ、国内外問わずマーケットの獲得を目指すプロジェクトや官公省庁のプロジェクトを中心に、コミュニティ設計、スペース活用、コンサルティング、イベントの企画・運営などを行う。

company profile

Loftwork

ロフトワーク

ロフトワークは、Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの「デザイン」を手がけるクリエイティブ・エージェンシーです。企業や官公庁、大学などのクライアントの課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを年間約500件以上手がけています。
http://www.loftwork.jp/

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渋谷直角の美女とスカイプ。 今回は初の島根県美女が登場です!

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松江で観光ガイドをしている着物美女登場!

今回は初の島根県美女! 
松江城で観光ガイドをしているなつみさん!  
島根のパワースポットから心霊話まで、スピリチュアル濃度高め です! 
(ぜんぜんなってないけど)

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今回のスカイプ美女

なつみさん(島根県松江市在住 観光ガイド)

※ページ最後にスカイプやりとりのまとめ動画あります!

ああっ、ごめんなさい! すいません!
↑いきなり謝る。事情があって……(遅刻)。

なつみと申します〜。よろしくお願いします〜。

よろしくお願いします! なつみさん、島根の方と聞きましたが。

そうです。島根県松江市に生まれて、いまは 観光ガイドをやってます。

あ、ガイドさん。

はい! なので、恥ずかしいんですけど、
今日はこんな格好をさせていただいています。
↑着物姿。

きれいなおべべを。

おべべを(笑)。そうなんです。

非常によくお似合いでいらっしゃられます。
↑何モン……?
観光ガイドさんって、どうやってなるものなんですか? 

なったきっかけですか? 
もともと4年前に、松江市が 松江舞姫隊 っていう、
ご当地アイドル のような……。

あ、アイドル。

歌って踊って、松江を盛り上げようっていうグループがあって。
それを全然わからずに、島根をPRする人っていうので入ったんです。

へえ。

その活動は1年で終わって、ガイドをしてみない?  って誘われて。
それでいま……、3年目?

あ、3年もやってらっしゃるんですね。
その松江舞姫隊は、何人組だったんですか?

8人 です。

あ、けっこう大所帯の。なつみさんは歌も踊りも?

歌って踊ってましたあ(笑)。

どういう曲を……?

タイトルは、『あっぱれ』。

それは、松江ご当地ソングみたいなものなんですか?

そうですそうです!

ちょっと……歌っていただいてもいいですか?
↑最近、すぐやらせようとする。

ええ〜っ(笑)、踊ってくれますか? 一緒に。
↑なんてロマンチックな誘い方なの!?

踊ります。
↑迷いなし。

えっと……、♪あっぱれ、あっぱれ〜、あっぱれあっぱれあっぱれ〜

(踊っている)

♪あっぱれ、あっぱれ〜、
あっぱれあっぱれにっぽん〜〜

(踊っている)

(照れ笑い)

ありがとうございます……。
↑なんでテンション低い!?

ありがとうございます(笑)。一緒に踊っていただいて。

いい曲ですね。

適当じゃないですか(笑)! 
けっこうこれは、子どもちゃんも一緒に踊ってくれて、盛り上がるんですよ(笑)。

松江舞姫隊は、ファンの方もけっこういらっしゃるんですか?

そうなんですよぉ。だんだんファンの方が見に来てくださるようになって。
こんなカメラで……。

おお、おっきいやつで。でも、解散しちゃったんですか?

そうなんです。1年で解散、って決まってたんで。

じゃあ、ファンの方はもう来てくれないんですか。

私、松江城に勤めてるんですけど、たまに来てくれます。

ああ、そうか。お客さんで。

いまはこういう格好で、
松江城とか、縁結びスポット のガイドをしてます。

へえー。それは、どのくらいの勤務なんですか? 

4月までは 週5 でやってたんですけど、いろんな仕事 をしてみたくて、
いまは、ガイドは 週2 でやってます。

いろんな仕事って、夜の……?
↑何を聞こうとしてるんだ?

や、あやしくないですよ(笑)。最近あの、
イベントの司会とか、地元のケーブルテレビのレポート
をさせてもらえるようになって。

あ、じゃあ芸能人というか、タレントさんなんですね。

そんなんじゃないんですよお(笑)。
やっぱり松江が大好きなんで、松江をPRするには、
こう、いろんなところに出させてもらったほうがPRできるかな、
って思って、メディアにも……。

なるほど。でも地元って、
中学高校とかだと「キライだ!」ってなりません? 
「田舎でイヤだ」とか。

ああ、なりますね。私も昔は、
「なんでこんな田舎に生まれたんだろう?」って思いました。

それがひっくり返ったのって、いつぐらい?

高校出て、大阪で暮らしたんですよ。
そのときは楽しかったんですけど、
2年くらいして、帰りたいな、って思ってきて……。

へえー。

うん。自然が恋しくなったり、やっぱり食べ物、お魚とかすごいおいしいんですよ。
いままで当たり前に食べてたものが、都会に行ったら違う、っていうか。
すごくいいものを食べてたんだな、って思って。
あと人もあたたかいというか、
みんなが なっちゃんなっちゃん って言ってくれる環境で、もう1回、
生まれ育ったところで働きたいな、って思ったんですよね。

都会に疲れた?

うふふふ。疲れちゃったんですかねえ? 
わかんないですけど。でも都会も楽しかったですよ? 
すごく大阪も好きだし。島根、来たことあります?

僕、ないんですよ。

ないんですかあ? 来てくださいよ、ぜひ!

あの、僕、『桃鉄』が好きなんですよ。

ももてつ?

桃太郎電鉄。ゲームの。
↑毎回、桃鉄の話してる……。

ああ、はい。

あのゲーム、島根は駅が少ないんですよ。

えっ、そうなんですか?

石見銀山と、出雲、諏訪野……。

ええっ、松江は?

松江は……、あったっけな。しじみ漁 って松江ですか?

あ、そうです!

じゃああるかも。あんまねえ、
収益がよくないんですよ、島根は。
↑何が言いたいんだ、コイツ……(でもゲーム序盤は出雲駅は重要)。

ええーっ!? でもすっごいいいところなんですよ!! 
来てくださいよ、案内しますよ、私!

ああ、どうも(笑)。
そう、そのプレゼンをしてほしいんですよ。島根の。

松江城、国宝になったんですよ、先日。

えっ、先日?

はい。7月8日に。

ええと、何がスゴいんですか? 松江城は。

400年前に建ったんですけど、
その 400年前のものが、いまでも約35%使われてるんですよね。 災害とか合戦とかに巻き込まれずに、
ずっとずっと残ってるお城なんですよ。

へええ〜。

それで400年前にできたってことが、祈祷札 っていう、
お城がつくられたときに貼るお札があるんですけど、
それが見つかって。
400年前に建てられたものだっていう証明ができて、それで国宝になったんです。

やっぱほかのお城と比べると、うおおお、って感じはあるんですか?

ありますねえ。
旅行行ったときに、ほかのお城を見ますけど、
やっぱり松江城が最高だな、って毎回思いますねえ。

どのへんが?

なんだろう、やっぱ木造 だし。
鉄筋のお城が多いじゃないですか。
木造でこう、急な階段なんですけど、のぼっていくと、
最上階には360度見渡せる、天狗の間 っていうのがあって、
すばらしいんです!

あの、桃鉄って、武将が出てくるんですよ。
↑また桃鉄!?

はい?

物件を買い占めると、その土地ゆかりの人が出てきて、
加勢してくれるんですよ。味方になって。
仙台なら伊達政宗 とか、名古屋なら豊臣秀吉 とかが出てきて。

はあ……。

でも、島根は武将出てこないんですよ。

ええーっ!? 島根に冷たいですね、桃鉄。

冷たいんですよ(笑)。松江城を治めてた人って、誰なんですか?

ああ、築城した人ですか? 堀尾吉晴。

堀尾さん。

出てきました? 桃鉄。

いや、出てこないです。

ええーっ(笑)!?

絶対出てこないです。
↑強調!?

冷たいなあ(笑)。なんでだろう。でも、
そういうところあるんですよ、島根は。
最後にまわされちゃったりとか、あんま興味持ってもらえないんですよ。

あらま。なんでだと思います?

地味なのかなあ。 こう、良さを、地元の人がわかってるのに、
あまり外に出さないんですよね。

ああ、奥ゆかしいというか。そういう県民性なんですかね?

そうなんです。だから結構、
出雲の女性は奥ゆかしい、と言われていて。

ふうーん。

出雲の女性は、どこにでも嫁いでいっても大丈夫、って言われているくらいで。逆に嫁に来たら大変らしいんですけど。

へえー。

そのくらい、我慢強い女性が多くて。私は違うんですけど。

あ、違うんですか(笑)。奥ゆかしくないんですか、あんま。

私は(笑)ちょっと。
自分から(島根の魅力を)しゃべる人があんまりいないんで。

こう、男が強い土地なんですか?

そうですね、なんていうか……、
お殿様? ついてこい、みたいな人が多いのかなあ。

縁結びにパワースポットに錦織の好物も!

あと、鳥取と混同されがち ですよね。

されますされます! 
「砂丘があるとこでしょ」って何人も何人も言われます。
「違うよ、出雲大社があるとこだよ」って言って、「ああ」って。

そういうのって、やっぱすげえイラッとするんですか?

しますよ。
↑即答。

はははは! ナメんなよ、みたいな。

ええ。でもやっぱり、
そこまで知られてないってことなのかな、って反省もして。

だから(地元に)帰ろう、って思って。

ええええ(笑)!? そんな理由で!?

言い過ぎですかね(笑)? ちょっと盛っちゃったかなあ(笑)。

すごいですね、使命感ハンパない ですね。

だってねえ、生まれて大好きな場所を、PRできる仕事をしたかったので。
いまは夢がかなって、幸せ ですねえ。
↑なによりなにより。

出雲と松江 は、けっこう距離があるんですか?

ありますね。車で50分くらいで、電車で1時間くらい。

出雲と松江はちょっと、ライバル関係 だったりするんですか?

いや、出雲さまさま ですね(笑)。
やっぱり 出雲大社 があるから、
全国的に島根が有名になった というのもあるので。
出雲に来て、ついでに松江も寄って、っていう観光客の方も多いので。

松江だと、松江城以外には、どういう……。

場所ですか?

はい。必見の。

私のオススメは、八重垣神社 です! ご存知ですか?

知らないです。絶対知らないです。
↑また強調してみた。

ほんとですか? 神話で、ヤマタノオロチ伝説 があって、スサノオノミコトとイナタヒメノミコトが結ばれて、新居をかまえた神社 なんですけど。

ああ、知ってます!

あ、ほんとですか? そこは 縁結びのスポット で、
まちではいちばん有名な場所なんです。やっぱりすごいパワーがあって。
夫婦椿 っていう、イナタヒメノミコトが2本の椿を植えたときに、2本がひとつにくっついて、それが一心同体の象徴として、神聖視 されるようになって。それが1本ならまだしも、3本ある んですよ。

へえー。

あといちばん有名なのは、ヤマタノオロチ伝説のときに、
大蛇から身を守るためにイナタヒメノミコトが隠れたのが
佐久佐女の森 って場所なんですけど、その中に池があって。

池。

鏡の池 って名前で、
イナタヒメノミコトが自分を映して鏡に使っていたのと、
飲料水としても使われていた池なんです。
そこでいま、占いをしている んですよ。

占い?

その鏡の池に、
和紙と硬貨を乗せて、沈む早さと距離で良縁を占う
んですよ。早く沈んだら早く良縁が訪れて、距離も近いところで沈むと、
すでに出会っている方だったりとか、いろいろ……。

へえー。なんか、出雲大社は、お忍びでエビちゃんが来た とかで
有名になったじゃないですか。

ああ、はい!

松江も、あるんですか? 芸能人がお忍びで、みたいな。

スギちゃんが来ました。

エビちゃんじゃなく(笑)。

私がスギちゃんをご案内して、鏡の池で占いをやってもらったんですけど、
全然沈まなくて(笑)。どうしよう! と思って。でもね、そのあと、
スギちゃんもいいご縁がありましたから。ホッとしたんですけど(笑)。

それはプライベートで来てたんですか?

や、取材です。こないだはロンブーの淳さんが来られて。
旅番組のロケも多いので。

松江城行って、八重垣神社行って、あとは何したらいいですかね?

私が案内してるのは、玉造温泉 っていうところがあって、
そこにある、願い石・叶い石 っていう、
願いを叶えてくれる丸石があって、それにパワーストーンの叶い石をくっつけると、
石から石に伝わって、願いが叶う っていう。

フーン。
↑あんま石とかに興味がない。
やっぱりその、由緒あるというか、歴史あるものが多い場所なんですかね。

そうですね、神話が多く残っていますし、
昔ながらの建物が残っている場所が多いので。
昔のものを引き継いでる場所がたくさんあるんですよね。

ごはんは?
↑「そんなことよりも」的なブッタ切り感すげえ!

ごはんはいろいろおいしいんですけど、
やっぱり お魚 がおいしいです。日本海で取れるお魚が。

のどぐろ って、島根でしたっけ?

そうですそうです!! 錦織圭選手 が……。

はいはい。「帰国したら食べたい」っつって。

そうです! こっちの出身で。

話題になりましたもんね、のどぐろ。

そうなんですよ〜!

じゃあ、超追い風来てるじゃないですか、島根。

来てるんですよお!!  松江城が国宝になって、錦織選手も……。

目に見えて観光客が増えてるな、って感じ、あるんですか?

感じます感じます!
松江城のガイドをしてても、
お盆とかのぼれなかったですもん。

人が多すぎて?

そうです! うれしいですね!

すごい! えーと、でも、その、僕、ちょっとヒネクレ人間 なんで……。

そうなんですか?

みんながそう言うと、いやあ、なんて思っちゃうんですけど。

はあはあ。

のどぐろ以外に、これもあるよ、みたいなのを知りたいというか。

ああ、マニアックなところ?

そうそう。場所とか食べ物とか。

そうですねえ……。お米とか、好きですか?

お米は……、そういえば、好きですね(笑)。

好きですよね(笑)。仁多米 っていうのがあって。
西の仁多米、東の……、ええと、魚沼産の……

ああ、コシヒカリ。

あ、そうです! で、西は仁多米。そのくらい、
めちゃめちゃおいしい んですよ。
あんまりイメージないでしょ? 島根でお米、って。

そうですね。やっぱり東北のほうのイメージが。

でも! ホントおいしいんですよ!!

仁多米はブランド米なんですか? ちょっと高い感じの。

そうですね。いいところの料亭は、仁多米 が出ますね。
贈り物でもらうと超ラッキー! みたいな。

へええー。

お米もおいしいし、あと、なんだろう、マニアックなもの……。

なつみさんが食べてる、ローカルなものでもいいですよ。

私、焼き肉が好きなんですけど(笑)。
お肉も、隠岐牛 っていうすごいおいしいお肉があるんですけど、
それも贅沢ですし、島根和牛 も。あとは、
お父さんが釣ってくれる魚 も好きです。

お父さんの(笑)。お父さんは漁師さんなんですか?

や、お父さんは ゴルフを教えてる んですけど。
夏は釣りに行ってて。そこで釣ってきた魚を食べるのが好きですね。
私もいま、釣り番組をやっていて、
そこで釣った魚をさばいて食べてます。

ふんふん。へえー。

あと、観光客の方は、スーパーがおもしろい、って言います。

へえ、スーパー?

のどぐろも数百円で売ってる から、こう、お魚コーナーとか安いんですよ。
のどぐろ、都会だと2000円とかしますよね?

ああ、そうですね、こっちは高いですね。

そこから直で送ってもらう、とか言ってて。
そういう意味では安く、おいしくいろんなものが食べられるんですよ。

なぜか心霊トークで盛り上がる

逆に、案内するのはちょっとアレな場所とかあります?

ええ??

みんながみんないいとは言わないけど、
変な人 は喜ぶような場所とか。
↑まあ、自分みたいな……。

ああ、こわいところとか好きですか?

心霊的なやつ?

そうです! 黄泉比良坂(よもつひらさか) ってところがあって。

はい。

そこは 死への入り口、みたいなところなんです、神話で。
私も怖くて入ったことない んですけど。

そこには何があるんですか?

知らないです。行ったことないから。

ははは。

だから入ってみてほしいです(笑)。

それは、なんか建物があるんですか? それとも平地みたいな?

たぶん、坂っていうか……、森があるんですけど。
みんな、そこに行くのに途中で気持ち悪くなる、って人多くて。

あ、向かうだけで?

それで入れなかった、って人もけっこういます。

へえー。まがまがしい場所なんですね。

コワいスポットがけっこうあって。ゴーストツアー っていう
夜のツアーもやってるんですけど。小泉八雲が語ったゆかりの場所 を
歩いていく、っていうツアーなんですけど。

それも、なつみさんが案内してるんですか?

私は キャラ的にあんまり怖くできない から、
怖さが伝えられない んです(笑)。

はははは。

ベテランの方で上手な語り部さんがいらっしゃって。その方が。

仕上げてくれるんだ。そのツアーは、黄泉比良坂にも行くんですか?

いえ、黄泉比良坂は遠いんですよ。東出雲なんで、松江から30分くらいかかるので。
ゴーストツアーは歩ける範囲で2時間。
松江城から始まって、キツネが千体いる っていう
城山稲荷神社 っていう場所に行って。
そこも、いい意味でパワーがあるんですけど、なんともいえない雰囲気があって。
あと 月照寺。松平の菩提寺になってるんですけど。
そこに行くと、私いつも重いのが憑いてくるんですよ。

ええっ(笑)!? お祓いするんですか? 毎回。

塩で一応清める んですけど。
いっつも重くなるんですよぉ(笑)。怖いですよねえ。

ああ……、なつみさんは向いてないですね、心霊ツアーに。聞いてて、
ぜんぜん怖くないですもん(笑)。

そうなんですよ(笑)! でもホントに、怖いんですよ! そういうの大丈夫ですか?

僕、全然見れないんですよ。

見えない?

見えないし、感じないし。

そうなんだあ。いいですね! 重くなったりしませんか? 体が。

しませんねえ。

そうかあ。私、すぐもらってくる みたいで。生霊が憑きやすくて。

じゃあ、除霊師さん のとことか、よく行くんですか?

あ、いないんですよね、そういう人が。

ああいうのって、「どこどこ行って、何かしろ」とかあるんですよね。
僕の知り合いのカメラマンさんは、あるアーティストのライブに行ったら、
会場でうしろに誰もいないのにドーンって押されて、
押されたところ見たら血がベットリついてて。

えええーっ!!

でもよく見たらついてなくて。
でも友だちもみんな見てて「いま、ぜったい血がついてたよ」とかなって。

こわ〜い!!!

それで除霊師さんのとこ行ったら、長野だっけな? 
けっこう遠い県の神社まで行って、なんかお祓いしろ、とか言われて。
それですっげえカネとられた って言ってて(笑)。

それ、いけんやつじゃないですか(笑)。

僕は見れないから、それが効果あったのかわかんないですけど。

信じないんですね?

うーん、あんま信じられないですよね(笑)。

そっかあ。私、こないだお寿司屋さん行ったら、となりのお客さんに
「あなた、いま、憑いてるよ」って言われて、ええっ!? ってなって。
会社で、あなたのことをイヤミ言う人とかいない? って言われて。

ほう。

私、(そういう人)いるな、って思ったんですよ! 
それで、その人がいるとき、気分悪くならない? 
って言われて。確かに、なるんですよ!

ほうほう(笑)。

いるよねえ、男の人だよね、って言われて。
とりあえず、水回り綺麗にしようか、って言われて。
いまから家行くから、って。

ええっ? グイグイきますね。

そうなんですよ。それで水を置かれて、お経あげて、
これで大丈夫、って言われて。

請求額は?

や、なくて(笑)。だからいまの話聞いて、
「私はありがたかったなあ」って思いました(笑)。
でもそれでほんとに、スッと体が軽くなって。

ふう〜ん。

私も、見えたりはしないんですよ。でも体が重くなるんです。

でもそんなの、防御しようがない ですもんね。

そうなんですよ〜。受け入れちゃうみたいで。

いつもニコニコしてらっしゃるから、霊も近寄りやすいんですかね。

だから、「帰る前にどっかに寄りなさい」って。

どっか?

例えばコンビニでも本屋さんでも、
一回寄って、ふうって息を抜いてから家に帰りなさい、って。
それで落とすんですって、悪いものを。

え? コンビニで?

最低ですよね(笑)。置いて帰る んですよ(笑)。

へええー。そんな方法あるんだあ。
↑霊の話しすぎた……。

ローカルグルメを教えて!

あとですね、なつみさんがプライベートで行く店とか、
そういうのも聞きたいんですよ。ローカル情報というか。

ああー、わかりました。ごはん屋さんでいいですか?

いいですよ。

ぜひ行ってほしい場所が、斐川 のほうになるんですけど、
出雲空港の近くで、〈ほう吉〉ってお店です。

何屋さんですか?

日本料理屋 さんです! 
すっごいおいしくて。いろんな人におすすめしてるんですけど。
素材にすごくこだわっていて。クリームチーズを入れた茶碗蒸しとか……。

懐石料理みたいな?

そうですね。でもそんなカッチリした店というわけでもなくて。
夜でも4千円とか……。

ああ、懐石料理では安いですよね。

でも すっごい量が出ます。

へえー!

どこかで食べるのを2回分やめて、そこに1回行きたい! ってくらい。

そこはけっこう行くんですか?

行きます。お母さんに連れてってもらって。
そこの料理は本当においしいですね。何かいいことがあると、
そこ行こう、ってなりますね。

友だちとかとはどこ行くんですか?

東本町っていうところにある、〈まる雄〉っていうお店で。
私、おとといも行ったんですけど(笑)。すごい店の雰囲気がよくて。
来る人、みんな友だちになっちゃう んですよ。

ああ、ああ……。
↑出た! フレンドリーな店!

店主のみっちゃんって人もすごくおもしろくて。
「なっちゃん、観光客の人が来てるよ」って教えてもらうと、
私がおすすめスポットを教えたりとかして。そのお店も、すっごいおすすめです!

そこは、何がおいしいんですか?

塩ホルモン。

もつ焼き屋さん?

もつもあるし、サラダの ドレッシング もおいしいですよ。

何ドレッシング(笑)?

なんか、ざらっとしてて。なんともいえない風味で。

(笑) あの、静かに食べたいときにはどこ行ったらいいですか?
↑何が入ってんだろ……。

まる雄でも静かにもできますけど……、
そういうときは、ちょっとカッコイイ場所 があって。

カッコイイ場所!

うちのお母さんの知り合いなんですけど、
〈大正倶楽部〉っていう、昔からやってるバー があって。

ああ、レトロな感じの?

レトロな感じの。かっこいいんですよね。こう、
グラスも……、バカラ? とかなんかカッコイイ感じの。

バカラ(笑)。

エルメス? とか? 
なんかカッコいいんですよ、全部が。

はははは。
↑ふわ〜っとしてんなあ、と思っている。

そこの クロワッサンもおいしくて。

あ、バーだけど、パンも焼くんですか。

そうなんです。あとグラタンもおいしいです。

へえー。女子会的な、シャレたとこ行こう、みたいなときは?

ああ、オシャレなカフェ とかですか?

うん、まあ、カフェとか。

私なあ……、そういうわしゃわしゃしたところは……、
それよりもまる雄 に行っちゃう(笑)。

そんな好きなんだ。

週4 とかで行ってて。

えええ(笑)!? けっこう酒飲みなんですか?

いや、2杯とか3杯で、弱いんですけど。

何飲むんですか?

カシスウーロン。

ああ、でも女の子っぽいものを。

そうですか? カシスウーロンばっかりで。

2杯飲んで、「大将、また!」って出てく、みたいな?

そうです。で、カラオケ?

あ、カラオケ。

カラオケ大好きで。だから行ってからカラオケ行こう、って。

ブックオフはありますか?
↑また話の流れブッタ切り……。

ブックオフってなんですか?

古本屋です。

ああ、ありますよ! 知ってるのは1軒かな。

おっきいですか?

すっごい大きいです。

じゃあ、行きます。松江(笑)。
↑ヒドイな……。

キャー! 来てください来てください!
↑でも喜んでくれている。
私の家にも来てください!

えええ!? 家行っていいんですか?(笑) 

あ、でも、人いっぱいいると嫌ですか? 
うちの家、週3回、いろんな人が
ごはん食べにたくさん集まるんですよ。
そこへぜひ、直角さんも。  

ああ、お父さんの釣った魚を(笑)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~ タイムアップ!!!!! ~~~~~~~~~~~~~~~~~

[ 直角の感想 ]

いや、なんでしょう、ふわーっとしたタイプの女性で、
よく喋ってくれる人で、非常に話しやすくてよかったですね。
中学校で同じクラスだったとしても、こう、
分け隔てなく、こっちにも話しかけてくれるタイプでしょうね。

それでなんとな~くほのかに恋心というか、
(ああいう子ならつき合ってくれるのかなあ……?)的な気持ちを抱くんだけど、
高校で離ればなれになって、夏休みとかに偶然、カラオケボックスから
背の高いスポーツマンタイプのカッコイイ男とふたりで出てくるところを見かけちゃって、
「やっぱり…! やっぱりああいう男と…!!」って、
何とも言えないショックを受けたりするタイプですね……。
(俺は、何を言っているんだ?)

[ おさらい動画 ]

writer profile

Chokkaku Shibuya
渋谷直角

しぶや・ちょっかく●1975年、東京都生まれ。ライター、漫画家。雑誌「SPA!」や「ケトル」などで活躍中。著書『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』(ともに扶桑社)絶賛発売中。

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生産者が主体の食のイベント〈せたな海フィール 2015〉

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おいしい食材がつくる、幸せのかたちとは?

「私たちがすばらしい食材をつくれば、私たち自身も幸せになれる。せたな町で、ハッピーな農家と酪農家のみなさんに会い、おいしい料理をつくるシェフと、それを享受する人々がいることを知って、私もとてもハッピーな気持ちになりました」インドの環境活動家であり、哲学者でもあるヴァンダナ・シヴァさんはそう語り笑顔を見せた。

この夏、北海道の南西部にあるせたな町で行われた〈海フィール2015〉に集まったゲストは、まさに夢の共演というべき豪華な顔ぶれだった。インドからはるばるやってきたシヴァさん、山形のレストラン〈アル・ケッチァーノ〉のオーナシェフ奥田政行さん、スローフードという言葉を日本に広めたノンフィクション作家の島村菜津さんらがトークを行い、野外コンサートでは八神純子さんをはじめとするミュージシャンたちが参加した。このほか有機農業に関するドキュメンタリー映画の上映や、こだわりの生産者をめぐるツアー、マルシェや屋台なども並び、イベントは3日間にわたり開催された。さらに、奥田シェフをはじめとする料理人たちが、朝昼晩とせたなの食材を使った料理に腕をふるった。

メイン会場は瀬棚ふれあいセンター。コンサートやマルシェも開催された。

日本海に面し、南北を山々に囲まれたせたなは、眺めのいい場所が多い。車を走らせ丘の上に登ると大パノラマが!

朝昼晩とシェフたちが腕をふるった。写真は、朝食で、奥田シェフがプロデュースする〈地パンgood〉のパンや、新鮮なせたなの野菜がバイキング形式で並んだ。

せたな町は、人口約8000人という小規模なまちではあるが、町の調査によると、食料自給率はなんと940パーセント。森と里と海の生態系がコンパクトにまとまった食材の豊富な場所で、ここでほぼ毎年開催される海フィールは、漁師、農家、酪農家など生産者が中心となり企画されている。スタートから8回目の開催となる今年は、2005年に3町が合併してできたせたな町の10周年にあたることから、記念事業としても注目されることとなった。

なかでもここでご紹介したいのは、2日目に行われた講演会の模様だ。「せたなの豊かな自然から未来と大地をつなぐ“種”」と題し、最初に登壇したのは奥田シェフと島村さん、続いてシヴァさんによるトークが行われた。何より印象的だったのは、この記事の冒頭で挙げたシヴァさんの言葉に象徴される“幸せ”について、3人に共通する眼差しが感じられたことだ。

喜びを分ち合うことがおいしさにつながる

奥田政行シェフは、自身が生まれた山形の庄内で〈アル・ケッチァーノ〉〈イル・ケッチァーノ〉を、東京の銀座で〈ヤマガタ サンダンデロ〉を営み、地元食材をふんだんに使った料理で知られている。また、庄内地方は、現在、在来作物が豊富な“食の都”として世界的にも知られるエリアとなっているが、その礎を築いた人物でもある。

トークでは、奥田シェフが在来作物に目を向けたきっかけや、レストランが地域に果たす役割などが語られたが、そうしたなかで彼が考えている“幸せのかたち”がどんなものなのかが次第に浮かび上がってきた。

例えばそれは、奥田シェフが「初めて食べたときに、そのおいしさに鳥肌が立った」という、羊を飼育していた丸山光平さんとの出会いの話。この羊を食べてすぐにその秘密を知りたいと、奥田シェフは丸山さんのもとを訪ねたという。しかし、丸山さんは、羊肉の需要が減っていたことから「今年限りで廃業」を決めていた。それを聞いた奥田さんは、「やめないでほしい」という一心から、東京のレストランへ売り込みを始め、やがてその噂は広がり、雑誌のグラビアなどでも紹介され、ついには『BRUTUS』の牧場めぐりの特集で、「この羊だけは別格」と扱われ、日本一おいしい羊といわれるまでになった。「ほら丸山さん、また雑誌に載っていますよって見せに行っていたら、ある日暗かった顔が突然パーッと明るくなって、まるで仏様みたいな表情になったんですね。その顔を見たときに、自分も心の底から幸せだなあと感じました。自分の幸福感というのはそこにあるんだなと」

奥田シェフのメニューには、「丸山さんの羊のローストとアスパラ」など、生産者の名前がつけられたものが多い。また、生産者が減ってしまった在来作物をレストランで積極的に使い、需要を生み出そうとしている。「一緒においしいと言って笑ってくれる人がひとりでもいると、人は強くなれる」と言う奥田シェフ。日々、生産者と語り合い、定期的に食材を購入して生産者の暮らしを安定させる。そんな信頼関係のなかで、野菜やお肉がますますおいしくなっていくという。

トークのお相手となった作家の島村さんは、奥田シェフの料理をこう例える。「毎朝、奥田さんが食材を探して山や海を訪ねる姿と在来作物を育てている生産者の姿が見える。そんな景色がお皿に広がっている」

左が島村菜津さん、右が奥田政行シェフ。トークセッションは、島村さんが奥田さんにインタビューをするかたちで行われた。

インドと日本の“種の守り人”

奥田シェフは、庄内地域独自の在来作物を保全するために、種の自家採取にも取り組んでいるという。また、山形大学の江頭宏昌准教授とともに、在来作物の魅力を再認識させるために、なぜこれらの作物がおいしいのかを地形や風土からひもとき、人々に伝える活動も行ってきた。

こうした活動は、ヴァンダナ・シヴァさんが1991年に設立したNPO団体〈ナヴダーニャ(9つの種)〉での取り組みとも重なる部分が大きい。インド北部のデラドゥンにあるナヴダーニャ農場を訪ねたことがあるという島村さんによると、現在、そこでは穀類だけで750種、全部で1500種の在来作物の種を保存し、それらを農民に提供する活動を続けている。

有機農業や種子の保存を訴え、環境保全に取り組むヴァンダナ・シヴァさん。その活動は、世界的に注目を集め、1993年には“もうひとつのノーベル賞”とも称される「ライト・ライブリフッド賞」を受賞。『生物多様性の危機』『アース・デモクラシー』など、数多くの著書も出版してきた。

奥田シェフと島村さんのトークに続いて登壇したシヴァさんは、せたなの生産者の取り組みに触れ、聴衆にこう語りかけた。「昨日は、せたなの農家で本当においしいトマトを食べました。よいトマトができるのは、種がすばらしいからです。F1種や遺伝子組み換えの種からは、このおいしさは生まれません」F1種とは、一世代に限り収量が安定し、形が揃う作物ができるように改良された種のことをいう。また、遺伝子組み換え作物とは、除草剤に対する耐性を持った大豆や殺虫性のトウモロコシなどがあり、こうした「不自然な」操作をされた種を使う、グローバル企業が推し進める画一化された農業について、シヴァさんは警鐘を鳴らし続けてきた。そして、種の保全を通じて生態系を維持し、生物多様性を守る大切さを訴えている。

例えばインドでは、綿花の95パーセントが遺伝子組み換えの種に変わってしまったという。これによって収穫量が拡大し経済的に豊かになると思われたが、遺伝子組み換えの種は、企業から毎年購入しなければならず、それにともない農薬や肥料などの出費もかさむようになり、結局はたくさんの農家が負債を抱えることになり、自殺に追い込まれるようなケースも招いたという。

そんななかで、ナヴダーニャでは、農家がオーガニックコットンを育てる取り組みも推進しており、シヴァさんによるとそれまでより収入が10倍に増えたという。「遺伝子組み換えの種でコットンをつくる農家は、それがどこに行って、どんな風に使われるのか、そういうことがまったくわかりません。しかし、オーガニックコットンをつくる農家は、自分たちで直接マーケットを生み出し、そのなかでちゃんとフェアなトレードをすることができる。安全なものを求める消費者も増えてきているので、収入も安定していきます」

せたなの未来をつくる人々

海フィールのイベントでは、この講演会が始まる前に、イカ釣り漁船、牛・豚を育てる牧場、自然栽培を行う農場をめぐるツアーも行われた。奥田シェフ、島村さん、シヴァさんも生産者を訪ね、トークのなかでは、その様子も語られた。

酪農家の村上健吾さんは、自然放牧を行い、できる限り輸入飼料に頼らず、草を与えることで健康な牛を育てる環境をつくり出そうとしている。海が見渡せる眺めのよい牧場にいる牛の姿をシヴァさんは、「まさにハッピーな牛」と語った。「みなさんも牧場を訪れて、牛が臭いと感じた方はいなかったと思います。これは健康で清らかな食べ物を食べているからです。しかし、一般的な酪農では、遺伝子組み換えの穀類など本来草食動物が食べないものを混ぜたり、また牛舎の中にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれたりしています。そういう牛は決してハッピーではありません」

牧場の牛たちの様子を説明してくれた村上健吾さん(左から2番目)とシヴァさん(左から3番目)。

広々とした草原で、のんびりと草を食べる牛たち。はるか遠くには海も見える。

トークでもうひとり話題に上ったのは、秀明ナチュラルファーム北海道の富樫一仁さんについてだ。ここは、農薬や肥料に頼らず、生態系を守りながら作物をつくる自然農法を実践する農場だ。奥田シェフは、何年も前からせたなを訪れており、富樫さんが次第に変わっていく様子をこんな風に語った。「富樫さんの畑を最初に訪れたときは、実はこの畑はダメだなと思ったんです(笑)。けれど、その3年後に来たら、畑の生態系が急によくなっていました。それまで富樫さんは青白い顔をしていたのが、先ほど話した羊を飼育している丸山さんのような表情になっていたんです」富樫さんはアレルギー体質で、農薬や化成肥料によってつくられた作物を受けつけない体だったことから、この自然農法を始めたという。最初は試行錯誤の連続だったが、現在では収穫量も増え、自然農法で野菜が育つメカニズムを大学と連携して研究も行っている。

富樫一仁さん。この畑は雑草が多く生えている場所だが、除草をせずに共生をしながら大豆が育つ様子を紹介してくれた。

化成肥料を与えず、除草剤を使わなくても、大豆はよくのびる。

さらに、生産者をめぐるツアーで訪ねた、イカ釣り漁師の西田たかお船長についても話題は及んだ。「船長は、キャラクターがおもしろい(笑)。こういうスパイス的な人も必要なんです。たとえば三国志など、歴史上の人物なんかを見ていくと、必ず“暴れ馬”のような存在がいる」と奥田シェフ。水産加工品も手がけ、イカのおいしさを百貨店などに売り込みつつ、このイベントの実行委員長をつとめるのが西田船長。この土地には魅力的な生産者がいること、そして生産者と食卓はつながっていることを、全国へ発信しようとするアイデアマンで、せたなの人々に、船長と呼ばれ親しまれている。

「イカの値段はその日によって違います。でも、安いから高いからではなく、“今日食べたい”という気持ちを大事に、漁師の顔を思い浮かべながら買ってださい!」と、生産者の熱い想いをツアーで語る西田たかお船長。

釣ったばかりのスルメイカ。歯ごたえがよく、ほんのり甘い。

海から、畑から、牧場から——。自然の恵みを受けつつ、安全でおいしいものをつくり出そうとする個性的な生産者がいるせたな。トークのなかで、島村さんも「ポテンシャルの高い地域」と期待を寄せていた。その力をこれからどう結集し未来へと歩みを進めるのか。シヴァさんからは、こんな提案があった。

「みなさんが、いまここで健康で清らかな野菜や家畜を育てているということは、決して自己満足のレベルでやっているわけではありません。これは、私たちの生存にかかわる問題です。遺伝子組み換え作物のように、人の細胞を中から壊していくようなものを強制的に食べさせられるような、そんな世界に向かっていっています。だからこそ、私たちがいま立ち上がる必要があります。安全で健康なものを育ててくれる農家であり酪農家であり、そういう方たちを支援していかなければならない」

長年にわたり環境保全運動に関わってきたシヴァさんは、さらなる展開として、いまインドで〈フードスマートシティズン〉という運動を始めたという。これは、賢く食べ物を選んでいく、意識の高い市民を集めたまちをつくっていこうという運動で、せたなも町ぐるみで、参加してほしいと呼びかけた。

「生きる歓びとは、生きるアート」

海フィールのイベントは、せたなの生産者との出会いの場をつくり出すとともに、〈スローフードジャパン〉が開催する〈テッラ・マードレ〉のプレ大会としても位置づけられていた。テッラ・マードレとは、イタリア語で「母なる大地」の意味。イタリアに本部のあるスローフード協会が、世界中で大地とのつながりを取り戻すために開催しているミーティングのことをいい、シヴァさんも一時は副代表を務めるなど深く関わっている。このスローフード協会の日本国内にある支部を統括しているのが、スローフードジャパンで、2年おきに日本大会を開催しており、今回は北海道が舞台となっている。せたなで発信されたメッセージが、2015年11月1日から、十勝、占冠、札幌へと波紋のように広がり、食文化に関するイベントやトークなどが多角的に開催されるのだ。

海フィールに集まった面々が語ったように、大地から生まれる健康的でおいしい食事を食べること、それこそが幸せにつながるということを、私たちはいまあらためて見直す必要に迫られている。そして、せたなで行われたような取り組みが、さらなる大きなうねりとなるとき、失われつつある在来作物や食文化の未来を照らす、希望の光となるに違いない。

最後に、海フィールで上映されたドキュメンタリー映画のひとつ、『ヴァンダナ・シヴァのいのちの種を抱きしめて』で語られた言葉をここに紹介したい。

「生きる歓びとは、生きるアートです。そもそも生命の本質は歓びなのです。生命の欠如が不幸を、病苦を、そして貧困を生むのです」

イベントの期間中、「生きるアート」、その意味についてさらに詳しくシヴァさんに尋ねる機会があった。「生きる歓びが生きるアートであるといったのは、私たちの生活のなかで、“美”というものがすべての基本になっているからです。例えば破壊行為や安全でない食べ物というものは、決して美しくないでしょう? 農家の方が大地に根ざしてつくった野菜や心を込めてつくった料理は美しい。それによって人間の心も豊かになるのです。食べ物で、私たちは形成されています。大地を汚染するような醜いものの中にいては、美は生まれません。私たちがいる地球は、すばらしい調和を持っていて、それそのものが美しいのです」

せたなの小高い丘の上に登ると、草原や森、そして海が見渡せる。真っ青な空とのコントラストに、しばし目を奪われる。こうした美しい地球が育む、おいしい食べ物。それをいただく幸せが、何ものにも代えがたいことを、ここに集った人々は、五感のすべてで感じたに違いない。

information

テッラ・マードレ・ジャパン in 北海道 2015 
「大地をつなぐ人」

十勝大会 2015年11月1日〜3日 会場:とかちプラザ、藤丸、十勝農園占冠大会 2015年11月3日〜5日 会場:星野リゾートトマム札幌大会 2015年11月6日〜8日 会場:札幌サンプラザ、ホテルクラビーサッポロhttp://www.tm-hokkaido.com/

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

credit

取材協力:すずきもも(スローフード・フレンズ北海道)、アリス・カニングハム(秀明インターナショナル)

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写真で小豆島の魅力を伝える〈小豆島カメラ〉写真展、東京で開催

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東京で初の〈小豆島カメラ〉写真展開催中!

島の友人たちとともに、島での暮らしを撮影し発信している〈小豆島カメラ〉の活動。ちょうど2年前に動き始めて、チームを結成したのがその3か月後。2014年4月からは毎日小豆島のいまの写真を発信してきて、あっというまに1年半が過ぎました。

そして今年の秋、初の東京進出!(笑)小豆島カメラの写真展をオリンパスプラザ東京で開催することになりました。

小豆島カメラ、東京での初の写真展開催。

写真展のオープニングイベントとしてトークとマーケットを開催。

10月23日から写真展が始まり、その翌日10月24日にオープニングイベントとして、トークイベントと〈小豆島食べたいMarket〉を行いました。当日は小豆島カメラメンバー4人と、マーケット担当としてHOMEMAKERSも一緒に朝イチのフェリーに乗っていざ東京へ!

小豆島と東京。近いようで遠い。一番速い移動手段は飛行機で、去年くらいから成田空港と高松空港をLCCが結ぶようになり、時間があえばそれを利用するのがコスト的にも時間的にもベスト。その日は14時からトークイベントが予定されていたのですが、朝5時半発のフェリーに乗って、新幹線を利用して、新宿についたのがお昼過ぎ。移動だけでまるっと半日かかります。ま、でも半日移動すると時間の流れも風景もまったく違う別世界です。

島からオリーブの枝を持って電車に乗り込みました。

岡山から東京まで新幹線でまるっと3時間。

たった1日だけれども、その1日でどうやったら小豆島のこと、小豆島カメラのことを伝えられるか、そして小豆島に行きたくなってもらえるか。今回のトークイベントでは「写真で地域を伝えること」と題して、私たちがいままでしてきた活動とこの2年間でどんなふうに写真が変わっていったかを、写真家のMOTOKOさん、オリンパス株式会社の小川治男さんとお話しました。そしてトークイベントのすぐとなりで、小豆島の「食べたい!」をずらりと並べて、1日限りのマーケット。

2年前の写真と比較しながら変化をみるのはなかなかおもしろかった。

写真家のMOTOKOさん(写真右)と一緒に。

オリンパス株式会社の小川治男さんが、ひとつひとつの写真にコメントしてくださいました。

小豆島カメラを影で支えてくれてるたくちゃん(夫)も急きょトーク。

その日別のイベントで東京に来ていたデザイナーのFURIKAKEさんも駆けつけてくれました。小豆島カメラの素敵なカメラストラップをつくってくれています。

写真とマーケットというのはすごく相性がいいんだなと今回思いました。写真があることで、「あー、こんな景色のなかでつくられているんだ、こんな人がつくってるんだ」というのが自然と伝わる。そして、マーケットはその場に賑わいを生み出してくれる。そこは東京なんだけど、全然アウェイ感はなくて、小豆島の空気があったような気がします。

たくさんの方がマーケットに立ち寄ってくださいました。

いろは(娘)も一緒に参加。

東京でも小豆島。たまたまほかの用事で東京に来ていた島の友人たちと一緒に。

写真と島のおいしいものを通して、小豆島を伝える、自分の暮らす地域を伝える。とても楽しい1日でした。

オリンパスプラザ東京での小豆島カメラ写真展は、11月4日まで開催しています。また11月2日には、たびたび地方での暮らしや活動を特集している雑誌『ソトコト』編集長の指出一正さんと写真家MOTOKOさんのトークイベントが、今回の写真展の締めとして行われます。ぜひ足を運んでみてください。

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

credit

撮影:菅野幸男(オリンパス株式会社)、MOTOKO、小豆島カメラ

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投資ファンドで実現する古民家再生の未来(その2)

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みなさん、こんにちは。一般社団法人ノオト理事 兼 株式会社NOTEリノベーション&デザイン代表取締役の藤原(ふじわら)です。株式会社NOTEリノベーション&デザインは一般社団法人ノオトとREVIC(株式会社 地域経済活性化支援機構)が出資するファンドのためのSPC(Special Purpose Company)です。

今回は、vol.5につづき、投資ファンドと古民家再生についてお話したいと思います。

日本初!〈篠山城下町ホテル NIPPONIA〉の取り組み

2015年10月3日にオープンしたばかりの篠山城下町ホテル NIPPONIA(ニッポニア)は投資ファンドを使った古民家再生事業であると同時に国家戦略特区を活用した日本初の取り組みです。まずは、事業概要を簡単にご説明したいと思います。

NIPPONIAの4つのホテルのうちのひとつ、ホテルONAE(オナエ)棟の受付ロビー。

NIPPONIAの事業コンセプト「我々が再生したのは宿やホテルではない。日本の暮らし文化を体験するように泊まれる空間である。400年の歴史に、とけこむように泊まる」約400年の歴史を持つ篠山城は、兵庫県篠山市の中心に位置する城跡で、国の史跡に指定されています。篠山城下町ホテルNIPPONIAは、この篠山城を含む城下町全体を「ひとつのホテル」に見立てるという構想です。城下町に点在している空き家となった古民家を、歴史性を尊重しながら客室・飲食店・店舗として再生し、篠山の文化や歴史を実感できる宿泊施設としてオープンしました。時間を重ねた歴史ある客室、丹波篠山をはじめとした、地域の豊かな食材をふんだんに使った創作フレンチ、既存の歴史施設・飲食店・店舗などと連携した歴史的城下町のまち歩きアクティビティなど、「歴史あるまちに、とけこむように泊まる」をコンセプトとした、地域の暮らし文化を体験する、新しいスタイルの宿泊施設です。

ONAE棟:蔵をリノベーションした客室。

事業体制について

この事業は各分野のエキスパートが参画しています。全体プロデュースに関してはプロデューサー、デザイナー、クリエイター、プロモーションを担当するプロフェッショナルや個人や団体。マネジメントでは、セールス、アセットマネジメント、オペレーションマネジメントを担う専門企業や団体。ファイナンスでは、ファンド・キャピタル会社、銀行。建築においても、もちろんヘリテージマネージャーを取得した一級建築士をはじめ、大工さん、左官屋さん……。行政では地方自治体や中央官庁。

こういったあらゆるプロが集結し、実現することができました。しかし、これらの体制は急に立ち上がったのではありません。

このプロジェクトに先駆けて2年前からベースとなる準備組織をつくってきました。「地域資産活用協議会(OPERA)」といいます。我々は7年間で30棟以上の古民家を再生してきた実績によりノウハウだけでなく、各分野のプロフェッショナルとつながりをもつことができました。

投資会社〈観光活性化マザーファンド〉とは

NIPPONIAは国家戦略特区を活用した古民家を活用した宿(ホテル)として日本初の取り組みとなります。本プロジェクトは、国家戦略特区(関西圏)の特区事業に認定されていて、旅館業法の玄関帳場(フロント)設置義務についての規制緩和などを受けています。これにより、複数の分散した古民家の宿泊施設を、一体化して運営管理することが可能になっています。

今回の古民家再生におけるファンドの仕組みは図1のようになります。一般社団法人ノオトとマザーファンドが、共同出資の会社(株式会社NOTEリノベーション&デザイン)を設立し、その会社を通じて物件を買い取って、改修を行います。改修した物件を事業者に貸し出すことで、全体の収益構造をつくっています。(なぜ、ファンドと連携することになったかは、vol.5にて)

図1:ファンド方式

今回、投資決定いただいたのは〈観光活性化マザーファンド〉といいます。地域の観光活性化を目的として株式会社地域経済活性化支援機構、株式会社日本政策投資銀行、株式会社リサ・パートナーズの3社で組成された、マザーファンドです。

〈観光活性化マザーファンド〉の概要。

※株式会社地域経済活性化支援機構についてはこちらより。

ファンドを利用するにはしっかりとした事業モデルと事業計画が求められます。すべてをここでご説明することはできませんが、我々がファンドに対して事業PRした部分を一部、ご紹介したいと思います。

①古民家再生ノウハウ

・建築分野:設計~工事に関する職人ノウハウ・企画分野:地域によって異なる事情にあわせた再生手法の提示

②テナントリーシング(事業者誘致)

・その地域の特徴にあった事業者マッチングと誘致活動・事業者メリットの確保と収益安定化支援する

③プロモーション(デザイン、情報戦略)

・その地域の特徴に光を当てるプロモーションを展開・各メディアと連携した広報展開活動・ITを利用した情報戦略

④マネジメント

・営業収益の最大化を図るためのノウハウ・古民家に宿る歴史が積み重ねた暮らし文化などの資源を含めた不動産資産の管理と運営

つまり「デベロッパー (開発業者)」に近い機能を持っていることが重要です。地方の古民家でこれだけの手間をかけると採算を取るのはかなり難しいといわれています。諦めず30棟以上もやっているうちにノウハウとなり、実現することができました。

また、我々の構想において評価いただいた点として「単なるリゾート開発ではない」という思いがあります。それは「城下町ホテル構想」です。

東京オリンピックに向けた新たなリゾートやホテル開発が進んでいますが、オリンピックが終わると、それらの施設はどうなるのでしょうか?日本国内には高度経済成長時代に開発された、鉄筋コンクリートの観光地やリゾート地がありますが、現在では寂れてしまっている所も少なくありません。

これらに対して「城下町ホテル構想」と「一般的なホテル・リゾート開発事業」との違いを以下のようにとらえています。

“城下町全体をひとつのホテルに見立てた構想になっているということ”

①客室やレストランやショッピング施設が城下町周辺に点在している。②まちの既存商店主との連携を視野に入れている。

一般的な民間企業の場合「●●リゾートホテル」といった事業展開においては、集客したお客様をできる限りホテル内または自社の関連施設に滞在させ、購買行動を自分の商業施設内で完結させることで利益向上させます。これらに対し、城下町ホテル構想は、(ホテル事業者)⇔(お客さま)⇔(従来の地域内の商店事業者)三者が一体となり、お客さまがまちにとけこむように滞在させることでまち全体の利益向上を目的としています。

NIPPONIA全体図。

金融機関との連携における古民家再生の未来

今回のファンドで特徴的なのが、地元・但馬銀行との連携による融資も加わった点です。地方銀行として本事業に対して多大な理解をいただきました。銀行との連携は、資金調達や古民家流動化において、将来とても大きな可能性を秘めています。

例えば「古民家改修ローン」といったものです。現状、個人で古民家を改修して移住しようとしても、住宅ローンが組めません。住宅ローンは基本的に新築に限られているからです。なぜできないのかというと、古民家は既に減価(減価償却)しているという日本特有の不動産査定・鑑定にあります。「減価している=その分、担保がとれない」ということです。通常、金融業界では建物は古ければ古いほど、価値がないということになっています。

なので、銀行で「土地の購入費用」は貸してもらえても「建築・改修費用」は借入れできない状況です。

日本の法律においても古民家(歴史的建築物)に対する規制が多く存在します。

欧米では一概に古い建物には価値がないとはされておらず、きっちりメンテナンスされた建物の価値は下がりません。ヨーロッパなどに古くて味わいのあるまち並みが点在し、雰囲気のあるまち並みが数多く残っている理由のひとつともいえます。有名ブランド店も日本では無機質なコンクリートのビルに詰め込まれているのに対し、海外では古い味わいのある建物の中にとけこむように入っています。そして、そのすぐ隣には、地域住民の暮らしや生活が感じられる居住空間と絶妙なバランスを保っています。

イタリアのミラノにあるガッレリア。

日本も、こういった欧米の文化に対する価値観は学ぶべきかと思います。日本の古き良き暮らし文化が体験できる場所があれば、訪日外国人だけでなく日本人にとっても楽しめる場所になると感じています。

ファンドや銀行といった金融業界に対して、実績を提示して理解を深め合い、古民家活用に対する資金調達が容易となることで、ホテルや店舗事業以外に、個人住宅利用として裾野が広がることを我々は願っています。

古民家への投資ファンドは始まったばかりです。そのため、篠山城下町ホテルNIPPONIAプロジェクトの状況は、多くの金融機関や投資家が見守っているといった状況です。

古民家や歴史的建築物も投資対象となることが証明できれば、今後多くの投資家の参入が期待できることでしょう。

リノベをススメるにあたり、古民家への住宅ローンが実現できれば、今よりLife Styleの選択肢が増えることでしょう。

日本の暮らし文化を体現できるLife Styleへの実現に向けて。

次回は、〈篠山城下町ホテルNIPPONIA〉のリノベーションの経緯、ホテルの詳細などについてご紹介したいと思います。

infoatmation

篠山城下町ホテルNIPPONIA(ニッポニア) 

住所 兵庫県篠山市西町25番地 他

TEL:0120-210-289

http://sasayamastay.jp/index.html

writer's profile

NOTE
一般社団法人 ノオト

篠山城築城から400年の2009年に設立。兵庫県の丹波篠山を拠点に古民家の再生活用を中心とした地域づくりを展開。これまでに、丹波・但馬エリアなどで約50軒の古民家を宿泊施設や店舗等として再生活用。2014年からは、行政・金融機関・民間企業・中間支援組織が連携して運営する「地域資産活用協議会 Opera」の事務局として、歴史地区再生による広域観光圏の形成に取り組む。

http://plus-note.jp

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“食と職”を大切にした「琉Q(ルキュー)」の取り組み

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観光ではない、沖縄の姿

〈琉Q(ルキュー)〉は、沖縄県産にこだわったブランド。もともと障がい者就労支援のために生まれたブランドであるが、商品のクオリティの高さから人気を博している。

海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、パッションフルーツバター、塩パインバターなど、名前を聞くだけでおなかが空いてきそうなものばかりだ。

「沖縄のイメージとなると、南国、海、青い空。それらはもちろん素晴らしいのですが、日常的にいいものもたくさんあります。それらを紹介していきたいというのが琉Qのコンセプトです」と話すのは、仕掛け人のひとり〈沖縄広告〉の仲本博之さん。

できたて新鮮なアセローラジャム。

アートディレクターは渡邉良重さんと植原亮輔さんによるデザインユニット〈KIGI〉に依頼した。KIGIのことは、〈D-BROS〉のプロダクトを手がけていたことなどで知っていたという。

「沖縄で広告関係の仕事をしていると、“ハイビスカスやシーサーを入れて青っぽく”というような発注が多いのです。でも、沖縄に住んでいる僕からしてみると、意外と曇り空が多いことも知っています。KIGIのいい意味でクールなデザインで、外部からの沖縄のイメージではなく、普段の沖縄を表現したいと思ったんです。まったく面識はありませんでしたが、突然連絡して熱意だけでお願いしました(笑)」

打ち合わせを重ねているうちに、「沖縄もまだまだエキゾチックだし、わからない部分も多い」という話になった。そこで生産者からの言葉をQ&Aというかたちで打ち出していこうとなった。そこから〈琉Q〉というブランド名が生まれた。

ホームページもただ商品紹介をするに留まらず、ユニークな仕掛けになっている。沖縄に関する素朴なQ=質問を県外の人から集め、それに対して“しまんちゅ”が答えていく。質問は観光スポットを尋ねるものや、ライフスタイルに関するものなど。なかには「ニガイのが苦手ですが、ゴーヤーのおいしいレシピは?」というQに対して、「暑いところに行ってください。自然に苦いゴーヤーを身体が欲します」という、答えになっていないような厳しめの(!?)回答も。通り一遍の観光的沖縄ではなく、もっと生活に根づいているリアルな沖縄を感じてほしいという思いだ。

元気に育った塩パイン。

沖縄ならではの農作物から

実際に、人気商品である〈東村の塩パインバター〉の原料である塩パイン農家のカナンスローファーム・依田啓示さんを訪れた。那覇からかなり北上した、沖縄本島北部の東村にある。

塩パインとは、海水を与えながら育てたパイナップルのこと。ここでは7種類のパイナップルを育てているが、琉Qの塩パインバターに加工されているのは、スナックパインとスムースカイエンだ。土からも海水を吸わせ、上からも海水をかける。海水に含まれるミネラルが効果てきめんなのだ。少し小ぶりだが、甘味がとても強い。もちろん化学肥料や農薬は一切使っていない。

カナンスローファームのハウス。パインのほかにもドラゴンフルーツもある。

パイナップルは真夏が最盛期。11月ごろになると酸味が出てくるというが、加工品にはそのくらいの時期のものがいいらしい。こうして加工された塩パインバターは、果肉もたっぷり、とてもやさしい甘さに仕上がる。

カナンスローファーム・依田啓示さん。

〈沖縄本部のアセローラジャム〉もまた、沖縄本島北部にある本部町でつくられている。実は沖縄は、アセローラ産地の北限なのだ。

「沖縄でも湿度が少し足りないくらいです」というのは、〈アセローラフレッシュ〉の並里哲子さん。戦後、沖縄に入ってきたアセローラは、哲子さんの旦那さんである並里康文さんが、沖縄での栽培方法を確立し、この地域に根づかせた。現在、この本部町には30軒程のアセローラ農家がいる。つまり国産アセローラは、この30軒のみということだ。アセローラフレッシュでは、その契約農家からアセローラを買い取り、さまざまな商品に加工している。アセローラは、収穫後2、3日しか持たない。生で食べたいのならば、現地に行くしかない。「だからジャムなどの加工品として楽しんでほしい」と並里さんはいう。アセローラジャムは、フレッシュでフルーティな酸味がさわやかな一品。国産なので、フルーツの鮮度が際立っているようだ。生のアセローラ自体は、思ったよりも酸っぱくなく、その奥に甘味があった。

「実はうちの農作業でも、障がい者の力をお借りしていたんです」と並里さん。だからアセローラジャムの製造過程に、障がい者の手が入っていることを素直に喜んでいた。最近よく取り上げられるようになってきた、農業の現場を障がい者が手伝う「農福連携」のかたちがすでに行われていた。

収穫後だが、わずかに赤い実をつけていたアセローラの木。

アセローラフレッシュの並里哲子さん。

本当の沖縄という純粋な想い

こういった生産者を決めるレギュレーションは、仲本さんいわく「会いに行って、いい人かどうか」だとか。「“100%沖縄産”というルールは設けていますが、それ以外には、情熱にひっかかってくれるところです。障がい者支援というブランドの性質上、最初からビジネスの話しかしないような方とは、継続していくのは難しいだろうと思っているんです。もうひとつは、開発などに無理がないもの。ほとんど、もとからある製品を琉Qブランド化させてもらっています。アセローラの化粧水をつくるとかではなく(笑)」

沖縄のリアルな姿を知ってもらいたいという思いが感じられる。ニーズに合わせたり、これをつくれば売れるのではないかという“ヨコシマ”な気持ちは、沖縄の本当の姿ではない。

収穫後に追熟中のアセローラ。

今後は「商品数を増やしていきたい」と仲本さんは言う。前編で述べた通り、商品数が増え、工程が増えれば、障がい者施設に発注できる仕事が増えるからだ。

「お店を出したい」という望みを持つのは、障がい者施設を支援する県の外郭団体である〈一般財団法人 沖縄県セルプセンター〉で仕事をコーディネートしている萱原景子さんだ。「琉Qの商品をまとめることで、商品と同時に、コンセプトも伝えられると思います。また琉Qだけではなく、施設が通常つくっている商品を売ることもできます。そんなフラッグシップショップをつくりたいです」

さらには観光客向けのアクティビティのようなものも動き始めている。琉Qの関連をツアーで巡り、体験をしていくことで、マリンアクティビティだけではない沖縄を体感できるものだ。売り切れが続いている琉Q山猫のやちむん(陶器)への色つけ体験や、腐るのが早いアセローラを生で食べられる体験などが待っている。

琉Qで知ることができるのは、普段着の沖縄。それは味だけでなく、農家も、加工者も、パッケージをかける仕事も含んだ、沖縄の姿だ。

Information

琉Q

http://ruq.jp/

4NA4NA

http://4na4na.jp/

沖縄県セルプセンター

http://www.okiselp.jp/

社会福祉法人 そてつの会

http://www.sotetsunokai.com/

writer's profile

Tomohiro Okusa
大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog//

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水俣から「食」を発信する〈もじょか堂〉代表・澤井健太郎さんインタビュー

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水俣だからこそ、できること

熊本県の最南端の地である水俣市から安心できて、おいしい食材を、自らの足で探して発信する食のセレクトショップ〈もじょか堂〉。その代表である、澤井健太郎さんの、水俣という土地に対する想いは大きい。

水俣は、長いあいだ、食べものに「水俣産」と言えない時代が続いてきた。「MINAMATA」を世界的に有名にした産業公害。あれから60年の年月が経ったいまの水俣は環境モデル都市として国の認証を受け、人々の努力によって豊かな海を取り戻している。そして、60年という年月を積み重ね、食べものに対しての意識の変化も少しずつ見えてきている。

水俣市の六角交差点にある〈もじょか堂 むつかど本店〉。

もじょか堂で取り扱っている食材や加工品は、澤井さんをはじめ、スタッフが畑や生産の現場を訪ねてつくっている人の話を聞いて、吟味して、納得したものばかり。丸田さんのお野菜、天野さんの紅茶といった具合にすべての商品について、誰々さんがつくったものとわかる。顔が見える生産者から一歩進んで、話を聞ける生産者がつくるものしか取り扱っていない。有機栽培、自然栽培の商品が多いが、特に限定しているわけでもない。農業に対する、自分なりの考えを持っている生産者であり、その土地に合ったものを、おいしくつくっている人に、澤井さんは惹かれるという。

ショップ内には、スタッフの足で選んだ商品が並んでいる。

もじょか堂では、そうして集めてきた商品をもとに、ネット販売をはじめ、水俣市内にある店舗での販売、熊本県内のレストラン、料理店への卸などを行っている。「実際に会って、話したことのある生産者さんがつくっているものだから売るときには、お客さんにつくっている人の話を交えながら商品を紹介できます。また、取引先の飲食店の方からは、食材をどう料理したのか、話を聞くことができます。それを生産者さんにフィードバックすると、とても喜ばれるのです」食を通じた、生産者と生活者の豊かな交流。それをつなぐ役割も、もじょか堂は担っている。

もじょか堂のウェブサイトでは、商品の通信販売も展開している。

卵の1個売りから始まった、もじょか堂

澤井さんは、水俣市生まれの、熊本市育ち。大学時代は関東で過ごし、ニュージーランドへの留学経験を持つ。ニュージーランドで語学を、水俣で農業を学んだことがきっかけで、JICAの青年海外協力隊で、村落開発普及員として海外に行くことを目標に掲げていた。しかし、いざ、その目標を現実のものにするためにJICAに応募するも二次試験の健康診断でストップがかかった。「心臓に問題が見つかり、すぐに手術をすることになりました。青年海外協力隊をめざして一直線だったから、途方に暮れましたね。でも、病室で考え直したんです。農業だったら、地元でもできるんじゃないか、と」それは、澤井さん、26歳のときの一大決心だった。

最初に澤井さんが手がけたのは、自宅でできる養鶏だった。4羽の鶏を手に入れ、鹿児島の養鶏家に教えを請いながら、放し飼いの養鶏を始めた。すぐに卵を産んでくれるだろう、と思っていたが初めて鶏が卵を産んでくれたのは、10か月後のことだった。「とにかく、この1個が神々しくて。食べものに見えませんでした。家族といっしょに割ってみると、ぷっくりとおいしそうで。生で食べてみると、さらに感動しました。これが卵か!って」

自作のツリーハウスで、食への想いを語る澤井さん。

それから、養鶏がおもしろくて、力を入れるようになった。おからや給食の残飯といった地域の未利用資源を集め、発酵させ、餌づくりにこだわった。そうすると、明らかに卵の味が変わった。それから少しずつ規模を大きくし、安定的に卵を供給できるようになったときに初めて、「どこで売るのか」という問題が立ちはだかった。そこで、地元の麹屋に卵を持ち込んで相談した。食に対して厳しい目をもつ店主に味を認められ、卵の1個売りを始めた。それが、もじょか堂のはじまりだ。

生産者のもとを訪れ、話をすることで、澤井さんは食材を理解する。(澤井さん撮影)

水俣市の東部にある棚田の風景。清らかな湧水の里でもある。(澤井さん撮影)

食を通じて、地域に貢献する

「もじょか」とは水俣の方言で、「かわいい」という意味。かわいい、かわいい食材たちを、大事に、大事にしていきたい、という澤井さんの食材への愛が込められている。そして、もうひとつ、名前に込めたものがある。ニュージーランドに留学していたときに出会ってそのおいしさに衝撃を受けたアボカドだ。「アボカドゥ、もじょか堂、響きが似てませんか(笑)。産地で食べたアボカドが、こんなにおいしいものか、と衝撃的だったんです。その出会いが、私の農業の原点になっているしだからこそ、名前にもアボカドをイメージさせたかったのです」

2007年に澤井さんひとりでスタートを切ったもじょか堂は、地元の建設会社の新事業として2009年にネット販売を展開することに。澤井さんの卵だけでなく、地元の農産物に目を向け、発信する場として広げてきた。途中、鳥インフルエンザが流行したことで養鶏を断念するも、新しい試みとして、4年前から澤井さんの原点であるアボカド栽培に取り組み始める。「これまで露地栽培で自然に育ててきましたが、今年は台風の影響で1個を除いてすべて落ちてしまいました。現在は、新しくハウスをつくり、土づくりから試行錯誤を始めているところです。水俣、という土地に合った栽培方法を見つけて、確立して、水俣をアボカドの一大産地にすることが目標です」

今年の台風の被害にも負けなかった、たった1個のアボカド。

土づくりから模索しながら取り組んでいる、アボカドのハウス栽培。

そのほかにも、高齢化によって耕作困難となっていた農園でマイヤーレモンの自然栽培にも取り組み始め、今年初めての収穫物を販売。また、取り引きのあるレストランシェフの発案から、水俣の棚田でリゾット米の生産・販売を手がけている。その一連の取り組みの根底にあるのは、「地元の産物の価値を高めたい」という想い。価値を高めることで、地元の生産者の“つくる喜び”につなげたいと澤井さんは考えている。

自然栽培のマイヤーレモン。酸味が少なく、ジュースに適した品種。

水俣市の棚田で栽培しているリゾット米。

持続可能な農業へ、その新たな一歩

2014年10月、もじょか堂は建設会社の事業から独立して法人化。さらに、2015年12月には、スタッフが編集長となり『水俣食べる通信』を発刊させることになった。澤井さんがめざしている、地元の持続可能な農業・漁業のあり方。効率的にその価値を伝えていく方法を模索した結果、直接生活者とつながることが一番の方法であり、それを実現する手段として考えた結果だ。「現代は、ひとりの人がいろんな価値観を持っている時代。食に対しても、そう。そのさまざまにある価値観をどうやって結びつけたらいいのか考えているときに、東北で始まった『食べる通信』と出会いました。『食べる通信』のすばらしいところは、生産者さんと読者をつなげる受け皿となっていること。顔が見えるだけでなく、生産者さんに会いに行けることが大きな利点。再生した水俣だからこそ、伝えられるものを発信していきたい」と意気込む。

もじょか堂のスタッフが編集長を務める『水俣食べる通信』は、2015年12月に第1号が発行予定。

「食と人間とのつながりは、水俣から発信するから意義がある」

その言葉を、東京から移住してきたスタッフから聞いたときに、澤井さん自身、ハッとさせられたという。「水俣は私自身のふるさとでもありますが、外から見ていた人たちの目に映る水俣を知り、あらためて、水俣で食について取り組むことの意味に気づかされました。水俣だからこそ、できることがある、と。まぁ、想いは大きくても、日々やっていることはコツコツと、地味なものなんですけどね」と語る澤井さんの目は、足元の土地を見つめながら、10年後、20年後、さらにその先につながる、持続可能な社会を向いている。

澤井さんの視線の先にあるのは、持続可能な地元の農業。

profile

KENTARO SAWAI 
澤井健太郎

1979年水俣市生まれ。水俣市にある食のセレクトショップ〈もじょか堂〉代表。26歳のときに4羽の養鶏からもじょか堂をスタート。2014年10月には法人化し、食に対する取り組みの展開を広げている。

information

もじょか堂

住所:熊本県水俣市大園町1-3-6

TEL:0966-83-5004

営業時間:10:00~18:00(土日祝は9:00~18:00)

http://www.mojoca.net/

writer profile

Yoko Yamauchi

山内陽子

やまうち・ようこ●企画と文章。熊本生まれ、熊本育ち、ちょっと放浪、熊本在住。地元を中心に、広告・広報の企画を手がけています。おいしいものが大好きで、お米、お水、お魚、お野菜、いろんなおいしいものにあふれている熊本から離れられません。

credit

撮影:木下幸二(熊本在住)

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芋掘り、遠足に登山。実りの秋と森のようちえん

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イベント盛りだくさんの秋

「おかあさん、おのみちで◯◯したよねぇ。たのしかったよねぇ」4歳の娘は、智頭に来る前に住んでいた尾道のことを、ふと思い出して話し始めることがよくある。私が「そっかー、尾道が好きだったんだねぇ」と言うと、「うん。でもちづもすきだよ!」と屈託のない表情で答える。森のようちえんの友だちがいるから。というのが主な理由らしい。

そう、智頭に来てから半年、家族の誰よりも環境に順応し、毎日をはつらつと過ごしているのは、間違いなく娘だと思う。最初の頃は、ようちえんでみんなと一緒にいても、ひとりで行動することが大半だったようだし、周りがあまり見えていないようなところもあったけど、最近では、友だちと関わりながら遊ぶことが増えてきて、困っている子がいると助けに行くようなところもでてきた。

わたしが夏から仕事を始め、お迎えの時間が遅くなったことで寂しがるかな? と最初は心配したのだけど、毎日一番最後にお迎えに行っても、落ち着いた様子で待っている。きっと、彼女にとって、ようちえんが心地よい居場所になったのだな。「満たされている」という言葉がぴったりな表情を見ながら、しみじみと思うのであった。

森のようちえんの拠点となっている古民家〈まるたんぼうハウス〉。夕方まで預かり保育の子は、ここでお迎えを待つ。

柿の木に登って得意気。

まるたんぼうハウスから見た夕暮れの空。

ある日のおみやげは、まるたんぼうハウスの近くで採ったイチジク。

秋はようちえん関連のイベントも盛りだくさんで日々わくわくしながら過ごしている娘を見るのが楽しみでもあった。

秋の入口の快晴の日は、年少組の家族が集うデイキャンプ。智頭町のお隣、用瀬町の河原にて、バーベキューをしながらのんびり。お友だちのお父さんがカヌーを持ってきてくださり、子どもたちを順番に乗せてくれた。水面を滑るように進むカヌーの気持ちよさそうだったこと!最初は怖がっていた娘も、一度乗ってみたら相当楽しかったようで満面の笑みで降りてきた。そのうち友だちと一緒に服を脱いで水に入り始め、(日差しは強かったけれど、水は冷たい!)唇がすっかり紫色になるまで出てこなかった。

心地よい河原でのデイキャンプ。

お友だちのお父さんが持ってきてくれたカヌーが大人気。

服を脱いで冷たい水に入り始めた子どもたち。

10月のはじめ、ようちえんの畑でのさつまいも掘りは、掘った芋をどうやって食べるか、みんなで意見を出し合って決めたらしい。話し合いの結果、芋団子と天ぷら作り、さらに芋の早食い競争もする“ハロウィンまつり”が親も招待して開催された(私は仕事で行けなかったけれど)。まつりの前日には、子どもたち自身が招待状をつくったり、準備に精を出していて娘も張り切って描いた何枚もの(笑)招待状を私にくれた。お芋を収穫した日に、「土がついたまましばらくおいておくと甘くなるんだって~」とうれしそうに言っていたのが印象的だった。

10月半ばには砂丘遠足。みんなで歩いて大砂丘を超えて、海まで行って来たそうだ。鳥取といえば……の砂丘だけれど、智頭に来て初めて砂丘を訪れたときは、予想を超えるそのスケールの大きさに驚いた。大砂丘を登るのは大人でもちょっと息が上がるくらいだし、娘も前に行ったときは「抱っこ~!」となっていたけど、今回はちゃんと歩いたんだね。とはいえ、超マイペースな彼女は、友だちとじゃれあいながら、帰りのバスに乗り遅れそうなほどゆっくり歩いていたそうだけど。

春に訪れたときの砂丘。大砂丘はかなりの急斜面。

登山で起きたちょっとした出来事

10月の終わりには、年間の一大イベントでもある那岐山登山。那岐山は、智頭町(鳥取)と奈義町(岡山)の境にある、標高1255メートルの山だ。年少・年中・年長と少しずつ目標地点を上げていき、年長になると山頂まで登る。娘のいる年少組は、普通に歩くと1時間ほどの地点にある広場が目的地。歩くペースは子どもたち自身にまかされているため、行きはなんと4時間かけて(!)登り、帰りは1時間で下りてきたそうだ。朝10時に登りはじめ、下山したのは夕方4時。疲れた年少さんたち、帰り道ではケンカも頻発していた様子だけれど、こうやって少しずつ体力をつけて、2年後には山頂まで登れるようになるんだなぁ、と思うとこれからの成長に私自身もわくわくしてくる。

こんな風にして、さまざまなイベントや日々の活動を経て娘の表情に、最近ぐっと充実感が増している気がする。森のようちえん・まるたんぼうでは、あらゆることが子どもたち自身にまかされていて、それが充実感につながっているのかな、とも思う。

朝の集合場所、大きな水たまりではしゃぐ子どもたち。

那岐山でのこんなエピソードを、スタッフが教えてくれた。みんなで歩いているときに、Sくんが木の枝でほかの子たちを攻撃するようなことを、頻繁にやっていたらしい。それで、それについてみんながどう思うか、話し合いをもうけた。大半の子は、Sくんがいけない、という意見を出したそうだけど、ただひとり、娘だけが「Sくんは悪くない」ときっぱり言ったそうだ。「みんながSくんにパンチしたりするからだ」と。ことの真偽はわからないけれど、それを聞いて私は、へえー、と感心した。もちろん木の枝で人を攻撃するのはいいことではないけれど、Sくんもなにか理由があるからしているんだよね。物事にはいろんな側面があって、娘がそういう視点を持っていたということ、そしてスタッフが大人の物差しで「いい・悪い」を示すのではなく、子どもたちが自ら考える機会を与えてくれたということ、そのふたつに、感心したのであった。

自分で考えて、決めて、実現できる。友だちとの関わりも、今日の活動も、いろいろなことが。そんな経験を通して、ますます日々の楽しさが広がっているのかな。半年間で、ずいぶん成長したような気がする娘を見ながらうれしい気持ちになる今日この頃である。

お友だちの家の畑で掘らせてもらったさつまいも、道端で拾った花梨、年長さんがくれた柿。秋の実りを全身で感じる日々。

writer profile

Aya Tanaka

田中亜矢

たなか・あや●横浜市生まれ。2013年東京から広島・尾道へ、2015年鳥取・智頭町へ家族で移住。ふたりの子ども(3歳違いの姉弟)を育てながら、マイペースに音楽活動も続けている。シンガーソングライターとしてこれまで2枚のソロアルバムをリリース、またバンド〈図書館〉でも、2015年7月に2枚目のアルバムをリリース。
http://ayatanaka.exblog.jp/

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大家説得に3年! 熊本市内の元資材置場がカッコいいリノベショップへ

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妄想を、最高のかたちにする。

みなさまはじめまして。ASTERの中川と申します。僕たちASTERは熊本市を拠点に活動している内装屋です。個人住宅、賃貸物件、店舗などのリノベーションを主にデザイン、設計、施工まで行っています。

この連載では僕らがこれまで実際に関わってきた物件事例をベースに僕らが思う熊本の魅力的な建物、場所、人を紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

まず初回なので僕が今の仕事をすることになった経緯と今僕らで運営している店をつくった話をしたいと思います。

僕はもともと建築の知識や興味があったわけではありません。二十歳ぐらいの頃、建設現場でのアルバイト経験をきっかけに、その後熊本市内の新規オープンの家具屋へ就職しました。はじめは家具の配送と接客をやっていて、後に住宅のリフォームコーナーへ配属になりました。この頃から内装にも徐々に興味がわいてきたのだと思います。

ようやく仕事にも慣れたころ、実家から仕事を手伝ってくれとの連絡が。僕の実家は熊本市内にある畳屋。畳屋といってもつくるのではなく、畳をつくる畳屋に材料を卸す畳資材の卸売業をやっていました。内装工事部門もあり、そこの人手が足りないということで、僕は実家に戻ることになりました。まあ内装の仕事はインテリア関係だからいいかと。それが現在のASTERです。

理想と現実のギャップ

戻ってきたからには、やる気を出して頑張ろう! カッコいい空間をつくるぜ!と奮起していましたが、そんな気合いは空回りしました。当時の仕事は地場の工務店や不動産屋の下請け業務。特に賃貸アパートの原状復帰がメインでカッコいい空間とはほど遠く、どれも同じ内装ばかり。毎日決まった同じ品番の壁紙の張り替えを、職人さんへ依頼することが僕の仕事でした。仕事だから文句は言えないけど、さすがにずっとそれじゃつまらない。部屋に合わせて壁紙を選ぶことなど現在では当たり前ですが、当時はもとの壁紙と同じ柄を探す行為が、唯一壁紙を選ぶというものでした。

いつか自分たちで自由に考えたカッコいい空間をつくってみたい。でもやり方がわからない。そんな想いを常に抱いて日々過ごしていました。

リノベーションとの出会い

たまに県外などへ行ったときはいろんなショップ巡りをするのが当時の僕の楽しみでした。そして2003年。たまたま大阪のインテリアショップでみつけたフライヤーにこんな言葉が書いてありました。「STOCK×RENOVATION」大阪を拠点に活動されている業界の先駆者、〈アートアンドクラフト〉が開催していたリノベーション展のフライヤーでした。古い空間が魅力的に改修されていて、とにかくカッコいい。「コレばい!」と直感的に思い、冊子『STOCK×RENOVATION』も取り寄せました。

アートアンドクラフトが2003年に出版した『STOCK×RENOVATION』の冊子。

実家の仕事に違和感を感じていたなかで、初めて知った“リノベーション”という方法。「僕がやりたかったのはこんな空間づくりだ!」と、リノベーションについてすぐに調べ始めました。そうして知ったのがデザインだけでなく、日本は欧米に比べ、家の平均寿命がとても短いことや、年々空き家が増えて家が余っていることなど、日本の住宅事情について、このとき初めて知りました。

そしてリノベーション事業の草分け会社である、東京の〈ブルースタジオ〉を知り、パイオニア的存在であるこの2社に憧れ、このときをきっかけにただの内装会社から、物件の価値を高めることができるリノベーション専門の内装屋へなることを目指しました。

もちろん最初はほとんどリノベーションと言える仕事はなく、内装の手直し工事やリフォームばかりでしたが、目指すところがあると俄然日々の仕事もやる気がでます。その後、徐々に熊本にもリノベーションという言葉が露出し始め、2007年ごろから僕らも少しずつですが仕事の依頼が来るようになってきました。

僕らがリノベーションをするとき、使用する建材やパーツに特にこだわります。建材店や近くのホームセンターには好みの建材やパーツが売っていないこともあるので、インターネットで建材をよく買っていました。そしてスタッフとともにいつも言っていました。

「近くにこんなお店あったらいいよね」と。

それでだんだんと欲求が高まり、僕らが使いたい建材やパーツをストックして置く場所がほしい。いや、いっそのことショップにして販売もしよう!と、自分たちの店をつくる目標ができ、熊本市内で突如物件探しが始まりました。

岩崎ビルとの出会い

僕らの事務所は熊本市内の九品寺というまちにあります。熊本城やアーケードがある中心市街地から徒歩圏内にあり、学校なども多いエリアです。数年前、いつも通る道路で信号待ちをしていて、ふと横を見ると、とても魅力的な建物が。ずいぶん昔からあったようけど特に気に留めることもなかったビル。ただじっくり見るとなんとも魅力的なビルでした。築48年。RC造3階建で、建築資材屋さんが所有する〈岩崎ビル〉でした。

施工前の岩崎ビル外観

外壁に貼ってある渋いブラウンのタイルや2階部分のスチールサッシなど48年前の建材がそのまま残っている建物はほかにない味わいがあり、ここで僕らの店ができたら最高だなと勝手に妄想が始まりました。そうして僕は居ても立ってもいられず大家さんのところへこの場所を貸してくれないかと交渉に行きました。

もともとは建材屋さんの資材置場だった。

大家さんと3年にわたる、交渉

当時、1階は資材置場として大家さんが使われていたので、そこを貸してくれと頼みに来た僕は相当不審者(笑)。当然のごとく断られましたが、あきらめきれず定期的にこの大家さんのところへ説得に通い始めました。僕がこの場所でどんなお店をしたいのか、古いビルでもリノベーションで魅力的に生まれ変わることや、現在は資材置場だけど立地がいいのでお店に向いていること。また賃貸収入も入りビルも活性化して価値も上がることなど切々と説明しました。

しかし、なかなか大家さんは首を縦に振らない。あまりにもしつこく僕が来るので大家さんも居留守を使い始める始末。そんな攻防戦が3年ほど続いたちょうどクリスマス時期のある日、いつものように突然僕が訪れると、いつもと少し様子が違う大家さんがこう言われました。

「君があんまりしつこいから身内で話ばしてみた。たしかにウチでは物置きスペースでしかないこの場所を有効に使ってもらえるなら貸してもいいんじゃないかという結論に至った。近いうち荷物ば片づけるけん」

と、ついに大家さんから念願のOKの返事をいただき、ビル1階部分、資材置場の約8坪のスペースを貸してもらえました。

長年妄想し続けたことが現実になるはじまりの瞬間でした。

いよいよお店づくり

店のコンセプトは「街のよろず屋」に決めました。よろずや(万屋)とは多様な商品を扱う商店の呼び名です。「よろず」とは“万”と書き、あらゆるものという意味を持つそうです。昔は人口が少ない地域では需要がないため専門店が成立しづらく、なんでも取り揃える「よろずや」と呼ばれる店が地方に多くありました。現代ではよろずやはコンビニに変わってしまいましたが、僕らは自分たちのまちに、自分たちが欲しいと思うものが揃う“現代版よろず屋”をつくることを目指しました。

店名には九品寺という地名を入れたかったので〈KUHONJI GENERAL STORE〉呼び名は略して“9GS”。熊本弁で言うとちょっと“しこつけた(格好つけた)”名前です。

いよいよ工事開始。もともと仕切りのない、スケルトンの空間だったから解体工事は必要なし。48年前のビルは現在ではつくり出すことのできないさまざまな味わいがあります。長い時を経て出された味のある質感を最大限生かす内装プランにしました。もともとあった荷物を撤去したらいよいよ大工さんが壁をつくっていきます。

施工前の内部

天井は昔の杉板1枚1枚の型枠模様が。

まずは奥にある大家さんの事務所との境界の壁をつくっていきます。

そして、道路側には新しく壁をつくることに。光をたくさん取り込むのと、ショップですから、どんなものを売っているのか、外から見やすくするため、大きなガラスのFIX窓(※開閉できない窓のこと)にしました。

サッシはオリジナルの鉄製。色も鉄の素地そのままの色を生かした黒皮鉄仕上げ。鉄のつなぎ目は通常、溶接しその溶接部分を削りきれいにするのですが、その場合黒皮鉄の色が剥げてしまい塗装が必要になるため、削らなくていいよう、溶接も職人さんにお願いして最小限でしてもらいました。

入口は重厚感ある雰囲気にしたかったので、ドアも同じく鉄でつくりました。

ファサードの壁ができ、鉄のサッシにガラスが入ると少しずつお店らしくなってきました。

店内からみると、こんな感じです。

通常の業務と並行しながらの工事だったので、現場の打ち合わせは、仕事を片付けた夜に行うことも。事務所から近いのでチャリンコで通いました。

店内はリノベーション空間のショールームも兼ねるので、モルタル、ブロック、構造用合板など、さまざまな仕上げの壁にしました。

自分たちでも壁を塗ったり、什器の組立や棚の取付けなどできるところはスタッフみんなでやりました。

業務の合間に、スタッフで塗装しました。

そしてついに、全国のさまざまな場所で買い付けて来た商品たちを並べると僕らのお店“KUHONJI GENERAL STORE”が完成!

DIYパーツや金物に加え、そのほかにもスタッフみんなでセレクトした雑貨、照明、植物、コーヒーまで僕らがこのまちで暮らして、欲しいと思うアイテムがたくさん揃ったよろず屋ができ上がりました。

植物と鉢をセレクトしつくられたプランツたち。

ガラスのショーケースの中にはドアノブなどがズラリ。

コーヒー豆は熊本で人気の『AND COFFEE ROASTERS』のスペシャリティコーヒーを。

2014年12月、ついにグランドオープン。完成後、あんなに反対していた大家さんが、うれしそうに何人も知り合いの方を連れて来られました(笑)。その後、ずっと空いていた2階にも入居希望者が現れ、自分たちでDIYしすてきな革作家さんの工房兼ショップがオープンしました。これまでずっと素通りされていたビルが、今では活気溢れる場所へ生まれ変わりました。

お客さんが店内に入ることでいっきにお店らしくなります。

僕らは大きなまちづくりなどはできません。ただ自分たちが住んでいるまちに自分たちがいいと思う小さな場所をつくることはできます。古い建物の価値を見つけだし、その物件の価値に惹かれる人たちを建物へとつなげリノベーションしていく。そこにできた小さくても新たな価値ある場所におもしろい人たちが集まってきて何かおもしろいことが起き始める。きっとその繰り返しでまちはどんどんおもしろくなるのだと思っています。

僕らはそんなことを毎日楽しみながらやっています。

次回は同じ九品寺エリアにできたコンバージョン複合施設とその中にできた新しい空間と働き方のお話をしたいと思います。

information

KUHONJI GENERAL STORE(9GS) 

住所:熊本市中央区九品寺4丁目1-6 岩崎ビル1F

TEL:096-372-9000

営業時間:10:00〜19:00

定休日:火曜

※駐車場無しhttps://www.facebook.com/kuhonji.general.store

writer profile

SHOTARO NAKAGAWA

中川正太郎

ASTER代表。1977年熊本市生まれ。20代前半から建築現場や家具店など内装に関わる職を経て、
2003年よりASTERで活動開始。ASTERは、熊本県内を拠点に個人住宅、店舗、賃貸物件などデザイン・設計・施工を一貫して行うリノベーション集団。ほかに、運営する“街のよろず屋”KUHONJI GENERAL STOREや、熊本のマニアックな物件を紹介するサイト「あんぐら不動産」なども企画運営している。

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勝手に作るご当地“商店街サンド”。今回は島根県・隠岐の島町でサンド!

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商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。必ずといっていいほどおいしいものができ、ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。

今回は、島根県の離島・隠岐の諸島にやってきた。

フェリーでいくと鬼太郎たちが出迎えてくれる。水木しげるさんの祖先が隠岐の島に縁があるらしく、鳥取県境港市の〈水木しげるロード〉同様、 隠岐の諸島にもあちこちに妖怪の像が設置されている。

隠岐の諸島は4つの有人島と約180の無人島からなっている。海の浸食による奇岩や断崖絶壁が見られたり、島独自の進化をとげる動植物があったりと、古代の姿を残す美しい島々だ。その貴重さゆえ「世界ジオパーク」にも認定されている。そのなかでも今回は、一番大きい有人島・島後(どうご)の隠岐の島町でサンドを作ることにした。

隠岐の島町にきたら玉若酢命神社の〈八百杉〉は必見。樹齢約2000年。写真では伝わらないほどの迫力だ。

遊覧船やカヤックなどで海に出ると、奇岩がたくさん見られる。こちらは穴の形も変だが、周りにムンクの叫びのような顔がたくさん見えてこわい。

夕日がまるで灯火のように見える〈ロウソク島〉。高さ20メートルの細長い奇岩は、今も侵食を続けている。あと数十年後には見られなくなるかもしれない貴重な光景だ。ちなみにこの撮影ポイントまでは船が出ており、船長さんの操縦テクが見もの。

隠岐の島町でアノ人の末裔と作る!

また、隠岐の島といえばかつて島流しの地であったことでも知られている。流されたのは高貴な身分の人が多く、有名どころでは後鳥羽上皇、後醍醐天皇。そして、絶世の美女と名高い小野小町の祖父、小野篁(おののたかむら)だ。小野篁は高官であり百人一首にも出てくるような文人でもある。

と、なぜ小野篁について詳しく述べたかというと、今回サンド作りにつきあってくれた井上靖之さんがその小野篁と恋仲になった「門古那姫(あこなひめ)」の末裔だったからだ。初めて聞く名前ばかりでピンとこないけど、きっと凄いにちがいない。

今回つきあってくれた隠岐の島町出身、隠岐観光協会の井上さん。小野篁とゆかりある方だ。

「子どものころは島を早く出たくて仕方なかった」という井上さん。高校を卒業後に島を出たが最近になって自分の出自を知り、思うところあって戻って来たそうだ。フェリー乗り場からすぐ近くの〈愛の橋商店街〉を案内してもらいながら一緒に食材をさがすことにした。

商店街は神社から始まり、食事どころがいくつか。そのあと花屋さん、靴屋さん、おもちゃ屋さん、クリーニング屋さんなどがポツポツと並ぶ。シャッターをおろす店も多い。

お酒を作る時に使うおいしい水の試飲ができるという酒屋さん。

漁港のまちなので魚屋さんもところどころにある。しかしとれた魚は島で消費しきれないため、ほとんど本島に出荷される。

生活用品や加工品を扱う商店を発見。しかしサンドに合いそうなものは見つけられず。

井上さんは今回の商店街サンドをやるにあたり、食材が集められるかとても不安だったようだ。

魚介類はそのままではサンドに挟めないし、大型スーパー(車でちょっと行くとある)や商店に売っている加工品は本島のものが多い。そして食事は自分の家でとる人がほとんどなので、買ってその場で食べるようなお惣菜はあまりないのだという。

絶景が多く観光にはもってこいの島ではあるが、食べ歩きができるようなザ・観光地というよりは静かなまち、のんびりとしたまちといった感じのようだ。

瓶ビールや日本酒のパックが入っている自販機を発見。時が止まったかのようなお店がいくつか。

かつてあったという離島ブームが去り、少し寂しくなった商店街だが、井上さんの思い出の風景はまだまだまちに残っている。たとえば愛の橋だ。

商店街の名前の由来である〈愛の橋〉。

近所の子どもたちへの愛でできた橋

愛の橋と言うからには、男女の恋や家族愛に関係するかとおもいきやそうではないらしい。かつて遠回りしないと川を渡れなかった子どもたちのために、近所の金物屋さんが私財をなげうちつくったそうなのだ。クリスチャンだった金物屋さんの信条「なんじ隣人を愛せよ」から、愛の橋と呼ばれるようになったという。

偶然にも、遠くにはハート型の窓をした〈味乃蔵〉という食事処が見える。縁起のいい橋だなあ。

橋の上からは港町らしく漁船がならぶ川が見られる。おもしろいのが、家の玄関が川側にもあること。タイの水上マーケットみたい。

うらやましい程の地元感

歩いていると、サンドに欠かせないパン屋さんを見つけたので入ってみることに。どうやら井上さんがよく知るお店のようだ。

〈木村屋パン店〉さん。ここでパンを調達しよう。

入るなり「やっちゃんかい?」とお母さん。井上さんの子ども時代をよく知っているらしい。久々の再会に話はもりあがる。

木村屋さんは家族3人でパン屋を営んでいる。主にはスーパーにおろしているが、こちらの工場でも買うことができるそうだ。

食パンやロールパンといった定番はもちろん、5つの味がランダムに入ったユニークな〈おやつあんぱん〉なんていうのもあった。おやつあんぱんの紹介ニュースはこちら→『あんこはハズレ?!5つの味がランダムに入ったレアなパン。島根県「おやつあんパン」』

無事パンをゲット! 焼きたてふっかふかだ。お母さんは写真が恥ずかしいと隠れてしまった。

お母さんは、久々に見るやっちゃん(井上さん)の近況をひとしきり聞いた後、先日東京で起きていた大きめの地震について気遣ってくれた。隠岐の島では地震はほとんどなく、せいぜい震度1〜2ほどの地震しか起きないそうなのだ。

次に見つけたのは3代続く和菓子屋〈秀月堂〉さん。井上さんと幼稚園が一緒だったという女性が対応してくれた。この地元感いいなあ。

お土産に大人気の〈さざえ最中〉。サンドを食べる前だがいただいてしまった。ラッキ〜。さざえ最中の紹介ニュースはこちら→『トースターで”つぼ焼き”にするとさらに美味しい!隠岐の島の藻塩入り「さざえ最中」』

愛の橋商店街を盛り上げる中心人物のひとりだ。

4年くらい前から売り出しているというこちらの〈さざえ最中〉は中身もそうだがパッケージがとてもかわいい。なんでも、女性目線で隠岐のいいところをPRしていこうという地元の女性グループ 「ロマンティック愛ランド委員会」がデザインしたものだとか。昔からある特産品もパッケージを変えるとさらに売り上げが伸びることがある。新しい切り口でまちが動き出してるんだなと感じた。

む、祠の中に見たこと無いようなものがまつられてるぞ。。

かっぱだ! キュウリをそなえられた姿がとてもかわいい。祠の周りにもかっぱの小さい置物がたくさんあった。

キュウリを入れよというお告げ?

さすが水木しげるさんゆかりの地だ。隠岐の島町にはかっぱ伝説があるのだ。むかし、畑からキュウリを盗んでいた悪かっぱが地主に懲らしめられ、「もう盗みはしないこと」「海で泳ぐ子どもたちに悪さをしない」ことを約束し改心した。以来、水難事故などが起こらないよう水の守り神としてまつられるようになった、という話である。

海に囲まれた島ならではの話である。よし、サンドにキュウリを入れることに決定だ!

商店街の端にあるおしゃれな雑貨屋さん〈京見屋分店〉にも寄った。初代はお茶屋さん、そのあと器を取り扱うようになり、今は雑貨屋へ。島根や隠岐の焼き物や、セレクトされた素敵な雑貨が並ぶ。

懐かしの雑貨もきれいに並ぶ。

こちらは前述のロマンティック愛ランド委員会でパッケージデザインされたハーブソルト。

ここでサンドにうってつけのお店があると情報が入った。ありがたい。

井上さんのおかげもあり、まちの人たちがとても協力的で嬉しい。教わった具材の候補地は商店街から少し離れていたので車で向かうことにした。

商店街のあたりから車で7分ほどの所にある〈福井鮮魚店〉。

魚を使ったフライが並ぶ。アゴ(トビウオ)のメンチカツを購入すると、さばの南蛮漬けをおまけしてくれた。やった!

いや〜んと言って隠れようとするお母さん。恥ずかしがり屋の女性が多いみたいだ。

そしてまた商店街近くにUターン。フェリー乗り場のお土産コーナーで井上さんおすすめの〈うに味噌〉をゲット!

あともうひとつくらい何か欲しいところだけどなにかないかね、と井上さんと頭をひねる。そこで、井上さんがよく食べにいくというカフェでテイクアウトできないものか聞いてみることに。

隠岐の島町ではランチタイムを過ぎると閉まってしまう店が多いなか、営業時間が長くて助かるという〈Spuntino〉。

島の特産のひとつバイ貝が入ったカレーなどオリジナルなメニューを出すお店。ぜひバイ貝たべてみたい! と頼み込む。

バイ貝は癖がなく、刺身でも煮ても焼いてもおいしい巻貝だ。北陸などでもとれるが、もともと隠岐の島からもっていったものだとか。写真は近くの鮮魚店〈りょうば〉で撮影。

フェリー乗り場前にあるふるさと直売所でキュウリを購入。包丁とまな板をお借りしてカットした。

そしてこちらが今回集まった食材。

サンド作り開始! この時がいつも緊張するんだよな。

まずはかっぱが好きなキュウリ、そしてアゴカツを乗せる。それだけで沈んでしまうほどふかふかの米粉パン。

次にカフェで手に入れてきたバイ貝が入ったダシ巻き卵。お店ではからしマヨネーズを塗ったパンでホットサンドにして出しているそう。バイ貝がある時のみに出るメニューだ。

極めつけに、ウニがたっぷり入った味噌をトッピングする。

できた〜! おまけにもらった南蛮漬けを入れたバージョン。ちょっと味の要素多過ぎたかな?

もう1パターンはシンプルに。南蛮漬けなしバージョンもつくった。

いただきます!

かっぱも喜ぶ「とって隠岐サンド」が完成!

隠岐の島のあちこちで見られる岸壁のような姿をしたアゴカツは、揚げてはいるけれど練り物のような食感。ツミレのような、甘さの中に魚独特の苦みがある大人好みの味である。その上にのせたフワフワのダシ巻き卵は、味も舌触りも出会った島の人々のようにとても優しく、プリプリとイカのような食感が楽しめるバイ貝がよく合っている。頂きにのせた贅沢なうに味噌は、まるで船から見たロウソク島の灯火のようにおぼろげに美しく、しっかりとした塩気で存在感を主張していた。

そして最後、それらをまとめあげているのが木村屋さんのやわらかパンだ。下のパンはまばゆいばかりにキラキラと輝く細やかな白波のようであり、上のパンは隠岐の広い空にぽっかりと浮かんだ仙人雲のよう。

まるで隠岐の島全体を彷彿とさせるその姿に、キュウリと化したカッパたちが喜んでいるようじゃないか!もちろん、とてもおいしい。

すごくうまい! と喜ぶ井上さん。南蛮漬けありバージョンも酸味がアクセントになっておいしかったようだ。

さらに井上さんから嬉しい話を聞いた。実は今回の商店街サンド企画をやると決まったとき、商店街の人たちが皆で話し合う、一つの良いきっかけになったというのだ。

井上さんは「また隠岐の島で商店街サンドやりに来てください。次来た時に、またひと味違うサンドができるように頑張ります」と頼もしいことを言ってくれた。またいつか、隠岐の島に商店街サンドを作りに来たい。どんなものができるのかと、今からすごく楽しみである。

隠岐の島町サンドレシピ

・木村屋のロールパン 4個275円 (食パン2枚 130円)

・あんき市場のキュウリ 2本120円

・味彩海道 うに味噌 100g 1280円

・福井鮮魚店のアゴカツ 2個入り300円

・Spuntino のダシ巻き卵 おすそわけ

————————————————————--

合計  1975円

ちょっと余談

夜、サンドの材料を探し中に出会った方が営むバー〈YULAYULA〉へ寄ってみた。

昔のゲームが置かれていたりと居心地がいいバー。スナックや居酒屋だけかと思いきやこういう若者向けのお店もあるのだ。

マスターのお母さんがやっている豆腐屋さんで作った揚げ物をいただいた。サクサクもっちりと食べ応えあり。これもサンドに入れたかった!

特性の豆腐コロッケをいただきながらまちの課題を井上さんとマスターに聞いた。

離島ブームが去り、ほかの人に店をゆずるのではなくシャッターをおろすことを選んだ親の世代。まちに何もないと言って、ほかの地へ飛び出す若い世代。そのどちらの気持ちも理解できるようになった井上さん達の世代(私もだ)が、歯がゆくも、なんとか踏ん張らないといけないのだなと、珍しく考えさせられてしまった。

Information

隠岐の島町 愛の橋商店街

住所:島根県隠岐郡隠岐の島町城北町1番地
http://oki-dougo.info/

writer profile

Kozakai Maruko

小堺丸子

こざかい・まるこ●東京都出身。読みものサイト「デイリーポータルZ」ライター。江戸っ子ぽいとよく言われますが新潟と茨城のハーフです。好きなものは犬と酸っぱいもの全般。それと、地元の人に頼って穴場を聞きながら周る旅が好きで上記サイトでレポートしたりしています。

credit / note

撮影:水野昭子

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超特選レベルの高品質醤油を全国へ届ける長崎・チョーコー醤油

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標準の醤油の2倍の旨みがある醤油

長崎県最大手醤油メーカー〈チョーコー醤油〉。九州の醤油は甘いと言われる要因のひとつとして、鎖国時代にオランダから長崎に砂糖が入ってきたことが挙げられるが、チョーコー醤油で造るのは関東中心に造られるタイプの醤油“本醸造”が7割、全体の生産量の6割以上を本州に出荷している。チョーコー醤油は昭和16年に発足後、高品質の醤油を造る大規模会社として知られるメーカーで、旨みの強い「超特選」等級の醤油が主力商品。九州男児の覇気のある姿勢で挑み続けている。

チョーコー醤油は、昭和16年に長崎の29の醸造元が共存共栄と合理化を目指し、全国初の共同生産・共同販売の会社として設立されました。当時の醤油業界では、効率よく醤油を造ろうと日本各地の醤油組合の組合員が出資して醤油製造工場を設立し、組合で共同生産した醤油を各社に分けるようになりました。そんななか、長崎では力のある1社が他社を吸収するのでも、組合の工場で生産するのでもなく“合併”という道を選択。

タワープレス式の圧搾機。圧搾場は乾燥している状態を保ち、雑菌の繁殖を防いでいる。

木槽タンクを使った〈木樽仕込 国産丸大豆使用醤油〉も販売している。

「設立以後はとにかく品質重視で勝負をしてきました。9割の醤油に丸大豆を使い、できた濃口醤油の窒素は2~2.8(%)。減塩醬油ですら、少なくとも窒素1.79。平均1.85くらいです」と技術部部長の加藤秀男さん。濃口醤油の窒素が2~2.8! JASの規格では、「標準」「上級」「特級」「特選」「超特選」という等級がありますが、それを決める大きな要素が窒素量。醤油の旨み成分であるグルタミン酸などのアミノ酸類は、必ず窒素分を含んでいるためです。JASで定める濃口醤油の標準の窒素は1.2~1.34なので、標準醤油の2倍の旨みがある、つまり濃厚で味わい深いということになります。旨みの強い再仕込醤油ですら、標準の窒素は1.4~1.49。高窒素を目指している蔵元は多数あっても、2~2.8という高い数字は容易に出るものではなく、この数字を保つ蔵元は前代未聞。

実際味わってみると、こんなに旨みのある醤油があるのかと驚きました。塩分は通常の濃口と同じなので骨格ある味わいもあります。ブリのようなしっかりした風味のお刺身や、お肉のソース、照り焼きやカレーのコク出しにもよさそうです。

チョーコー醤油の醤油で作った豚の生姜焼き。肉の甘み旨みと濃厚なコクが口の中に広がる。

全国展開しながら高品質を保つ

また、工場の中は清潔を保ち、仕込みから出荷までに12回もの成分検査と、人が香りや味をチェックする官能検査を行い、すべて合格しないと出荷できない徹底ぶり。この高品質を保つ秘密が、社員が大志を抱く「九州男児」の集まりであること。「社員はとにかく負けん気が強いんです。100人近くいる営業部署の社員が全国の現場の声を拾ってきてアイデアを出し、技術側も造る立場からアイデアを出してきます。会社としてもいいアイデアを出した人を表彰するなど、社内の声を反映する社風があるので、現場は日々改善していますよ。さらに、65歳を定年とし、代替わりや経営革新がやりやすい状態にしています」

そのうえで3割ほどは地元に出荷し、地元向けの甘い醤油に。「地元の人たちはもともと甘口嗜好で、昔の醤油造りの資料を見ても原材料に“砂糖”と書いてあります。うちも地元向けに甘い醤油を用意していますが、甘味成分は甘草・ステビアと天然由来のものしか使いません」とこだわりを貫きます。

充填ラインも隅々まできれいなうえに、現場の声をとり入れて導線がスムーズになっている。

2148個の収納スペースをもつ立体自動倉庫。該当商品が製造日順にボタンひとつですぐに出てくるようになっている。

チョーコー醤油が誕生する前から、チョーコー醤油よりさらに大規模のメーカーが全国に醤油を届けていました。だからこそ効率より品質を優先。高ランクの醤油を造る大規模メーカーとして、勝負をかけていきました。例えば味を濃厚にするために大豆・小麦・塩水を仕込み容器に入れる際に、入れる水分の量を一般の量より1割以上減らしています。そうするとかたくて非常に搾りにくいうえに、とれる醤油の量が減るのですが、それでも旨みの多さを優先。

百数十人の意欲と実行力の強い社員が一丸となり、市場を読み、設備投資をし、商品の品質を向上させる。醤油だけでなく、ドレッシングもポン酢も、ウスターソースもおいしくて、私も繰り返し購入しています。高ランクの醤油や加工品を全国各地の商品棚で手に取れ、価格もお手頃なので気軽に使えるのはうれしいものです。

なお、チョーコー醤油は予約をすれば醤油資料蔵、醤油工場、みそ工場の見学ができます。この連載では昔ながらの造りの蔵元を紹介することが多いので、立派な機械を導入した造りも学んでみてはいかがでしょうか?

醤油資料館には、醤油や長崎の歴史がまとまっていたり、昔使っていた道具などが展示されている。

技術部部長の加藤秀男さんと、背景にはチョーコー醤油のキャラクター「元気くん」が。子どもの頃から慣れ親しんでほしいと思ってつくったという。ちなみにお姉さんのチョーコちゃんもいる。

information

チョーコー醤油

住所:長崎県長崎市西坂町2-7

TEL:095-826-1234

http://choko.co.jp/

writer profile

Keiko Kuroshima

黒島慶子

くろしま・けいこ●醤油とオリーブオイルのソムリエ&Webとグラフィックのデザイナー。小豆島の醤油のまちに生まれ、蔵人たちと共に育つ。20歳のときに体温が伝わる醤油を造る職人に惚れ込み、小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ね続けては、さまざまな人やコトを結びつけ続けている。高橋万太郎との共著『醤油本』発売中。

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小豆島の生産者も出店! 丹波篠山の「ササヤマルシェ」

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お客さんや出店者、いろいろな出会いがあるマルシェ

11月、過ごしやすい気候のこの時期、各地でいろんなイベントが開かれています。小豆島でも毎週末のように商業祭や収穫祭などイベント続きです。

この春夏は日々のやることに追われ、あまり外に目を向けずにひたすら家や畑で働いていたように思います。田舎暮しはとにかくやることが多い(笑)。秋になってもやることに追われているのには変わりないのですが、自分の半径5メートル以内のことだけじゃなくて、もう少し外にも目を向けなきゃ! とそんな気持ちがして、この秋はイベントなどにも時間をつくって参加してみることにしました。

11月最初のイベントは〈ササヤマルシェ〉。ササヤマルシェは、兵庫県篠山市にある河原町妻入商家群で年に1回開催されています。4日間にわたって開催され、丹波篠山地域はもちろん、京阪神や周辺地域から約130店舗が参加。ちなみに今年で6回目だそうです。篠山城の城下町として発展したこの地区は、いまもその趣が残っていてとても美しいところです。一度行ってみたいなと思っていたので、今回ササヤマルシェに参加するのがとても楽しみでした。

マルシェには私たちHOMEMAKERS単独ではなく、島の友人たちと出店。オリーブの木でオリジナルプロダクトをつくってる〈シマイトシ〉のいのうえただひろくんと、今年6月にオープンしたカレー屋〈プラージュ〉の井上憂樹くんとスタッフのめぐちゃんと一緒に、We are from 小豆島!小豆島のオリーブとカレーとコーヒーとお野菜と。

シマイトシのいのうえくんちで今年収穫してつくったオリーブ新漬け。毎年10月10日に解禁されます。

カブ、いんげん、ショウガなど旬のお野菜を準備。

島外で出店となると、ネックとなるのが旅費交通費。島から車をフェリーに乗せて行くと往復で約1万円。そして当初は日帰りで行くつもりだったのですが、よくよく時間を調べてみると朝イチのフェリーで行ったら間に合わない!ということで結局前泊。そうなると宿泊費もプラス。なんだかんだと出費がかさみます。島外で出店してちゃんと儲けて帰ってくるにはそれなりの売上をあげないとだめなんですよね……。今回は、いろんな人との出会い、マルシェ全体の雰囲気を体験、ほかの出店者さんがどんなふうにお店を出しているのかの勉強も兼ねて、ササヤマルシェに向かいました。もちろん商売も!

私たちは最終日の11月3日(祝日)のみ出店したのですが、朝から人の多さにびっくり。10時の開店前からわらわらと人がやってきて、お昼時には行列ができているお店もたくさんあり、通りも人でいっぱいでほんとに賑やかでした。

今年で6回目となるササヤマルシェ。

10時の開店前からどんどん人がやってくる。

人気のお店は朝からずっと行列。

通り沿いにお店が並びとても賑やかな雰囲気でした。

友人と再会したり、新しい人との出会いがあったり、やっぱり「市」というのはワクワクする。自分たちがつくったものを直接買ってくれる人に届けられることもうれしい。そして、マルシェがきっかけになり行きたかった場所に行けることも。

小豆島のお菓子〈島の味〉を買い占めてくれた子どもたち。

そういえば、当日顔を出してくれた自称(他称?)マルシェハンターの友人がいます。全国のいろんなマルシェを訪れ、つくり手に会い、おいしいものやすてきなものをゲットする。それってすごくおもしろいだろうなと思いました。

マルシェハンターの友人も来てくれました(笑)。

撤収後、今回一緒に出店した島の友人たちと。楽しい1日でした。

来年はいろんな地方のマルシェに参加したいなと思っています。そして自分たちが暮らす小豆島でも、そういうイベントを育てていきたいなと。

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

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地域に住まうことを考える展覧会 アーツ前橋『ここに棲む ― 地域社会へのまなざし』

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群馬県前橋市にある〈アーツ前橋〉では、2016年1月12日まで『ここに棲む — 地域社会へのまなざし』という展覧会が開催されている。開催地である前橋に限らず地域社会を見つめ、地域に住まうということや、現代の私たちがおかれている状況について、新たな気づきを与えてくれるような多様な表現や実践を紹介している。ユニークなのは、14組の参加作家のうち、ちょうど半分が建築家、半分がアーティストということ。アプローチはさまざまだが、地域を見つめ直すというテーマにふさわしい作家たちの作品が揃った。

すべてを含めた環境をデザインする

高さのある吹き抜けの空間に、圧巻のオブジェを展示しているのは藤野高志/生物建築舎(いきものけんちくしゃ)。藤野さんは生物建築舎という名の設計事務所を率いる建築家。群馬県高崎市出身で、東京や福島を経て、現在は地元高崎を拠点に活動している。今回展示している作品《キメラ》は、いくつもの建築物が互いに連関し合っているような構造。下にある建物が上にある建物を支え、上にあるものが下にあるものを吊っているような、いろいろなものが複雑に絡み合い、相互依存しているような構造物だ。

建築物、動物、植物、さまざまなものが複雑に絡み合いながら存在しているような、圧巻の作品《キメラ》。藤野さんが実際に手がけたプロジェクトの模型も含まれている。

また、藤野さんはいつも「植物と人類の共生」をテーマに設計しているということを表すように、作品には建物の中に植物が生えていたり、植物や生物の中に人間が暮らしているような模型も見られる。その一部には、2013年に日本建築学会作品選集新人賞を受賞した彼らの事務所《天神山のアトリエ》の模型も見られるが、実際に彼らの事務所は天井はガラス張り、床部分は土で、部屋の中に木や植物が生えているというのだ。常識を覆すような建築で、過ごしにくくないのだろうかと思うが、ご本人はそんな環境を楽しんでいるかのよう。

「東京のような大都会や、福島のように自然が豊かな場所を経て高崎に戻ってきたら、ダイナミックな環境の変化もなくて、とても中庸な場所だなと思いました。でもその中庸さは、地方都市にはよく見られる、日本の普遍性なんじゃないかと思ったのです。こういうところで生活していると、まわりの変化を敏感に感じとりにくいんですが、実は1日のなかで太陽の光や空の色は刻々と変化していく。そういうことを暮らしのなかで感じたくて、こんな特殊な事務所をつくりました(笑)。例えば去年のいまごろはツマグロヒョウモンという蝶がきたけど、今年はまだだなとか、季節によって感じることや、いろいろなことに意識がいくようになります。そういう環境で設計をしていると、自然と図面にも反映されていきます」藤野さんは建物だけでなく、そのまわりにある植物などすべてが環境をつくると考え、それも含めてデザインしていきたいのだという。

細部を見ていくと、アリの巣のような住居や、恒温動物の中に人間が住んでいるような、奇妙な光景がいくつも見られおもしろい。

建築家の乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室は、各地で“小さな風景”を探すプロジェクトを展開している。今回は前橋を含む群馬県内でのリサーチを展示。

人も里山もケアしながら地域とつなげていく

塚本由晴と貝島桃代、玉井洋一による建築ユニット〈アトリエ・ワン〉は、社会福祉法人〈福祉楽団〉と協働しているプロジェクトを展示で紹介。福祉楽団は、千葉県香取市を中心に、特別養護老人ホームや、高齢者や障害者のデイサービスなどの福祉施設を運営する団体。理事が養豚業に携わっていたことから、農業と福祉を地域で結びつけられないかと始まったのが《恋する豚研究所》というプロジェクトだ。ここでは飼料にこだわって豚を飼育し、安全でおいしい豚肉に加工して販売までを手がけているが、障害者と健常者がともに働きやすい環境で作業をしている。

その快適な建物を設計しているのがアトリエ・ワン。福祉楽団の理事を務める飯田大輔さんは、ケアはクリエイティブな仕事だと語る。「例えば人に水を飲ませるということだってジャズセッションのようなもので、クリエイティブなものなんです。そのケアに内在しているクリエイティビティをちゃんと評価して、きちんと社会に発信していかないといけない。それにはクリエイターと協働したほうがいいと思っています。空間がどうあるか、人がどう関わっていくかで、ケアも見え方が変わってくるんです」

アトリエ・ワンと福祉楽団はこれまで《恋する豚研究所》、高齢者と障害児のデイケア施設《多古新町ハウス》のふたつのプロジェクトで協働してきた。

恋する豚研究所の商品はデパートや高級食材店などにも卸しているが、どこにも福祉や障害者雇用といったことは謳っていない。福祉を売りにも言い訳にもしない、というのがコンセプトなのだ。ていねいに商品をつくり、きちんと売れるしくみをつくる。従来、障害者の月給は1万円にも満たないこともよくあるというが、10万円を目標に始めた事業は現在7万5千円くらい支払えるところまできているという。そして大切なのは、地域とつながるということだと飯田さん。「特別養護老人ホームはハード的にどうしても地域から隔離されてしまって、つながりを持とうと思っても持ちにくい。そこを超えるためにはどうしたらいいかと試行錯誤してきました。福祉施設が地域のひとつの資源として常に社会とつながっていることが大事」

福祉と農業を結びつけ、いまは林業ともつながる取り組みを進めている。香取市は緑に囲まれた里山地域だが、ここでも日本各地の山林と同じく手入れをする人がおらず、山が荒れてしまっている。そこで間伐して継続的に手入れをし、間伐材を薪にするなど資源化していくというプロジェクトを開始した。「僕らはケアというものを中心に、コミュニティをつくる、人をつなぐということをしています。山をケアするということと人をケアするということがつながっていくのがおもしろいですね。ただまわりにある課題を解決していくというだけなんですけど」

現在進めているプロジェクトが《栗源第一薪炭供給所》(通称1K)。香取市栗源地域の里山をケアし、間伐材を薪に加工し、燃料として地域に供給するプロジェクト。人も里山も資源化していく。

建築家ユニット〈Eureka〉は、さまざまなリサーチを積み上げながらデザインに生かしていく。代表作である愛知県岡崎市の《Dragon Court Village》の模型のほか、おもに東南アジアにおける集落のリサーチを展示。地域の特徴が表れた住まい方がわかる。

地域の人を巻き込みながらつくる建築

〈ツバメアーキテクツ〉は山道拓人、千葉元生、西川日満里による若手建築家ユニット。今回の展示は、これまで家族のかたちや住まい方が社会のなかでどう変化してきたかを時系列で並べたもの、自分たちが関わったプロジェクトについて、そして全国で見られるユニークなシェアハウスのケーススタディと、大きく3つに分けられている。

なかでもおもしろいのが、彼らが手がけた《荻窪家族プロジェクト》だ。これはもともと建築家の連(むらじ)健夫さんが設計し、高齢者向けのシェアハウスとして考えられていたが、オーナーも次第に考え方が変化し、若い人も関わったほうがいいということに。ツバメアーキテクツのメンバーが呼ばれたときには基礎工事がすでに始まっていた。そこで彼らは、この建物に住む予定の人や地域のNPOなど、いろいろな世代の人を集めて何度もワークショップを重ね、そこで出たいろいろな意見をとり入れ、建築の仕上げや建物の使い方に反映させていった。彼らはこれを「事前リノベーション」と呼んでいる。

《荻窪家族プロジェクト》の模型。ワークショップを重ねながら設計変更をしていった。

「新築なんだけれど、この人のアイデアでこうなった、というのが凝縮されている建物。1階はまちの人の共用部で、住む人だけではなくて地域の人にも開かれた建物になっていて、いろいろな人のアイデアが反映されています。建築デザインというより、いろいろな人を巻き込んだり、どうやってサステナブルな状態をつくるかというチャレンジの側面が大きかったです」とメンバーの山道さん。施工も、デッキに色を塗るなど、できることはみんなで一緒にやった。そうして関わる人が増えることで、竣工した時点でこの建物に愛着を持つ人がたくさんいる状況を生み出すことになったのだ。

今年3月に竣工したあとも、彼らは自治会のような集まりに参加しながら、共用部の使い方などのアイデアを一緒に考えたりしているという。「その人たちと一緒に育てていくような感じですね。いろいろな人が関わって、編集しやすい、物理的にも人間関係的にもオープンな状態になっている建築がおもしろいと思っています」毎回飲み会にまで参加し、密なコミュニケーションをとりながらのプロセスは大変だったと振り返るが、手応えも感じているようだ。シェアハウスのリサーチなどからも彼らの関心事がうかがえ、今後の活動も楽しみだ。

ツバメアーキテクツの展示では、会期中も情報を追加していくために黒板を使用。ワークショップの発表も黒板に残していくという。テーブルも黒板になっている。

国際的に活躍する建築家の藤本壮介は、森のような建築を表現。48本の木にそれぞれ座れるスペースを設置した。彼の初期の作品が前橋にあり、会期中、週末に公開される予定。

近くにある自然を暮らしのなかで感じる

今回の展覧会では館外に展示されている作品もある。美術家、木村崇人さんの作品だ。木村さんがアーティスト・イン・レジデンスで前橋に滞在しながら制作したのは、美術館から少し歩いたところにある東屋を、赤城山の植物で埋め尽くすという作品。東屋は本来、人が集う場所。この東屋も屋根があってベンチがあるが、たばこの吸い殻で汚れていたり、誰でも心地よく利用できる場所ではなかったようだ。それがいまでは緑がたくさんある場所になり、少しだけ景観が変わった。

愛知県生まれの木村さんは、現在は山梨県早川町という南アルプスの山間のまちに暮らす。今年は各地を飛び回っていてあまり家にいられないそうだが、自宅は築150年ほどの古民家を大工さんと直し、ふだんは畑仕事をしたり猟をして暮らしているそう。木村さんが作品をつくるときにテーマにしているのは「地球と遊ぶ」ということ。「頭のなかにあることと実際に肌で感じることというのはズレがあるんです。でも自分で動いて、感じて得たものがリアルだし、そこからものを考えるというのが基本だと思っています。自分の体験をもとに作品をつくっていきたい」自然のなかで生きる自分の実感をもとに、人にも体験してもらえるような作品をつくる。そのため地域に入り込んで制作するというスタイルが多いそうだ。

自分が住んでいる山と赤城山は全然違っておもしろいという木村さん。東屋は川沿いの道にあり、川からポンプで水を汲み上げている。

赤城山は前橋の中心地からほど近いが、前橋の人の日常とつながっているかというと、そうではない。行ったことのない人もいるという。「本当は山と関わっていない人なんていないと思う。飲み水だって空気だって、エネルギーは循環していますから、山の恩恵は何かしら受けているはずなんです」その山をまちとつなげようと考え、この東屋の作品をつくった。山の苔やシダなどの植物をプランターに植え、約1か月間、まちの人に預かってもらい、それらを東屋に集めた。

おもしろいのは、まちの人たちがひと月面倒を見ただけで、植物に愛着がわいているということ。東屋に「私のプランターはどこかしら」と見に来る人もいるそうだ。「山にあったらただの雑草なんですけど、ちょっと手間をかけるだけで人の意識が変わるんですよね。みんなここに立ち寄ってくれると思います。いろいろな人の思いがつまった作品になりました」会期中に植物も成長して変化していく。東屋も再び人が集う場所になって、風景が変わっていくかもしれない。

まちの人たちの手を経て集められた植物。木村さんはここから新たなコミュニケーションが生まれることも期待している。

テクノロジーを駆使し、メディアアートやエンターテインメント、広告などさまざまな分野で活躍するクリエイティブ集団〈ライゾマティクス〉内に結成され、人とテクノロジーの関係について研究開発する〈ライゾマティクスリサーチ〉。展示作品《Internet of Idol》は、位置情報や心拍数、脳波の情報などあらゆるパーソナルデータをオープンソース化し、コミュニケーションやエンターテインメントを生むプロジェクト。

不思議な感覚を呼び起こすまちの風景

美術家の三田村光土里さんは、会場のなかに異質な、幻想的ともいえる空間《LUNA PARK(ルナパーク)》を生み出した。ルナパークは、もともとは1900年代初頭からアメリカをはじめ各国につくられた遊園地の原型。三田村さんは2011年にオーストラリアで初めてルナパークに出会い、子どもの頃に見たような、どこか懐かしい風景に郷愁を覚えたそうだ。現実を忘れさせてくれる、夢やあこがれを叶えてくれるような場所は三田村さんの心をとらえ、いつかルナパークにまつわる作品をつくりたいと温めていたという。偶然にも、前橋には〈るなぱあく〉という小さな遊園地があるのだ。それは三田村さんが見たルナパークとは少し違うが、前橋のまちを歩いていても、どこか時間の止まったような、郷愁を誘うような風景に出会うことができたという。そんな三田村さんの心象風景にあるルナパークを表現したのが、この作品だ。

「前橋は大きなチェーン店もほとんどなくて、個人経営の小さなお店が多い。私は愛知生まれですが、10代の頃に地元で見ていたようなまち並みがあって、それは時代に取り残されたような風景なんだけれど、とても不思議な感覚を呼び起こしました。まちのちょっとした表情にどこか引き込まれるような、異次元に迷い込んでしまうような瞬間がありました」三田村さんはそんな前橋のさまざまな表情を切り取った写真をウェブサイトでも公開し、インターネット空間にもルナパークをつくりあげている。

三田村光土里さんのインスタレーション《LUNA PARK》。取り壊しが決まっている公民館の備品や、リサイクルショップの家具など、ほぼ前橋のものでつくり上げた。

まちの人の活動を活性化していく場所として

美術家と建築家が半々という展覧会はあまり見られないが、若い世代の建築家を紹介する展覧会をしたかったと館長の住友文彦さんは話す。「建築家というとこれまでは大きな社会のビジョンだとかイデオロギーといったことも含めて、社会を牽引してきた存在だと思います。特に高度経済成長期はそういう役割があったと思う。でもそういう時代ではないいま、若い世代の建築家たちはどういうことを考えているのかということに関心がありました。美術作家というのは大きいビジョンやイデオロギーよりは、すごく個人的なことから出発して作品をつくることが多い。だから新しい世代の建築家だったら、美術家がやっているようなことに共鳴できるかもしれないと思って、美術の作家と建築家を一緒にした展覧会を企画しました」結果、2015年のいまという時代に、地域社会とどう向き合うか、何を考えるべきか、ということが提示された展覧会になった。「以前はもっと個人主義でもいいという考え方があったと思いますが、アーティストも建築家も、社会に関わるということが価値観として重要になってきていると思います」

作家でもある小林エリカは、マリー・キュリーと放射能の半減期をテーマにした作品を展示。半減期とは放射性物質が崩壊を繰り返し、その原子数が半分になるまでにかかる時間のこと。ラジウム226の半減期は1601年で、キュリー夫人が純粋ラジウム塩を取り出した1902年を起点にしても、西暦3503年までかかる。これはその時間を表現した《半減期カレンダー》。裏には「母の話をしよう」というテキストとイラストが描かれ、会場で配布している。

グランドオープンした2年前に取材したときに「ハードをつくるだけではなく、ソフトも同時につくっていく」と話していた住友さん。当時からアーツ前橋周辺ではクリエイティブな動きが活発化していたが、いまもまちのいろいろなところで展示をしたり、さまざまな活動が生まれているようだ。「アトリエ・ワンもツバメアーキテクツもそうですが、いまの建築家はハードをどうかっこよくデザインするかではなくて、最終的にそれが人々の活動や生活をどう活性化するのかというところに意識が向いています。展覧会をやってみてそれを強く感じたし、われわれにとっても、この美術館がこの地域とどう結びついていくかということに、すごくいろいろなヒントをもらいました」

昨年は『服の記憶』という展覧会を開催し、今回は「棲む」ということをテーマにした展覧会。来年には「食」にまつわる展覧会を考えているという。今後も意欲的な企画が続きそうだ。「やはりまだ美術が一部の人の趣味の場所だと思っている人は多い。でも個人的には、何かを表現して人と関わるというのは、生きていくうえで必ず必要なことだと思っています。単に絵を描くということだけでなくても、いろいろな表現の仕方があるということを知ってもらう大きな役割が、美術館にはあると思います」

information

ここに棲む 
地域社会へのまなざし

会期:2015年10月9日〜2016年1月12日(火)会場:アーツ前橋http://artsmaebashi.jp/

writer profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画、美術、カルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではその土地のおいしいものを食べるのが何よりも楽しみ。

credit

撮影:川瀬一絵(ゆかい)

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日本で第1号のBIO HOTEL〈八寿恵荘〉が長野に誕生

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日本で第1号のBIO HOTEL

日本で第1号のBIO HOTELが誕生した。長野県の安曇野にあるカミツレの宿〈八寿恵荘〉。ハーブの里としても有名な池田町にある。”BIO”とはオーガニックのこと。

ヨーロッパを発祥とするBIO HOTELは世界で最も厳しいオーガニック基準を規約とするホテルの認証である。食べ物や飲み物、コスメ(シャンプー・石けん・スキンケア用品)は、すべてオーガニック*。タオル、ベットリネン類、施設の建材や内装材も可能な限り自然素材の使用を目指し、CO2の排出削減など、滞在するゲストの健康や自然環境に配慮したホテルだ。

*ヨーロッパのBIO HOTELは、オーガニック/BIO認証を取得したプロダクトだけで構成されている。日本は、それに準じた独自の基準を設定している。

BIO HOTELの名は、環境配慮型ホテル協会(本部オーストリア)が認証したホテルに与えられる。一般社団法人 日本ビオホテル協会代表の中石和良さん(左)と中石真由子さん(右)。真ん中はヨーロッパのビオホテル協会の創設者で事務局長のLudwig Gruber氏。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

ヨーロッパのビオホテル協会(Die BIO-HOTELS)は、2001年にドイツやオーストリアなどにある志の高いホテルやBIO生産・流通団体が集まり発足した。ドイツ最大の民間有機認証団体〈Bioland〉もサポートをする。ビオホテル協会の厳しい基準を満たして認定を受けたホテルは、現在ドイツ、オーストリア、イタリア、スイス、フランス、スペイン、ギリシャを中心に7か国、約100軒(※2015年9月現在)あり、現在、認定申請中の施設も多数あるという。

〈BIO HOTELS JAPAN(一般社団法人日本ビオホテル協会)〉は、ヨーロッパのビオホテル協会の公認を受け、日本で2013年5月に発足した。日本では、BIO HOTELそのものを普及させるだけでなく、BIOというライフスタイルを提案していくことをミッションとしている。

BIO HOTELではオーガニック料理のイベントなども開催。日本ビオホテル協会がセレクトしたBIOの商品、オーストリアワイン大使によるBIOワイン、自然栽培料理家KatiesによるBIO料理をGATHERINGというかたちで表現した映像。

日本でビオホテル協会を立ち上げたのは中石和良さんと真由子さんのご夫婦。もともと和良さんは30年以上、大手家電メーカーなどの企業で経営企画部、財務経理、マーケティングの仕事をしてきた。奥様である真由子さんは、アパレルの仕事からスタートし、不動産会社の経営企画や営業職、外資でのホテル投資ファンドに在籍し、幅広くさまざまな仕事をされていた。ふたりともオーガニックとは無縁の業界。いったいどのような経緯でビオホテル協会を立ち上げたのだろうか。和良さんにお話を伺った。

「まず、オーガニックを生活に取り入れたきっかけは、自分自身の健康でした。実はずっと偏頭痛に悩まされていたんです。日常生活ができないくらい。市販の薬ではきかず、専門医に通う日々。体質改善をしようと2年以上菜食にしたのですが、なかなか治らない。しかし食材をオーガニックにして、科学的な添加物がないものを選ぶようになりました。ストイックになりすぎず、少しだけそのことを意識した暮らしをしてみたら、50年悩んでいた偏頭痛がすっと治っちゃったんですね」

それから本格的にオーガニックを生活に取り入れたという。

「今思うと、起業の転機はリーマンショックにあったかもしれません。妻が働いていた外資系企業の部門が解体されたんです。それを転機に妻はオーガニックの料理教室を始めました。オーガニックでナチュラルな生き方、ライフスタイルを広げていくことでみんな幸せになれるんじゃないかという想いがあって。それから、お米や農作物など、オーガニック生産者の販路開拓やブランディングをやってみましたが、なかなかライフスタイルやカルチャー発信にまでは至らないもどかしさを感じました。もっと大きな広がり、影響力のある発信ができないか。たまたまオーガニックワインの輸入していた友人がビオホテル協会のことを教えてくれたんです」

中石さんは、このモデルを日本にも広めていきたいと考えた。2011年にそれまでいた会社を辞めて、ヨーロッパのビオホテル協会を訪ねることにした。

雄大なアルプスを背にするHOLZLEITENの正面。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

HOLZLEITENの裏庭。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

オーストリア・インスブルック郊外にあるHOTEL HOLZLEITENのSPAエリアのプール。塩素消毒はせず、天然塩とステンレスタンクで消毒している。目を開けても痛くないそう。奥に見えるのは、純粋なナチュラルウォーターのプール。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

HOTEL HOLZLEITENの室内。コンパクトなベッドとベッドメイクがヨーロッパの特徴。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

ヨーロッパのビオホテル協会

「オーストリアのインスブルックの郊外に協会の事務局があります。最初は、ビオホテル協会の創設者で事務局長のルドヴィッヒ・グルーバーさんとメールでやりとりを始めました。日本でビオホテルをやりたい、と。そして、2013年の5月にオーストリアのビオホテル協会を訪ねました。

グルーバー氏は、日本がオーガニックの後進国であることを知っていて、日本で広げることを歓迎してくれました。そのあと、彼の運転する車で、アウトバーンを超スピードで飛ばし、ミュンヘンの山奥にあるビオホテルへ。ビオホテル協会の会長は、加盟しているホテルのオーナーが2年ごとに交代で務めることになっています」

そのときの印象を真由子さんはこう語る。

「木々に囲まれた豊かな環境。澄んだ空気と空の青さが印象的でした。建物も自然に手入れされた庭の中に点在していて、洗練されているミュージアムのように美しかったです。結婚式場やレストランもありました。ビオホテルはだいたい40室ぐらいが平均的な部屋数。開放的な庭があって、散策ができ、建物はウッディだけれど、デザイン性あふれる佇まいです」

旬の素材を使いレベルの高いBIOな料理とビールやワイン。ナッツやフルーツたっぷりのデザート。アメニティも自然派BIOで、紙類も自然環境に配慮したもの。豊かなホテルライフ。なんとかこのモデルを日本にもってきたいと思った、と言う。

ドイツバイエルン地方フュッセンにあるHOTEL EGGENSBERGERの居心地いい食堂。このホテルは、食べ物・飲み物だけではなく、環境や電磁波対策などにも積極的に取り組んでいる象徴的なホテル。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

HOTEL EGGENSBERGERのアプローチ。地元の民族衣装がかわいい。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

EGGENSBERGERの人気の屋根裏部屋。ベッド横に電磁波遮断のスイッチがある。写真提供:一般社団法人 日本ビオホテル協会

日本のオーガニック商品の流通量は○%!?

ヨーロッパと日本ではオーガニックの流通量はちがう。

「ビオホテルが多く位置する南ドイツとオーストリア北部の南バイエルン地方というのは食材の約20%がオーガニックなんです。一方、日本ではオーガニック食材として有機認証されたものは0.2%程度と言われています。まったくオーガニックの環境が違うんです。まずはそんな日本にオーガニックの文化を広めたいという思いを会長に伝えました。最初は日本とヨーロッパの環境、マーケットの違いにとても驚いていたようですが、最終的には、がんばりなさい、どんなことでも協力するよと言ってくださいました」

帰国後、2013年5月に一般社団法人 日本ビオホテル協会が設立された。

ヨーロッパでは食材、飲み物、コスメ、そのすべてをオーガニック認証されたもので賄い、CO2排出量削減計画を達成することがビオホテルの条件となる。日本では前提となる環境の違いがあるので、ヨーロッパと同じ基準ですべて行うことは難しい。まずは、日本のビオホテルとしての新たな認証基準をつくることになった。さらに、その評価に応じて5リーフから2リーフまでの格付けも。ミシュランガイドの星のように、葉っぱの数で格付けをしていく仕組みだ。

そして2年後の今年5月、日本のBIO HOTELの第1号として長野県安曇野のカミツレの宿〈八寿恵荘〉が認証されることになる。

今年5月、日本のBIO HOTELの認証第1号となった長野県安曇野のカミツレの宿〈八寿恵荘〉。有機栽培のカミツレ(ジャーマンカモミール)のエキスがたっぷり入った”華密恋の湯”で有名。

BIO HOTELブランド

BIO HOTELでは独自のブランド商品の展開を進めている。その事業を行っているのが株式会社ビオロジックフィロソフィ。ビオホテル協会のブランディング、広告宣伝、イベント企画、商品企画・製造・販売などのほか、ライフスタイル関連プロデュース事業やホテル、レストランプロデュース事業、それらに関わる総合マーケティングおよび経営・事業運営コンサルティングなどを行っている。

「たとえばオーガニックなリネンを、合成洗剤を使って洗うことに違和感を持つ人、また、石油系ドライクリーニングが嫌だから自宅で洗えるものしか着なくなったという人も増えてきました。今秋から、BIO LAUNDRYというプロジェクトもスタートさせています。自分の好きな洋服を安全に身にまとう感覚を味わうことで、日本はもっと本物のおしゃれな国になると思っています。この取り組みを通じて、志高いクリーニング店や洗剤メーカーさんとの出会いもありました。天然由来原料99.99%の、0歳児から使える柔軟剤を開発した企業もあります。そういう人たちにちゃんとスポットを当てたビジネスモデルをつくりたい」と真由子さん。

BIO HOTELブランドの商品も発信していくことも必要だと考えている。2014年3月に第一弾としてリリースしたオーガニックコットン帆布を使って製作したスニーカー”LIFE IS A JOURNEY”の2nd editionは、来春3月に。FSC認証の紙とベジタブルインクを使ったサステナブルなメモ帳やデッドストックの生地を使ったプロダクトなどを開発していく予定だ。

次回は日本のBIO HOTEL認証第1号となった長野県安曇野のカミツレの宿〈八寿恵荘〉を取材します。

株式会社ビオロジックフィロソフィのビオホテルブランドのシューズ。ペルー産GOTS認証オーガニックコットン帆布を福岡県久留米市のムーンスター社に支給して製作したスニーカー。

Information

八寿恵荘

住所:長野県北安曇郡池田町広津4098

一般社団法人 日本ビオホテル協会BIO-HOTELS Association JAPANhttp://biohotels.jp株式会社ビオロジックフィロソフィhttp://biologic-philosophy.com

writer's profile

Tetra Tanizaki
谷崎テトラ

たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/

photo

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

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アニメで学ぶ全国の方言。津山弁「てんぐるさん」ってどんな意味!?

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■方言の投稿者より

岡山県の北部の小さな阿波という地区で地域の広報活動をしています。

http://abamura.com

そんな活動のなかで出会った言葉が「てんぐるさん」。岡山県北部地域で「肩ぐるま」という意味です。小さいころ、お父さんにしてもらったてんぐるさんから見た景色が忘れられないという女の子にも出会いました。

credit

投稿者:ぼーくんさん


協力:津山市、あば村運営協議会

creator profile

Yoriko Mizushiri
水尻自子

みずしり・よりこ●1984年青森生まれ。手描きやコマ撮りアニメーションを中心に制作。新作「布団」が第14回広島国際アニメーションフェスティバルのコンペティションに選ばれるなど、気鋭のアニメーション作家として注目を集めている。

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北海道〈自然エネルギーの会〉で山の達人に出会う

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山ライフを楽しむ日端さんとの出会い

エコビレッジをつくるために、山の土地を買ってはどうだろうか?そんなアイデアをくれたのは、岩見沢で農家を営む友人、林宏さんだ(詳しくは連載第1回に)。秋のはじめに、その林さんに誘われて、岩見沢市内を中心に活動を行う〈自然エネルギーの会〉の会合に参加をさせてもらった。この会のメンバーは十数名ほど。市内で自営業を行う人や元教員、農家など、立場はさまざまだが、自然の恵みを利用しながら、暮らしを豊かなものにしていこうと、山をフィールドにした活動を行っている。今日は月に一度の定例会の日で、午前中は運営についての話し合い、午後はメンバーのひとりである日端義美さんが所有する山で、ちょうど食べごろになっているアロニアの収穫が行われた。

アロニアは北米原産のベリー系の小果樹。その実は果実酒やジャムなどに使われる。自然エネルギーの会の皆さんで手分けして収穫を行った。

ブルーベリーよりもポリフェノールが豊富ということで、アロニアは健康食材として注目されている。ひとつ口に入れたら……。フルーティーな味わいの後にパンチの利いた渋さが! アクをいかに抜くのかが、おいしく食べるコツのようだ。

この会に参加し、日端さんに出会えたことは、本当にありがたいことだった。山を買ってそこで暮らす! なんて言っても、実のところアウトドアなんて、これまでほとんど興味はなかったし、山に水や電気などのインフラを整備するとかなりのお金がかかるようだしで、「ちょっと難しいかな〜」と腰が引けていたところだったからだ。日端さんは、岩見沢の上幌地区と宮村地区に、ふたつの山を所有し、そこで木の実や山菜を採るなど、山ライフを本当にエンジョイしているのだった。

アロニアの収穫のために、この日訪ねたのは、上幌のほうの山だ。日端さんがこの土地を買ったのは15年前。当時は、ヨモギなどがおい茂っていたが、草をかきわけ、かきわけ進んでいくと、見晴らしのよい風景がパッと目に飛び込み、その美しさにほれ込んだという。そして、その日のうちに購入を決心。地主さんに、自分がそのとき出せる最大限の金額を提示して、売ってもらった。その後も、周辺の土地を4回にわけて買い足していって、現在、その広さは8ヘクタールになる。

自然エネルギーの会は、日端さんの所有する山を中心に活動を続けている。

日端さんに、わたしがエコビレッジをつくりたいと思っていること、山を買いたいと思っていることを話してみると、すぐに「いい場所があるよ!」と教えてくれた。日端さんが所有する宮村の山のほど近くに、約1.5ヘクタールの土地があり、そこには空家もあるという。なんと、家つきの山!? それなら、水も電気もあってインフラ問題は解決か!!山の日差しのなかで笑顔を浮かべる日端さんは、まるでわたしにとっての“山の神”(!?)。善は急げ! ということで、さっそく翌朝、日端さんに山の土地を案内してもらうことにした。

山購入に向けて、再チャレンジ

この日は、日端さんと市街地の公園で待ち合わせをし、そこから目的の山へと向かうことになった。岩見沢は石狩平野の東部に位置し、その東側には夕張山地が含まれており、市街地から車を20分ほど走らせると山間部へたどりつく。宮村地区に入り、民家がだんだん少なくなり、林を抜けてかなり奥までいくと、あっ、たしかに空家が1軒ポツンと建っている。

空家の前で車を止めると、日端さんはさっそく地図を出してくれた。「いや〜、ごめんね。実は、もう一度、地図を確認したらさ、土地が狭かったんだよね」と日端さん。日端さんは、山の地主さんたちとのさまざまなパイプがあるようで、昨日帰ってからこの土地について調べてくれたらしい。日端さんによると、空家のある敷地は1200坪ほどで、その半分くらいは農業用のため池が占めているのだという。この敷地に隣接して1.5ヘクタールの土地があり、空家と土地とすべてが同じ所有者だと、思い違いをしていたのだそうだ。

地図を見ながら説明してくれた日端さん。山を一緒に購入したいと考えている農家の林宏さんの奥さんも、土地を見に来た。

空家のある土地も1200坪というから、それでも相当広いけど、たしかにため池の面積が広くて、ちょっと使いにくそうな気も……。そのとき日端さんは「所有者は別にはなるけれど、近くに5ヘクタールほどの土地があって、おもしろい使い方ができそうなところがある」とさらなる情報を教えてくれた。ちょうど木が伐採されたあとということで、“ブル道(ブルドーザーが通るために整地した道)”があり、その間を沢が3本流れていて、景観も変化に富んでいるという。「エコビレッジをやるんだったら、ブル道沿いに家をぽんぽんと建てていくといいかもしれないよ」

ブル道……。日端さんは、会話の中で、何度もこの言葉を繰り返した。たしかに、この道はとっても重要だ。連載第3回で紹介したように、山の土地の中に入ってみたいと思っても、まずは草を刈らないことには、一歩も前に進めない。だから、ブル道があって、そこを通れるだけでも、ものすごく便利! なのだ(土地の全貌もつかみやすいしね)。しかも、土地の一部が道路に面している(ここも大切)。そして、一番重要なことは、日端さんの山から近いということだ。仮に山に住むことになったとしても、その前に山の管理の仕方や植物に関する知識を学んでおくことは、ぜったい必要だ(おしかけ弟子になりたいくらい!)。しかし、日端さんによると、この土地は所有者が売りたいと思っても、行政との絡みがあるらしく、売買が成立するのか、具体的なことはわからないという。「この土地がどうなっているか、調べてみたらどうかな? 買えるかどうかは別にしても、そういう経験は勉強になるんじゃない?」まったくそのとおりです! どこまでも親切な日端さん!!ということで、地主さんに話をうかがったり、役所に行ってみたりして、売買の際の条件について、日端さんの協力のもと調べてみることになった。

日端さんの説明を聞く。山に詳しい人がいると、本当に心強い!

「これ、トリカブトだよ」と紫の花を差して日端さん。根に猛毒があり、山菜と間違って葉などを食べて中毒症状を起こすこともある。やっぱり、植物に関する知識は重要だと、あらためて実感。

山とともに生きる姿に触れて

ところで、日端さんは、山をどのように活用しているのだろうか。もともと会社勤めをしていたが、現在は退職して、市街地にある住まいから、毎日のように上幌か、宮村の山に出かけている。なぜ山を買うことになったのかを聞くと、「体が弱かったから」という日端さん。山があればその手入れをして、否が応でも動かざるをえなくなるからと、土地を購入したそうだ。

眺めのいい場所に小屋も立っている。山に住んでいるわけではないが、ときどきここでひと休みをするために使っている。

山のなかの道も、キレイに草が刈られている。山での草刈りは「すぐに成果がわかって」楽しいのだそう。

日端さんの山は、ハーブ畑があったり、苔庭があったりと、超巨大な敷地でガーデニングを楽しんでいるようにも思える。また、いま、クサギという木をたくさん植えて、それを岩見沢の特産にしてはどうかと、自然エネルギーの会のメンバーと計画中だ。クサギの果実は、媒染剤なしで布を鮮やかな空色に染めることができ、また、その花には、山地や渓谷などに分布する青緑色の模様が美しいミヤマカラスアゲハが集まってくるという。クサギが咲く丘に、ミヤマカラスアゲハが舞う、そんな景観にしていきたいと、日端さんの夢はふくらむ。こうした草原のような開けた場所とともに、手つかずの自然林も残されている。ここには、北海道の各地で見られる〈落葉きのこ〉が生えるという(なめこのような食感で、道民の好物!)。そのほか、歩く先々で、クルミや栗、山ぶどうなどがあり、山とはなんと豊かなのだろうと、感動の連続……。

手つかずの自然林。ここに隣接した唐松林には落葉きのこがよく生えるとそうだ。

種をまき、一面のハーブ畑もつくっている。

石を持ってきて、苔庭づくりも。

ああーー、やっぱり山っていいなぁ!日端さんの山を歩きながら、後ろを歩く夫に、そう語りかけると……、「お前は、本当に山に住む気なのか!」と、やや厳しい視線。エコビレッジづくりにようやく賛成し始めた夫であったが、いざ山を買おうと踏み込むと、反対されることもしばしばだ。いま、ここで「うん」と言ったら、考えが甘いと、また説教されそうな空気が漂っているので、「週末だけとか、夏休みだけとか、小屋を立てて住んだら楽しそう。子どもの教育にもいいしね」と言ってみた。

その言葉に安堵したのか、とくに返事もなかった夫だが、家に帰ると、じーっと地図を眺め続けて、ヒゲを触りながら、意外なひとり言をポツリ……。「あの山からだと、子どもはこの小学校に通わせることになるなぁ」えっ、山に住む気あるの???思わず食器を洗う手を止めたが、そう聞きたい気持ちをグッとこらえた。

フフ、あえて何も言うまい……。夫も乗り気? かもしれないということもあり、さらに山探しを続けようと決意も新たに!

次回は、日端さんに教わった山の恵みの活用術について紹介します。

日端さんの山でつくったリース。コクワのツルをくるくる巻いて。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

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