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伝統の醤油とさまざまな加工品を造る老舗蔵 備前・鷹取醤油

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100年以上続く醤油蔵を継ぐという決心

「ドレッシングがおいしいから使ってみて」「〈丼のたれ〉が欠かせなくて、何度も蔵元に訪ねて買っている」ふと出会う何人もの人からお勧めいただく〈鷹取醤油〉。備前に佇む小さな蔵元に土日は200〜300人、多いときは400人もの人が訪れ、売り上げも若い従業員も増えています。この人気の背景には、人を大切にし、品質に妥協をしない至誠な姿がありました。

日本六古窯のひとつ、備前の窯元が軒を連ねる伊部から車を5分ほど走らせると、100年余の歴史が年輪のように刻まれた、伝統的で美しい建物が目にとまる。この蔵が〈鷹取醤油〉。備前熊山から湧き出る良質な伏流水に着目し、明治38年に醤油の醸造元として創業しました。

奥まで続く風格のある蔵。少しずつ改修して古い建物を生かしている。

土日は200~300人。多いときは400人もの人が訪れる。

蔵にたどり着くと、20代や30代の若いスタッフが行き来しては、道行く人たちに「こんにちは!」と気持ちのいい挨拶をし、常連のように親しそうに話す人が出たり入ったりしています。なんて生き生きした蔵元なのだろう。

店頭は売店になっていて、醤油のほかにもドレッシングやたれなどさまざまな醤油加工品が並んでいます。ひとつひとつのポップが凝っていて、商品への愛情を感じます。〈にんにく醤油〉や〈オリーブとたまねぎのドレッシング〉、〈味噌だれ〉など、次々に試食すると、いずれも食材そのものの持ち味を楽しめる、ハーモニーのいい味わい。評判に納得しました。

手がけているのは鷹取醤油4代目・鷹取宏尚さん。「僕が帰ってきた頃は父と母だけでやっていて、この売店ももともとは軽トラックの車庫だった」と話します。当時はここに並ぶ醤油加工調味料はなく、地域に根ざした甘い醤油のみ。それがいまでは、5人の営業担当と15人の製造担当で、40アイテムの商品を提供。他社から依頼を受けた醤油加工品もつくっています。

鷹取さんは蔵を継ぐまではなんと銀行員。安定したいい給料を得て、妻子に恵まれ幸せに暮らしていました。転機になったのは実家の知り合いの醤油屋から受けた言葉。銀行員として会ったとき、仕事の話が終わるとふと、「お前みたいに蔵を継がん人がおるから全国の醤油屋が潰れるんや」と嘆いたそうです。その言葉は頭の片隅に残り、言葉の意味を考えるようになりました。確かに100年以上続いていたものがなくなろうとしている。鷹取さんの両親が深夜に麹のできを見に行っていたのを思い出し、胸が揺さぶられました。

「そんなときに醤油の配達を手伝ってほしいと頼まれて。かみさんとドライブデート気分で配達に行くと、当時90過ぎのおばあちゃんが出てきて、僕を見ると、僕が蔵を継いだと勘違いして『継いでくれたんか、ありがとう。この醤油じゃないとダメなんだよ』と感謝されたんです。ハッとしました。企業にいたら、営業トップだとしても、僕が抜けたら2番の人が1番になる。それだけのこと。でも、うちの醤油は代わりがいない。じゃあ蔵を継ごう! と決心したんです」

鷹取醤油4代目・鷹取宏尚さん。「伏見屋市平」というかっこいい名前も持つ。

おいしさのため妥協しない商品づくり

そして会社を辞めて蔵を継いで23年。「さまざまな商品が生まれてきたなか、根底はやっぱり親父が造っていた味。地域の人が好む甘めでまろやかな醤油が鷹取醤油のメイン。これは変わらない。瀬戸内のあっさりとした魚にもよく合うんです。いま旬のカワハギのお刺身につけて食べても“ぼっけえ”うまくなるし、刺身醤油よりも合う。肉もこの醤油で炒めただけでおいしい。地元の約1600の飲食店にも配達していて、30年や40年、そして60年ものおつき合いがあるお店もありますよ」

そして、鷹取さんが約20年前に醤油を生かした加工調味料を最初に手がけたのが、鷹取醤油の人気調味料〈にんにく醤油〉。「醤油にスライスした生のニンニクを入れて、2か月熟成させたものです。市場に出回るニンニク入りの調味料の多くは、擦ったり、ニンニクの風味を煮出したもの多い。そのほうが速いし扱いやすいから。でもどう試しても、生のままが一番おいしいんです」醤油に生のニンニクを入れて1週間おくと、発酵して詮が飛んでしまったりしたけれど、研究所に通い、むしろ発酵させることでよりおいしくなることを突き詰めた鷹取さん。この経験が〈にんにくドレッシング〉や〈焼肉のたれ〉など、ニンニクを使う調味料のおいしさにつながります。

鷹取さんが初めて手がけた醤油加工品〈にんにく醤油〉。いまでも鷹取醤油の人気商品だ。

醤油ソフトクリームも人気。

このように鷹取醤油では、効率より品質を優先。「決して妥協はしない。〈胡麻ドレッシング〉にも、一般的に使われる卵や乳化剤を一切使用してません。使ったらゴマよりマヨネーズの印象が出てくるから。その分、ゴマをたくさん使ってゴマの香りや旨みを生かし、独自の技術でクリーミーに仕上げたんです。小さな醤油屋だからこそ大手が真似できないことをしないと!」と話す目は生き生きとしています。

そんな鷹取醤油は2015年11月19日に隣の古民家を改装した新店舗をオープン!1階は、商品を料理に使い、試食できるスペースに。例えば希釈の割合を変えためんつゆの使い方や、〈にんにく醤油〉をチャーハンやカレーの隠し味として入れたものなどを口にできます。確かに商品をそのままを味わっても、その使い方まではイメージしにくいけれど、体感したら家でも使いやすくなります。2階では、ドレッシング教室を開催。これまで土日限定で団体向けに開いていましたが、年中、個人でも予約をすれば開催してもらえます。ドレッシング作りのプロから直伝いただけるのはうれしいもの。

鷹取醤油が提供しているものは、“商品”そのものというより、ワクワクする日々。地元の人々が長年愛している甘めでやわらかい味わいの醤油を大切にして毎日の食卓を支えます。味付け醤油、ドレッシングやたれも、ほかでは出し得ないおいしさに仕上げ、よりおいしい料理になるようサポート。醤油をテーマに楽しめる“場づくり”にも力を入れ、人との関係も大切にしています。働くスタッフもこの職場が好きだと目を輝かせながら話します。

鷹取醤油の醤油たち。関東で使われるキリリとしたタイプの醤油もあるけれど、やっぱり地元の人には地域に根ざした甘めのやわらかな醤油が好まれる。

鷹取さんに魅了されて入社し、ポップを手がけたスタッフ。商品を愛情深く紹介してくれた。

鷹取さんが社員によく伝えているメッセージは「醤油は売らなくていい。人の役に立つことをして」なのだとか。その想いが商品の質、また訪ねたくなる温かい関係性になっています。

information

鷹取醤油

住所:岡山県備前市香登本887番地

TEL:0869-66-9033

http://takatori-shoyu.co.jp/

writer profile

Keiko Kuroshima

黒島慶子

くろしま・けいこ●醤油とオリーブオイルのソムリエ&Webとグラフィックのデザイナー。小豆島の醤油のまちに生まれ、蔵人たちと共に育つ。20歳のときに体温が伝わる醤油を造る職人に惚れ込み、小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ね続けては、さまざまな人やコトを結びつけ続けている。高橋万太郎との共著『醤油本』発売中。

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小さな村の暮らしを受け継ぎ、伝えていくIターン4人組〈くらして〉

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暮らしを生業にするということ

長野県の北西、新潟県との県境に位置し、特別豪雪地帯に指定されている小谷村。そのなかでも最北端にあり、一度新潟県をまたがないと入ることができない大網(おあみ)集落は、四方を山に囲まれ、小谷村民でも「行ったことがない」という人がいるほどの秘境だ。

約44戸、70人あまりの住民の6割以上は高齢者。そして、冬は積雪量が3メートルを超えることも少なくない。そんな厳しい自然環境のなかで、人々は独自の文化と生活の知恵を育み、我慢強くもたくましく、他人を思いやる心を持って生きてきた。

小谷村のなかでも大網集落は特に積雪量が多い。高く積もった雪の片づけは重労働だ。

その大網に根ざし、この地ならではの暮らしや伝統、そして人々の魅力を受け継いで伝えていきたいという思いで、2012年から活動をしているのが〈くらして〉だ。メンバーは、いずれもIターン移住した前田浩一さん・聡子さんと、北村健一さん・綾香さん夫妻の4人。

左から、北村健一さん、綾香さんと娘のおとあちゃん、前田聡子さん、浩一さん。

彼らの特徴のひとつは、ただこの地に暮らすのではなく、林業や炭焼きといった山仕事や農業、伝統食の栃餅(とちもち)づくりなど、自分たちの生業(なりわい)もつくり出していることである。

冬になると雪に閉ざされるこの地では、昔は出稼ぎに行く人が多く、いままでは仕事がないからと近隣に移住する人も少なくなかった。しかし〈くらして〉は「ここに住んで、ほかの地域に働きに行くのはもったいない」と考え、「仕事がないなら自分たちで生業をつくろう」という考えに至った。

「暮らしていることが仕事になるといい。“働き手”ではなく“暮らし手”へ」そんな思いが、〈くらして〉の名前には込められている。

「OBS」で培った共通言語

そもそも、4人の出会いは、廃校になった北小谷小学校大網分校を活用した〈(公財)日本アウトワード・バウンド協会(OBS)〉長野校にある。英国発祥で世界30か国以上にネットワークを持つ非営利冒険教育機関のOBSは、大自然を舞台にした冒険活動(登山遠征、ロッククライミング、沢登りなど)にチャレンジすることで、自己のなかに秘められた可能性や他人を思いやる気持ちなど豊かな人間性を育み、「社会の中で自己実現ができる人」を育てることを目的としている。長野校は1989年に開校し、これまでに3万5000人以上が全国から入校。ここで働くスタッフはOBSの仕事をしながら集落で暮らし、地域の活動にも積極的に参加して、地域の人々との関わりを深めてきた。

OBSのメンバーも参加する大網の運動会。

そうしたなかで〈くらして〉の4人は“よそもの”である自分たちを受け入れてくれた地域の人の懐の広さや温かさに触れると同時に高齢化という課題も実感し、この先もこの地で生きていこうと決めた。

「もちろん、この場所が気に入ったことや田舎暮らしが好きなことも定住の理由ではあるけれど、80歳を過ぎてできないことも増えてきた地域の“おじちゃん、おばちゃん”たちのために、今度は自分たちが恩を返していく番だと思ったんです」そう話す浩一さんは2000年、妻の聡子さんは2005年にOBSに入り、以来、大網で暮らしている。

前田さん夫妻の最初の住居の向かいに住んでいた“おばちゃん”。随分お世話になったという。

かつて大網は、糸魚川から松本まで塩や海産物を運んだ「塩の道」の宿場町として栄えたことから、いまもよその人を温かく受け入れる宿場町気質が根づいているそうだ。

それに対し、浩一さんと同年に入校した健一さんは1年で大網を離れ、10年前から北アルプス山麓の大町市にあるユニークな山の仕事人集団〈山仕事創造舎〉で林業に従事。妻の綾香さんは1999年に入校し、5年間OBSに携わったのち、その経験から魅了されたスノーボードに力を入れ、2004年以降はプロとしてトレーニングのために全国をめぐっていた。

ふたりは2008年に結婚。それから終の棲み家を探すために大町市の山奥から小谷村の全地域を回るうちに、OBSの仲間がいたり、かつて世話になった地域の人たちに頼られるようになったことで、2012年3月に再び大網に移住した。それが〈くらして〉を立ち上げる直接的な引き金になった。

北村さん夫妻と、2013年9月に生まれたおとあちゃん。

「自分たちはここで結婚して暮らしていこうと決めていたけど、ある意味では転換期でもあり、この先をどう生きていくかを話し合っていました。そんななかで、ものすごく頼りになる綾香となべちゃん(健一さん)が大網に戻ってきて、一緒に話をするようになると、やりたいことや守っていきたいものが同じだとわかって勇気づけられたんです」(聡子さん)

そんな4人の土台には、やはりOBSの精神がある。この学校は、人間が本来持っている可能性を引き出し、高めることをミッションとしているため、物事を表面的に捉えずに腹を割ってとことん話し合い、何事にも全力で取り組む。だから、4人で「この地域を残し、次の世代に伝えていくことにつながるのであればなんでもやっていこう」と決めたことに迷いはなかった。

村内の子どもたちと。

〈つちのいえ〉ができるまで

4人の生業はそれぞれ。全員が農林業に携わりながら、浩一さんは2013年10月まで常勤していたOBSから要請があれば、いまも非常勤スタッフとして手伝いに行き、聡子さんは東京の写真学校で技術を磨いてフォトグラファーとしても活躍している。温かい雰囲気の写真にはファンも多く、この記事に掲載している写真もすべて聡子さんが撮影したものだ。

聡子さんは大網での暮らしを実家の両親に伝えたい思いから写真を撮り始めた。日々の何気ない風景を自然に切り取る。

山仕事を専門にしている健一さんは外部から伐採などの依頼があれば出かけ、綾香さんは2歳の愛娘・おとあちゃんの育児をしながら栃餅をつくって販売し、4人の活動拠点でもある〈つちのいえ〉を守っている。

綾香さんとおとあちゃん。

〈つちのいえ〉とは、空き家を地域で活用するための補助金を使って2014年に古民家を再生するかたちでオープンした農山村体験交流施設。村営ではなく〈くらして〉が村から指定管理を受けて運営している。

大網の中心部にある築130年を超える古民家を改装した〈つちのいえ〉。

この施設建設のきっかけのひとつには、綾香さんが地域のおばちゃんたちからつくり方を習い、それまで途絶えていた栃餅づくりを復活させたことがある。かつて、大網には栃餅工場があったが、老朽化していたことから「また始めるなら新たな工場が必要ではないか」という話があがり、村役場から空き家を再生して地域の事業を行う施設をつくろうという提案が寄せられたのだ。

栃餅の材料になる栃の実。新鮮な栃の実は濃い色で、よい照りがある。

地域のおばちゃんから栃餅のつくり方を習う綾香さん。

「役場の人たちは積極的だし、おじちゃんたちは『若い人たちがやるならいいんじゃねえか』という。それでも、自分たちは〈くらして〉を始めたばかりで、大きなお金を使って建物を建ててもどのくらい栃餅がつくれるかわからない不安もあったから『まだ早い』と断っていました。ただ、最終的にはおじちゃんたちに『やれる範囲とできるペースで、好きに始めればいい』と言われて、そうだなと」(浩一さん)

こうして集落の中で何度も話し合いが行われ、建築家や地域活性の専門家を交えた勉強会「大網どうするだ会議」なども開催。改修する古民家も自分たちで選び、設計にも携わって、施設での事業も明確化していった。そして、村の中心部にあった築130年を超える古民家を再生した〈つちのいえ〉が2014年6月に完成。栃餅づくりができる作業場を併設し、共有スペースでは小谷村の暮らしが体験できるワークショップなどを開催しているほか、宿泊も可能で、料理は宿泊者が〈くらして〉のメンバーとともに調理をしている。

昔ながらのやり方で、手で皮をむき、灰汁であく抜きをして、時間をかけてつくられる栃餅。

〈つちのいえ〉に併設された栃餅づくりの作業場。

〈つちのいえ〉では、地域で採れた食材を使って宿泊者と〈くらして〉のメンバーがともに調理をし、食卓を囲む。

日本全国共通の課題を抱えて

最近では、そろそろ定年退職を迎え、親の後を継ぐために大網に戻ってくる“おじちゃん、おばちゃん”たちの息子世代もいて、〈くらして〉の活動に興味や理解を示し、よき協力者や相談相手になってくれているという。〈つちのいえ〉はそういう人たちに対してもよい発信の場になっていて、「いいタイミングで〈くらして〉と〈つちのいえ〉が立ち上がった」と4人は声を揃える。

「〈つちのいえ〉を運営することで、ここを訪れた人が小谷村の魅力を見出したり、人との交流を感じる場所にしたいと思っています。そして、ここでの経験が、その人にとっての成長や気づき、学びのきっかけになるといいですね。〈くらして〉が守っていきたいことは特別なことではなく、おじちゃん、おばちゃんたちの日々の暮らしに息づいていることだから、それを大事にしていきたいんです」(浩一さん)

〈くらして〉の活動の一環として、子どもたちを対象に森でワークショップを行う健一さん。

狩猟した鹿を解体して肉を食べ、皮をなめす〈つちのいえ〉でのワークショップ。

ワークショップの参加者は、なめした革から暮らしに必要な道具をつくった。

栃餅づくりも、当初は機械化して特産品として効率的に売り出すことを役場から提案されたが、綾香さんは昔からのやり方自体を残すことが大切だと考え、手間ひまをかけて、できる範囲で生産、販売している。

手間ひまかけてつくられた栃餅は、地域の山開きや祭りのほか、年末には正月餅としても販売されている。

このように地域の伝統や習わしをできるだけ経験して体に染み込ませ、記録としても残している〈くらして〉。その活動は大網全体に広がり、いまでは隣接する姫川温泉地区と共同で「このむらを残していく」を理念に、集落住民による“地域残し”のプロジェクトが進行している。そのなかでも〈くらして〉のメンバーはそれぞれに役割分担をし、浩一さんは「祭りの伝承」を担当。それは、祭りをただかたちとして継承するのではなく、意味や思いも含めて伝え継いでいくことだという。

「高齢化が進んで村の恒例行事も維持できなくなってくるなかで、祭りの知恵は一度失われてしまうと二度と取り戻せないものになってしまう。それは農作業も同じで、この時期にはこの野菜の苗を植えるとか、4と9がつく日は種を蒔かないという迷信のようなものとか、大網流のやり方はネットで調べてもわからず、ここの人に聞かなければ知ることができないんです」(浩一さん)

〈くらして〉の活動をきっかけに、大網ではしばらく行われていなかった盆踊りが2013年に復活した。2015年には小さなやぐらもつくり、30人ほどの地域の人が集まって踊った。

そして、こうした問題は大網だけでなく、日本全体に言えることではないかと聡子さんは話す。

「いま、日本中で同じように過疎化による課題があって、私たちはそれにまっすぐに向き合っている感じです。自分たちがここで諦めざるをえない状況になって、どうしても暮らせなくなったら、この社会の仕組みとして、日本全国みんな難しいんじゃないかって。だから、日本が抱える課題のひとつとしてやってみようと、勝手にみんなを代表しているような気持ちです(笑)。ただ、みんなで取り組んだらできるだろうと根底では自信を持っていても、将来を考えると収入はどれくらいかと不安になることもある。揺れながら、でも、基本的には4人でここでやっていけば、自分たちが考える豊かで幸せな暮らしができると思えています」(聡子さん)

大網には〈くらして〉と同じくOBSのつながりから大網にIターンし、狩猟や獣の皮のなめしなどを行う中村伸治さん、由紀さん家族も暮らす。

おとあちゃんと2日違いで生まれた中村家の美貴ちゃん。

その言葉を受けて、綾香さんも続ける。

「みんなが常に変化に対応しながら進んでいるから、その時々で考えも変化します。でも悪いほうにはいっていない感じです。それに、いまはやりたいことをやりながらも農業とか山仕事とか屋根の雪下ろしとか、仕事はたくさんあるのだから生きていけないわけがない。そのなかで、一般的な稼ぎである“お金に変わる仕事”をどのくらいのバランスでやるかという課題はあるけれど、必要なときはその分を稼げばいい。そういいながら半年後はまったく変わった状況になっているかもしれないですけどね(笑)。でも、4人でずっとやっていくことは変わらないところではあるし、それぞれがやりたいことを幸せに営んでいける4人であればいいな」

そんな4人には、まるで何年もこの活動を続けてきたような落ち着きも感じるが、〈くらして〉としてはまだ始まって2年あまり。「生まれてまだ2歳のおとあみたいなもの」と4人は笑う。

「高熱も出すし、転んで怪我もするし、しばらくはいろいろな痛みも伴うけど、日々そうやって学んで、おとあと一緒に成長している感じやね。まだまだ始まったばかりです」(浩一さん)

〈くらして〉はおとあちゃんと一緒に成長している。

では、この先〈くらして〉はどんな“大人”になり、どんな大網をめざしていくのだろう。

「20年前に村のお祭りを復活させた横川さんという先輩から『人も20年経って成人になるから、物事は20年続けないと』と言われたし、OBSも20年続けてきたことで私たちのような者が出てきました。だから〈くらして〉も20年続けたら次の何かにつながっていくかもしれない。その〈くらして〉の活動を通して大網に移り住む人が少しずつ増えていけば、20年後にまた新しい動きが生まれるかな」(聡子さん)

横川さんが20年前に復活させた大網の祭りは、いまも地域の人に受け継がれている。

価値が多様化し、めまぐるしく変化する現代において、〈くらして〉のようにあえてローカルを選び、生産性や効率ではなくていねいさを求める安らかな暮らしもある。それによって人生全体にも余裕が生まれ、考える習慣が身につく。これは豊かな人生を送るうえでとても重要なことだ。

大網を拠点にローカルな暮らしの可能性を模索し続ける4人の生き方からは、なんだか健やかさと元気をもらうとともに、しなやかで幸せな生き方をあらためて考えさせられた。

information

くらして 
つちのいえ

住所:長野県北安曇郡小谷村北小谷9326

TEL:025-561-1023

http://kurashite.com/index/

writer profile

Hiromi Shimada

島田浩美

しまだ・ひろみ●編集者/ライター/書店員。長野県出身、在住。大学時代に読んだ沢木耕太郎著『深夜特急』にわかりやすく影響を受け、卒業後2年間の放浪生活を送る。帰国後、地元出版社の勤務を経て、同僚デザイナーとともに長野市に「旅とアート」がテーマの書店〈ch.books〉をオープン。趣味は山登り、特技はマラソン。体力には自信あり。

credit

撮影:前田聡子

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“移住おためし住宅”で半年間の空き家探し

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期限ギリギリ、ようやく見つかった物件

11月末、智頭に本格的な冬が訪れた。今シーズン初めての降雪。「きょうねぇ、ゆきふったよ! でもぜーんぜんつもらなかった」智頭に来てから、雪遊びできる冬を心待ちにしていた娘は、ちょっと物足りなそうに、でもうれしそうに言った。わたしはといえば、大した雪にならなかったことに安堵。というのも、わが家はまだ冬用のタイヤを購入しておらず雪の予報にビクビクしていたからだ。職場では、雪道の運転について、周りの方々がいろんなアドバイスをくれた。「車にはスコップと、窓の雪を落とす道具を常備しておいたほうがいい」「橋の下と上は凍結しやすいから気をつけて」などなど……。雪の多い地方に暮らしたことのない私たちは、いまから冬本番に向けてドキドキである。

そんな寒さが訪れるなか、わが家は半年間住んでいた「移住おためし住宅」から、定住する空き家へと引っ越しをした。智頭に来てから探し続けていた空き家が、ようやく見つかったのだ。

空き家探しは、思っていたよりも大変だった。高齢化の進む田舎町、空き家自体はそこらじゅうにあるのだが、仏壇があるから、とか、年に1回帰ってくるから、などの理由で貸したがらない方が多い。また、貸してもいいよ、という物件も、お風呂が壊れている、床や畳がダメになっている、設備が不十分……などお金をかけて修繕しないとすぐには住めない場合が多い。わが家は、智頭町の空き家バンクと、知り合いからの紹介と、両方からあたっていたけれど、なかなか現実的に住める物件に出会うことができず、おためし住宅の利用期限(半年)が迫るなか、焦りは深まる一方だった。

そして本当のギリギリになって、同じ集落で新たに空き家登録をしてくださった方がおり、そのお家を貸していただけることになったのである。

借りることになった空き家。縁側から見える小さな庭。

かつては山林を売買する事務所スペースだった入口の土間。ここで何かおもしろいことができそうだね、と夫婦で妄想。

片づけ前、まだ置物などがたくさん置かれていた。

わが家の場合はなんとかなったけれど、空き家が見つからないために移住を断念するケースも多いと聞く。森のようちえんに入園するために移住を希望する家族も毎年たくさんいるそうだけど、やはり空き家探しが壁になって、実際に移住して来られるのはごく一部だそうだ。

そんな状況を改善しようと、森のようちえん・まるたんぼう代表の西村早栄子さんは、移住者のためのシェアハウス(古民家)購入を考え、クラウドファンディング(ネットを通じた支援金集め)も始めた。これはぜひ実現してほしい取り組み。空き家が見つかるかどうかはタイミング次第というところがあるので、シェアハウスに住みながら、ゆっくり探すことができたらすごくいいと思う。

そんなこんなでわが家が定住する空き家への引っ越しは、まず片づけと掃除から始まった。築50年以上の家の中には、古い家具や置物、さまざまな生活用品が残っている。長いこと人が住んでいないために、埃や汚れもかなりのもの。さらに、確認したらボイラーがついていなかったり、外壁にはびこった蔦の根っこが家の中まで入り込んでそこから水が入って壁が腐っていたり、床が抜けているところがあったり。それらは、大家さんと話し合いながら、修繕していただけるところはお願いするなど、ひとつずつ進めていく。

部屋に残されていた味わい深い家具。

照明もレトロですてきなデザイン。

なんと、私の生まれた年のカレンダーが壁にかかっていた。

こんな風に、空き家を借りるのは、普通の賃貸物件と違っていろんな手間がかかるけれど、苦労以上の魅力もあると思う。賃料の安さはもちろんのこと、いまの家にはない造りや、時を経た味わい深さ、眠っていた場所が息を吹き返していく喜び、自分で手を加えられるおもしろさ。また、大家さんや役場と連絡を重ねたり、同じように空き家を借りている友人・知人から、こんな場合はどうする? 修繕方法は? などアドバイスをもらったり、とにかくたくさんのコミュニケーションが必要だ。そんなところも、おもしろさのひとつだと思う。

手強い埃を掃除して、ようやく荷物が運び込める状態に。

古い家らしい急な階段。

地下室への入口。地下には井戸のポンプが。

いろんな人と関わりながら、暮らしをつくっていくこと。時間はかかるけれど、一歩ずつ。わが家の新しい生活が、また始まった。

2階の窓から智頭の山々を望む。

writer profile

Aya Tanaka

田中亜矢

たなか・あや●横浜市生まれ。2013年東京から広島・尾道へ、2015年鳥取・智頭町へ家族で移住。ふたりの子ども(3歳違いの姉弟)を育てながら、マイペースに音楽活動も続けている。シンガーソングライターとしてこれまで2枚のソロアルバムをリリース、またバンド〈図書館〉でも、2015年7月に2枚目のアルバムをリリース。
http://ayatanaka.exblog.jp/

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銀座〈カフェコムサ〉で、愛媛県産フルーツを使ったスイーツをいただきます!

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銀座〈カフェコムサ〉で、えひめスイーツをいただく

愛媛県産の旬のフルーツを使ったスイーツを、都内飲食店約16店舗を楽しめる〈えひめスイーツコレクション2015〉。そのキックオフイベントの様子をお送りした前編に引き続き、後編ではイベント後に行われた、えひめスイーツの試食会での様子をお届けします。

今回のイベントが開催された〈カフェコムサ〉銀座店は、〈えひめスイーツコレクション2015〉の参加店のひとつ。厳選された旬のフルーツを美しくカッティングして、まるで芸術品のように盛りつけたタルトで知られる〈カフェコムサ〉では11月14日〜27日までの期間、銀座店をはじめ全国32店舗でえひめスイーツが提供されました。

試食会でふるまわれたのが〈柑橘「美柑王(みかんおう)」と「レインボーレッド」のタルト〉、そして今回のイベントのために特別に用意された〈愛媛県産「紅い雫」のタルト〉と〈愛媛県産「柿」のモンブラン〉の3種類のえひめスイーツ。

タルト生地の上にフルーツがたっぷりのせられた、スイーツ好きにもフルーツ好きにもたまらない〈柑橘「美柑王」と「レインボーレッド」のタルト〉

まずは見た目も瑞々しさあふれる〈柑橘「美柑王」と「レインボーレッド」のタルト〉。高い品質基準に合格したみかんである〈美柑王〉と、色鮮やかな黄色の緋赤色の果肉が特徴のキウイフルーツ〈レインボーレッド〉の2種類の愛媛県産フルーツをたっぷり使ったタルト。

かたちも色合いも美しい、まさに“みかんの王様”ともいえる美柑王とレインボーレッド。皮に産毛が全くないのもレインボーレッドの特徴のひとつ。

「キウイのイメージである酸味がレインボーレッドには本当になくて。トロッとした食感で、とても甘いんですよ。美柑王も非常にジューシーで甘みが強いので、ヨーグルト感のあるさわやかなクリームとタルトにあわせました」と話してくれたのは〈カフェコムサ〉のパティシエである水野谷由梨さん。ひとくちいただくと、酸味を少し感じさせるクリームがふたつの果実の甘みだけでなく瑞々しい風味も引き立てていて、食べるごとに心も身体も満たされるおいしさ。

ひと目見たら「食べたい!」と思わずにはいられない〈愛媛県産「紅い雫」のタルト〉。実の中まで美しい紅色なのも〈紅い雫〉の魅力のひとつ。

続いていただいたのが〈愛媛県産「紅い雫」のタルト〉。「イチゴもけっこう品種によって味もさまざまなのですが〈紅い雫〉はとても大粒で甘いのが特徴なので、甘さが引き立つように、少し酸味のあるクリームチーズを使ったタルト生地とあわせています」

その甘さだけでなく、酸味とのバランスと濃厚な味わいが評判の〈紅い雫〉をたっぷり使ったタルトは、〈紅い雫〉の味わいがほかのいちごと格段に違うことを実感させてくれる逸品。そのリッチな味わいは〈紅い雫〉が“大人の味”と言われる理由にも思わず納得してしまうほど。そして驚かされたのが、口いっぱいに広がる〈紅い雫〉の甘い香り。

きれいな円錐形に整った〈紅い雫〉。その味わいを知ってしまったら、ほかのイチゴでは物足りなさを感じてしまいそうなほどに美味。

その香りに驚いていると「今日もショーケースを開けるとのイチゴの香りが、ふわっと漂ってくるんですよ」と教えてくれた水野谷さん。「〈紅い雫〉はお味ももちろんそうなのですが、とてもきれいな円錐の形をしていまして。うちのお店はフルーツを生のままタルトに飾ることが多いのですけれど〈紅い雫〉はかたちもきれいに揃っているので、とてもデザインしやすかったです」

今回のイベントのために特別につくられた〈愛媛県産「柿」のモンブラン〉は、実りの秋を象徴するようなタルト。

そして最後にいただいたのが、スライスされた愛媛県産の富有柿とマロンペーストが段々に重ねられた、秋のおいしさをたっぷりと味わえる〈愛媛県産「柿」のモンブラン〉。「柿のモンブランは毎年色々な産地の柿でつくっている、秋の人気商品です。こちらは柿と栗の下にカスタードクリームを入れて、全体的に甘くしあげています。今回使用しているのは愛媛県産の富有柿なんですけど、少し固めながらもすごく甘みがあって。全体的には甘いイメージなのですが、柿がシャキシャキしてジューシーな食感なので、あまり重たくならずに食べていただけるかなと思っています」

艶やかに熟した富有柿。歯ごたえがあるのにしっかりと甘い富有柿は、柿好きの方にこそ食べて欲しい品種。

柿と栗と聞くと、ちょっと意外に感じられるかもしれませんが、想像以上にその相性は抜群。柿のシャキシャキとしたほどよい歯ごたえと、舌の上でとろけるマロンペーストとカスタードクリームのなめらかさの対比も楽しいタルトは、スイーツ好きにはたまらない味。また柿特有の風味がクリームの後味をさっぱりとさせてくれるので、濃厚ながらもしつこさがなく“いつまでも食べていたい……”と思ってしまうほどのおいしさ。

お話をうかがったパティシエの水野谷由梨さん。昔からフルーツ好きという彼女が一番好きな愛媛県産フルーツは県オリジナル品種の柑橘〈紅まどんな〉。「独特の食感と濃厚な甘みは、ほかの柑橘では絶対に勝てないかなと思っています」

「柿は熟してしまうと皮をむくのが難しいのですけれども、このくらいの固さでおいしく召し上がれる富有柿はケーキとしてしてもとても扱いやすいですね。そろそろ柿のシーズンも終わってしまうのですが、来年はぜひ愛媛県産の柿を使ってみたいですね」と水野谷さん。プロの料理人をも惹きつける様子に、愛媛県産フルーツの品質の高さをあらためて実感させられました。

しかし愛媛県が誇るおいしさあふれるフルーツは、まだまだたくさん。2月末まで展開される〈えひめスイーツコレクション2015〉では店舗ごとにさまざまな愛媛県産フルーツを味わえますので、ぜひ期間中におでかけして、驚きのおいしさに出会ってみてください。

Informtion

えひめスイーツコレクション

editor's profile

Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

credit

撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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沖縄・石窯天然酵母パン〈宗像堂〉宗像誉支夫さん みかさん

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酵母の息吹と先人の仕事に耳を澄ます

那覇市街から北東へ車を走らせ、約30分。国道を西へ折れて高台を上っていくと、やがて道がなだらかになり、畑の向こうに海が見えてくる。道のかたわらに〈宗像堂〉と書かれた小さな丸い看板を見つけ、わきの道を下っていくと、風を避けるようにして白い平屋の建物が建っていた。天然酵母パンの店、宗像堂だ。

辺りには燦々と日がふりそそぎ、がじゅまるの木が生い茂っている。木のドアを開けてなかに入ると、台の上にずらっとパンが並んでいた。まだ辺りが暗いうちから石窯に薪をくべ、じっくりと焼かれたパンたちだ。

宗像堂のカンパーニュをかじると、ライ麦のほろ苦さと酸味が鼻にぬける。クラムは弾力と水分を抱え、噛みごたえがある。ゆっくりと発酵した生地を石窯で焼いているため、表面はパリッと、中はしっとりとした、石窯独特のパンに焼き上がるのだ。このパンの後をひくおいしさが人びとを惹きつけ、カリスマ的な人気を博してきた。いま、沖縄に数ある天然酵母パン店の先駆けとなったのも宗像堂だ。今回はこの店の店主、宗像誉支夫(よしお)さんとみかさん夫妻にお話をうかがった。

後列左から時計まわりに〈角食〉〈ライ麦カンパーニュ〉〈アーサチーズパン〉〈やんばるソーセージベーグルロール〉〈くるみ&カレンズ〉〈黒糖シナモンベーグル〉

宗像堂は、現在の場所に12年。宗像さん夫妻は、パンをつくりはじめて15年になる。だがふたりには、パン屋で修業をしたり、パン職人のもとに弟子入りしたりといった期間がないという。それでなぜ、こんなに味わい深いパンがつくれるのだろう。

「私はもともと、大学院で微生物の研究をしていたんです。それが縁あってパンづくりを始め、独学で研究し、いろんな人やものに影響を受けながらパンをつくってきました。いまでも私たちの研究はずっと続いていて、見えている世界もどんどん変わってきています。おもしろいと思うのが、やればやるほど昔の人たちのやり方に近づいていくというか、昔の人たちの高度さを理解することになっていくんですよ。日本古来の、千年とか1万年という歴史や文化——そういうものを感じながら、余計なものを削ぎ落とし、ベストを尽くしていくことが大事かな」(誉支夫さん)

沖縄の地で

宗像誉支夫さん、みかさん

誉支夫さんは福島県に生まれて琉球大学の大学院に進み、微生物発酵液を練りこんで焼いたセラミックスがウイルスの感染を阻止する方法について研究していた。みかさんと出会ったのは、ちょうどその頃。みかさんは奄美大島に生まれて東京で働いた後に沖縄へ移住し、沖縄音楽のミュージシャン〈ネーネーズ〉のマネージャーをしていた。

「当時の私は、一生研究に携わっていくもんなんだと思っていました。それでみかさんのお父さんに結婚の挨拶に行った時も、“微生物の研究所に勤めますのでよろしくお願いします”と、そういう感じだったんですけどね(笑)」(誉支夫さん)                ところが誉支夫さんはほどなくして体調を崩し、研究所を辞めてしまう。そして、立ち上がれないほど疲弊していた時に出会ったのが、陶芸家の與那覇朝大さんだった。土にふれると、粘土細工や工作が好きだった子どもの頃の感覚がよみがえり、「こんなことを仕事にしていけたらどんなにいいだろう」と思った。当時は、陶器をつくることだけが生きる喜びだった。それから誉支夫さんは與那覇さんに頼みこんで弟子にしてもらい、陶芸の道に入る。

目の前のことに全力で打ち込んでしまう性格だという誉支夫さんは、約3年の間、陶芸の仕事に打ち込んだ。ところが、陶芸の粉塵や釉薬などが原因で喘息にかかり、仕事を続けることが困難になってしまう。

みかさんは、仕事を辞めたのは病気だけが原因ではなかったと言う。

「修業していくうちに、先生から求められることと、彼が表現したいことの間にギャップが出てきて。そのストレスもあったんですよね」

ものをつくる人がしばしばぶつかる壁だ。

「まあ、ものを知らない若者がはまってしまう穴だと思うんですけれど。そこに見事にはまってしまって(笑)」(誉支夫さん)

パンをつくる暮らし

それから誉支夫さんは考えた。陶芸を辞めて、どうやって生きていくか。

「その時は、本当に困っていたんです。ちょうど子どもが生まれたばかりの時だったし、仕事はできないし。そんな時に、研究者時代の友人たちが奈良で天然酵母のパンづくりを教えている楽建寺のお坊さんを連れてきたんですよ。“パンをつくって食べていきなさい”と言って。それで私は最初“器は焼くけどパンなんか焼かないよ”と言っていたのですが、初めてつくったパンの評判が良くて。それから、徐々にやってみようかなという気持ちになっていったんです」

3年間土と向き合ってきた誉支夫さんは、パンをこねるのもうまかった。それから周りの熱心な勧めもあり、2000年より当時住んでいたアパートの一室でパンをつくる生活を始める。

「最初は家庭用のオーブンを借りてつくり始めました。カフェやマッサージ屋さんに配達して、かごをひとつ置かせてもらって、ひとかごずつ増えていくという感じで、少しずつ注文が増えていきました」(みかさん)

それから1年ほど経ちアパートが手狭になってきた頃、現在店がある宜野湾市内の物件に出会い、拠点を移した。見晴らしのいい、高台の外人住宅(*)。だが、周りには緑と人家しかないところ。それから、住居を店としてオープンさせるために改装しながら生活し、パンをつくっては配達するという生活を送った。

そして2003年、ついに宗像堂という名で店をオープンさせる。この時は、店舗は玄関先だけで裏には窯小屋があるだけだった。

* 外人住宅:在日米軍の軍人や家族のために建設された米軍ハウス。1972(昭和47)年の沖縄返還後より、民間にも貸し出されるようになった。白い外壁、四角い建物というシンプルさが好まれ、住宅や店舗として人気を集めている。

アーティストたちとの恊働

テラスの壁に描かれたパンを焼く人の絵は、絵本作家の沢田としきさんによるもの。

宗像堂の店づくりには、店のデザインを手がけたアーティストの豊嶋秀樹さんやロゴを手がけた〈ミナ ペルホネン〉のデザイナー・皆川明さん、テラスの壁にパンを焼く人を描いた絵本作家の沢田としきさん、リーフレットの写真を撮った藤代冥砂さんなど、いろんな人が携わっている。不思議とその時々で助けてくれる人やものに出会い、広がってきたのだ。

ほのかな酸味がおいしい〈角食パン〉は、とあるミュージシャンのオーブンとパウンド型を借りたことがきっかけで生まれた。

「それまでパウンド型のような道具を一切使ったことがなかったんですけれど、その型をお借りしてから食パンをつくるようになりました。しばらくはそのオーブンと借り物の電気オーブンの2台でパンを焼いていました」(みかさん)

それから1年後。ふたりはなんと、友人たちの手を借りて石窯をつくってしまう。

「ある時友人が石窯のつくり方の本を持ってきてくれて、つくってみようということになって。その時に、本がとてもおもしろかったので、著者の須藤章さんに連絡をとってみたんです。そうしたら偶然にも宮古島から本州へ戻るところだというので、手伝いに来てくださって。土台づくりまで手伝っていただいて、その後は自分たちで一気につくりました。それから何度も改造し、いまの窯は5代目です」(誉支夫さん)

窯を横から見たところ。右側が薪をくべるためのスペース、左側が窯にパンを入れる工房になっている。

現在の窯はかまくら型で4層構造になっている。熱の伝わり方を研究した結果、このかたちにたどり着いた。近頃、石窯はヨーロッパでも減っているというから、その工法も窯自体も、かなり貴重だ。

宗像堂の店内。白を貴重とした色味や、使い古された家具が調和し、気持ちのいい空気が流れている。

店のデザインを手がけた豊嶋秀樹さんは、空間構成や作品制作、イベント企画などを手がけ、多彩な表現活動で注目されているアーティストだ。豊嶋さんは10回以上も宗像堂に足を運んでリサーチを行い、店をつくっていったという。

「豊嶋さんは新しい素材を使わず、もともとそこにあったものや道具で制作するブリコラージュという手法で素材と空間のエネルギーを最大限に引き出す作品をつくっているアーティストです。彼は長時間にわたって私たちにインタビューを行い、“宗像堂を展示する”というコンセプトで、宗像堂全体を手がけてくれました。もともとあったものを再利用しているので、看板がカウンターになっていたり、廊下や棚に使用していた木材がテーブルになっていたりします。土地の持つ力や、空間に流れるエネルギー、そこで働く私たちを感じて制作されているせいか、我々もこの空間にインスパイアされています」(誉支夫さん)

テラスの床にほどこされた模様も豊嶋秀樹さんによるもの。豊嶋さんがひとつひとつ型を押していった。

皆川明さんとは、4ほど前に共通の友人である田原あゆみさんのギャラリー〈Shoka〉で出会って意気投合し、お互いに「何か一緒に仕事ができたらいいね」と話すようになった。それから二度目か三度目に会った時に、皆川さんが宗像堂のパンを入れるためにデザインした〈ミナムナパンバッグ〉が生まれた。

パンをかたどった線画とお店のロゴは、皆川さんが宗像堂のテラスで描いたという。宗像堂の魅力を控えめに、それでいて上質に表している。皆川さんと宗像さん夫妻の恊働は、これからも続いてきそうだ。

「いい仕事をしている人に出会うことが、仕事のエネルギーになり、私たちの仕事を助けてくれています。その人が軽やかに仕事を楽しんでいるエネルギーを感じれば感じるほど、作品の心地良さや大きさを感じる。そういう仕事っていいなあ、と。皆川さんも遊び心があって、粋なんだよねぇ」(誉支夫さん)

さまざまな酵母が存在する理由

ふたりが大事にしているもうひとりのパートナーが、酵母という存在だ。

「菌の世界を見ていると、いかにたくさんの種類の菌がパンづくりに関わることが重要かということに気づかされるんです。そこに良い菌、悪い菌というものは一切ない。ただおいしいパンをつくるという目的のもとになるべく多くの菌が集まることによって本当に奥行きのあるものが生まれるんです」(誉支夫さん)

パンづくりの過程で起きている現象も大事だが、人との関係性も大事だと誉支夫さんはいう。

「私はこの仕事をすればするほど、そこで起こっている現象よりも、人との関係みたいなことのほうがむしろ重要だと思うようになりました。つくっている人間同士の意識がどういう風につながってこのパンができ上がっているのか、とか。おそらく、昔の人はそういった人間の深みのようなものを食べものや工芸に、無意識のうちに表現できていたと思うんです。たとえば昔のように、夜の暗闇の中や、メディアをまったく目にしていない状況の中でいい仕事をしようと思うと、いろんなことを自分で感じなくてはならないんですよね。現代では、そうやって想像力を働かせたり、集中したりといったことが難しい状況になってきている。そこをもう少しひたむきに、背景を含めて深く観察しながらつくっていくという作業が大事だと思うんです。そうして仕事を続けていくなかで、いい仕事をしている人や昔のものに出会うと、自分と何が違うんだろうとか、このいい感じがどうやったら出せるんだろう、と考えるようになる。そうやっていろんなものやことがつながり、パンづくりがどんどん深まっていくんです」

ふたりがインスパイアされるもののひとつが、ワインやチーズなどといった伝統的な発酵食品だ。

「すばらしいチーズやワインに出会うと、ものすごく触発されます。優れたものは、口にした時に情景が浮かんでくる。生産者の方がシンプルに食材に向かっている、心意気みたいなものが伝わってくるといいますか。おもしろいことに、私たちが独学で試行錯誤しながらつくってきたパンと、フランスで千年ぐらいつくられてきたチーズが、ものすごく相性が良かったりするんですよ。ということはおそらく、私たちが昔の人のつくり方に近づいていくような仕事ができていて、お互いの味を高め合えるいいハーモニーがつくれているんじゃないか、と。そういった食材に出会うと、私たちにも喜ばれるもの、価値あるものをつくっていけるんじゃないかな、と勇気づけられますね」(誉支夫さん)

酵母を掛け継ぐ

店の裏へまわると小さな工房が立っている。朝一番に訪れたら、職人さんがフル回転でパンを焼き上げていた。

宗像堂のパン酵母は、人から譲ってもらったものをずっと掛け継いでいる。

「人を介して受け継がれてきたものに、自分の歴史を加えて掛け継いでいくことのおもしろさを感じるんです。微生物は環境に適応するものなので、扱う人によってどんどん変わっていく。そのことをわかったうえでおつき合いし、いかにお互いに切磋琢磨しながら、いいパフォーマンスをつくっていけるかどうか。いろんな種類の菌がそれぞれに増えたり減ったりしていくので、その山がどう変化し、どういう風に重なっていて、どの辺でつかまえてパンにしようか——、というところを想像しながらつくっています。それから、自分の中に私たちが常に大切にしている味があるので、そこに響くポイントを逃さないようにしています。それがないと、菌の変化とともにどんどん変わっていってしまうので」(誉支夫さん)

年に一度、武道のワークショップを受けている誉支夫さんは武道とパンづくりは似ているという。

「武道の先生が“言語を超えた世界共通の感覚がある”と言われました。たしかに、武道にもパンづくりにも、本当に“ここ”としかいいようのないポイントがあるんです。先生にそう言われて、自分は普段からそういったポイントを感じながら仕事をしていることに気がつきました。それは自ら感じようとしないと、感じられない。だから私たちは、窯に温度計をつけないんです。温度計があると、自分の感覚で感じるということをさぼってしまうので。感覚を総動員させて、手をあてたり、水を弾く時の音を聞いたりしながら判断しています。そういう仕事をしていると、感覚が死ぬことがない。そうすると、パンが生きてくると思うんです。私たちはなるべくそういう、生きた仕事を心がけています。世の中においしいものが溢れているなかで、そこにないものをつくっていかないと、私たちの存在の意味がないので」

ふたりは今年の冬から、20年来の友人と一緒に小麦の栽培に取り組んでいく予定だという。「まるでわらしべ長者のように縁がつながり、どんどん進化していきますね」というと、みかさんは「私たちはゆっくり進んでいると思っているんですけど」と笑った。

「日常のなかで出会うものと、ゆっくり向き合ってきたという感じですね。いつもその時々で起きることが、ちょうどいいタイミングだなと思うんです」

profile

YOSHIO / MIKA MUNAKATA 
宗像誉支夫 みか

琉球大学大学院で微生物の研究をしていた宗像誉支夫さん(福島県出身)と、沖縄音楽のミュージシャン〈ネーネーズ〉のマネージャーをしていたみかさん(奄美大島出身)が沖縄で出会い、結婚。2003年より石窯天然酵母パン〈宗像堂〉を主宰。独自に研究した方法によりパンをつくり続けている。

information

宗像堂(イートインカフェあり) 

住所 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-2電話  098-898-1529営業時間 : 10:00~18:00 水曜定休http://www.munakatado.com/

writer's prodile

Yu Miyakoshi

宮越裕生

みやこし・ゆう●神奈川県出身。大学で絵を学んだ後、ギャラリーや事務の仕事をへて2011年よりライターに。アートや旅、食などについて書いています。音楽好きだけど音痴。リリカルに生きるべく精進するまいにちです。

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城下町篠山のまちをホテルに見たてる。古民家再生の新しいかたちとは。

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ノオトがこの連載を始めて7回目になります。ついに順番が回ってきてしまいました。一般社団法人ノオト理事の伊藤と申します。当初の予定では、出番はまだ先のはずだったのですが、繰り上げ登板することになりました。

今回は、2015年10月にオープンした〈篠山城下町ホテルNIPPONIA(ニッポニア)〉のリノベーションの経緯や、ホテルの詳細についてご紹介、ということなのですが、ノオトって何する人たち?という方や、初めましての方は、ぜひバックナンバーをご覧ください。

vol.1 古民家から考える地域の未来vol.2 集落丸山が教えてくれたことvol.3 再生された元酒蔵で生まれた、たくさんの縁vol.4 歴史ある銀行建築の再生から始まった、新しい地域づくりvol.5 投資ファンドで実現する古民家再生の未来(その1)vol.6 投資ファンドで実現する 古民家再生の未来(その2)

この原稿を書いている段階では、vol.5、vol.1、vol.6の順番でFacebookいいね!数が多いですね。やはり、みなさん気になる資金面の話を、よく読んでいただいているようです。

さて、本題です。篠山城下町ホテルNIPPONIAは、vol.6でも紹介されたとおり、篠山城を含む城下町全体を「ひとつのホテル」に見立てるという構想のもと、江戸時代から明治時代に建てられた空き家4棟を改修し、11室の客室としたホテル事業です。

時間を重ねた歴史ある建物の中に生まれた客室、丹波篠山をはじめとした、地域の豊かな食材をふんだんに使った創作フレンチ、既存の歴史施設・飲食店・店舗などと連携した歴史的城下町のまち歩きアクティビティなど、「歴史あるまちに、とけこむように泊まる」をコンセプトとした、地域の暮らし文化を体験する、新しいスタイルの宿泊施設となっています。

篠山城下町ホテルNIPPONIAのONAE棟にあるフロント。カウンターは古家具をリメイクしたもの。

ホテルのメインの建物となっているONAE(オナエ)棟は、明治期の建築で、元銀行経営者の住居でした。古地図によると西の城門正面に位置し、城門がなくなった現在では、篠山城跡方面から西向きに伸びている道路の突き当りに位置しており、西町というエリアのシンボルになっている建物です。建物自体も篠山城下町の町家の特徴を色濃く残しており、まち並み景観として大きく貢献していると評価され、篠山市景観重要建造物の指定を受けています。そのONAE棟を中心に、リノベーションの経緯をご紹介したいと思います。

ONAE棟外観。

古い建物を残すことの価値

私が初めてこの城下町ホテル構想を代表の金野、理事の藤原から聞いたのは、2013年の8月頃でした。恥ずかしながら、そのときは「あぁおもしろい発想だなぁ」という程度にしか理解しておらず、よもやこんなに早く実現するとは思ってもいませんでした。構想からは実に5年がかりのプロジェクトですが、プロジェクトが大きく動き始めたのは2014年に入ってからで、この頃に第1弾としてオープンする物件候補が絞られていきました。

現在ONAE棟となっている古民家には、当時90歳のおじいちゃんがお住まいでしたが、ひとりで住むには広すぎるため、売り物件として、通常の物件と同じように不動産情報が公開されていました。しかし、その情報を見て訪れるのは、既存の建物は潰してしまって、新しく集合住宅などを建てようとする人ばかりだったそうです。そこへ、「今の建物にこそ価値があるので、再生をして活用していきたい」と、提案にうかがったところ、大変喜んでくださったことから、NIPPONIAプロジェクトの第1弾物件候補となりました。

ONAE棟と同じ通りに面して北側に位置するSAWASIRO棟、篠山城を挟んで反対側の河原町通りに位置するNOZI棟は、それぞれの所有者の方が、建物自体を大切に思い残されていたのですが、何かまちのために使われるのであれば、貸したり、売ったり……ということも検討したいと前々からご相談をいただいておりました。そこで、NIPPONIAプロジェクトにて、宿泊棟として活用しようということになりました。

NOZI棟と同じく河原町にあるSION棟は、もともと、とある企業保養施設として運用されていましたが、篠山城下町ホテル構想にご賛同いただいたことで、第1弾物件に加わりました。

こうして、第1弾物件の4棟が出揃いました。

改修前のONAE棟外観。

ONAE棟は、外から見るだけでも、十分に広く立派な建物であることがよくわかります。2014年に実際に家の中を見せていただいた際には、家のつくりの重厚さに感心しながらも、歩くスペースがほとんど無いほどにまで、積み上げられ埋め尽くされた生活用品の数々に呆気にとられるばかり。現役の住まいとは言え、圧倒的な存在感を放つものの山を目の当たりにし、「ほんまに来年開業間に合うんかいな~」と心の中では思っておりました。ただ、「ここにも昔は蔵があってな……。あそこの塀は……」と懐かしそうに説明をしてくださる家主さんを見ていると、早く再生した姿を見てもらいたいと強く思ったのでした。

家の中はお見せできませんが、着工前の裏庭の様子です。

猛スピード工事に見る職人集団のプライドと心意気

実際に作業が始まったのは、2015年の4月頃で、10月開業まであと半年という非常にタイトなスケジュールでした。かつ、ファンドからの投融資が決まったとはいえ、決して潤沢とは言えない予算。このふたつの厳しい条件がありつつも、「篠山の価値ある建物の再生を地元の人間がやらんで誰がやるねん」と、古民家再生に実績のある地元工務店の岡田工務店が手を挙げてくださいました。

まずは、とにかく片付け、片付け、片付けの連続で、「心折れへんように、総動員で10人がかりでやったんやで~」と、岡田さんが後日談として、にこやかに語ってくださいましたが、本当に大変だったと思います。

改修中のONAE棟、荷物が運び出されて、絶賛作業中。

荷物がなくなると、建物自体が持つ魅力と素晴らしさが、一気に見えてきました。プロジェクトメンバーの誰もが、「これはいい空間になる」と確信したほどでした。そこから、作業はさらに猛スピードで進み、まさに職人集団の努力と気合と情熱により、わずか半年で、開業にこぎつけることができました。

レストランスペースにするため板間に張り替え。最後の仕上げをしているところ。

古い建物が持つ魅力を最大限に生かすために、離れ・蔵・女中部屋を5つの客室とし、大広間と入口から奥まで続く土間のスペースをレストランに設えました。土間には、多くの人がこの建物に暮らしていた当時を思わせる立派なおくどさんが、そのまま保存されています。

ONAE棟レストランスペースの土間。昔の生活の様子が残る。

各部屋の建具は、ONAE棟にもとからあったものだけでなく、ほかの古民家改修現場から出てきた古い建具をふんだんに活用することで、建物の風合いを殺すことなく、すっと馴染み、懐かしさを感じさせる空間になっています。

ただ古いものを残すだけではなく、現代の生活にあわせて、新しいものを取り入れるべきところもあります。古民家と聞くと水回りはどうなっているのか、と心配される方が多いかと思います。篠山城下町ホテルNIPPONIAでは、客室ごとにバス・トイレが完備されています。立派な梁を眺めながら入浴できるお部屋もあるんですよ。

ONAE棟1階玄関にあった建具が、明かりとりとして2階吹き抜けに嵌めこまれている。

私たちが手がけるプロジェクト以外にも、篠山のまちの中では古民家再生が次々に行われていますが、優れた技術とまちへの愛情を持った職人集団がいることが、篠山の大きな財産になっています。セルフリノベーションやDIY、ボランティア活動といった動きが盛んになっていますが、プロの職人集団による古民家再生を行うことで、技術の継承がなされ、修復産業の再興にもつながっていくと私たちは考えています。

いつもよりちょっとオシャレをして出かける空間に

オープンを間近に控え、ついに軒先には篠山に工房をかまえる職人による手掘りの看板がつき、室内には明かりが灯り始めました。客室にはベッドや家具が入り、レストランには、テーブルと椅子が置かれ、空間が次々と設えられていきます。

古い壁や梁などがつくりだす、時間を積み重ねた空間の中で、決して主張し過ぎることのないようセレクトされた新しい家具たち。まるで、建物自体に新しい命が吹き込まれていく瞬間を見ている気持ちになりました。こればっかりは、実際にこの空間に身をおいて、自分の目で見た人にしか、ため息が出てしまうほどえも言われぬ趣や、美しさは、わかりません。百聞は一見にしかずと言いますが、まさにそのとおりで、写真ではなかなか伝わりきらないなぁ、といつも思います。

ひとつひとつ間取りの違うONAE棟の部屋。

そうして、着々と準備が進み、オープン前日の10月2日には、メディア向けの内覧会だけでなく、地元の方に向けた内覧会を行いました。わずか2時間の間に、大変多くの方に足を運んでいただきました。地元の方からは、「昔はここで遊んだのよね」「懐かしい空間が綺麗になってうれしいわ」といった声をかけていただきました。そんな瞬間が、この仕事の醍醐味かもしれません。

夜には、オープン記念企画として、世界的なヴァイオリニストの古澤巌さんの奉納コンサートを開催しました。ONAE棟の裏庭には、その昔、情報伝達のために、篠山城を中心に50メートルおきにあったと言われる大きなエノキがあるのですが、その木の下で奏でられる力強く美しい音色に、みなさん酔いしれていました。優雅なひとときですね。

エノキの下で奏でられるヴァイオリンの響き。

昼間の裏庭の様子。清々しい空気が流れています。

内覧会・コンサートだけでなく、オープンした後の様子も見ていて気がついたのですが、足を運んでくださるまちの人たちの装いが、いつもとはちょっと違っているんです。少しオシャレをして出かける場所、大事なお客様におもてなしをする場所、そんな空間にONAE棟は生まれ変わることができました。

最後に、少しだけその後の様子を紹介させていただきます。オープンから2か月が経過し、大変多くのメディアに取り上げていただきました。おかげさまで、多くのお客さまにお越しいただいております。

丹波篠山の旬の味覚がふんだんに盛り込まれたフレンチを堪能した翌日は、城下町散策の後、城下町にあるお食事処でランチを楽しまれたり、篠山で一泊、竹田で一泊と歴史的建造物に泊まる旅を満喫されたりと、さまざまな過ごし方でNIPPONIAを楽しまれています。

どの客室のお客様も、夕食・朝食はONAE棟のレストランで。

この動きを広げていきたい

ONAE棟のリノベーションの様子や、プロジェクト関係者のインタビューなどをまとめた、篠山城下町ホテルNIPPONIAのメイキング映像も作成しました。

Making of 「 篠山城下町ホテル NIPPONIA 」

プロジェクトにこめられた想いや、ONAE棟のリノベーション前後の比較、担当工務店さんのインタビューなどがコンパクトにまとめられています。

個人的な見どころは、エンディングロールとともに流れ始める地元の方へのインタビューです。地域の資産である歴史的建築物が再生することで、地域に生まれる影響を語ってくださっているなぁ、と思います。

あちこちで問題になっている空き家を、ただの一軒の「空き家」として見るのではなく、地域の資産と捉え、なりわいを生み出すための空間として再生して活用することで、地域が一体となって再生していく。そんな動きが日本中に広がると、もっと地方がおもしろくなる。そのためにまだまだ突き進んでいかないと、と考える次第です。

information

篠山城下町ホテルNIPPONIA(ニッポニア)

住所:兵庫県篠山市西町25番地 他

http://sasayamastay.jp/index.html

writer's profile

NOTE
一般社団法人 ノオト

篠山城築城から400年の2009年に設立。兵庫県の丹波篠山を拠点に古民家の再生活用を中心とした地域づくりを展開。これまでに、丹波・但馬エリアなどで約50軒の古民家を宿泊施設や店舗等として再生活用。2014年からは、行政・金融機関・民間企業・中間支援組織が連携して運営する「地域資産活用協議会 Opera」の事務局として、歴史地区再生による広域観光圏の形成に取り組む。

http://plus-note.jp

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小豆島産ジンジャーシロップをつくって販売するまで

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農業をして、生活していく

私たちは、小豆島に移住してきて農業を始めました。農業(農を生業とする)と言っていいのかどうかわかりませんが、とにかく畑で野菜や果物を育てて、それを販売して、生活の糧にしています。その収入だけでは厳しいのが現状で、週末はカフェを営業し、そのほかにもWebサイトの制作や撮影などでも収入を得ています。

田舎に移住して農業をしたいという同世代の人たちの話を時々聞きますが、私たちもきっとそのなかのひとりでした。暮らしを変え、自分たちが食べるものは自分たちでつくりたい。そんな思いで始めた畑。

いま思うと、いったいどうやって稼いで生きていこうと思っていたのか……。移住するタイミングで、私たち夫婦はそろって会社を辞めました。同時に無職。よくよく考えるとこわい(笑)。しばらくの間はそれまでの貯金と雇用保険で生きていける、その間に生き方を組み立てていこうと考えていました。

農業に本格的に取り組もうと思ったのは、移住して3か月くらいたってから。想像してた以上に農村だった肥土山(ひとやま)で暮らすようになり、そこにはじいちゃんが残してくれた畑と果樹があり、近所のおっちゃんおばちゃんと話すうちに、やるなら売れるくらいの野菜がつくれるようにがんばろうという気持ちに。新規就農者に対する助成金があったというのも、これならやっていけるかもと思った理由のひとつでした。

ダイダイの収穫。

近所のおっちゃんやおばちゃんから教わることはとても多いです。

小豆島ではいろんな種類の柑橘が育てられています。うちにもじいちゃんが残してくれた果樹がいまも実をつけてくれます。

そしていま、小豆島暮らし4年目となり、まだまだ試行錯誤中ですが少しずつかたちが見えてきました。毎週2回、収穫、出荷しているHOMEMAKERSの旬野菜セット。だいたい10品目くらいのお野菜をダンボールにつめてお届けします。10品目くらいをセットにするために、その倍の20品目くらいを育てていて、その中からその日出荷できるお野菜を選びます。

自分たちがおいしいと思うものをつくりたい

そして私たちがいま一番メインで育てているのが“ショウガ”。体の冷えが気になっていた私は、ショウガを育てたいな~という思いがなんとなくありました。雨がそんなに多くない小豆島でショウガを育てられるのかと思いつつ、とりあえずつくってみたのが3年前。肥土山の畑や田んぼには、山の上にある蛙子池(かえるごいけ)から水をひいている灌水(かんすい)設備があるので、それを使えば水やりができます。

春に植えたショウガ。半年後ようやく収穫。

虫の被害や台風の被害などまだまだ課題は多いですが、なんとかここまで育ちました。

立派なショウガもちらほら。

今年で3回目の栽培。害虫、雑草、保管など解決しないといけないことは多々ありますが、それでも何百キロという単位で収穫できるようになりました。

そんな風にして育てたショウガと、小豆島の柑橘を合わせてつくったのが、〈シトラスジンジャーシロップ〉。自分たちが毎日飲みたいものをつくりたい。自分たちがおいしいと思うものを、友人やもう少し遠くの人に届けたい。それで喜んでもらえて、なおかつ自分たちが生計を立てられたらそれってすごく幸せだなと思っています。

ようやく完成した今シーズンのシトラスジンジャーシロップ。

実は私が一番苦手なのは価格を決めることだったりします。気軽に飲んでもらえるように、少しでも安い価格で届けたい。でも材料費はもちろん、いろんな手間賃を積み上げていくとそれなりの価格になります。自分たちでつくると、ものってこんな価格になるんだなとびっくりします。最近、服も食べものもいろんなものがとても安くなっていますが、つくるのってとても手間のかかることなんです。

できたてほやほやのシロップ。なんともうれしい瞬間。

ラベルも何度か試してようやく決まりました。

ショウガの収穫を手伝ってもらったり、スダチを分けてもらったり、ラベルを何度も印刷してもらったり、島のいろんな人たちの手を借りて完成したシトラスジンジャーシロップ。育てて、つくって、売る、その大変さと楽しさといったら、なかなか興奮するものです。

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

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黄金町の狭小長屋が、まちに開かれたアトリエに再生された?

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アイボリィアーキテクチュアの原崎です。前回のvol.1は、僕らの事務所のあるシェアスタジオ〈旧劇場〉がどういった経緯で生まれたのかを主にお話しました。今回はこの旧劇場での日常と、ここから展開している活動をお伝えします。

劇場内での連携した働き方

旧劇場のメンバーは、みな個人でそれぞれの職能でそれぞれの仕事をしています。建築事務所は2チームですが、木工職人、現代美術家、写真家、フリーライター、アーティストとばらばら。ふつうは、そんなメンバーが同じ空間で働くことはなかなか想像できないと思います。ただ、以前いたシェアスタジオの頃から、お互いがそれぞれの技術や知識、経験などを部分共有することができるということは少し経験していました。それは本や道具を貸し借りするというちょっとしたことから、共同プロジェクトを立ち上げるということまで、共有の度合いはさまざまです。例えば、ある物件を僕らが設計して、職人が施工して、写真家が撮影して、ライターがリリースに合わせて記事を書く、といったリレー形式になることもあります。そんなことをしていると、この不思議な共同体に興味を持ってくれた近隣の方々が少しずつ声をかけてくれるようになりました。

旧劇場の打ち合わせスペース。

まず声をかけてくれたのが、通りの向かいにお住まいのみなさん。お話をうかがうと、ここがストリップ劇場になる前からいらっしゃるそうで、「劇場が閉まって、次は一体どうなるのかと思っていたら、若い人たちがたくさん来てくれてよかった」「夜は周りが暗くて怖かったけど、顔のわかる人たちが遅くまで近くにいてくれると安心する」と、うれしい言葉をもらっています。それどころか、ことあるごとに食べ物の差し入れなどをいただいてしまっています。恐縮です……。

町内から話はすぐ伝わるようで、その後に知り合ったのが、すぐ隣のまちなかにある伊勢佐木町商店街で、明治に創業したお茶屋〈川本屋〉の川井喜和さん。まちに若い担い手の少なくなった状況を変えるために、商店街近隣を中心に行う屋台市〈ザキ祭り〉を企画・実行するなどとてもパワフルな方で、僕らと同年代ということもあり、意気投合するのに時間はかかりませんでした。その流れで、川本屋の上階にある住戸の部分改修も手がけさせていただくことになりました。ただ、これはアイボリィが請けたのではなく、旧劇場として請けていて、今回は設計施工をぼくらと大工の〈LIU KOBO〉劉 功眞くんと協働しました。

伊勢佐木町商店街にあるお茶屋さんの川本屋。

まちの人との関係はこれにとどまりません。

黄金町バザールへの参加

旧劇場の前を流れる大岡川を挟んで反対側には京急線が走っています。その高架下を中心に、アートイベント『黄金町バザール』などが開催される芸術界隈があります。

以前は「特殊飲食店街」という、違法風俗を行うバーやスナックがはびこっていた大変なエリアでしたが、地域住民と行政の協力により、まちの浄化がなされてきました。この活動を担うNPO法人〈黄金町エリアマネージメントセンター〉は、年に一度の『黄金町バザール』というアートイベントの開催、市民参加のバザー、ワークショップ、防犯活動などを行っていて、川をはさんですぐ反対側で活動する僕らも、交流をさせていただいています。今年10月〜11月に行われた黄金町バザール2015では、「まちにくわえる」というテーマのもと、まちに残る「ちょんの間」(特殊飲食店の呼び名)などの空き家5軒を対象にコンペが行われました。それぞれ、インフォメーション、ライブラリー、3か所のアーティストレジデンス(アトリエ)に改修するコンペで、僕らはレジデンスのひとつを設計する機会を得ることができました。

間口1間3階建て長屋の改修

そもそも、この「ちょんの間」、どういったものかご存じでしょうか?ここでその背景をお話します。太平洋戦争後、空襲で焼け野原のようになってしまった横浜。しかし戦前から走っていた京急線の鉄筋コンクリート造の高架は焼けずに済んだため、家が焼けてしまった人々はこの高架下にたどり着いて、生活を始めたそうです。また、そこで商売を始める人も出てきて賑わいをみせてきたころ、そのなかの飲食店のいくつかが次第に風俗経営を兼ねるようになり、特にこの黄金町の狭い高架下を中心に広まり、最盛期には250店舗ほどの規模になったのです。この小規模にこれだけの店舗数を生み出したのが、「ちょんの間長屋形式」と呼んでいる建物の建ち方です。

この長屋群は、どれもほぼ共通で間口1間程度で2〜3畳の広さしかありません。通りに面して呼び込みのための掃き出し窓を各戸それぞれ構えており、中に入るとバーカウンターやトイレなどがコンパクトに収まっています。お客さんはその狭い2〜3畳ほどの1階の部屋から狭い階段を上がり、同じく狭い2階、3階へと招かれていったそうです。僕らが手がける建物は、まさにこの異様な長屋群の一角にあります。場所は黄金町駅から日の出町方面に向かってほど近い、木造3階建て、全16戸の「元・ちょんの間」長屋で、そのうちの1区画が改修の対象です。

改修工事前の内観の様子です。

とにかく狭く、床の半分は階段が占めているような構成で、階段と踊り場だけしかない建物といえます。それぞれ2畳ほどしかないこの床面積をそのまま生かしてアーティストのための制作場所と考えるのは普通に考えるととても厳しいです。そこで僕らはこの建物の3階建てという高さに価値を見出すことにしました。それは単純ですが、階段は既存のまま残して、2、3階の床の一部を抜き、3階分の高い吹き抜けをつくってさらに、外からもガラス越しに中の様子をうかがえるようにするというものです。

コンペ提出時の内観イメージ。

この吹き抜けにより、ほかのアトリエではできない、背の高い作品などをつくることができるという価値をつくることができます。もうひとつ、まちに対しても、敷居を低くし、風通しのいい場所にするということも狙っています。まちの人は暮らしのなかでアーティストが日々ここで作品を育んでいく様子を見ることができます。日々のコミュニケーションのなかで、この場所でしか見られない、この場所でしか生まれ得ない作品ができていくことを望みながら計画しました。以前のまちの特徴であり、まちの特殊な状況に対して最適化された建築を、いま僕らがこのまちにいて考えることのできる新しい形式のひとつです。

まちと応答する長屋 -reflecting room-

改修の施工は先に書いた物件と同じく、劉くんにお願いしました。現場が狭いですが旧劇場も近いので、必要に応じて現場と旧劇場を行き来して工事を進めてもらいました。現場は解体、造作工事、仕上げ工事と進み、工事途中でさまざまな難題にいろいろ悩みながらも3週間で完成しました。完成写真の撮影は、旧劇場メンバーである加藤甫くんです。

1階から6.7メートルの吹き抜けを見上げる。写真・加藤甫

階段部分は一切手をつけず、吹き抜け側のみ施工しました。吹き抜け部分にはこの建物の主構造材と同じ種類の木材を新たに格子状に組み、手すり兼足場として設置しました。また、もともと床があった位置にも設置して、作業時に足場をかけられるようにしています。塗装などの仕上げも、吹き抜け側と階段側で見切って、建物の新旧のコントラストを表しています。

吹き抜けを見下ろす。壁は吹き抜け側のみ塗り替えられ、床は足場部分のみ天井とフローリングが剥がされた。写真・加藤甫

建物そのものよりもそこでの生活が際立って、周りの風景と呼応する関係をつくりたいと考えた結果、窓ガラスはスリガラスから透明にし、屋内吹き抜けの天井をステンレス板鏡面仕上げにして、まちからの視線や、屋内の制作風景や照明を反射させることにしました。結果としてこれは吹き抜けをより強調する効果も生み出しています。

引きの取れない前面道路からでも、屋内の実像と、反射された虚像が窓から際立って見える。写真・加藤甫

1階床にもひと工夫しています。もともとは土間に塗装でコーティングされていたものが部分的に剥がれていたので、上からそのまま半透明のエポキシ樹脂を流し込んで固めています。施工していただいたのはこれまたすぐ近くに〈nitehi works〉というアートスペースを構えている稲吉稔さん。稲吉さんはアートワークで空間リノベーションなどを手がける作家さんで、nitehi worksを含め近隣のさまざまなスペースにこの樹脂を使った作品があります。耐水性もあり、光沢があるので、天井と共に合わせ鏡のように反射をして、空間に広がりを与えています。

エポキシ樹脂コーティングの床。写真・加藤甫

まちを映し込み、まちに影響され、影響を与えていく様子に「reflect」という単語をあて、「reflecting room」という名前をつけました。いまはまだ何者にも染まっていない無垢で素っ気ない空間ですが、文字通り日々まちの様子を映し込みながら、ここでしかできない作品と、ここだから生まれる関係性を築いていける場所になってくれたらと思います。

写真・加藤甫

まちで協働するということ

まちのなかで何かをつくるうえで、まちにいる人々と協働できるということは、僕ら当事者にとっても、まち(あるいは、まちの人)にとってもお互いに幸せなことだと思います。このまちも含め、かつて個人商店や職人で賑わっていたころは、家やお店で不具合があれば近所同士でお願いする、足りない道具なども近所で調達するといったことが自然でしたが、それは少しずつほころび、“ひと”と“もの”と“わざ”がだんだんとばらばらになってしまいました。(もちろんそれによって便利なこともたくさんできるようになったのですが)黄金町の設計時でも考えていたことですが、まちに対して、どこで何をしている人なのかが外から見てわかるということ、近所付き合いがしやすいこと、といった単純なことが、個々で活動しているときほど大事だと実感しています。そのうえで、同じまちにいる人同士がつながり、互いに足りない“もの”や“わざ”を共有してひとりではできないことが可能になる。その実践をこれからもここ旧劇場を基点にひとつずつ積み重ねていければと思います。

次回は、黄金町から少し足を延ばして、日雇い労働者のまちとして知られてきた寿町の簡易宿泊所街を拠点としているコトラボさんとのプロジェクトについてです。同じ横浜・関内外エリアのなかでも、まちのカラーはかなり異なったものなので、それについても合わせてお話しようと思います。

informaition

IVolli architecture 
アイボリィアーキテクチュア

住所:神奈川県横浜市中区末吉町3-49 旧劇場2F

http://ivolli.jp/

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甲州ワインを世界のトップクラスへ! ワイン醸造家・三澤彩奈さん

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日照時間日本一を誇る山梨県北杜市明野町。茅ヶ岳の麓、標高680メートルの高地に日本を代表するワインの数々を生み出す〈ミサワワイナリー〉と〈三澤農場〉がある。

高地であるので、昼夜の寒暖差が大きい。緩やかな西向き傾斜による水捌けの良さを含め、ワインづくりの世界の名醸地に匹敵するレベルにあるといわれる。

ここに世界で最も権威のあるワインコンクールで金賞を受賞した女性醸造家がいる。明野・ミサワワイナリーに醸造家の三澤彩奈さんを訪ねた。

ミサワワイナリーから臨む富士山。

ワイナリーの近くには、自社農場〈明野・三澤農場〉がある。総面積約12ヘクタール、垣根式農場の広大なブドウ畑。日本を代表するワインの数々を生み出している。

彩奈さんは1980年生まれの35才。中央葡萄酒株式会社の4代目のオーナー三澤茂計さんの長女として生まれた。「子どものころからワインに親しみを持っていました」と彩奈さん。一番、好きなワインは? と聞くと、「甲州ですね」と言う。〈甲州〉はワイン用のブドウの品種。そこから造られるワインも〈甲州〉と呼ばれる。山梨県勝沼に生まれ育った彩奈さんにとって〈甲州〉は特別な思い入れのあるブドウだ。

2005年、単身で渡仏、ボルドー大学ワイン醸造学部を卒業。その後、フランス・ブルゴーニュ地方にて研修、翌年にはフランス栽培醸造上級技術者という資格を取得した。2007年には、南アフリカ・ステレンボッシュ大学大学院へ留学。世界のトップレベルのワイン醸造の技術を学んだ。それは日本の誇る〈甲州ブドウ〉を世界へ広げたいという気持ちからだという。

「世界のワイン市場を見て、〈甲州〉はこのままではいずれ淘汰されてしまうかもしれないと感じたんです。ワインは特にボーダーレスな飲みものだと思います。地元の居酒屋だけで飲んでいただける地酒のような存在でずっといることは、イメージできませんでした。世界を回り、〈甲州〉の繊細な味わいは、ほかのワインにはない個性だと感じました。〈甲州ワイン〉がどこまでいけるか確証があったわけではありませんが、誰もやっていないことにチャレンジしたいと思う気持ちもありました」

ワインづくりは収穫時期の3か月がとくに忙しい。毎年、自分のワイナリーでのワイン醸造が一段落すると、南半球のワイン産地へ出向き、世界のワイン醸造の現場の技術を習得しようと、研鑽してきたという。

「これは使えそうだというものを見つけるために行くんです。ピンポイントにこの醸造技術を取り入れるということよりも、投資力や設備が大きい海外のメーカーと投資力が小さい私たちのようなワイナリーでは違います。国によっても違います。それぞれのワイン産地で、ワイナリー独自の知恵を知ることで、日本でのワイン造りにフィードバックさせていました」

明野は南アルプス、八ヶ岳、茅ヶ岳、富士山を四方に臨む。標高680メートルの高地。

たとえば“垣根栽培”。ぶどう畑は“垣根栽培”と“棚栽培”がある。甲州ブドウにおいては棚栽培が一般的だが、世界のワイン産地の多くは垣根栽培である。

甲州ブドウの“垣根栽培”は1本の木から10房〜20房程度と収量は少ないが、一房にいく養分が多いので甘くなる。また剪定や収穫の作業効率が良く、世界ではこの垣根栽培が一般的だ。棚栽培よりも葉と葉が重なり合わないので、光合成効率が高く、実の糖分が増えるとされる。

これまでのやり方を変えるのは大変だが、垣根栽培のほうがより凝縮したブドウが栽培できる。彩奈さんの父、茂計さんも20年以上前“垣根栽培”に挑戦して、失敗したという。樹のバランスがとれず、花が咲かなかったという。

彩奈さんは、この“垣根栽培”にこだわりたかったのだ。翌2005年に再度チャレンジした。実がつくまで3年。2007年に結実した。

「2009年のときにブドウがあきらかにそれまでのものと違っていた。すごい凝縮感があって、甘さがあって、酸味がしっかりしていた。明らかに味に違いが出ていたんです」

いいブドウができた。そこからいよいよ醸造が始まった。

「ブドウがこれだけ違うのだから、ワインにしてどうなるか。なるべくブドウのよさを生かしたい。日本の酒造りは日本酒の伝統があるから、酵母など、醸造に力を入れるんです。しかし私は栽培に立ち戻りたかった。たとえば〈甲州〉は糖度が上がりにくいので、アルコール度数を上げるために補糖をするのですが、補糖はせず、ブドウのありのままの姿で勝負したかった」

ワインとして明らかに違うものができたと感じたのは2012年。

「絞った途中の果汁を飲んだりして、〈甲州〉ってこんな味もあったのか、と、自分のなかで気づかされることがありました」

〈甲州〉はすごい! と心から思ったという。そうした彩奈さんのこだわりが実を結び、2014年に世界的なコンテストでの評価へとつながった。

樽で熟成させる。これは赤ワイン用。繊細な〈甲州〉はこれとは別のタンクで熟成させるという。

〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉が金賞受賞

2014年に、彩奈さんが手がけた甲州のワイン〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉がワインの業界で最も権威のあると言われる〈デカンタ・ワールド・ワイン・アワーズ(ロンドン)〉で金賞・地域最高賞を受賞した。

メールで第一報がきた。

「デカンタというのは世界で最も販売数の多いワイン専門誌。出品数が世界最大級。金賞がとりにくい、審査の厳しい、最も信頼されているワインコンクールのひとつなんです。帰国してからは10年近く試行錯誤の毎日だったので、この味ができたこと、認められたことで、ほっとした気持ちがあります」

それから毎週のようにテレビ、ラジオの取材がきた。

「昔は〈甲州〉って悪いイメージがあって、甘すぎるとか、酸化してるとか、お土産ワインとか。そういうイメージがありました。それが今回の受賞によって変わったと思います」

〈甲州〉が世界の市場で認められた瞬間だった。

「世界では日本でワインを造っていること自体知らない人が多いと思います。甲州はすごい品種なんだけど、醸造家がまだ花開かせていない部分もあった。この賞によって、〈甲州〉を知った人がたくさん出てきたと思います」

まさに「〈甲州ワイン〉を世界へ」という彩奈さんの想いがかたちになった。

デカンタ・ワールド・ワイン・アワーズで金賞を受賞した〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉を試飲する。

〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉を試飲してみる

〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉を試飲させていただいた。引き締まった酸味と爽やかな香りが特徴。口当たりはなめらかで緻密。彩奈さんの愛情がこめられた究極の〈甲州〉だ。

「〈甲州〉というのは穏やかな品種で、アルコールも低いんです。普通、賞をとるワインは樽が強いなど、インパクトのある香りのものが多いです。だから〈甲州〉が金賞をとるとは誰も思っていなかったんですよ」

彩奈さんはどんな味のワインが好きなのだろう。

「日本人って酸味が苦手なんですけど、酸味がしっかりしたワインが好きですね。酸味のないワインはやっぱりダレている。もたっとしたものよりは、シャープなほうが好きですね。あとは冷やしすぎないこととか。醸造家の人はあまり冷やさず飲みますね。冷やしすぎると味がわからなくなる。割と温度が上がってきたものを好みますね。ソムリエの方はまた別ですが」

〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉は、ブドウ栽培からこだわった〈甲州〉の特別限定醸造フラグシップワイン。

和食と甲州ワイン

彩奈さんの〈甲州〉の楽しみ方を聞いてみた。

「〈甲州〉って和食とよく合うんですよ。私たちの世界ではよく知られていることなんですが、消費者の方にはまだ驚かれますね」と彩奈さん。

「お寿司と甲州、昆布だしとも品よくマッチします。日本の野菜ともいいですよね。樽の効いたパンチのあるシャルドネと日本料理って合わせようという気がしないじゃないですか。そんなときに〈甲州〉はすっと入って行くんです」

実は、“和食とワイン”っていうフレーズは、海外のワインメーカーがよく使っているんですよね。世界で和食はブームなので。たとえばロンドンなどで、オーストリアやドイツのワイナリーが、自分たちのワインと和食が合いますとプロモーションしているのを見かけました。だから “和食とワイン”ってもう当たり前になってきているんです」

彩奈さんは何と合わせて飲みますか?

「春だったらこのあたりで採れる山菜を天ぷらとか、秋ならキノコとか。お刺身も合いますね」

ミサワワイナリーの醸造責任者(ワインメーカー)として、ぶどう栽培から、ワイン醸造までを行っている。

山梨ワインを世界へ

山梨県は日本のワインの発祥の地であり、約80社のワイナリーが国内の約3割のワインを生産している。2013年7月、ワインにおける地理的表示〈山梨〉が国税庁告示により指定された。

「〈薩摩焼酎〉のように、〈山梨ワイン〉という表示ができるようになったんです」

地理的表示は、たんなる産地表示として捉えられることがあるが、実は全く異なる。

「山梨県産のブドウを使っていれば〈山梨ワイン〉を名乗れるわけではないんです。地理的表示は、ある一定の品質のワインのみが山梨県産として表示できる仕組みです。たとえば、ワイン造りに向いていない〈巨峰〉のようなブドウ品種は除外されていますし、糖度の低いブドウを使ったワインも同様です。これはフランスのように原産地呼称する前段階として、とてもいいことだと思います」

日本のワイナリー250件のうち80件は山梨にある。「山梨がワイン産地として生き残っていくためには大切なこと」だと彩奈さんは考える。

世界で勝負していくためのワインを造るためには、ワイン用ブドウを使ったものでなければならない。世界の醸造の現場を見てきた彩奈さんだからこそ言えることだ。

「〈甲州〉に関しては祖父や父が積み上げてきたことに自分が乗っかっている部分もある。伝統と革新の両方ですね。伝統に沿っている部分と、このままではダメだと私が感じた部分の両方があります。それで〈甲州ブドウ〉の“垣根栽培”という革新に挑戦したんです」

次回はこの味を造る、醸造の現場をリポート。醸造家としてのこだわりをお聞きします。

ミサワワイナリー/中央葡萄酒株式会社

住所:山梨県北杜市明野町上手11984-1

http://www.grace-wine.com/our_winery/akeno/ワインメーカー(三澤彩奈さん)のブログhttp://grace1923.blog.so-net.ne.jp

writer's profile

Tetra Tanizaki
谷崎テトラ

たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/

photo

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

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それぞれの山ライフを楽しむ。山を共同購入するというアイデア

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心強い仲間がいるから夢がかたちになっていく

エコビレッジをつくりたいと、北海道で始めた土地探しも半年が経とうとしているが、実は……、とてもすてきな山の土地を見つけた。小高い丘へのぼると、田園と山々のつらなりが見渡せる。まるで『アルプスの少女ハイジ』のあの山の風景のようなのだ!そしていま、地主さんと土地購入に向けての交渉を始めている。地主さんに土地のお話をうかがっていると、とても愛着があるようで、不動産屋を通じた売買とは違う、人と人との信頼関係が何より大切だと感じている。土地購入の交渉の話については、おいおい書きたいと思うが(いまは大事なときなので、リポートを楽しみに待っていてください!)今回は、いままであまり語れなかった、ともに夢を実現しようとしている友人のことを書いてみたい。

エコビレッジがかたちになるかもしれない、そんな実感があるのは、この連載の第1回で紹介した、農家の林 宏さんの存在がなにより大きい。山を買いたい仲間・山トモで、ハイジの丘(仮称ですが……)も一緒に見に行き、お互いとても気に入った。「一緒に購入できたら、いいですねぇ」ということで、いま地主さんとの交渉にもふたりで出かけている。ニコニコ笑顔を浮かべつつ、聞きたいところはズバッと質問してくれるし、地主さんとの会話の内容も、林さんがいてくれるので全貌がつかめるといった感じだ。地主さんも農家だったこともあり、林さんと共通の知り合いがいるようだし、そもそも土地の大きさを、反(たん)とか、町(ちょう)という単位で話す時点でわたしにはちょっと辛い。ちなみに、林さんは新規就農者で、以前は北海道新聞の記者だったこともあり、コロカルの原稿が書けないと悩んでいると、一緒にネタまで探してくれるのだ。

左が林 宏さん。右が妻の睦子さんと息子さん。林さんが北海道新聞の記者を辞めて新規就農したのは2005年。自分の仕事は自分でつくりたい、仕事も自給自足したいと農家を始めた。

林さんが山を買いたい理由は、しいたけを栽培したり、木の実や山菜を採って自給自足的な暮らしを推し進めたいと思っているからだ。いま、岩見沢の栗沢町に農地を持っていて、小松菜やほうれん草を主に栽培しているが、自家用の小麦をつくるなど、少しずつ食糧の自給についても進めている。また、太陽光発電にも取り組んでいて、オフグリッドという考えに共鳴している。オフグリッドとは、狭い意味では、電力会社の送電網を使わないということになるが、林さんはこれを広く捉え、自分たちとは別の論理で動いている経済や社会のシステムとの関係を、できるかぎりオフにしていこうという気持ちを持っている。

そして、林さんの妻・睦子さんも、山でやってみたいことがある。それは山の自然を満喫し、そこで生きる知恵を学んでいくような“学校”、あるいは〈森のようちえん〉のような取り組みをしたいと考えているのだ。睦子さんは、こうした夢を実現させようと、すでに一歩を踏み出していて、今年は岩見沢市街にある公園でプレーパークを開催してきた。プレーパークとは、大人ができるだけ介入せずに、子どもの自主性を尊重し、自らの責任で遊ぶ場だ。わたしもこの活動のお手伝いをしていて、泥んこになってはしゃぐ子どもたちの姿を見ていると、普段の遊びとは違う可能性を感じていた。しかし、公園での開催だけでなく、岩見沢は車を30分ほど走らせれば、山の自然が満喫できる場所もあることから、こうした場を生かさない手はないのではないかと睦子さんは考えるようになった。彼女のプランは、山に自らが住み、そこに子どもたちがやって来て、暮らしと遊びとが密接に結びつく場をつくっていきたいというものだ。

ただし、わが家と同じように夫婦の思惑は重なるようでいて違っている。夫である林さんとしては、「畑があるからベースを移すのは難しいなぁ、冬だけなら住めるかなぁ」と、ソフトな感じで困っている様子だった(わが家もしかり、妻が暴走するタイプ?)。

睦子さんが行ってきた岩見沢プレーパークの様子。子どもも大人もみんなで泥んこになって遊ぶ。

「ケガとお弁当は自分持ち」というのがプレーパークの精神。遊び場には子どもたちへのメッセージも掲げておく。

家を建てるのに10年かかる??

わたしはエコビレッジをつくりたい。林さんは山の恵みを暮らしに生かしたい。妻の睦子さんは、森のようちえんのような場がつくりたい。みんなそれぞれ方向は違うが、違うからこそ多様な場になっておもしろそう!例えば、山で自給のための畑をつくるときには、農家の林さんの知恵が生かされそうだし、山で採れたものを販売すれば収入の足しにもなりそう。また、睦子さんの考えている、新たな子どもたちの学びの場ができたら、地域の役にも立てるかもしれない。わたしの仕事の関係で、岩見沢にちょくちょく遊びに来てくれるアーティストや映画監督、デザイナー、カメラマンなどが、集まった子どもたちと一緒に、ワークショップをやったりしても楽しそうだ。役者が揃っているなあと、構想を考えているだけでも楽しくなった。

しかし……、問題はまだある。ハイジの丘にはインフラはある程度整っているが、家を建てる必要がある。「冬場も耐えられる家を建てて、まわりを整備するには、10年はかかるぞ!」と夫の発言。えっ、10年って長過ぎやしない?わたしは土地購入の話がまとまりそうだったら、家はまず1年くらいでなんとかしたかったんだけど……と心の中で叫んだが、夫に頼んだら本当に10年かかるかもしれない。大工の技術はなかなかだが、手がとにかく遅いのだ。いま住んでいる家の棚をつけるだけで1年かかった。わたしとしては、ノリで! さっさと動いてしまいたいのだが……。

そんなとき、またしても友人からの心強い提案があった。前回の連載で紹介した山の達人・日端義美さんが、岩見沢市で地域活性化を目指すNPO法人〈M38〉の代表を務める菅原新さんを紹介してくれたのだ。「山を買うなら、準備段階から地域のNPOや行政を巻き込んでいったほうがいいよ」とアドバイスをくれた日端さん。

ハイジの丘があるのは、岩見沢の東部丘陵地域と呼ばれる場所だ。ここは、かつては炭鉱で栄え1万人を超す人口があったが、閉山後にぎわいは消え、現在は1000人を割り込んでいる。もともと菅原さんは岩見沢の市街地に住んでいたが、この地域に移住し、いま消防団などにも参加し地元と密接に関わりながら、この地が抱える人口減少や空き家増加などの問題に取り組んでいる。

東部丘陵地域には、美流渡(みると)、毛陽(もうよう)、万字(まんじ)といった地域がある。昔ながらの里山のような風景が広がる。11月下旬になって雪が積もり始めた。

ひとまず、わたしと林夫妻がやりたいことを菅原さんに伝えると、おもしろいと意気投合!特に睦子さんが考えている森のようちえんには、興味津々の様子だった。というのも、子どものころ、菅原さんの従姉がこの地域に住んでいたそうで、ときどき一緒に遊んでいたが、山の中で走るとその早さに追いつけないこともあったという。「体力ではかなわないし、とにかくすごい奴らだ」その思い出はずっと心に残っていたそう。また、特に遊具などが整備されていなくても、子どもたちは自然の中でさまざまな発見をしながら遊ぶことができるものだ。そうした遊びの大切さも感じ、2年前に移住を決断したのだという。

中央が菅原新さん。近隣の地図を見ながら話を進める。美流渡地域の地域おこし協力隊の吉崎祐季さんや地元の新聞『プレス空知』の記者、末永直樹さんもかけつけてくれた。

林夫妻も、菅原さんと夢を語り合いながら、さまざまな可能性を探る。

菅原さんによると、もし、エコビレッジなどをつくる計画があるなら、地域のみなさんとの橋渡しをしてくれるという。なんともありがたい話だ。ただ、まだまだ乗り越えなければならない課題も多いので、「山に住むためには、家を建てなくちゃならないし、冬の雪をどうするかも考えなくちゃならない。もし、山の近くに空き家があったら、まずそこに移り住んで、徐々に整備していく方法もあるんじゃないかと思っています」そんな話を菅原さんにしてみたところ……。「空き家ですか? 空き家ありますよ」えっ、あるんですか?

ああ、北海道ってすばらしい。こんなにすぐに空き家が見つかるなんて、東京で生まれ育ったわたしには考えられないことだ。「あの、見に行ってもいいですか?」「もちろん」と笑顔の菅原さん。

菅原さんのNPOでは、いまこの地域の空き家の情報を集約しようと取り組んでいる。炭鉱街の土地というのは、誰かから誰かが借りて、それをまた誰かが借りるということを繰り返してきたそうで、所有者が明確でないところも多く、ほかの地域から移住を希望する人がいても、なかなか物件を紹介することができないのだという。菅原さんは、土地の所有者を明確にしていこうと地道な調査を続け、所有者が見つかれば空き家の権利をNPOに移してもらい、それらを移住希望者へと紹介していきたいと考えている。今回紹介してくれた空き家は、その構想が初めて実現したもので、NPOが管理する物件なのだそう。

夫よ……家を建てるのに10年かかるというなら、わたしにだって考えがある。山の土地購入の話は進めるとして、まずはこの空き家を足がかりにしてエコビレッジ計画を始めちゃおうか?村にはならないけれど、ゲストハウスやシェアハウスなら、すぐにもできそうな予感!ということで、次回はこの空き家の話をお届けします。

今年は雪の訪れが遅かった岩見沢。けれど、やはり雪がどーんと降ってきた。これから5か月間、長い雪の季節が始まる。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

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商店街で具材をかき集めて作る〈商店街サンド〉。今回は和歌山県・高野山が舞台!

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商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。必ずといっていいほどおいしいものができ、ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる、一石二鳥の企画なのだ。

真言密教の聖地、高野山で作る!

今回の舞台は、和歌山県の北東に位置する高野山。1200年前に弘法大師・空海が切り開いた聖地であり、多くの寺が密集している。

高野山といえば、まず浮かぶのは険しい山々。そして、お坊さんたちが日々厳しい修行をしている、というイメージだ。そんなところでサンドイッチ作りをやりに行くわけだけど……商店街どころか、食材屋さんが並んでいる気がしない。しかし高野山に行ったことがある知人の「余裕でできる」という言葉を信じ向かってみることにした。

高野山へは、大阪のなんば駅から南海電鉄で約90分。最後はケーブルカーで一気に山を上る。

大阪から、南海電鉄の電車とケーブルカーを使い山の中を駆けあがった。季節は10月の頭。標高867メートルにある高野山駅につくと気温がグッと下がったのを感じた。

ケーブルカーの終着地、高野山駅。意外と新しくてきれい。ここからバスで移動。

高野山駅前には特になにもなく、ただまちへ向かうバス停があるのみ。少しうねりのある道を通り、まちの一番端っこ< 大門>まで向かった。

高野山の玄関口、〈大門〉に到着。出村谷 依代(でむらたに いよ)さんと一緒に食材探し。

今回ご縁があってサンド作りにつきあってくれたのは、南海電鉄の出村谷さん。日々、高野山にあるお店やお寺を周っては、まちのいいところを外部に発信しているそう。 そんな彼女から、知人と違う情報が入ってきた。「和菓子屋さんは多いですけど、食材あったかなあ」と自信なさげなのだ。やっぱりないのか!? 私の不安も高野山レベルに高まってきた。

車がけっこう通る。山奥を想像していた自分が恥ずかしい。

高野山は幼稚園から大学まである“まち”だった

少し歩いてみてまず驚いたのは、土地が平坦であったことだ。険しい山奥をイメージしていたので坂が多いと勝手に思っていたのだ。綺麗に舗装された道を出村谷さんと進む。

高野山はお寺のイメージが強いけど、聞けば病院も図書館も、幼稚園から大学までもある立派な“まち”だそうだ。かと言って、同じくお寺が多く並ぶ京都とも雰囲気が違う。宗教色がより濃く、おみやげ屋さんは多いもののそこまで観光地化はされていない。“静かで厳かな雰囲気”を味わえるのが、高野山の魅力なのだそうだ。

高野山の中心地には117のお寺が密集している。迫力がすごい。

< 根本大塔>の立体曼荼羅。圧倒されます。

開創してちょうど1200年とあって、今年(2015年)はそれはもう多くの人が訪れたそう。その中には外国人、特に西洋人が多いらしい。大阪から約90分で行ける“天空の宗教都市”は、神秘的でとても魅力を感じるのだろう。

外国人の訪問がすごく多い。背筋をのばし瞑想している外国人もいた。

もちろんお坊さんもよく見かける。

どでかい卒塔婆< 善の綱>。本堂にあるお大師さまの像とつながっていて、握手しているのと同じ意味があるそう。商店街サンドが成功するよう祈願。

そして我々がまず注目したのは、なぜかガソリンスタンドである。

ガソリンスタンドの手作りジャム!

出村谷さんが「ここに入ってみましょう」と案内してくれたのは、スタート地点の大門から寺の密集地へ向かう途中にあったガソリンスタンド。トイレでも借りるのかと思ったがそうじゃない。なんとここ、近所で評判の手づくりジャムが置かれているそうなのだ。

店内には瓶がたくさん並んでいた。

ガソリンスタンドを営むお母さんがつくったジャム。この季節は桃やいちじく、ブルーベリーなどが並ぶ。ポイントは果実の形をしっかり残すこと。コンフィチュールというやつだ。

もともとは、お母さんが趣味で作っていたのを、知り合いにプレゼントしていたのがきっかけだそう。それが好評になり、人に勧められお店に置くようになったのだとか。どれも和歌山産の素材にこだわっているそうで、見た目からしてめちゃくちゃおいしそう。時期的なものでこの日はなかったが、ネーブルのマーマレードでは「プレミア和歌山 審査委員奨励賞」を受賞したそうだ。すごい!

こちらはお父さんが貴重な日本ミツバチの蜜でつくった蜂蜜。デパートで買ったら倍の値段しそう。

ガソリンスタンド屋さんが作るジャムと蜂蜜、とてもおもしろい。サンドの候補に入れつつ、他のお店も見てまわろう。

食べ物屋さんかと思ったら〈高野槇〉の枝屋さん。この辺りでは高野槇を仏壇に供えるのが一般的なのだとか。

高野山にはパン屋がない!

唯一あったというパン屋さんの名残。パンのかわりになるものを探すしかない。

ここで残念なお知らせ。いま高野山にはパン屋がないそうだ。1年前までは人気のパン屋さんがあったのだけど、近くにコンビニができたからなのか閉店しまったそう。仕方ないのでサンドに必要なパンはほかのもので代用しよう。

次にのぞいてみたのはお味噌屋さん〈みずき〉。おみやげ屋さんと食事処も兼ねている。

和歌山特産の金山寺味噌をはじめ、楽しみ方の違う味噌が多く並ぶ。

特に人気なのがこちらの3つ。甘じょっぱさがトーストに合う落花生味噌、キュウリにつけたりなすと炒めるとおいしい大葉味噌、そして私が大好きな梅を使った梅味噌。

味噌屋〈みずき〉さんでは、それぞれ違った食べ方が楽しめる味噌を展開していて味見をすると全部欲しくなってしまった。特に梅の味噌は一日中ずっとなめていたい、と思うほどおいしい。味噌のしょっぱさと梅の甘酸っぱさが絶妙なのだ。さらに梅は和歌山の特産ということもあり、人気ナンバーワンらしい。これは是非いれたいぞ。

ところで出村谷さんが美人で緊張する。お寺や緑のきれいな風景がとてもよく似合う。

こちらはイケメンのお坊さんがいるというお寺< 蓮花院>。お仕事中で会えず。

車道をはさんで片側にはお寺、片側にはおみやげ屋さんが並ぶ。ところどころには昔からあるような薬屋さんや雑貨屋さんなんかも。

おみやげ屋さんの中もくまなくチェック。

おみやげ屋さんの奥には法具が必ず置いてあるのが高野山らしい。参拝者が買っていくのだろう。

メインの通りにはおみやげ屋さんの中に、酒まんじゅう屋さんや麩まんじゅう屋さんをはじめ、和菓子を売るお店がたくさん。観光客が買っていくというのもあるが、そもそもはお寺が多く、お客に出すお茶菓子が必要なため和菓子屋さんが多いのでは、ということだった。なるほどー。

食事どころとしては、精進料理を出すお店や、外国人がよく入るカフェなどがあった。

店頭で行列ができていた和菓子屋さん< かさ國>。見ていたら食べたくなってしまい出村谷さんと「休憩しましょう」と即合意。

柔らかすぎる〈やき餅〉。うんまい。

こちらは外国人に人気のカフェ。卵の黄身が入った< たまごコーヒー>という変わったコーヒーがあるそう。

高野山の見どころは半径1キロ程度に凝縮されており、2時間も歩けばだいたいまわれる。散策にはちょうどいいまちである。しかし、サンド作り目線でまちを眺めると……困ったことに何もない。 ヤマザキショップなどの商店はいくつかあるけれど、オリジナルの食材を出すお店はほとんど見つけることができなかった。特に肝心要のパンに変わるものを見つけるのにひと苦労。

メイン通りから一本はずれたところにお肉屋さん発見! このあたりの唯一の食材屋さんかもしれない。自慢のコロッケをゲット。

フランスパンに似ている麸をパンの代わりに……いや駄目だ、そのままでは食べられない。

出村谷さんの知り合いの精進料理屋さんに遭遇。オススメのパン屋さんを教わるが、車で山を下りないといけないらしい。

まちを何度かウロウロしてみるものの、パンの代わりになるものがどうしても見つからず、普通のサンドイッチを作れる気配なし。もうこうなったら、新しい世界へチャレンジするしかない!

悩んだ末、オリジナルのお菓子を作る松栄堂さんでパンの代わりになる麩焼きを購入。

角濱総本舗さんで高野山名物のごま豆腐を購入。ちなみに出村谷さんが持っている柿は、このお店の前にある商店で10個200円という破格の値段で売られていた柿。山のふもとにある柿の名産地、九度山産のものである。

そうして3時間かけて集めた食材がこちら。普通のサンドは諦め、新しい世界へチャレンジすることに。

麩焼きの< 五智>にごま豆腐を乗せ、梅味噌を乗せる。どうなのこれ!?

お、見た目はけっこう可愛い。新スイーツの誕生か。

「真言密教の聖地・高野山」のイメージとはほど遠いかわいらしいサンドが完成した。

パンの代わりに使った麩焼きは、総本山・金剛峯寺でも出されるこの辺の代表的なお菓子。和三盆で周りがほんのり甘いのだが、購入した松栄堂オリジナルの〈五智〉は色が5色あり、黄色はショウガ味、黒は黒糖味など微妙に風味が異なっていた。

中に挟んだごま豆腐は、ふつうワサビ醤油をかけていただくものだが、黒蜜をかけてスイーツ感覚で食べるのもオススメというもの。モッチリとした食感を楽しむものであり、割となんでも合う食材である。ということは、梅味噌もきっと合うに違いない。スペースを貸してくれたお味噌屋さんも、梅味噌とごま豆腐の組み合わせは絶対合うと太鼓判を押してくれた。

麩焼きの〈五智〉を重ねると壇上伽藍で見た根本大塔に似ている。そして根本大塔の中には〈五智如来〉がまつられているのだ、すごい偶然じゃないか。

問題は、果たして麸焼きとごま豆腐&梅味噌が合うかどうかである。

いざ、いただきます!

ズルッ。ごま豆腐全部出た。

日本一食べにくい高野山サンドが完成!

味わう前に、ごま豆腐が逃げた。実はごま豆腐をパッケージから開けた瞬間、嫌な予感がしていた。表面がツルツルとしていて、麩焼きの上で軽い滑りを見せたからだ。いざひと口噛んでみると、麩焼きの圧力にスルリと抜け落ちるごま豆腐。もっちりした高い柔軟性が裏目に出てしまったようだ。その扱いにくさに笑ってしまって、食べるのが大変だった。

「食べにくい以外はいいと思います! おいしかったです」と出村谷さん。ちょっと失敗したサンドだったけど、すてきな笑顔が見れたからいいかな。

「外はサクサク、中はモッチリ」。この食感の表現はよく見かけるけれど、この高野山サンドほどそれが感じられるものはないんじゃないだろうか。実際は「外はサクサク、中のモッチリが逃げる」。だけれど。 味は、やはり梅味噌がすごくおいしくて、その濃厚さが主導権を握っていた。ほんのりと甘い麸焼きと、割とあっさりとしたごま豆腐はその引き立て役で、食感を楽しむ役割であった。

それにしても、高野山でサンド作りが「余裕でできる」と言った知人は何をどうするつもりだったのだろうか。今度会った時に問い詰めようと思う。

時間の都合で食べられなかった、ガソリンスタンドの桃ジャム版。こちらのほうが外も中も甘くて正統派という感じ。しかし安定の食べにくさに、思わず笑ってしまう一品です。

●高野山サンドレシピ

・角濱ごまどうふ総本舗のごま豆腐…238円

・松栄堂の麩焼き〈五智〉…650円

・レストハウスみずきの梅味噌…500円

・コンフィチュールコウヤ(ガソリンスタンド)の桃ジャム…680円

ーーーーーーーーーー

合計 2,068円

*なお、コロッケは単品でおいしくいただきました。

Information

和歌山県 高野町

住所:和歌山県伊都郡高野町高野山

http://www.nankaikoya.jp/

writer profile

Kozakai Maruko

小堺丸子

こざかい・まるこ●東京都出身。読みものサイト「デイリーポータルZ」ライター。江戸っ子ぽいとよく言われますが新潟と茨城のハーフです。好きなものは犬と酸っぱいもの全般。それと、地元の人に頼って穴場を聞きながら周る旅が好きで上記サイトでレポートしたりしています。

credit / note

撮影:水野昭子

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道後温泉の近くでロールケーキに舌鼓! 道後ロールめぐり その2

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愛媛県産の栗と丹波種黒大豆の濃厚な味わいのロールケーキ

愛媛県の農林水産物の魅力を、スイーツを通じて全国に向けて紹介する〈えひめスイーツプロジェクト〉。この取り組みの一環として2014年にスタートした〈道後スイーツ物語〉。愛媛の代表的な観光地である道後温泉の界隈にあるショップや宿に、県産食材を使ったオリジナルのロールケーキ〈道後ロール〉をお店ごとに制作してもらい、道後温泉を訪れた人にそのおいしさを味わってもらおうというプロジェクトです。

2014年に改築120周年の大還暦を迎えた道後温泉本館。愛媛県松山市を訪れたら、ぜひ足を運びたい場所のひとつ。

前回に引き続きご紹介するのは、道後温泉本館のすぐそばに位置するホテル〈茶玻瑠(ちゃはる)〉で提供されている道後ロール。

茶玻瑠のメインダイニング〈ラ・キュイジーヌ・ジャポーネズ玻璃(はり)〉。愛媛県産の旬の食材を使った料理をブッフェスタイルで楽しめるレストランです。

イングリッシュガーデンからの明るい陽射しが差し込む、約300坪のフロア。落ち着いた雰囲気で、愛媛の“食”を堪能できます。

洗練されたモダンな雰囲気がただよう茶玻瑠。かねてから朝食ブッフェのメニューを充実させたり、愛媛の食材をベースに和食とイタリアンのエッセンスを取り入れた〈道後キュイジーヌ〉を提供したりと、道後の“食”の拠点となっている存在なのだそう。

壁一面に飾られた、蜷川実花さんの作品。ファンにはたまらない空間。

また『蜷川実花×道後温泉 道後アート2015』の企画として、“食”を楽しみながら蜷川実花さんの作品世界に触れられるレストランギャラリーも開催。その古き良さばかりが注目されがちな道後温泉に現代ならではの息吹をもたらし、新しい道後の魅力を発信しているホテルです。

ダイニング内のいたるところに、蜷川さんの作品が。『道後アート2015』は2016年2月29日までの開催。

旬の県産食材で季節を感じさせる〈道後玻璃ロール〉

季節ごとに旬の愛媛県産の食材を生かしたオリジナルの道後ロールを楽しめる茶玻瑠。取材に訪れた10月下旬に提供されていたのは、カカオが香るスポンジケーキとチョコレートムースで大粒の栗を包み込んだ〈道後玻璃ロール「秋味」〉。

美しく盛りつけられた〈道後玻璃ロール「秋味」〉。ロールケーキの下にはチョコレートソースとキャラメルソースが。

「愛媛県産の栗と〈ひめくろ〉という、丹波種黒大豆が入っているんです。栗は一級サイズという一番大きなものです。カットしたときに栗の断面がきれいにくるようにしないといけないので、スポンジケーキを巻くときは緊張しますね」と教えてくれたのは、今年9月に入社したばかりというパティシエの西河さん。先輩パティシエとふたりで、道後ロールをつくっています。

パティシエの西河さん。

きめの細かいふわふわのスポンジ生地と濃厚ながらも後味がしつこくないチョコレートムースと栗の相性は言うまでもなく抜群。ほどよい固さに煮られたひめくろの食感も良いアクセントとなっていて、最後のひと口まで飽きることなくいただけます。

11月末からの冬季期間に提供する道後ロールを先輩パティシエとふたりで一緒に開発することになっているという西河さんに、どんなものになるのかを訊ねてみると「実はまだ構想中なんですよ」との返事が。「冬という季節を考えるといちごなんでしょうけど、道後ロールを提供しているほかのお店とかぶってしまわないかというのがあって」という言葉に、自分たちだからこそつくれる道後ロールにしたいという意気込みが伝わってきます。

樹齢250年のオリーブの樹が植えられた「ラ・キュイジーヌ・ジャポーネズ玻璃」のイングリッシュガーデン。夜にはライトアップされ、また違った雰囲気を楽しめます。

「うちでは今、デザートのフルーツとして早生や温州みかんを出したり、みかんとチーズをあわせたりもしているんです。なので、みかんを使ったものも良いかなと個人的には考えています」

道後温泉に現代ならではの息吹をもたらす茶玻瑠と、若々しさがあふれる西河さん。このふたつの組み合わせから誕生する冬季の道後ロールも、また新しい道後温泉の魅力となりそうです。

Information

茶玻瑠

住所:松山市道後湯月町4-4

営業時間:アフタヌーンティー 15:00〜17:00CHAHARUテラス 11:30~21:00

http://www.chaharu.com道後スイーツ物語http://www.ehime-sweets.com/dogo/https://www.facebook.com/dogosweets/

editor's profile

Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

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撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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名古屋のまちなかで狂言に歌舞伎!? 〈やっとかめ文化祭〉レポート

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華やかな名古屋の“芸”をあちこちで体験

“八丁味噌”や“あんかけパスタ”といった、やや濃い味つけの料理ばかりがフィーチャーされがちな名古屋。そんなこってり系食文化だけが名古屋カルチャーではないのだ!“芸どころ・名古屋”の歴史文化を紐解くイベント、〈やっとかめ文化祭〉が、10月30日(金)から11月23日(月・祝)まで開催された。さまざまなイベントが街のあちこちで催され、その数、なんと150企画。その中からほんの一部をレポートとしてお届けする。

〈歴史まち歩き〉

朝9時集合で集まったのは、地下鉄中村区役所駅。実は、この名古屋市中村区、その昔、〈中村遊郭〉と呼ばれ昭和初期には1000人近くの遊女たちが住んでいたのだそうだ。

みんなでまち歩きをしながら、知られざる歴史文化を紐解く〈歴史まち歩き〉は、ツアーガイドさんも実は一般参加者。そのまちに住んでいる人が、まちなかを案内してくれる、それがこのツアーならではの醍醐味と言える。

集合のタイミングで渡されるガイドマップを持った、参加者たち総勢20人とともに、閑静な住宅街を大人の遠足の雰囲気で歩いていく。地図には、ポイントが示されていて、順々にガイドさんが説明をしてくれるのだ。

今回、ガイドしてくれたのは、ここ中村区で学生時代を過ごし、就職とともに県外へ行き、老後に戻ってきたという本杉さん。「40年も留守にしとったから、生まれ育ったこのまちへ恩返ししたい」と語る。

遊郭だった当時の名残が、まちの区画や建材などに残っていたり、元・遊郭を使った、名古屋市で最古の劇場があったり、病気などで亡くなった遊女たちを祀った巨大な仏像があったり……と、おそらく普通に暮らしているだけでは気づけない発見の連続。

本杉さんが真面目に、中村区の歴史文化の話をしていると、「ちょっとつけ足してええ?」とご友人の鈴木さんがカットイン。「実はその昔、この辺りに玉木 宏が住んどって、歩いてたらスカウトされたらしいわ〜……」と名古屋弁全開で話を逸らしてばかり、参加者の笑いを誘う。

このふたりの名コンビぶりになんだかほっこりとしながらも、どんな小さなまちにも、そこには必ず歴史があり、さまざまな人々が暮らし、物語があるんだっていうことを再認識。

〈街茶 MACHI-CHA〉

続いて向かったのは、LOFTや、若者向けのセレクトショップも入った、栄の複合施設〈ナディアパーク〉2階アトリウムへ。

そこに出現したのは、高さ10メートルの巨大で真っ白な茶室〈街茶〉。名古屋生まれで国内外のプロジェクトを手がける、建築家・吉田考司さんが、〈街との融合〉をテーマに、透ける布素材を使って、シンプルにつくりだした空間は、一見、異様な光景だが、中に入ると不思議とほっとリラックス。

実は、尾張名古屋はお茶処。江戸時代には藩が禁止令を出すほど茶事が流行し、茶の湯文化は庶民たちにも浸透し、親しまれてきたのだそう。その日常的に楽しまれてきた、お茶会文化を、現代にアップデートさせたような企画となっている。

ここでは、スタイルの違う、ふたつのお茶席が用意。

畳と座布団ではなく、黒のテーブルとイスの茶のしつらえを用意したのは、亭主・中村健二郎さん。

「そちらの茶碗は名古屋の作家さんにつくってもらったもので、まさに今朝届けてくださった一品ですよ」茶器のひとつひとつから、掛物に描かれた言葉の意味など、丁寧に説明をしながら、茶席を楽しませてくれる。「お茶会の文化は、すべてはおもてなしの心から来ています。亭主が心から楽しむこと、遊び心とセンスが大切」なのだそう。

お隣へ移ると、今度はまたまた景色が一変。こちらの亭主・長谷川竹次郎さんが、海外などで買いつけたというカラフルな布が敷かれていた。「自分の部屋にご招待したかのような雰囲気にしたかった」と語る長谷川さん、実は机もアフリカの建具で、自宅で使っているものを持参したのだそう。

金工師として著名な長谷川さんの手元には、名古屋の観光名所「名古屋テレビ塔」をモチーフとした自作の茶入れが。

茶の湯文化というと、少し敷居が高く緊張してお茶の味もわからない、そんな状況を想像してしまいがちだが、ふたりのユーモアに富んだおもてなしと大きな懐によって、おいしいお茶とお茶菓子を気持ちよく堪能できた。

〈まちなか寺子屋〉

なんだかすっと軽くなった身体で向かったのは、熱田神宮からほど近いところにあるお寺〈法持寺〉。

こちらでは、寺子屋的トークライブ〈アースダイバー名古屋〜熱田から、日本をよみなおす〜〉が開催された。講師は、哲学者の中沢新一さん。

定員いっぱいの文字通り、寺子屋と化した寺の本堂。中沢さん持参の資料によれば、この地域はもともと岬の先端にあたる地形で、その頃からすでに〈熱田〉という名前がついていたようだ。縄文の時代から紐解かれる、名古屋人の性格にまで話は及び、終了予定時間を延長するほどの盛り上がりに。

〈和菓子でめぐる尾張名所図会〉

その足で、熱田神宮前に店を構える、和菓子店〈きよめ餅総本家〉へ。

「やっとかめ文化祭」で今回が初企画となった、地元和菓子店との初のコラボ企画、〈和菓子でめぐる尾張名所図会〉。

全19店舗が参画したこの企画では、江戸時代の名古屋ガイドブックと言われる『尾張名所図会(おわりめいしょずえ)』にちなんだ菓子が各店で販売されている。

熱田神宮にもともとあったという〈きよめ茶屋〉という旅人たちの憩いの場から名を取った〈きよめ餅〉が有名なきよめ餅総本家は、戦前から続く老舗店だ。

今回は、熱田神宮の東の門に掲げられていた額を見立てた、銘菓〈春敲門(しゅんこうもん)〉で参加。「春は東から訪れる」という、おめでたい意味が込められたこちらのお菓子を購入すると、『尾張名所図会』の挿絵をリデザインしたポストカードがプレゼントとしてもらえる。ポストカードの絵柄は、全19店舗それぞれ違うため、コンプリートを目指す方もいたようだ。

〈お座敷ライブ〉

この日の夜、向かった先は、高級料亭で料理とともに伝統芸能を楽しめる〈お座敷ライブ〉。

名古屋市中区錦に店を構える〈芳蘭亭〉では、和食料亭のような佇まいの建物で、オリジナリティ溢れる中華料理が楽しめる。

ふわっと口の中で溶けるような、酢豚のほか、前菜から締めのラーメン、デザートまでいずれも上品な味わいで、あっさりとしているのに、味わい深い中華料理を堪能。

4代目料理長・二瓶さん。

座敷ライブでは、狂言師3人による狂言〈雁大名〉が披露された。すぐ目の前で繰り広げられる、お座敷ライブは、派手な舞台演出などはなくとも、すり足で畳の上を移動する役者たちの躍動感と、大きな声での台詞の掛け合いで、迫力満点!

狂言を終えたあとは、役者さん自ら狂言についてトークする時間も。このような料亭での狂言の上演はなかなかないことかと思いきや、「実は名古屋では戦前からお座敷に狂言師が呼ばれる文化があった」のだそう。本当に昔から名古屋は狂言が盛んだったようだ。

また、狂言は申し合わせなしの一発勝負で舞台に臨むのだそう。部屋のサイズ感を見て、ほぼ頭の中だけでイメージトレーニングをし、あとは己の技量と経験で演じ抜くのみ……。なるほど、だからこそのライブ感だったのかと納得だ。

「やはりこういう機会がないと、高級料亭にも狂言にも行く機会が生まれなかった」と、うれしそうに話す参加者の姿も。

おいしい料理と迫力の狂言ライブ、どちらも楽しめる贅沢な夜となった。

〈ストリート歌舞伎〉

最後に、最大の見どころとも言える〈ストリート歌舞伎〉へ。会場は、実際に買い物客が行き交う中、舞台が設置された〈イオンモール熱田〉。

この日は、歌舞伎、狂言、落語、三味線の4本立てのスペシャルライブが行われた。

普段、歌舞伎を見ない人にとっては貴重な機会といえる今回、出番前に舞台上で、着物を着るという舞台裏を見せるサービスもあり、会場は期待に胸を膨らませながら上演を待つ。

今回の演目は〈名古屋山三郎と出雲阿国〜歌舞伎発祥由来絵巻〜〉。

名古屋市生まれの作家でベストセラー『逆説の日本史』の著者、井沢元彦さんが企画・原案を担当。主人公は、尾張国出身の武将・名古屋山三郎。山三郎は、“歌舞伎の祖”とされるものの、ほとんど記録が残っていない、謎の人物だ。そして、女形には出雲阿国が妻役として配役された、完全オリジナルストーリーとなっている。

終演後、脚本・演出・主演を務めた、日本舞踊西川流家元・西川千雅さんと、共演を務めた工藤流家元・工藤倉鍵さんのおふたりにお話をうかがった。

「イオンモールで歌舞伎なんてもちろん滅多にやることはないと思いますが、歌舞伎だって、もともとまち角でやっていた、“地歌舞伎”という文化があるんです。だから、これはある意味、原点回帰なんですよ」と語る西川さん。

豪快な山三郎のアクションに対して、女性の繊細な美しさが際立った女形の阿国。

「歌舞伎とは歌と舞と伎を見せるものです。みなさんにわかりやすく、とにかく楽しんでもらいたいということで、ストーリーを複雑にするよりも、単純化して、歌舞伎の見どころをつなげたような、いわばダイジェスト版だったわけです」と工藤さんが続ける。

現代における、伝統芸能は興味がある人しか見ることのできない、やや閉塞感のある文化となってしまったことは事実。その流れを大きく変えることはできなくとも、日本舞踊の家元が歌舞伎役者に扮し、エンターテイナーに徹する姿は、感動的であり、伝統や文化は常に更新されていくものだと教えてくれる。

名古屋の歴史・伝統、地元文化の再発見をテーマに据え、今年、3年目の開催となった〈やっとかめ文化祭〉。自分たちのまち・名古屋を盛り上げたいという地元民の思い、このまちの文化人たちの“芸”に対する、気持ちの良い情熱、それらは多くの人々に、古くて新しい名古屋文化を気づかせてくれたはず。改めて、自分の住んでいるまちに目を向けてみてはいかがだろうか。

writer's profile

Takatoshi Takebe

武部敬俊

たけべ・たかとし●岐阜出身。名古屋在住。出版/編集職に従事した後、ひとりで雑誌"THISIS(NOT)MAGAZINE"を制作・出版。多数のイベントを企画制作しつつ、現在は"LIVERARY"というウェブマガジンを日々更新/精進しています。押忍!
http://liverary-mag.com

credit

撮影:千葉 諭
supported by やっとかめ文化祭

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コミックで楽しむ神戸・塩屋のくらし 第22話「神戸の冬の風物詩〈ルミナリエ〉」

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第22話 
神戸の冬の風物詩〈ルミナリエ〉におでかけ

ちょっとおひさしぶりの更新です。今週のグレアムさんは、神戸の冬の風物詩〈ルミナリエ〉にお友達とおでかけ。1995年の12月、阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂のために始まったルミナリエ。あらためまして、グレアムさんがご案内!

artist profile

Graeme Mcnee

グレアム・ミックニー

ぐれあむ・みっくにー●南アフリカ生まれ、スコットランド育ち。日本在住10年。2011年よりドローイングをコミックのフォーマットで表現する「ミニマルコミック」に取り組む。良寛の短歌をマンガにした「RYOKAN」などのアート・ジンを刊行。
http://www.graememcnee.com/

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御殿場のおいしい食を伝える料理人〈農 minori〉池田洋一さん

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御殿場のおいしいものを知ってほしい

富士山と箱根山に囲まれた静岡県御殿場市に、〈旬彩食 農 minori〉という小さな和食の店が開店したのは、2014年11月のこと。この店の店主である池田洋一さんは、〈旬の会〉改め〈Toretaみくりや〉を主宰する和食の料理人。みくりやとは漢字で“御厨”と書き、御殿場市と裾野市須山、駿東郡小山町の一帯を指す地名。この地名は、荘園時代から使われてきた古いものだ。

「御殿場のおいしいものを、みんな、知らなさすぎ」これは、池田さんの口ぐせ。そして、おそらくこれは、地場産の野菜を使って料理を作ってきた御殿場の料理人たちがずっと心の中でつぶやいてきた言葉なのではないだろうか。

御殿場の特産品といえば、わさびが真っ先に思い浮かぶ。それから、冬に旬を迎える水かけ菜も。近ごろは、〈ごてんばこしひかり〉も広く知られるようになってきた。では、芹澤バラ園のロメインレタスやプチトマト〈あっこひめ〉は? かつまたファームの〈健太トマト〉や山芋は? 天野醤油の搾り粕を肥料にして育つ〈御殿場メロン〉は? トウモロコシは?

かつまたファームの山芋で作った、やまかけご飯。

御殿場で生まれ育った私。祖父母もそのまた両親も御殿場生まれという生粋の御殿場っ子の私も知らないことがいっぱいで、悔しいけれど、三島市出身の池田さんのほうが、よほど御殿場のおいしいものを知っている……。御殿場に生まれ育った人のなかで、農 minoriでの食事をきっかけにこれらを知った、という人も少なくないはずだ。

「わさびも水かけ菜もそもそも仕入れ価格が高いから、外食で味わおうと思うと高級店に行くしかない。でも、御殿場で生産されている野菜はそれだけじゃないんですよ。日常的に食べられる価格で買えるおいしい野菜がたくさんあるのに、誰に聞いても“知らない”とつれない返事。僕は、食は最終的に各家庭の食卓につながっているものだと考えています。最初はそんな野菜があることを知らなくても、飲食店で食べてもらえれば実際に味わってもらえる。実際口にしてよさが伝われば、購入につながり、知名度も上がって、各家庭で食べられるようになる。お母さんが料理して子どもがそれを食べておいしいと思ってくれれば次世代へつながっていく。そんな風にして、御殿場のなかで、御殿場産の野菜の知名度が上がり、伝わっていけばいいなと考えているんです」

ご当地フェアでの後悔が現在の糧に

農 minoriを開店する前、池田さんは、御殿場市内にあるホテルの調理部の板長として、和食部門を切り盛りしていた。

いまから15年近く前のこと。そのホテルで、地元産の食材を使った料理を提供するご当地フェアを催す、という企画が浮上した。思いついた御殿場のご当地野菜は、わさび、水かけ菜、ごてんばこしひかり……。いかんせん、数が少ない。おまけに、知名度が著しく低い。

御殿場市は、箱根山麓の北西に位置し、箱根山と富士山に挟まれた盆地。そして、同じ箱根山麓の南西に、静岡県三島市がある。東海道新幹線三島駅がある、御殿場市よりもはるかに人口の多いまちだ。三島市内にある箱根山の斜面は南向き。この斜面で栽培されているのが、箱根西麓野菜と呼ばれる野菜だ。どの畑も、標高50メートル以上。日当たりと水はけがよく冷涼な気候のなか、ミネラル豊富な土で育てられる露地栽培の野菜は、味も品質もいいと評判。馬鈴薯や大根、白菜や甘藷など、種類も豊富で首都圏へ多く出荷されている。

「知名度と価格。この2点で箱根西麓野菜を越えることができず、結局、このときのフェアでは箱根西麓野菜を使うことになったんです。御殿場で料理を作っているのに、御殿場の食材を使えない。品質がいいのに、使えない。地元にいながら地元のいいものを使えないということが、とにかくショックでしたね」三島市出身の池田さんが御殿場の食材にこだわり、御殿場に店を出したのには、このときの気持ちが根底にある。そして、その後の数々の出会いが、その気持ちを揺さぶり続ける。

静岡県産の食材を積極的に使い、そのすばらしさを伝えていることが評価され、2013年「ふじのくに食の都づくり仕事人」として県から表彰された。

〈健太トマト〉との出会いが農 minoriの原点

御殿場は兼業農家の多いまちだ。平日は会社勤め。ゴールデンウイークに田植えをし、9月、10月にある3連休で稲を刈る。出勤前の時間や土日に畑を耕し、野菜を収穫する。そんな風に、会社勤めと農業を両立させて営む家は少なくない。「御殿場で農業だけでごはんを食べられている専業農家は10軒ないかもしれません」と池田さんは言う。そのうちの1軒が〈健太トマト〉の生産者であるかつまたファームの勝亦健太さんだ。

池田さんと健太さんが出会うきっかけとなったのは、ある農協の職員の方だった。「健太くんのトマトのことを話すためだけに、その方がしょっちゅう僕のもとにやってくる。変な言い方ですけど、一介の農協の職員さんがこれほどまでに情熱を傾けるのだからきっと何かあるに違いない、そう思って、会ってみることにしたんです。そこで聞いたのは、新たに始めたトマト栽培が軌道に乗ったのに、知名度がないから売りたくても売れないこと。販路拡大のため、生産者である健太くん自らがあちこちへ営業に出向いていること。それでも売れなくて、食べごろの真っ赤なトマトを、健太くん自らの手で畑の片隅に掘った穴に捨てて埋めていること。彼の話を聞いて、なんとかならないのかって思ったんです」

とはいえ、当時の池田さんはホテルの和食部門の板長で、自分の考えだけで食材を選べる立場ではない。だからこそ、もしも自分が店を持つのなら、地元食材をふんだんに使った料理を出す店にしたいと強く思った。その思いばかりが募り、悶々と過ごす日々……。

口コミで広がり大人気となった月イチのイベント〈旬の会〉

2014年11月、準備を整えて独立。健太さんと出会ってから4年もの歳月が過ぎていた。

店が軌道に乗り始めたある日のこと。「お客さんと接するうちに、気づいたことがあるんです。それは、ランチタイムに来てくれるお客さんのほとんどが女性で、その口コミに力があるということ。その口コミ力を御殿場の野菜を広めるのに役に立てられないかと考えたときに〈旬の会〉を思いついたんです」

旬の会とは、その時期に御殿場市内の専業農家が収穫する旬の野菜1種類を使用し、新たに考案した料理をいただくランチの会。そこには野菜の生産者が同席し、質問をしたり、感想を伝えたり、収穫までのストーリーを聞いたりすることができる。この会の存在は、池田さんの目論見通り口コミで広がっていき、予約が取りづらいほどの人気のイベントに成長した。「当初、旬の会は、農 minoriだけで実施していたんですよ。それがいまでは当店含めて3店舗に増え、毎月順番に実施しています。少しずつですけれど、着実に輪は広がっています」

お店とお店を結びつけたのは、生産者の健太さんだ。健太さんが個別に取引をしていたお店に会のことを話し、各店の店主を池田さんに引き合わせた。「旬の会のランチの料金は、1人前1500円。正直、利益はほとんどありませんから、続けるべきか悩んだこともありました。でもそんなとき、同じ思いで旬の会に参加する別の店の店主から『ここでやめたら、生産者も、後進も育たない』と叱咤されて、ハッとしたんです。そして、健太くんは『ほかの専業農家に僕と同じような思いをさせたくない』という一心で、健太トマトのみならず、御殿場の野菜の知名度を上げるべく、あちこち駆けずり回っていることを思い出しました。食を通じていまの若い世代を僕らが育てる。僕らのような飲食店には、そういう役目もあることに気づかされたんです」

利益はなくてもいい。同じ志を持つ他店の店主たちに支えられ、旬の会は続いてきた。そのお店の中には、トマトの最盛期に、トマトを使ったメニューを50種類も打ち出して提供していたお店もある。「最初に言いだした僕なんかより、ずっとずっと勢いがあって、すごい。いい刺激になりますし、勉強になる。同じ飲食店同士、切磋琢磨し合えるお店同士のつながりをつくれたのも、旬の会を始めてよかったと思うところです」

1冊の本が教えてくれた、御殿場の郷土料理

旬の会で提供するレシピを考えているうち、御殿場の食材を使うだけでなく、もっと別のアプローチができないかと考え始めた池田さん。もしかしたらいいヒントになるかもしれないと気になっていたのが『みくりやの味』という本だ。この本は、御殿場市の高根地区に暮らすお母さんたちによって再現された、郷土料理のレシピ本。お客さんから聞いてその存在を知ってはいたものの、市立図書館の蔵書にはなく、池田さんにとっては長らく幻の本だった。旬の会のメニューづくりに生かすことができるかもしれないこの本を、一度は見てみたい。そんな好奇心からFacebookを通じて「『みくりやの味』という本を探しています」と呼びかけてみたところ……「時々見えるお客さんが、その本を持ってすぐ来店してくれたんです」それは2015年6月のことだった。

レシピの中から最初に選んで作ったのは“さんま飯”。これは、頭とはらわたを除いて一口大に切ったサンマとささがきにしたにんじんとごぼう、米、醤油、塩、酒とショウガを入れて炊いたものだ。秋の農作業といえば、稲刈り。かつての御殿場では、その作業がひとつ終わるごとに、使用した道具や神棚に料理を作ってお供えをしていたそう。稲の“刈り上げ”が終われば、ぼたもちを鎌の上に、米を茎からはずす“こき上げ”が終われば、赤飯を脱穀機の上に、そして、臼を使った精米“ひき上げ”が終われば、さんま飯をカラ臼の上にお供えして、感謝の気持ちを伝えていたのだ。

農 minoriのランチの主食は、白米または発酵玄米から選ぶことができる。自店で開催する旬の会がひと段落した9月。稲刈りの時期に、さんま飯をプラスし、3種類から選べるようにしたところ、お客さんのほとんどがさんま飯を選んだそうだ。70代、80代のお客さんは「懐かしい」「昔食べた」もっと下の世代のお客さんは「知らなかった」「食べたことない」これが、お客さんたちがさんま飯を選んだ理由だったそう。

さんま飯の反響から、御殿場の郷土料理に手応えを感じた池田さん。ならば! と次に作る一品に選んだのは、本の表紙を飾る“箱寿司”だった。

箱寿司とは、6月の“馬鍬(まぐわ)洗い”の時期に食べられていた寿司のこと。かつて養蚕が盛んだった御殿場では、お蚕さんを飼い始める春先や田植えの終わった頃に、体を休め、次の農作業に向けて体力をつけるために箱寿司を食べたそう。田植えに使った農具“馬鍬”を洗って清めるから、馬鍬洗い。道具を洗うことが季節を表す言葉になるなんて、きちんとしていて、なんだかとても清々しい!とはいえ、試みたのは秋。本来食べる時期とは大幅にずれている。「本にも食べる時期は6月と書いてあったけれど、材料自体は通年手に入るものばかり。取りかかりやすいと感じたので作ってみることにしたんです」

作り方が詳細に書かれていてわかりやすい。

特徴的なのは、器である“箱”。長方形の木のお弁当箱のような風情の箱には、まるで下駄をひっくり返したような蓋がついている。

実はこの箱、底が抜けるようにできている。押し寿司を作るように酢飯を詰めてその上に材料を乗せたら、底を抜き、寿司を切り分けることができるようになっているのだ。

まずはこの箱を探そうと八方手を尽くしたが、残念なことに見つからなかった。そこで、NPO法人〈土に還る木・森づくりの会〉に依頼し、寿司を入れる木箱を新たにつくってもらうことにした。材料は無垢のヒノキ。蓋はもちろん、底がきちんと抜けるようにつくってもらった。

シャリに使うのは、もちろん〈ごてんばこしひかり〉。

煮しめた干ししいたけ。

しっかりとした甘味をつけた酢飯の上には、甘辛く味つけたまぐろのフレーク、錦糸卵、別々に煮しめたにんじんと干ししいたけ、マグロの赤身を彩りよく並べる。このほか、タコの刺身やでんぶなど、各家庭によって少しずつ具に違いあり。

箱寿司のできあがり! これは確かにご馳走だ。

箱寿司に魅力がないだけなのか、そもそも存在自体を知らない人ばかりなのか……。現在、農 minoriのメニューのひとつとして紹介しているが、注文は数える程度しかないのだそう。ランチの選択肢のひとつだったさんま飯のようにいかないのはわかっているが、予想を上回る少なさに落胆の色を隠せない。「でも、作らなければ忘れられちゃう。食べてもらわなくちゃ、伝えていくことはできない。だからこれからも折を見て、郷土の味を発信していこうと考えています」と池田さんは言う。

「実は、情報発信に躍起になっていた時期には、市内で催されるさまざまなイベントへの出店もしていたんです。多いときは月に2回も出店していました。休み返上で参加して、疲れ果ててクタクタになっているときに、自分たちがいましていることがとても浅いんじゃないかと思ったんです。僕の本分は、素材をもっとおいしくすること。生産者さんの本分は、もっとおいしい野菜をつくること。アピールして知ってもらうだけではダメだ、実際に食べてもらって『おいしい』と納得してもらわなくちゃ、ただのお祭りで終わっちゃう。文化として根づいていかないと気づいたんです」

そのためには、生産者と料理人が互いに切磋琢磨し合うことこそが近道だと考え、活動を見直すことに。こうして旬の会は〈Toretaごてんば〉へと生まれ変わった。生産者が、いま収穫している野菜の情報を流し、季節ごとにおいしい野菜の情報を消費者へ伝える。それに料理人が反応し、その野菜を使ったメニューや、おいしい食べ方を紹介する。これまでの飲食店主体の活動から、生産者から消費者へと情報が広がっていくコミュニティにしたいと考えているそうだ。「10年後、20年後、いまの子どもたちが大きくなって、進学や就職、結婚などで御殿場を離れることがあると思うんです。真冬は水かけ菜、春はロメインレタス、夏はトマト、秋は山芋……そんな風に季節の移ろいとともに御殿場の旬の味を思い出せる。そんな食文化を、ここ御殿場で僕らがつくり出すことができれば、最高ですよね」

池田さんを中心に、このまちの食がどう変化していくのか、楽しみは広がる。

profile

YOICHI IKEDA 
池田洋一

静岡県三島市出身。高校卒業後、鳥取県米子市の皆生温泉にある〈華水亭〉で5年ほど修業し帰郷。伊豆や御殿場で腕を磨き、2014年11月〈旬彩食 農 minori〉をオープン。生産者と消費者をつなぐ〈旬の会〉をスタートし、現在〈Toretaみくりや〉を主宰。御殿場の食の向上に尽力している。

information

旬彩食 農 minori

住所:静岡県御殿場市川島田136-1 レジデンスN’s102

TEL:0550-78-7922

営業時間:11:00~LO.13:30、17:30~LO.21:30

定休日:火曜日

writer profile

Nagai Rieko

永井理恵子

ながい・りえこ●静岡県御殿場市出身。食いしん坊で呑んべえ。15年の東京暮らしを経て知ったのは、生まれ育った静岡県と御殿場市が案外ステキなところだったということ! 現在、その良さを発信すべく鋭意活動中。

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空き家だった昭和の邸宅が、熊本で人気の複合施設に生まれ変わる!?

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みなさまこんにちは。ASTERの中川です。今回はvol.1でご紹介しました僕らの店“9GS”がある熊本市九品寺エリアに新しく誕生したコンバージョン複合施設の紹介をしたいと思います。僕自身、この場所ができたことでまちへの想いと期待が高ぶりました。そんな場所です。

九品寺というまちは僕の地元。小さい頃から学校の帰り道に毎日“ケイドロ”という遊びをしていた場所。どうでもいいですが、ケイドロというのは警察と泥棒に分かれてやる鬼ごっこのことです(笑)。最初に教室、次に校庭、そしてまちへと範囲がどんどん広がり、僕らにとって、小さい頃から家と学校の間にあったこの九品寺のまち全体がケイドロの遊び場でした。中心市街地にも歩いて行ける立地で熊本でも人気のあるまち。でもラブホテル街もあるし教会もあるし公園もたくさんある。カオスなエリア。

そんなエリアに昔から誰もが知る大きな邸宅がありました。川沿いで角地という立地抜群で存在感のあるその邸宅は最近ではずっと空き家になっていました。

この邸宅が現在では熊本でも話題の複合商業施設に生まれ変わり、連日大勢の人が訪れるようになりました。

どういった経緯でそうなったのか。

まずはこの複合施設の紹介をしたいと思います。名称は〈RIVER PORT9(リバーポートナイン、以下リバーポート9)〉

九品寺にある川沿いの船着き場という意味です。築50年のRC造3階建ての邸宅をコンバージョンし、レストラン、カフェ、アパレルショップ、ブライダルショップ、アンティーク家具店、バーなどさまざまなショップが入る複合商業施設として、2014年にオープンしました。僕もオープンまでにアドバイザーのひとりとして参加させてもらったり、リバーポートナイン9に入っているお店のひとつをASTERが手がけています。

この複合施設を企画からリーシングまでトータルでプロデュースしたひとりの不動産屋さんがいます。(株)トラスト・アンド・フィーリングス代表の久保貴資さん。久保さんは熊本で不動産の売買や賃貸管理事業を行いながら、複合ビルブランディングなどの商業施設の企画と運営をされています。また、古い建物のコンバージョンやリノベーションの企画もされている、感度の高い不動産屋です。

トラスト・アンド・フィーリングスの久保さん。

はじめ、この邸宅のオーナーさんは長く空き家になっている状態をどうにかしたいと、いろいろな不動産屋へ相談されたそうです。でも軒並み来る提案はどれも建物を壊して新築賃貸マンションか駐車場への提案ばかり。そんななか、久保さんが出した提案は建物の歴史と素材価値をなるべく残し、このロケーションをみんなで共有できる複合施設へのコンバージョン案。もともとが母屋であり、なるべくなら建物を残したいというオーナーさんの強い想いと一致し、この建物の再生を請負うことになったそうです。

建物から見た風景。熊本市の中心を流れる白川が目の前に。橋の向こうは中心市街地。

しかしプロジェクトを進めていくにあたり、いろいろな問題がでてきます。そもそもこの九品寺エリア、商業エリアとしては微妙な場所でした。住宅のほかに、近くにラブホテル街もあり、近隣に駐車場も少ない。そして熊本市中心市街地から川を渡り10分か15分ほど歩かないといけない微妙な距離。なかなか歩く習慣が少ない熊本の人にとって中心市街地からわざわざ川を渡って九品寺エリアに買い物に来るなどあまり考えられませんでした。

でも建物の重厚なつくりや窓から見える川の景色などこの建物のポテンシャルに魅力を感じた久保さんはこの場所でしかできないことを考えていきました。

まず、複合型の商業施設という形態をとること。大きな1店舗にするのではなく、複数の個性あるお店が混在することで集客の相乗効果を生み出そうと考えたそうです。そして時間軸も考え、せっかく来てもらうのであれば施設に3〜4時間は楽しんで滞在してもらえるような動線イメージでテナント構成を企画しました。

そこで知り合いの飲食店や物販店などに声をかけ候補のお店を集めることに。当初順調にテナント候補は集まっていきましたが、ひとつのテナントがNGになると、決まっていたほかのテナントもすべてNGになってしまったそうです。

話は振り出しに戻ってしまいました。

それでもこの場所には、やっぱり自分が理想とする感度の高いお店に入居してもらいたいと考えた久保さんは、あらためてこの建物の雰囲気やロケーションの良さを知ってもらおうと、来場者ターゲットを絞った内覧会を開催することに。一般的な中古ビルやマンションの内覧会のように物件のセールスポイントを押しつけるのはちょっと違う。まず建物の内部を全て解体し、スケルトン状態を来場者に見てもらおうというのです。

解体した2階の様子。

解体した状態の3階スペース。

そこへ空間デザイナーの川端あきさんに協力してもらい、内装をはがした何もない空間にアンティーク家具や雑貨をディスプレイ。2日間の展示期間中は建築など各専門のアドバイザーが常駐し、来場者に具体的な空間の使い方の提案などを行いました。

僕もこのアドバイザーのひとりとして参加させてもらったのですが、Facebookのみの告知にもかかわらず100名ほどの来場がありました。おそらく、熊本でも稀なコンバージョン複合施設で、しかもビフォー状態での内覧会という希少性がたくさんの人々の興味をそそったのだと思いました。

「何もない空間でそれぞれ何かをしたくなる気持ちを持ってほしかった」久保さんは来場者ひとりひとりに丁寧にこの場所に対する想いを伝えていました。

来場者にこの場所の想いを説明する久保さん。

そしてもうひとつ、施設を企画するにあたり“デッキコミュニケーション”というコンセプトも。施設に来るお客さん、働くスタッフ、そして近隣住民の方々。みんなに笑顔が生まれるような人が集える共用スペースを施設の中に設置しようというものです。この共用部は川が見える一番ロケーションがいい場所に広いウッドテラスとルーフトップをつくることに。

一般的な考えでは複合施設の場合、共用部は家賃面積ではないため、最小限のスペースに抑える場合が多いなか、リバーポート9では共用部を広くとり、開放しました。カッコよく特別な共用部があるからこそ、専有部の価値に反映されると考えた提案でした。

そんな企画やイベントの成果もあり、結果、すてきなお店ばかりがリバーポート9の住人として揃いました。

リバーポート9に入ることになった各ショップのオーナーのみなさん。

3階建ての邸宅であったこの建物は、各階さまざまな使われ方をしています。最上階である3階はワンフロアで新しく独立開業されるレストランが。

3階のGrill KUDOH。

2階には共用部のデッキスペースに、カフェ、セレクトアパレルショップ、ブライダルメイクの3店が並びます。

サンドウィッチカフェ&バー〈BORDER POINT+9〉

セレクトショップ〈NUNO〉

1階には内覧会のインスタレーションを手がけた空間デザイナーの川端さんが運営するアンティーク家具ショップと、オフィス&バーという新しい空間が。

1階にあるアンティーク家具と雑貨のお店 〈Grandma ATQ〉

1階にあるオフィス&BAR〈voyager〉

この〈voyager〉は熊本でも数少ないクラフトビールが人気のバーです。オープン以来、連日多くの人で賑わっています。実はこのvoyager、バーとオフィスというふたつの空間が共存する少し変わった空間です。あるふたりのオーナーが運営しています。このvoyagerについては次回に詳しくお話したいと思います。

話は戻り、こんなすてきなお店が集まったリバーポート9はオープンから1年経った現在でも人気のスポットとして継続しています。共用部のデッキスペースでは昼下がりに地元の人たちが散歩の途中でコーヒーを飲んでいます。レストランはディナーの予約がなかなか取れないほどに人気です。夜にはライトアップされたこの場所をめがけ、中心市街地から川を渡って人々が歩いてくるようになりました。

少しだけ人の流れが変わったのだと思います。リバーポート9ができたことによって。

以前、ある講演を聞いた時に印象に残っていた言葉があります。「まちを変えるにはそのエリアの“核”となる場所を、まずはつくること」その核となる場所を中心に人の流れが生まれ、その周りにさまざまなお店ができ始める。それが増幅していくことでそのエリアが変わっていくと。

僕はリバーポート9がこの九品寺エリアの核になる場所だと思っています。ここを中心にして、おもしろい人たちを集めるしかけや継続していくための仕組みをつくることができればこれからいろんなお店が増えてまちが変わっていく。僕が幼い頃はケイドロのエリアでありみんなの遊び場だったこの九品寺というまち。大人になってもまだまだこのまちで遊びたいし遊ぶ場所がなかったら自分たちでつくっていきたい。最近はそんな想いで地元に対する期待感が高ぶっています。

次回はこのリバーポート9に誕生したオフィス&バーという新しい空間、voyagerの誕生秘話をお話したいと思います。

information

River Port 9 

住所:熊本県熊本市中央区九品寺1-1-26

TEL:096-325-2211

http://riverport9.jp/※営業時間は店舗ごとに異なる

writer profile

SHOTARO NAKAGAWA

中川正太郎

ASTER代表。1977年熊本市生まれ。20代前半から建築現場や家具店など内装に関わる職を経て、
2003年よりASTERで活動開始。ASTERは、熊本県内を拠点に個人住宅、店舗、賃貸物件などデザイン・設計・施工を一貫して行うリノベーション集団。ほかに、運営する“街のよろず屋”KUHONJI GENERAL STOREや、熊本のマニアックな物件を紹介するサイト「あんぐら不動産」なども企画運営している。

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地域で育てられてきた果樹を残し、活用する

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島で育てられてきた果樹を残し、活用する

冬になると毎日のように食べる“みかん”。いまうちには、大きいダンボール3箱分くらいのみかんがあります。どれもご近所さんからのいただきもので、作る人によって大きさや味が違い、その違いを楽しみながらありがたくおいしく食べてます。

たくさんいただいたみかんをカフェのお客さんや友人におすそわけ。

畑作業の休憩にみかん。(撮影:太田有紀)

水分の多いみかんはお茶の代わりになります。おやつにも。

小豆島では柑橘の栽培がさかんです。ずっと昔からいろんな種類の柑橘が育てられてきました。仕事として作っている人、自分の家で食べるために作っている人、さまざまです。

うちの近所にもあちこちにみかん畑があります。みかんのほかにも、ゴツゴツとして酸味の強い“ダイダイ”、ゴツゴツしてるんだけど厚い皮をむくとなんともジューシーでおいしい実が入っている“スイートスプリング”、それからスダチや柚子も。最近、ライムを育てている人にも出会い、わけていただきました。柑橘だけじゃなくて、柿や栗、梅も。本当に食材豊かだなと思います。

島で育てられたタヒチライム。うちも育ててみたいと思いました。

果樹というのは、植えてすぐに収穫できるものではありません。それこそ「桃栗三年 柿八年」ということわざがあるくらいで、種をまいてから収穫まで数年かかります。私たちも小豆島に来てからレモンの苗木を何本か植えましたが、まだ木が小さくてちゃんとした実を収穫できてません。いま食べているみかんやレモンは、じいちゃんやばあちゃん、地域の人たちが何十年も前から育ててきてくれたものなんです。そういう昔からある果樹というのは、農村にとって大きな財産なんじゃないかなと思います。

家の裏には大きな柿の木があります。じいちゃんが残してくれた木。

玄関のすぐ目の前には、お隣さんちの柿の木。

全国のスーパーに流通させるほどの量、同じ品質のものを収穫することはできないけど、自分たちが食べる以上の量を収穫できる。それが1種類じゃなくて、みかんだったりレモンだったり柿だったり。小さな商いの材料としては充分。

私たちはそんな資源を活用して、〈シトラスジンジャーシロップ〉や〈ダイダイぽん酢〉をつくりました。実際つくるとなると、収穫をどうするか、加工をどこでするかなど大変ですが(笑)。それでもつくって売ってちゃんと儲けられれば、果樹を手入れでき、景観を保つことができます。さらには新しく果樹を植え育てるという仕事も生みだせます。そんなに簡単な話ではないですが、そうイメージしながら動いています。

島で昔から育てられてきたダイダイを使ったぽん酢をつくりました。

ぽん酢が売れれば、ダイダイを育てることがひとつの仕事として成り立つ。

いま気になってるのは、みかんと柿。どうやったら腐らせてしまわずに生かせるのか、みかんや柿のある風景を残し続けられるのか。農村での暮らしはネタがつきませんね。

information

HOMEMAKERS 

住所:香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1

営業時間:金曜、土曜のみ 11:00~17:00(L.O. 16:00)

http://homemakers.jp/

writer profile

Hikari Mimura

三村ひかり

みむら・ひかり●愛知県生まれ。2012年瀬戸内海の小豆島へ家族で移住。島の中でもコアな場所、地元の結束力が強く、昔ながらの伝統が残り続けている「肥土山(ひとやま)」という里山の集落で暮らす。移住後に夫と共同で「HOMEMAKERS」を立ちあげ、畑で野菜や果樹を育てながら、築120年の農村民家(自宅)を改装したカフェを週2日営業中。
http://homemakers.jp/

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ワインの醸造家は“理系”の仕事。こだわり貫く甲州ワインの醸造〈ミサワワイナリー〉

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“甲州ワインを世界へ” そう考えるミサワワイナリーのワイン醸造家・三澤彩奈さん2014年に、彩奈さんがてがけた甲州のワイン〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉がワインの業界で最も権威のあると言われるデカンタ・ワールド・ワイン・アワーズ(ロンドン)で金賞・地域最高賞を受賞した。今回はこの味をつくる醸造の現場をリポートする。

ミサワワイナリーのワイン醸造家・三澤彩奈さん。2014年に彩奈さんが手がけた〈キュヴェ三澤 明野甲州 2013〉がデカンタ・ワールド・ワイン・アワーズ(ロンドン)で金賞を受賞した。

醸造家のこだわり

ミサワワイナリーでは6種類の品種を栽培している。白は〈甲州〉、〈シャルドネ〉。赤は〈カベルネ・ソーヴィニヨン〉、〈メルロー〉、〈カベルネ・フラン〉それから〈プティヴェルド〉。それぞれにつくり方の違いがある。

「醸造家のこだわりがあって、どういうワインをつくりたいかによって、製造方法を選びます。たとえば〈甲州〉は酸化しやすい品種なので、熟成に向かないと言われています。しかし私は〈甲州〉を熟成させたいんです」

白ワインと赤ワインではブドウの品種も違う、と彩奈さん。発酵の過程も違うのだという。白ワインはブドウを搾ってから発酵させるが、赤ワインは粒ごと発酵させて、そのあと搾る。〈甲州〉白ワインの熟成のためには、この絞り=プレスの過程がとても重要なのだそうだ。

「果汁を搾っている間に酸化してしまうと熟成しないんです。ですから窒素で充填しながらプレスをするタイプのドイツ製の圧搾機を使っています。白ワインはプレス命なんです。もちろんワインはブドウが命なんですが、白ワインの醸造工程においてはプレスが最も重要なんです」

そのため、どういうプレス機を使うのかがとても重要なのだそうだ。しかし機械まかせということではない、と彩奈さん。

「キチンと味をみて、一番搾り、二番搾りのタイミングを見わけていきます。どれだけやさしく、いい果汁をとるか」それがこだわりだと言う。

白ワインは房ごとこのプレス機のなかにいれて空気圧で搾る。白ワインはプレスが味を決める。ミサワワイナリーではドイツ製のプレス機を使っている。

赤ワインのこだわりは、白ワインとちょっと違う

「赤ワインは、粒を選別して、いい粒だけを発酵させるんですね。それがこだわりです」

赤ワインの代表的な品種である〈カベルネ・ソーヴィニヨン〉を発酵させているところを見せていただいた。

「これは超熟。熟成のポテンシャルが非常に高いものです」

昨日までその選別を行っていた場所はまだブドウのよい香りが残っている。樽のなかから発酵中のブドウをひとつまみ口にふくむと、深みのある甘さが広がる。

「生食用のブドウに比べて、ワイン用のブドウはずっと甘いです」

今年の〈カベルネ・ソーヴィニヨン〉は糖度が26度くらいあるという。

「通常24とか23ぐらい。マンゴーが20ちょっとぐらいですから。それよりもさらに甘いんです。今年は10月の天気がすごく良かったんです。そして夜は温度がぐっと下がった。そうすると甘くなるんです」

赤ワインの代表的な品種である〈カベルネ・ソーヴィニヨン〉。オークタンクのなかで発酵中。

「白は発酵してしまえば安心というか、人間のやれることはあまりないんです。酵母にがんばってもらうしかない。しかし赤の場合は発酵しているときに、やる仕事があります。顆粒が発酵するんですが、発酵中に炭酸ガスが出る。炭酸ガスの力で顆粒が押し上がっている状態なんですが、顆粒が割れて果汁が出ます。タンクのなかでは顆粒の下に果汁があって層になる。その層がわかれすぎるとあまりおいしいワインができないんですね。だから間合いでかきまぜる必要があります」

それで味が決まってくるのだと言う。

「一日に何度もやる。夜中もやる。発酵中も目が離せません」

それがこだわりのポイントでもある、と彩奈さん。1年で一番、緊張感のある時期である。

樽のなかから発酵中のブドウをひとつまみ。糖度は26度ぐらい。

収穫したての〈甲州〉の仕込み

一週間前に収穫した〈甲州〉がタンクにはいっている。

「〈甲州〉は繊細な品種。一般的には樽を使わないんです。樽で仕込むと樽の香りがつくので、タンクで寝かせています」

今仕込んだものが来年の6月に発売になる。

「わりと早く出すのが〈甲州〉という品種。〈シャルドネ〉などは1年くらい寝かせます。それから出荷。赤ワインの場合は2年くらい。そのあと瓶詰めをしてから寝かせます」

瓶のなかでまた瓶熟成が始まる。

瓶に詰めてから瓶熟成が始まる。

まるで実験室のような部屋も。

醸造所のなかにはいろんな分析器具がある研究室のような部屋もある。

「ワインの醸造家というのは“理系”なんです。分析をしたり。アルコールや糖、PHなどの値を測る。ここでワインの状態を観ます。数値をみながら収穫時期を見極めますが、実際に食べてみて、香りをみて最終判断をします。雨が来たり台風が来るのがわかると、“一瞬を逃してはいけない”と緊張します。熟したものを摘み取って、選別して一気に仕込む必要があるんです」

白ワインのタンクと赤ワインの樽。

彩奈さんの「つくる」とは?

2014年にコンクールで金賞を取って1年経った。心境に変化などはあっただろうか。

「1年前ですが、デキャンタのコンクールはもう過去のものです。色あせることはないですが、先に進んでいかなければいけないと思います」

さらに高いクオリティを目指すという。具体的にはどんなことをするのか?

「ブドウの樹を選別して、さらに良いものを残していくようにしています。ダメなのを切っていきます」

年を追うごとに良い樹だけが残って、さらにおいしくなっていくということだ。金賞をとった畑のなかで良い樹をさらに厳選して、クオリティの高い〈甲州〉を目指していく。

「切っていくのはとても苦しい作業です。収量は下がりますが、おいしいものが残ります。今でさえ品薄なわけですから、経営的には苦しいわけですが、さらに良いものをつくるための苦しみです」

賞をとっても儲かるというわけではない、それでも先へ進んでいく、という。

今年のブドウのできはどうだろうか?

「今年のブドウはカベルネの赤に関しては記録的な糖度の数値。〈甲州〉も糖度自体は賞をとった2013年とほぼ同じ数値です」

今年も期待できるとのこと。これは楽しみである。最後に彩奈さんにとって「つくる」とは何か、聞いてみた。

「地に足をつけて生きること、ですかね」

information

ミサワワイナリー/中央葡萄酒株式会社

住所:山梨県北杜市明野町上手11984-1

http://www.grace-wine.com/our_winery/akeno/ワインメーカー(三澤彩奈さん)のブログhttp://grace1923.blog.so-net.ne.jp

writer's profile

Tetra Tanizaki
谷崎テトラ

たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/

photo

Suzu(Fresco)

スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

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東京を皮切りにイベントも続々と開催。淡路島ならではの商品の発表会

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東京を皮切りにイベントも続々と開催。淡路島ならではの商品の発表会

淡路はたらくカタチ研究島〉のプログラムのひとつ〈淡路島ならではの付加価値商品開発事業〉で今年度開発された商品の発表会が、渋谷の〈ヒカリエ 8/〉にて11月24日から29日まで行われ、今年度開発された4商品に加えて、2013年と2014年に開発された10商品、計14品が並んだ。3年分のすべての商品が揃うのはこれが初めてだ。来訪者に商品の感想やフィードバックを聞き、今後の商品展開に生かそうという場である。また、実際に今年度開発されたいくつかの商品は購入できたり、商談スペースで流通の相談ができたりと、開発を手がけた実践支援員たちとコミュニケーションがとれる機会でもある。

会場では各商品の開発風景のムービーが上映中。

同所で商品発表会を行うのは昨年に引き続き2回目。淡路島出身で故郷のこうした先進的な試みに「淡路島もなんだかおしゃれに変わったなぁ」と感慨深く思う人、地域デザインの事例として〈淡路はたらくカタチ研究島〉に興味があって見に行った人、ヒカリエでの買い物中に立ち寄った人など、6日間で500名以上の来場者が足を運んだ。

昨年度までの商品も並ぶ。昨年度の取材はこちら〈前編 後編〉。

淡路はたらくカタチ研究島は厚生労働省の委託事業で、淡路地域雇用創造推進協議会が実施している。発表会に来ていた同協議会の会長藤森泰宏さんにお話をうかがう。

まず、淡路島ってどんな島ですか?

「瀬戸内海と大阪湾のふたつの海に囲まれている淡路島は、北から淡路市・洲本市・南あわじ市の、3つの市でできています。淡路市は観賞用植物の栽培や水産業が盛んで、洲本市は商業の中心地、南あわじ市は農業や特産である淡路瓦産業への従事者が多いという、それぞれ市の産業に特徴があります。そして、自転車でも一周できるくらいのコンパクト感。洲本市の太陽光発電に南あわじ市の風力発電と、エネルギー自給の島としても注目されていますね」

藤森さんは淡路島で生まれ育ったが、淡路島の良さについては少しずつ見方が変わってきたのだと言う。

「淡路島出身の私よりも、淡路島を訪れる島外の人のほうが、淡路島のいいところをよく知っているんです。たとえば、私は“淡路島のいいものを”と言われて島の特産物を薦めましたが、ある島外の人は、海や夕日といった淡路島の日常風景を“すばらしい”と言いました。普段暮らしていると気づけない、その目のつけどころに驚きつつも、それが淡路島の良さなのかと気づかされます。この〈淡路はたらくカタチ研究島〉は、島外からスーパーバイザーやデザイナー、講師を招きます。そういう方々から教えてもらう島の魅力が多いなと、この事業を進めてから特に感じるようになりました」

「あと、淡路島は“人がいい”って言われますね」と藤森さん。わかりますわかります。と頷く取材陣。

スーパーバイザーとして招いたのは、過去にも数々の地域創生プロジェクトに参加するgrafの服部滋樹さんと、ブンボ株式会社の江副直樹さん。この2名に加え、セミナーや研修の講師を務めるUMA/design farmの原田祐馬さんや、料理研究家の堀田裕介さん、働き方研究家の西村佳哲さんなど、多くは島外からやってくる。今回の4商品の商品開発でも4名のデザイナーに商品のコンセプト決めからパッケージ制作まで伴走してもらったが、彼らもベースは阪神地域や四国などだ。こうした“ソト”の視点と、実際に淡路島で事業を起こそうとする提案者の“ウチ”の視点が合わさって、商品の細部にしっかり落とし込めているという印象が〈淡路島ならではの付加価値商品開発事業〉にはある。

今回の商品開発を例に挙げる。〈まちまち瓦〉のデザイナーは、建築家の岡 昇平さんと家具デザイナーの松村亮平さんのユニット〈こんぶ製作所〉。普段は香川県高松市の仏生山で活動し、〈仏生山まちぐるみ旅館〉などのプロジェクトで注目を集めている。前編のまちまち瓦の製造現場のレポートでもお伝えしたように、その岡さんたちのデザインセンスと淡路瓦職人の伝統と技術が融合し、フラットな淡路瓦をつくりあげた。今の技術をもってすれば均一に瓦を焼くことは造作もないことだが、岡さんたちからのリクエストであえて色ムラや経年変化が起きやすいようにした。それも瓦の個性にしてしまおうというアイデアはデザインの一環であることに違いないが、昔の淡路瓦の製法で、今はガス窯に変わってほとんど見ることができない達磨窯(だるまがま)や、年月を重ね技術を確立してきた先人たちに対する、こんぶ製作所と企画提案者・興津祐扶さんからの賛辞でもあるように思えた。

さて、発表会の会場の様子を見ていく。

育てるほうき

まずは来場者からも「“育てる”というコンセプトがおもしろい」と好評だった〈育てるほうき〉。その名の通り、ほうき本体にホウキギの種と栽培方法の説明書がついてきて、ほうきを素材からつくるという究極のDIYキットだ。

ひとつひとつ手づくりの毛糸のグリップは色が選べて、汚れたら外して洗うこともできる。さまざまなほうきが並ぶと工芸品を見ているようで実にかわいらしい。上映されていた開発過程のムービーでは、前編でもご紹介したほうきづくり名人の松平万寿代さんも登場。

Suu BOTANICAL SOAP

〈Suu BOTANICAL SOAP〉のブースでは実際に石けんが使用できるスペースを設けた。自然派石けんは泡立ちにくいというイメージが先行するためか、「思ったよりも泡立ちがいい」という声が来場者から上がった。

モコモコの泡が肌を包み込むとラベンダー精油の香りがふんわり。洗い上がりのしっとり感も好評価で、実践支援員の藤澤晶子さんもほっとひと安心の様子だった。無農薬栽培で育てられたカレンデュラ(キンセンカ)の花びらも華やかだ。試験販売も兼ねたこの発表会で、ボタニカルソープは上々の売り上げだったのだそう。

まちまち瓦

会場で誰しもが目を奪われた“小屋”。岡さんと松村さんのこんぶ製作所がまちまち瓦の展示に合わせて設計した〈かわらのいえ〉がヒカリエに登場した。屋根材としても使えて、壁材としても使えるという商品の特徴を表現している。つるつる(フラット)としましま(スクラッチ)の2種類の柄のまちまち瓦をランダムに何枚も貼って並べると、陰影がより際立ち、モダンな印象だ。

「今回いらしていた建築関係の方が“この瓦を使ってみたい”とお話されていて、とてもうれしかったですね」と話すのは、実践支援員の竹下加奈子さん。また、別の来場者からは「違った柄の瓦も見てみたい」という声があったようで、次への展開の課題となりそうだ。

淡路島産デュラム小麦のセモリナ粉

「どの企画の提案も印象的だったのですが、特に淡路島産デュラム小麦の小麦粉は、提案者である淡路麺業・出雲文人さんの“淡路島を良くしたいんだ”という熱い思いがよく伝わりました」と藤森さん。

小麦の栽培に協力した兵庫県北淡路農業改良普及センターの職員も、初めての試食の際に、「想像以上によくできている」と驚いたというエピソードが。販売は1kgと25kgの袋入りで、パスタだけでなくパンにもピザにも使える。食の宝庫淡路島にまたひとつ名物ができそうだ。

次は地元でお披露目!

次の展開としては、まず12月17日(木)に、洲本市文化体育館にて、〈島からうまれた商品・ツアー発表会〉が開催され、いよいよ島の人たちへのお披露目となる。淡路島の人の目には“島ならではの商品”はどのように映るか、反応が気になるところ。また、開発商品の発売・製造・販売などに関心のある人へ相談も受け付ける。

さらに、1月6日(水)から1月11日(月・祝)まで、大阪市中之島のgraf Shop&Kitchenにて、兵庫県淡路県民局による〈淡路はたらくカタチ研究島WEEK 〜淡路島発 これからのくらしのカタチを考える〜〉が開催。商品の展示販売だけではなく、ワークショップや、トークセッション、開発商品や淡路島産食材を使った淡路島ランチ・スイーツをgraf特製メニューで食べられるという企画を行う。このようなイベントを含め、今年度だけでも多角的な展開が見込まれる〈淡路はたらくカタチ研究島〉。この仕組みや体制、そして成果が地域の雇用創出のモデルケースになることは間違いないだろう。

Information

淡路はたらくカタチ研究島

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Yu Ebihara

海老原 悠

えびはら・ゆう●コロカルエディター/ライター。生まれも育ちも埼玉県。地域でユニークな活動をしている人や、暮らしを楽しんでいる人に会いに行ってきます。人との出会いと美味しいものにいざなわれ、西へ東へ全国行脚。

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撮影:津留崎徹花
supported by 淡路はたらくカタチ研究島

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足湯でロールケーキ!? 老舗旅館のおもてなしを体験。道後ロールめぐり その3

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道後温泉屈指の老舗旅館〈大和屋本店〉の道後ロール

愛媛県の農林水産物の魅力を、スイーツを通じて全国に向けて紹介する〈えひめスイーツプロジェクト〉。この取り組みの一環として2014年にスタートした〈道後スイーツ物語〉。愛媛の代表的な観光地である道後温泉の界隈にあるショップや宿に、県産食材を使ったオリジナルのロールケーキ〈道後ロール〉をお店ごとに制作してもらい、道後温泉を訪れた人にそのおいしさを味わってもらおうというプロジェクトです。コロカルおすすめの道後ロールめぐり、最後にご紹介するのは道後温泉屈指の老舗旅館〈大和屋本店〉です。

道後温泉を訪れる人たちにとって、いつか泊まってみたい憧れの旅館である〈大和屋本店〉。『坊っちゃん文学賞』の最終審査や『愛媛スイーツ・コンテスト』の会場としても使われています。

観光客でにぎわう道後温泉本館から徒歩1分のロケーションに位置する、慶応4年(1868年)創業の〈大和屋本店〉。ほのかに香気がただよう玄関を通りロビーに入ると、そこに広がるのは老舗としての歴史を思わせる和の上質な空間。全ての和室は数寄屋造りとなっており、部屋ごとに聚楽壁(じゅらくかべ)の色合い、天井のつくり、障子の格子が異なっているのだそう。また館内には能舞台〈千寿殿〉もあり、オープン以来、数々の上演が行われています。

ロビーラウンジへと続く玄関。ここから静かで上品な空間が広がっています。

松山道後ゆかりの山頭火や高浜虚子などの作品があちこちに飾られている館内。現在では〈道後アート2015〉の企画として、蜷川実花さんの作品も楽しめる仕様に。

その敷居の高さに緊張してしまいそうですが、初めて道後温泉を訪れた方でもリラックスして〈大和屋本店〉の上質さを体感できるのが、表通りからも入れる足湯〈伊予の湯桁〉。

道後温泉ならではの透明感とやわらかい泉質を楽しめる足湯。

庭園に隣接した広々とした空間で、約20人が同時に足湯を楽しめるヒノキ造りの伊予の湯桁。宿泊客でなくても無料で利用できる足湯といえども、すみずみまで手入れがされており、老舗ならではのおもてなしの心を感じさせられます。またインターホンで館内のコーヒーラウンジ〈花筐〉とつながっていて、足湯を楽しみながらソフトドリンクやアルコールなどを注文することが可能。そのメニューの中にも含まれているのが〈大和屋本店〉で提供されている道後ロール〈久万高原トマトロール〉です。

取材当日もにぎわっていた足湯。地元の学生さんにも親しまれ、ひとつのコミュニティースペースとなっているのだそう。

さまざまな驚きと、地元への想いがこめられた〈久万高原トマトロール〉

現在では14もの店舗が参加している〈道後スイーツ物語〉ですが、その多くが愛媛県産のフルーツを材料にした道後ロールを提供。そんな中、〈大和屋本店〉があえてトマトを材料として選んだのには、ちょっとしたストーリーが。

「実は私どもでは以前から、野菜を使ったスイーツをつくっておりまして」と話してくださったのは、支配人の水野真人さん。「私どもの6代目の社長が就任したとき“旅館を150年近く続けてこれたのは地元の方々のおかげ。何か地元の方々への恩返しをできないか?”となりまして。そこで地元のおいしいものでお土産をつくれば、地元にも貢献ができるし、地元のおいしいものの宣伝にもなるだろうと、つきあいの深い〈お菓子工房 おち〉さんとお菓子をつくることになったのです」

やわらかな光りに包まれた館内。老舗ならではの落ち着いた空気と時間が流れています。

その中で誕生したのが、大洲地方の伝統野菜である〈おおど芋〉をはじめ、さまざまな愛媛県産野菜を使用した〈大和屋ベジスイーツ〉シリーズ。現在ではスティックフィナンシェ、コンフィチュール、そしてひと口サイズの焼き菓子〈Oyaki -おやき-〉の3種類が販売されています。その中でも〈Oyaki -おやき-〉はコンテストで賞を受賞するだけでなく、JAL国内線ファーストクラスの機内食デザートとして採用されるほど、そのおいしさが話題に。そして道後ロールも〈お菓子工房 おち〉さんとつくることになり、その材料として選ばれたのが「四国の軽井沢」とも呼ばれる久万高原で穫れるトマトでした。

大和屋本店の〈久万高原トマトロール〉。

県内有数のトマト産地のひとつであり、青臭みがなく誰でも食べやすい〈桃太郎トマト〉を全国に先駆けて栽培出荷したことで知られる久万高原町。「久万高原のトマトは甘みがあり、糖度が高いです。でも〈久万高原トマトロール〉は甘酸っぱいだけでなく、もうひとひねり味わいに加えています」と水野さん。

久万高原トマトを練り込んで焼成された薄紅色のスポンジ生地で、クリームとトマトの餡をロールし、トマトのジュレとソースが添えられた〈久万高原トマトロール〉。まずスポンジ部分をひとくちいただいて驚かされたのが、口の中に広がる爽やかなトマトの香り。この風味を出すために、通常では考えられないほどぜいたくな量のトマトが生地に練り込まれているのだそう。

そのトマトのおいしさだけを閉じ込めたともいえるスポンジの風味を引き立てるのが、上品な甘さのクリームとトマトの餡。このふたつによってもたらされる絶妙な甘酸っぱい味わいに、外国によってはトマトが野菜ではなく果物とされることに思わず納得してしまうはず。またトマトだけでつくられたというジュレもみずみずしく、まるでカットフルーツをいただいているようなおいしさ。

そして、さらに驚かされるのは甘さをおさえたソースと、その上に散りばめられたスパイスをつけたときに生じる味わいの変化。日によって多少変えられるというスパイスですが、取材時に添えられていたのはバジル。このソースとバジルを加えた途端、その香りによってトマトの野菜としてのおいしさを思い出させる味わいに。久万高原のトマトが、ただ甘いだけの青果でないことを実感させられます。

「トマトロールと聞かれたときに、すごく甘酸っぱいロールケーキだと想像されると思うのですが、それだけでは終わらないような味つけにいたしました」と水野さん。「実際に召し上がってみると、とても味が深かったとほめてくださるお客様が多いですね。トマトの奥深さが出せたのではないかな、と思っています」

足湯に浸かりながら味わうこともできる〈久万高原トマトロール〉。温泉で温まりながらいただく甘味は、ひと味もふた味も違いそう。

お風呂あがりに味わいたい方はコーヒーラウンジ〈花筐〉でどうぞ。コーヒーと一緒に注文される方も多いそうですが「紅茶など、あまり味の強くない飲み物のほうがあうのではないかと思います。お酒でしたら、ハイボールがあうかもしれません」と水野さん。

驚きあふれる〈久万高原トマトロール〉ですが、実はもうひとつ驚きが。足湯に浸かりながらだけでなく、館内のコーヒーラウンジ〈花筐〉でもいただけるのですが、その価格が270円(税込)ということ。老舗旅館の雅びやかな空間の中で、美しい器に盛りつけられたスイーツを、ここまで手頃な価格で楽しめるとは……と、三たび驚かされていると「これは道後来訪者特別価格です。道後来訪者の方々には、とってもお得な価格にしています」と、ほほえむ水野さん。その言葉に老舗旅館ならではの手厚いおもてなしの心と、より多くの人に道後温泉そして愛媛県の魅力をより深く感じて欲しいというあたたかい想いが伝わってきました。

3回にわたりご紹介してきた道後ロールですが、ご紹介できなかった魅力的な道後ロールも、まだまだたくさん。愛媛県を訪れることがありましたら、ぜひ道後温泉で名湯の歴史を肌で感じ、道後ロールで愛媛県ならではの果物や野菜のおいしさを舌で味わってみて。いつもの旅が見聞だけでなく、食や歴史などへの好奇心も広がる特別な旅になるはずです。

Information

大和屋本店

住所:愛媛県松山市道後湯之町20-8

営業時間:7:00〜21:00(コーヒーラウンジ〈花筐〉)

定休日:無休 ※空調工事のため、2016年1月18日(月)正午から20日(木)正午まで休館

http://www.yamatoyahonten.com/道後スイーツ物語http://www.ehime-sweets.com/dogo/

editor's profile

Miki Hayashi

林 みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

credit

撮影:小川 聡
supported by 愛媛県

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